エピソード7:missing you④
統治が心愛と共に『仙台支局』内へ到着したのは、13時45分になろうかという頃。櫻子の隣に座っていたユカが立ち上がり、その場所を統治に譲った。ユカ自身は事前に隣に用意しておいた仕事時の椅子に座り直すと、その隣――机を挟んで統治と向かい合うように腰を下ろした心愛を見やり、声をかける。
「心愛ちゃん、お疲れ様。文化祭の準備はよかと?」
「うん。午後からは部活動の出し物の用意って決まってるから」
荷物をおろしながら返答する心愛に、ユカは首を傾げながら問いかける。
「生徒会は違うと?」
「違うわよ。一緒にしないでよね」
特に違いが分からないユカに心愛がジト目を向けていると……机にあったゴミを、部屋の奥のゴミ箱に捨てていた政宗が合流した。そして、心愛の隣に腰を下ろすと、統治へ視線を向ける。
「じゃあ統治、始めようか」
「ああ」
政宗の言葉に頷いた統治は、持っていたトートバックからクリアファイルを取り出した。半透明でA4サイズのそれの中には、一枚、書類が挟んである。
統治は静かにその中身を取り出すと、櫻子の前に置いた。そして、それが何なのかを目視した櫻子は……思わず目を丸くして、統治を見つめる。
「あ、あの、統治さん……これ、は……」
「婚姻届だ」
「そ、それは見れば分かります……!! あ、あの、えぇっと……えぇ……!?」
突然出てきた公的書類に、櫻子は困惑して周囲に説明を求める。
確かに昨日、統治はこんなことを言っていた。
――俺と、で、出来るだけ早く……結婚してくれないか?
それに対してイエスと答えはことは間違いないし、断るつもりはない。
ただ……翌日だとは思わないじゃないか。流石に。
両家の挨拶も、その他諸々も、まだなーんにも決まっていないし、実施されていない。そんな状態で書いて良いのかと困惑する彼女へ、統治がこの書類の『意味』を説明する。
「昨日、少し説明をした通り、俺と櫻子さんが結婚をすることで、櫻子さんを霊的に底上げすることが出来る。具体的にどうなるかというと……」
そこで統治は、櫻子がユカのスマートフォンを持っていることに気付き、その画面を自分の頭上へ向けるように指示を出した。言われた通りに櫻子がカメラのレンズを統治の頭上へ向けると、画面の中に、緑色の線が1本、青い色の線が2本、彼から伸びていることが分かる。
「緑色は『生命縁』、命をつなぐ縁だ。そして、青い方が『因縁』、父親と母親から一本ずつ受け継いだものと考えられている。そして、結婚をすることで……細かい理屈は分かっていないが、恐らく相手方の素質が混ざった『因縁』が増えて、3本になるんだ。この青い線を櫻子さんに増やしたいと考えている」
「は、はい。その……婚姻届を出すことで増えるんですか?」
書類一枚で何が変わるのかと問いかける櫻子へ、統治は真顔で返答した。
「それは分からない」
「えぇっ!?」
困惑した櫻子が助けを求めてユカと政宗を見るが、2人も同じように頷いているので……本当に分からないのだろう。要するに挑戦だ。
大丈夫だろうか、と、不安が顔に出る櫻子へ、統治は優しい眼差しと共に一度頷いた。大丈夫、そんな、根拠のない確信を抱いている彼は、自身の考えを更に続ける。
「よく言われているのは、『互いに結婚したと意識した時に増えて、次第に色が濃くなっていく』ということなんだ。流石に、互いの親を無視することは出来ないから、書類をすぐに提出することは出来ない。ただ……これを今、3人の前で書くことで、人前式になると思っている」
人前式。
格式などに囚われず、大切な人の前で結婚を誓い、祝福してもらう方式だ。
統治が言っているのは、形式にこだわる前に自分たちの意識から変えていこう、ということ。そのきっかけとして書類を記入し、お互いに腹をくくろう、ということなのだろう。多分きっと。
彼の意図と覚悟を理解した櫻子は、一度、無言で頷いた。そして、書類とともに用意されていたボールペンを手に取ると、上部を親指でノックしてペン先を出す。カチリ、という形式張った音が、静かな部屋に響いた。
そして、『妻になる人』と記載されている欄に、自分の情報を埋めていく。
名前、生年月日、住所、本籍地、両親の名前、続き柄。
今まで、数え切れないほど書いてきた情報だ。
それらの一つひとつを丁寧に埋めていく度に、色々な思いがこみ上げてきた。
名前や住所に関しては、近い将来、変わってしまう可能性が高い。そう思うと、今、この瞬間が、とても特別に思える。
一抹の寂しさはある。けれど……決して、後悔はしていない。
自分の項目を全て埋めた櫻子が、ボールペンと共にそれを統治へ渡した。統治もまた、上から一筆ずつ丁寧に記載していき……書き終えたその書類を、隣にいるユカへ手渡す。
「へ? あ、あたし?」
予想外の展開にユカが目を見開いていると、統治は書類の左側、空白になっている欄をペン先で示す。
「婚姻届には証人が2名必要なんだ。櫻子さん、山本と佐藤で問題ないか?」
聞くまでもないことだが、という表情で櫻子の意思を問う統治に、彼女は満面の笑みで同意した。
「はい。ユカちゃんが20歳を超えていて本当に良かったです……!!」
「うぇぇっ!?」
まさか自分も関わると思っていなかったユカに、唐突な緊張が走る。ボールペンを受け取って困惑する彼女を見た心愛が、静かに立ち上がって席を譲った。
「ケッカ、こっちで書きなさいよ。間違えたら承知しないわよ」
「ぷ、プレッシャーかけんでよ!! え? これって本名? え? 政宗、これどっち書けばよかと!?」
そんな想定をしていなかったので、特に何の用意もしていない。狼狽する彼女を笑いながら、政宗が言葉を返す。
「『山本結果』でいいよ。保険証とかそっちの名前だろ?」
「な、なるほど……!! 差し戻されたら政宗に責任転嫁するけんね!!」
ハイハイと返答する彼を横目に、ユカは『証人』の欄に自分の名前を書いた。
名前、住所、そして……。
「本籍地!? ほ、本籍地……」
自分の本籍地など考えたことがなかった。ペンを止めて顔を歪めるユカに、統治が苦笑いで助け舟を出す。
「山本、今の時点で書けるところだけで構わない。ただ、正式に提出するまでに確認をしておいてもらえるか?」
「分かった。本籍地やね……本籍地……!!」
いずれ瑠璃子にでも問い合わせようと決意しつつ、自分の欄を埋めたユカが、隣にいる政宗へ書類を渡す。
届けとボールペンを受け取った政宗は、もうひとりの証人欄へ自分の名前や必要な情報を記載し、それを統治へと手渡した。そして、2人を真っ直ぐに見据えると、満面の笑みで祝辞を述べる。
「統治、透名さん、おめでとう」
ユカもまた、ようやく肩の力を抜いて……幸せそうな2人に目を細めた。
「2人とも、おめでとうございます。しっかり、見届けたけんね」
統治と櫻子は、改めて、あらかたの署名を終えた婚姻届に視線を落とす。
自分たちのこと、そして、自分たちの決意を見守ってくれた人の名前。
今までと、今と、そして、これからと。
区切りと始まりを象徴する書類を、統治は静かにクリアファイルへ片付けた。そして、改めて櫻子の方へ向き直り、静かに頭を下げる。
「不束者ですが、どうぞ、末永く、よろしくお願いします」
こう言って顔を上げると、櫻子もまた、統治へ向けて頭を下げて。
「ありがとうございます。こちらこそ……末永く、よろしくお願いします」
彼女がこう言って顔を上げた瞬間、心愛は2人の間に微細な変化が生じたことを感じ取った。
確認するために瞬きをして視界を切り替える。すると、いつの間にか心愛の側へ近づいていた空が、どこか興奮した様子で2人を指差していて。
「こっ、ココアちゃん!! 今、なんか増えた!! 青いやつが増えた!!」
偶然にも、空はその瞬間を目の当たりにしていたらしい。 騒いでいる空をたしなめつつ、心愛は改めて、兄と……義理の姉になった女性の方を見つめる。
「分かってるわよ。心愛にだって……ちゃんと、見えてるから」
2人に増えた家族の証、それが生まれた瞬間を共有出来たことが嬉しいし、それに……。
「心愛、頼めるか?」
「分かったわ」
この瞬間が来た。統治から名前を呼ばれた心愛が立ち上がり、櫻子の背後に立った。そして同時に、ユカと政宗も櫻子を見つめ、なにやら表情を引き締めている。
終わったと思っていた櫻子は、周囲の変化に再び戸惑うこととなった。
「あ、あの、今度は何が始まるんですか……!?」
「櫻子さんの『因縁』を強化するんだ」
「きょ、強化、ですか……!?」
統治の言葉で、櫻子にも無事に『因縁』と呼ばれていた青いものが増えたことが分かった。とりあえずの関門をクリアしたことに安堵しつつ……次に向けて、再び、体が緊張してしまう。
統治は彼女の周囲を確認しつつ、その理由を説明した。
「無事に増えたとはいえ、櫻子さんに生まれた『縁』は、まだ、力が弱いんだ。今のままだとまだ、名杙本家の人間に対して効力が弱い可能性があるから……心愛の力で強化しておこうと思う。櫻子さんはそのまま座っていていれば終わるんだが、何か体に異変を感じたら、すぐに教えてくれ」
「分かりました……!!」
櫻子は膝の上に両手を乗せると、静かに目を閉じて呼吸を整える。
後ろに立った心愛は、先程増えたばかりの新しい『因縁』を確認すると……右手を一度、握りしめた。
櫻子に『因縁』が生まれたら、その場で強化して欲しい。
これは昨日の夜、統治からの電話で頼まれたことだった。
統治から、名杙の『因縁』を櫻子に付与することで、彼女の霊的な力を底上げし、名杙本家からのプレッシャーを跳ね返せるようにしたいこと、ただ、生まれたばかりの『因縁』は弱いから、心愛の持つ力をそこに付与することで、彼女を守る礎にしたい、ということだった。
「こ、心愛にそんなこと出来るの?」
電話口で困惑する彼女へ、統治は、心愛に頼む理由を告げる。
『心愛は先月、佐藤と名波君の『因縁』が絡まった時に、問題の『因縁』に干渉して、自分の意思を伝播させることに成功している。それと同じことをすれば、効果があると思うんだ』
「あ……」
思い当たることがあった心愛が電話口で息を呑むと、統治が『心愛』と名前を呼んで。
『これは……心愛にしか頼めないことなんだ。今、俺が知る限り、『縁』に対する霊的な干渉に最も長けているのは心愛だと思う。文化祭前で忙しい時に申し訳ないが、協力してもらえないだろうか』
出来るだろうか。
少しだけ感じた不安は、すぐに消えた。
出来るかどうかじゃない。
やるしかない。
統治が信頼してくれている今の自分を、見失いたくない。
心愛はスマートフォンを握りしめ、一度、息を吐いた。
そして。
「……分かったわ。じゃあ、お兄様も……心愛のお願い、きいて、くれる?」
『何だ?』
「その……月末の文化祭、クラス発表の日に、櫻子さんと一緒に来て、欲しいんだけど……」
統治が文化祭2日目、部活動の発表の手伝いに来ることは知っていた。
けれど、心愛にとっての本番は初日なのだ。
これまでは統治と櫻子にトラブルが頻発していたので、自分から言い出すことが出来なかった。けれど、『因縁』の強化を終えた状態であれば……きっと、一緒に行動することが出来る、そんな未来を信じたい。
そして、今の自分の姿を、学生としての名杙心愛を、2人にも見て欲しい。
『……ああ。必ず2人で行く』
電話の向こうで優しくそう言ってくれた兄に、心愛は思わず口元をほころばせた。
自分にしか出来ないこと。
それが、2人の未来を繋ぐ助けになる。
その事実が、とても嬉しい。
心愛は、櫻子に生まれた名杙の『因縁』を、両手でそっと、優しく握った。
自分の思いを、希望を――受け継いだ力にのせて、しっかりと伝えるために。
「……これからよろしくお願いします、お姉様」
心愛がそう呟いて手を離した瞬間、櫻子の体がビクリと一度、大きく震える。失敗したのだろうか、表情に不安が浮かんだ心愛を、振り向いた統治が咄嗟に否定した。
「大丈夫だ。問題ない」
「お兄様……」
そして、全員が固唾を呑んで見守る中……櫻子は呼吸を整えると、顔を上げた。そして、後ろに立っている心愛を見上げて、穏やかに微笑む。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「あ、あのっ、どこか具合が悪いとか、ない、ですか……?」
心愛の言葉に、櫻子は首を横に振る。
「ちっともありません。むしろ……強くなったことが、よく、分かりました」
「え……!?」
目を見開く心愛に、櫻子は笑顔で頷くと……隣に座る統治を見つめ、力強く頷く。
その眼差しの理由に至った統治の手を、櫻子が両手で包んだ。そして、凛とした声で迷いなく言葉を続ける。
「ご迷惑をおかけしました。そして……あんな状態の私を見守ってくださって、本当にありがとうございます」
「櫻子さん、やはり、記憶が……」
「はい。全て思い出しました。あの時、私へ連絡をしてきた女性の名前も、お顔も……全部です」
「っ……!!」
統治は感極まりそうになった自分を必死に自制しながら、静かにその場で立ち上がった。そして、櫻子の後ろに立ったまま困惑している心愛を見下ろして……。
「心愛、本当に……本当に、ありがとう」
「お兄様……もう、こんなの、どうってことないわよ」
統治が心の底から喜んでくれて、笑っていることが分かる。
だって、妹だから。兄の変化をずっと、一番近くで見てきたのだから。
それができなくなることを改めて実感すると、寂しい気持ちはある。けれど、今はそれ以上に、嬉しい気持ちのほうが強い。
心愛は肩をすくめると、両目に涙を浮かべて、心からの祝福を伝えた。
「……お兄様、櫻子さん、おめでとうございます」
3人の様子を見ていたユカは、とりあえず全てが収まるところに収まったことに安堵しつつ……ふと、とある可能性に思い至る。
今しがた、櫻子の失われていた記憶は戻ったようだ。これは自分たちが見立てた通り、櫻子に『名杙』の『因縁』が増えたことで霊的な力が底上げされ、そこに心愛という最強のブースターがついたことで、抑圧されていたものが開放されたのだろう。
『因縁』が増えるというのは、それだけ……外的な刺激となる。そして、それが増える要因は、当人たちの意識的な部分が大きいことが、はっきりと分かった。
もしも。
もしも自分にも『因縁』が増えたら……何か、変わるだろうか。
例えば、これはあくまでも、例えばの話だけれど。
自分にも『因縁』が増えることで、忘れていることを思い出したり、抑圧されているものを開放することが出来るとするならば。
それを一番喜んでくれる人物と一緒ならば、現状を打破することが出来るだろうか?
無意識のうちに、隣に座っている人物を見やる。
「ケッカ?」
きっと彼は、協力してくれるだろう。
ただ、協力では……『因縁』は生まれない。
2人の気持ちが双方向に、同じレベルで向かっていかないといけないと思う。それこそ目の前の統治と櫻子のように、相手を思い、認めあって、同じ歩幅で歩いて行くことが絶対条件なのだろう。
だからこそ、今の自分に足りないものは、よく分かっている。
――恋は勢いで何とかなるっしょ。きっとそれでバックオーライだよ!!
勢いが欲しい。
現状を打破することが出来るような、そんな勢いが欲しい。
そう思うと、互いに支え合いながら勢いを増して進んでいく、そんな統治と櫻子が羨ましく思えてしまう。
でも、そんなことを口に出してしまったら――
「ケッカ、どうした?」
政宗の怪訝そうな声に我に返ったユカは、手に持っていたスマートフォンを咄嗟にかざした。
「あ、えぇっと……そう、写真。全員で写真でも撮らん? 折角やし」
「ああ、それもそうだな。三脚が確かあったはずだから……」
政宗は立ち上がり、統治へ「写真撮りたいから三脚探してくる」と言って、衝立の向こうへ移動する。
ユカはその背中を見送りながら……胸に去来する焦りを、そっと、奥底へ押し留めた。
■missing you:あなたが恋しい!!
第8幕は統治(名杙家)の話なので、サブタイトルは絶対に英語にしたくて、かれこれ3年近く悩んでいました。煮詰まって、煮詰まりすぎて、鍋が焦げ付いた時に……色々な外的刺激を受けて、この言葉にたどり着いたのです。もう、本当に、嬉しかった。
上記の意味以外にも、2人の『関係縁』や櫻子の記憶が一時的に失われる、という事件にもかけています。このエピソードで名杙統治の成長は完了した、と、言っても過言ではないかもしれない。いろんな表情の彼を書くことが出来て、本当に楽しかったです。
そして、ユカが20歳を超えている事実にこんなに助けられるとは思いませんでした。ユカの誕生日はボイスキャストのおが茶さんの誕生日に便乗させてもらっているので8月です。もしも彼女が11月下旬以降の生まれだったら、この流れは成立しなかったかもしれません。うん、よく出来てる!!
一方、地味に重要ポストになった心愛さん。彼女がここで統治と櫻子の絆を見届けて強化する、という役割を担わせるために、『エンコサイヨウ幕間/7.8 マグネットラブル奮闘記』を書きました。これがないと急に成長しちゃうので、どうしても前段階と実績が欲しかった。彼女に『お姉様』と言わせることが出来て、感慨深かったっす……!!
……って書くと次で終わりみたいですが、まだ、もうちょっとだけ続くんじゃ。主人公の変化にもご注目くださいませ。




