エピソード8:school festival②
2人で文化祭へとやってきた仁義と蓮は、校舎の階段を上り、心愛達のクラスを目指していた。
蓮として校舎内に入るのは初めてだ。知っているのに初めて訪れる、言いようのない感覚。
ことの発端は30分ほど前。午前中の課外授業を終えて帰ろうとしていたところに、仁義がひょっこりと顔を出したところに遡る。
「名波君、今日の午後って予定はある?」
「今から、ですか? いえ、特には……」
反射的に正直に答えた次の瞬間、蓮は返答を誤ったと思った。しかし、既に後の祭り。
「もしもよければ、なんだけど。コレに付き合ってくれないかな」
そう言って仁義が取り出したのが、この文化祭のチラシだったのである。
仁義曰く、里穂が蓮を誘うように、仁義へ仲介を頼んだとのことだ。
「心愛さんが頑張っていたから、その成果を名波君にも見て欲しいって、里穂が言ってたよ」
「そうですか。でも、どうして僕に……」
心愛本人から、特に話は聞いていない。とはいえ、華蓮として接している時に文化祭の話は何となく耳に入っていたので、あまり知り合いに見られたくないのではないかと思っていたのに。
釈然としない蓮の横顔へ、仁義は笑顔で追い打ちをかける。
「ほら、名波君と心愛さんって、水族館デートで――」
「――デートじゃありません。遅くなった誕生日プレゼントです」
食い気味に訂正する蓮へ、仁義はウンウンと頷いて。
「誕生日プレゼントで、もっと仲良くなったはずだから、とか、何とか」
「何なんですか……第一、心愛さんからも、名倉さんからも、何も言われてませんよ?」
「僕が直前に声をかけたほうが、成功率が高いだろうって言われたんだ。事前に知っていると、教室からすぐに出ていっちゃうかもしれないって」
「……」
実際その通りになったので反論出来ず、結局ついてきた蓮は黙々と階段を登る。
仁義についてきたのは、単なる気まぐれだ。午後から特にやることもない。聖人の襲来に怯えて過ごすくらいなら、彼と会わない場所で時間をつぶす方がいい。それだけのこと。
蓮の通う中学校では、ここまで大規模なイベントではなかったので、周囲に広がる熱気に多少あてられつつ……仁義の半歩後ろをついて歩く。そして。
「いらっしゃいま――っ!?」
丁度、クラスの前で呼び込みをしていた心愛が、2人に気付いて語尾を裏返らせた。
「ジン、それに名波君まで……もしかしてお兄様やケッカと一緒に?」
目を丸くして尋ねる心愛に、仁義は首を横に振る。
「統治さん? いや、統治さんとも山本さんとも、まだ会ってないけど……」
「そう……あ、ごめんなさい。お兄様たちが見回りに来るって話を聞いていたから、まさかと思って。よければ遊んでいってください。名波君も、来てくれてありがとうございますっ」
「あ、いえ……お疲れ様です」
咄嗟に返す言葉が見当たらず、業務的になってしまった。そんな彼を心愛は「どうぞどうぞ」と教室へ誘い、丁度誰もいなかった的あてゲームの前に連れて行く。
「この新聞紙のボールを投げて、あの的に当ててください。点数に応じてプレゼントがありますから」
そう言って、心愛は新聞紙のボールが3つ入ったカゴをそれぞれに手渡した。じゃあ、と、仁義が先に的の前に立つ。ダンボールで作られた標的は、弓道やダーツの的のような、丸の中に更に丸があり、中央に近いほど得点が高くなるものだ。距離は5メートルほど離れている。近くはないが、きちんと狙えば外すような距離でもない。
「じゃあ、僕から投げるね」
きっと仁義はしれっと高得点を射抜くのだろう。そんな生暖かい眼差しで見守っていた蓮だったが……仁義が放った一投目が、思いの外手前で落ちたことに、思わず目を丸くした。
「柳井君、珍しいですね。どうしたんですか?」
「名波君……気をつけて」
「はい?」
「このボール、中に動く重りみたいなのが入ってる。今の僕みたいに力加減を間違えると、全力で下に落ちるようになってるんだ……!!」
「本当ですか……!?」
まさか、そんな仕掛けがしてあるとは。蓮が驚いた眼差しで心愛を見ると、当然、知った上でそれを渡した心愛が、口元にニヤリと笑みを浮かべていて。
「フッフッフ……子ども向けの遊びだからって油断したわね、ジン。中学生以上はおもしろボールを投げてもらうゲームなのよ。さぁ、次をどうぞ?」
「これは、地味に悔しいな……2投目は、流石に当てたいけど、って……!?」
仁義は口元を引きつらせつつ、2つ目のボールを手にとって……。
「……心愛さん、これ無理だよ。軽すぎて届く気がしない……」
仁義の言葉通り、2投目は軽すぎるボールだったため、どれだけ全力で投げてもヘロヘロと落ちてしまう。3投目は普通のボールだったようで、何とか当てることは出来たものの……最高得点には遠く及ばない結果になった。
「名波君、僕の敵を……!!」
「そんな重いこと言わないでください」
景品のうまい棒を両手に持って応援する仁義にジト目を向けつつ、蓮は1つ目のボールを手に取った。軽い。これは軽い。届く気がしない。捨て玉だと割り切ってヘロヘロに投げた後、気持ちを次へ切り替える。
2投目は重すぎるボールだ。質量が重ければ、運動エネルギーは大きくなる。ただ。理屈が分かったところで的に当てられるわけではない。案の定、蓮のコントロールでは的をかすめても中央はまだ遠い。遂に最後、3つ目のボールになった。中に動く重りが入っているため、調整の加減が難しい一投だ。
すると心愛が、蓮へ向かって声をかける。
「名波君、頑張ってください。ほら、あの的を伊達先生だと思って!! 日頃の恨みをぶつける感じで!!」
「伊達先生……!?」
心愛の誘導に、蓮は思わず、目の前のダンボールを見た。当たりがどこなのか分かるように白く塗ってあるところが、一瞬、彼が着ている白衣と重なって――
「――勝手に……部屋に入るな!!」
反射的に呟いた言葉と共にボールを放ると、それは綺麗な放物線を描く。そして……。
……鈍い音と共に、まとの手前に落ちる。
「残念でした。ここから好きな味を2本、選んでくださいね」
そう言って心愛が差し出したカゴから、蓮はコンポタ味のうまい棒を2本握る。すると、心愛がどこか憐れむような表情で、自分を見ていることに気付いた。
「心愛さん?」
「あ、その……部屋、勝手に入られないようになると、いいですね……」
とってもすっごく気を遣われてしまった蓮は、「そうですね」と返答して顔を引きつらせる。
そして……嫌な暗示になってしまったような気がするので、このうまい棒は早々に食べようと決意するのだった。
仁義達3人が学祭を満喫している頃、分町ママは一人、校舎全体を見渡せる高い場所から、周囲をぐるりと見渡していた。
朝の早い段階で環やユカが感じていたような違和感はない。ただ、この場所は過去に良くない前例があるので、気を抜くわけにはいかないのだ。
「来るかどうか分からないお客さんを待ち続けるのも、骨が折れるわよねぇ……あら?」
分町ママがビールジョッキを右手に召喚しようとした次の瞬間、誰もいない屋上に一人、見知った気配を感じたため……高度を落とし、近づいてみる。
「あら、空ちゃん」
「うぇ……!?」
自分よりも高い位置から声をかけられた空は、ビクリと両肩を震わせて彼女の方を見やり。
「おb……なんだ、分町ママか」
「今、おばちゃんって呼ぼうとしたわよねぇ?」
「や、やだなー。ちゃんと訂正したじゃん。ゴメンって」
雑に笑って誤魔化す空の隣に陣取った分町ママは、どこか遠くを見ている彼女を横目に捉えた。
これまで見てきたハイテンションの彼女とは遠く、何かを抱えている、そんな気がしたから。
「なんだか久しぶりに会うような気がするわねぇ。今日は心愛ちゃんの様子を見に来たの?」
「うーん……どうだろ。分かんない」
空は曖昧に言葉を濁すと、視線の先に広がる秋空に目を細めて、ポツリと呟いた。
「分町ママは、さ、どうして消えないで残ってるの?」
「そんなの決まってるじゃない。お酒が飲めるからよ」
断言して高々とグラスを掲げる姿が清々しい。それを見た空は……かねてから疑問だったことを聞いてみることにした。
「味、分かるの?」
「こんなの思い込みよ。美味しいと思えば美味しいの」
「えー? そんなもん?」
「そんなもんよ。第一、そんなに深く考えてどうするの。私達……死んでるのよ?」
ズバッと言い放った分町ママの言葉に、空は「そうなんだよねぇ」とため息をついた。
そして……膝を抱え、ポツリと、現状を吐き出す。
「分町ママ、アタシ、一緒に働かないかって、ムネさん達から言われてて」
この言葉に何かを察した分町ママは、口元に笑みを浮かべると、努めて明るく返答する。
「あら素敵じゃない。でも……空ちゃん、そんなに乗り気じゃなさそうねぇ」
そんなに、という言葉を少し強調され、空は再度ため息を付いた。
「乗り気じゃない、っていうか……アタシなんかに出来る気がしないっていうか」
「あら、そうなの? 私でも何とかなってるんだから、何とかなるわよ」
「でも……」
こう呟いて、空は思わず苦笑した。
まただ。
先日、心愛からも禁止されたばかりだったのに。
『でも』
事あるごとに口をついて出る言葉は、生前からずっと使ってきた単語だ。
「アタシさぁ……おかーさんからずっと、ムノーって言われてて」
「あら」
「出来ないことばっかで怒られて、その度に「でも」って言い訳してた。結局……また怒られるんだけど」
『ムノー』という言葉の本当の意味を知った瞬間は、悲しみよりも納得が強かったかもしれない。
だって自分は、母親の期待通りに生きることなど、出来なかったのだから。
「要するに空ちゃんは、自分の考えを主張することが苦手なのね」
はっきり指摘された空は、膝を抱えたまま、地上を見下ろした。
楽しそうに文化祭を楽しむ多くの人々、一度も交わることのなかった世界は、とても、とても眩しい。
そんな世界に飛び込んで、上手く立ち回り続ける未来を……どうしても、思い描けない。
「人のことだったらガンガン言えるんだけど……自分のことは無理。失敗して怒られるの嫌だもん」
統治のことも、ユカのことも、他人事だから応援出来る。
どれだけ応援しても、自分が迷惑をかけるわけではないから。
自分は、当事者ではないから。
空の本音を垣間見た分町ママは、グラスの中身を一口飲んだ。そして、悩める彼女に自分が知っているだけのことを伝えておこうと、努めて冷静に声をかける。
少しでも……これからを『生きる』彼女の肩の荷が、軽くなるように。
「誰だって怒られたくないわよ。それに、統治君や政宗君は、よほどのことがない限り、理不尽に怒ったりするような子じゃないわよ」
「分かってる。でもさ、メーワクかけたくないじゃん」
「ほら、またよ。『でも』って」
「……」
分町ママの指摘に、空は膝を抱えたままそっぽを向いた。
変われない自分に嫌気が差す。言い訳ばかりの自分は好きになれない。
今、文化祭を楽しむ多くの人の中には、家族や恋人同士で来場している人もいるだろう。
いつか、自分も……生前にそんな未来を夢見たことは、一度や二度ではない。
けれど、踏み出せなかった。
笑顔の先を、心のなかにある感情を知られることが、怖かった。
嫌われて、棄てられて……自分の『無能』さを思い知ることが、とても、怖かった。
「分町ママは、さ、カレシって、いた?」
「どうたったかしらねぇ……悪いけれど、生前のことはほぼ、覚えていないの、お酒を飲んで楽しかった男性はいたと思うけれど、その人と親密な関係だったかどうかは……正直、もう、どうでもいいわねぇ」
自身の現状を隠すことなく語った分町ママは、抱えた腕の隙間から地上を見ている空を横目に捉えつつ、持ったグラスを傾けた。
「ただ、これは私の場合。空ちゃんはそんな風に思えなくて当たり前よ」
分町ママの言葉に、空はコクリと頷いた。
「生きてる間に、翼君に告白出来なかったこと……今になって、イヤになっちゃって。アタシが傷つきたくなかったから。失敗した時の、フラれた時の言い訳が、思い浮かばなくて……踏み出せなかっただけなのに」
――もしも……言ってたら、告ってフラレてたら、翼君と繋がってる糸も消えて、翼君もアタシのこと忘れて……あんなおじさんと関わろうなんて思わなかったかもしんない、って。
富谷の病院で彼を偶然近くで見ることが出来て、嬉しかった。
そして、実感した。
彼はもう、空を認識することが出来ない。
彼女がどれだけ近くで名前を呼んでも、気付くことなく歩き続ける。
それならそれで、良かったのに。
幸せになってくれれば、諦めることが出来たのに。
自分のせいで、稼いだ大金を払おうかどうか悩ませてしまっている。
自分のせいで、困らせている。
こんなことなら……生きている間に告白して、玉砕しておけばよかったのに。
心愛と一緒に、ユカや統治、政宗達と一緒に過ごしてみたい気持ちはある。
でも、自分の行動で迷惑をかけるくらいなら、潔く引き下がったほうがいいに決まっている。
色々なことを考え始めてしまうと……諸手を挙げて「頑張ります」と言えなくなってしまった。
「ずっと、この『糸』……カンケーエン、だっけ。これが消えないんだよね。アタシが、割り切れないから。アタシ、ユカちゃんやココアちゃんみたいに……強く、なりたかったなー」
「強く……そうねぇ……」
分町ママは少し考えた後、虚空を見上げ、口を開く。
「ケッカちゃんは、前に、私達より凶悪な『遺痕』に襲われて死にかけたんですってよ。体の成長が遅いのは、その時の後遺症らしいわ」
「え……!?」
詳しく知らなかった情報に、空は顔を上げて目を丸くした。
確かに、彼女の身分証を見せてもらったときから謎だったけれど、深く聞いたところで分からないと思い、あまり気にしていなかったことは事実。
空が視線を自分へ向けたことを確認した分町ママは、中身がほとんどなくなったグラスを片手に言葉を続ける。
「それに、知ってるかもしれないけれど、心愛ちゃんはずっと『痕』を怖がっていたの。だから、私とまともに話が出来るようになったのも、確か……ええ、割と最近のことなのよ?」
「そういえば、そんなこと聞いたかも……っていうか分町ママ、そういうことは覚えてるんだね」
思わず空が素直な疑問をぶつけると、分町ママは「そうねぇ」と、不意に自身の指先を見つめた。
「今、『関係縁』が繋がっている人のことであれば、ぼんやりと覚えているのよねぇ」
「うぇっ!? あ、あれ? なんで!? 繋がらないんじゃないの!? っていうかそれあんの!?」
空は思わず分町ママの両手やその周辺を見たが、特に、空と同じものは見当たらず。
「ないじゃん!!」
「あるらしいわよー。私には見えないけれど」
あっけらかんと言い放った分町ママは、まるで手品ののように、並々とビールが注がれているジョッキを取り出した。そして、ギョッとしている空を意に介さず、美味しそうに半分ほど飲み干す。
「はー……秋晴れの下で飲むお酒は最高ね」
「ぶ、分町ママさー、……飲み過ぎじゃない?」
「酔わないから大丈夫よ。こんな風に、空ちゃんも私と同じ『親痕』になったら、関係する人とは特別に結ぶことが出来るらしいわ。だからもしも空ちゃんが『仙台支局』に入ったら、心愛ちゃん達との『関係縁』も増えると思うわよ。多分」
「そ、そうなん、だ……なんか、よく分かんなくなってきた……」
分町ママの話を聞きながら、空の頭の中では情報が洪水を起こし始めている。
目を白黒させている空を横目で見つつ、分町ママもまた、眼下を見下ろした。
「私の場合、こんな感じで、今の仕事で一緒にいる人のことは漠然と覚えているけれど、例えば、その人と具体的にやったこととか、些細な会話とか、細かい事になると思い出せないことばかりなのよ。それは、生前のことも同じ。それはそれで幸せかもしれないけれど……だから、自分がどうして最近、『仙台支局』から遠ざけられているのか、よく分からないのよ。でもきっと、何かをしてしまったんでしょうね」
「それは……」
どこまで伝えていいか判断できず、空は思わず口ごもった。それを1つの答えだと判断した分町ママは、困惑する彼女を見つめ、口元に笑みを浮かべる。
「人にはそれぞれ、言わないだけで、コンプレックスや辛いことがあるのは当たり前。それに優劣はつけないわ。だって、本人が辛い、それが全てだもの。空ちゃんは辛いことに耐えて、自分の心が壊れないように守っていたのよ。それは決して、悪いことではないわ」
「分町ママ……」
「でも、貴女自身がそんな自分をよしとしないなら……今はそれが正解なの。変わりなさい。そのチャンスを逃しちゃ駄目よ、次があるかどうかなんて、誰にも分からない。特に私達は、この『関係縁』が切れたらそこで終わりなんだから」
「……」
空は改めて、自分に残る2本を見つめた。
一本は翼と、そして、もう一本は今、政宗と繋がっている。
これが切れたら『終わり』、それを実感すると……少しだけ、ほんの少しだけ、怖くなったような気がして。
再び閉口した空へ向けて、分町ママは持っていたジョッキをかざす。
「それに、『親痕』になると、私のお酒みたいに、自分の『好き』を報酬にすることも出来るわよ。それで余生を……生きてないけれど、とにかく、未来ばっかり考えすぎずに、オマケだと思って気軽に『今』を楽しんじゃいなさいな」
「で、も……」
「女は度胸って言うじゃない。それに……言い訳も回数を決めないと、大切な人が離れていっちゃうわよ?」
分町ママの言葉に、空は何も言えないまま……地上で楽しそうな人々を見下ろした。
その後、食堂での昼食を終えた統治は、テーブルに張り付こうとしているユカを強引に引き剥がし、3人で校内を巡回していた。
「3時からのモンブラン……」
廊下を歩くユカの恨み言が統治の耳に届いたため、流石に呆れて肩をすくめてしまう。
「流石に食べ過ぎだと思うんだが……」
「だってぇ……安くて美味しいし個数も限定なんやもん……」
統治からのツッコミにユカは不満をダダ漏れさせた声音で返答しつつ……改めて周囲を確認し、ある結論に至る。
「結局……おらんね」
「ああ。森君が朝一番に感じた気配と、山本が感じた気配が同じなのであれば、今日はもうここには近付かないかもしれないな」
統治と同じ見解であることに内心で安堵しつつ、警戒は怠らない。
突き当りの階段を上に登ろうかと足をかけたユカは、半歩後ろにいる統治を見やり、彼女の行方を問いかける。
「そういえば……川瀬さんって、見た?」
この問いかけに、統治は首を横に振った。
「俺はここ一週間、顔を合わせていない」
「だよね。もしかしたら、って思ったけど、川瀬さんなら流石に心愛ちゃんも気付くやろうけんなぁ……」
そう呟いたユカは、前の日曜日から姿を見せなくなった空のことを思う。
本格的に『親痕』として働いて欲しい。そう頼んでから明日で1週間。空は『仙台支局』へ顔をだすことがなくなった。政宗曰く、『関係縁』は残っているとのことだが、どこで何をしているのかは分からない。もしかしたら、ふらっと海外にでも飛んでいったのかもしれない。
『親痕』になるということは、ある程度、今の自由を制限されることにもなる。ペナルティはないけれど、どうしても上下関係にはなってしまうので、自由にやってきた空にしてみれば、窮屈に感じてしまうのかもしれない。
それに……空の『これから』を考えると、あまり、積極的に引き込むのも気が引ける。
もしもユカが『痕』になって、歳を重ねる政宗や統治の姿を、ずっと、見続けることになったら。
その時、自分は……笑っていられるだろうか。
考えるだけで、息が詰まりそうだ。
「……まぁとにかく、平穏なのはいいこ――」
いいことだ。
そう言いかけた口元を引き締め、ユカは瞬時に視界を切り替える。統治もまた『何か』を察知した様子で、櫻子の腕を引いて耳打ちをした。
「俺と山本から絶対に離れないでください。移動します」
「分かりました」
真顔で頷いた櫻子を連れ立って、3人は階段を1階まで駆け下りると、正門の方へと早足で移動した。
同時刻。教室内でユカ達と同じ気配を感じた心愛もまた、口元の焦りを隠しながら接客をしていた。
本当は今すぐにでも、急に増えた怪しい気配を追いかけたい。統治やユカも気付いているとは思うが、戦力は一人でも多い方が良いだろう。
でも……どうやって抜け出す? 備品は先程取りに行ったし、自分の休憩時間でもない。
クラス全員で協力しているこの現状から、どうやって……。
「――名杙」
「ひっ!?」
身動きが取れずに困惑していた心愛の肩を、環がポンと叩いた。我に返って彼の方を見ると、環は壁掛け時計を指差して、一言。
「俺、今から40分まで休憩だけど……代わる?」
「へっ!? い……いい、の?」
「うす」
環はコクリと頷いた。環の休憩が終わるまで、あと30分程度。それまでに全てをスッキリさせて戻ってくる、それだけのことだ。
「ありがとう!! 絶対に戻ってくるから!!」
心愛は脱いだエプロンを環へ手渡すと、直感に従って廊下を駆け抜けた。
Q:『親痕』だと『関係縁』は増やせるんですか?
A:そんな感じのことを……どっかで、書いたような、気が、しなくも、ないの、です……。(未確認)
ただ、自分の意志で増やせるわけではなく、名杙の依代(分町ママの場合は現当主)を通じて、仕事に必要だから増える、という感じです。




