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エピソード1:deep hatred②

 作中に、時代錯誤なハラスメント発言があります。

 これらが苦手な方は、無理をしないでください。

 自室に戻ってきた統治は、扉を締めて息を吐く。そして、スマートフォンへ見慣れた番号を呼び出すと、タップして呼び出した。

 つながるまで数秒間の後、どこかぎこちない様子が伝わる声が耳に届く。

『――お、お待たせしました。透名です』

「あ……」

 櫻子の声だと認識した瞬間、急に、胸が締め付けられたような感覚に襲われた。

 息が詰まって、喋れなくなってしまう。


 もしも、彼女から拒絶されたら――そう思ったら、急に、怖くなってしまった。


『統治さん? 統治さん……ですよね? あの、そこにいらっしゃいますか?』

 どこか心配そうな声音で話しかける櫻子に、統治は我に返ると……頭を振って、覚悟を決める。

 彼女からの拒絶、それは、当たり前の反応なのだ。それだけのことをしてきたのだから。

 自分がここで逃げて、気づかなかったフリをすることは出来ない。

 統治はもう一度深呼吸をすると、空いている左手を握りしめて、口を開いた。

「唐突に……すまない。急ぎ、確認したいことがあるんだ。少しいいだろうか?」

『確認ですか? はい、何でしょうか……?』

 電話の向こうで、櫻子が首を傾げているような気がした。無理もない。合わせて漏れ聞こえる音から察するに、彼女は今、どこか屋外にいる様子が伺えた。なおのこと、手短に話を終わらせなければ。

 統治は口の中に溜まったつばを飲み込むと、電話の向こうの彼女に問いかける。

「櫻子さん……正直に教えて欲しい。俺の親族から……名杙の人間から、これまで、どんなことを言われてきたんだ?」

『……』

 刹那、櫻子が無言になった。言葉を選ぶための間だと確信した統治は、畳み掛けるように言葉を続ける。

「言葉を選ぶ必要はない。俺は……君が嘘や誇張を良しとする人間だとは思っていないんだ。だから……櫻子さんの言葉で、教えて欲しい」

『そう、ですね……そうですか……』

 電話の向こうで、櫻子が息を吐いた音が聞こえた。そして、数秒の後……。

『特に最近、驚いたのは……親族の方が富谷の病院にいらっしゃって、私を見て……こんなオママゴトみたいな仕事であれだけの年収を稼げるなんて嘘を書いたんでしょう、と、言われたこと、ですね。他にも……『縁故』でもないなんて厚かましい、資産目当ての女だと、言われたこともありますし……』

 そこまで言った櫻子が、電話の向こうで口ごもった。統治はこれ以上踏み込んでいいのか迷ったが……伝えてくれるならば聞いておきたいと思い、その先を促す。

「辛いことを思い出させてしまって、申し訳ない。他に、気になったことは?」

 喋りたくないならば彼女の判断で口を閉ざすだろう。そう思った統治へ、櫻子は……意を決して、言葉を続ける。


『その……以前、福岡へ行く名杙さんの荷物を取りに伺った際、知らない男性の方から、その……身長の割に体重があれだけあるなんて、着痩せするタイプなのかな、って……体を、見られて……恐らく、私に関する何かを、ご覧になったのだと、思います……』

「――っ!!」


 刹那、統治は大声を出しそうになった口元を引き締め、奥歯を噛みしめる。

 こみ上げるのは、失礼極まりない親族への怒りと……それだけのことに一切気付けなかった、自分自身への苛立ちだ。


『あの……統治さん?』

 向こう側で、櫻子の不安そうな声が自分を呼んでいる。


 何か、喋らなければ。もっと冷静に状況を把握しなくては。

 そう、強く思うけれど、頭がうまく働かない。

 怒りに支配される、そんな感覚を初めて味わった。


「そ、れは……一度だけ、だったのか?」

 声の震えを抑えたつもりだったけれど、誤魔化しきった自信はない。統治の言葉からしばし間をおいた後、電話の向こうで櫻子が口を開く。

『その方からは……一度だけ、です』

 その言葉の裏を察することが出来ないほど、統治も世間知らずではない。

 つまり、別の人物からも似たようなことがあったのだろう。しかもそれが、一人とは限らない。

 櫻子に対して、あまりにも侮辱的な言動だ。しかも、最初の『特に最近』という言葉が示す通り、これまでに……統治と付き合うようになる前から同様のことはあったと考えられる。

 ただ、櫻子としては名杙側でどこまで自分の情報が出回っているのか分からない以上、表立って抗議することも出来なかったのだろう。抗議をしたところでシラを切られてしまうかもしれないし、何よりも――


 統治が、何も言ってこないのだから。


「……本当に、すまない。話してくれてありがとう」

『あ、あの、統治さん? 何かあったんですか? 私はもう気にして――』

「――後でまた連絡をさせて欲しい。詳しいことは……その時に話す」

 統治は強く押し切って、通話を終えた。

 そして、壁にもたれかかるように座り込むと……虚空を見つめ、口元を歪める。

 こみ上げてくるのは、後悔と、申し訳無さと、自分自身への強い憤り。

「俺は……今まで、何をしていたんだ……!!」

 震える喉から絞り出した言葉は、部屋の中に反響して……静かに消えた。


 統治からここまで聞いたユカは、怒りを落ち着かせるためにコーヒーを煽った。

 そして、言葉を止めて俯いている統治を見やり、確認するように問いかける。

「統治は……本当に何も知らんかったっちゃんね?」

「ああ。自分自身に嫌気がさすほど……俺は、何も知らなかったんだ」

「政宗の言った通りやったね。櫻子さん、全部分かった上で……」

 こう呟いたユカは、隣に座る政宗を横目で見た。彼はどこか涼しい横顔で頬杖をつくと、少し遠くを見つめて息を吐く。多くは語らないが、彼もまた、心無い言葉にさらされた経験が『それなりに』あるのだろう。そしてそれを……自分なりに咀嚼して、乗り越えたことも。

 政宗は頬杖をついたまま統治を見ると、「それで」と口を開いた。

「まさか統治も、言われっぱなしを放置してきたわけじゃないんだろ?」

 その言葉に、統治は静かに首肯した。

「親父と……直接、話をした」

 彼の言う『親父』は、当然、現名杙家当主のことだ。まさかサシで話をしてきた後だとは思わず、ユカは思わず「おぉ……」と声を漏らす。一方、政宗は特に何も言わず、彼の言葉の続きを待った。


 時刻は15時過ぎ、最低人数での会議を終えて部屋から出てきた現当主――名杙領司に、統治は無言で近づいた。

 50代も後半に差し掛かろうとしており、更に貫禄が増しているように感じる。身長は170センチ程度なので決して大柄な部類ではないのだが、和服を身にまとって姿勢よく颯爽と歩く姿は、見ているだけで息が詰まりそうな、統治でも気圧されてしまう威圧感があった。

 普段はここまで迫力はある人物ではないのだが、やはり、一族を統括する立場にある今日は、『名杙領司』という『現当主』を完璧に作り上げている、そう感じた。

 けれど、ここで負けるわけにはいかない。統治は自分を訝しげに見つける領司の腕をつかむと、俯いたまま、声を絞り出した。

「……急ぎ、確認したいことがある。10分、俺に時間をくれ」

 統治の様子を目を細めて確認した領司は、低く、よく通る声で静謐に問いかける。

「それは、今すぐに必要なことか?」

「ああ……今すぐ、だ。次の会議まで30分あるだろう? 今すぐ……話をさせてくれ」

 自分でも声が震えていることが分かった。無意識のうちに腕を握る手に力がこもる。

 周囲が何事かと2人のやり取りを見ている中、領司は静かに掴まれた腕を外すと、先導するように歩き出した。

「早く来なさい。今日はまだ忙しいんだ」

 決して振り向かない。これが当主としての立ち居振る舞いであることを、周囲に見せるために。

 こう言って連れ出された先は、離れとなっている自宅の玄関だった。領司は引き戸を開いて中に入り、靴は脱がずに扉を閉める。いくら扉を閉めているとはいえ、誰に聞かれるか分からない場所ではある。ただ、今の統治には選択権も時間もない。

「親父は……櫻子さんの身上書が、無関係の親族に出回っていることを、知っているのか?」

 刹那、領司の頬がピクリと動いた。ただ、俯いている統治には見えていない。

「……どこでそれを知った?」

「今朝……親族の誰かが、話をしていたのを聞いた。その後、櫻子さんに確認をしたところ……身上書や、それに準ずる書類を見ていないと知らないような情報で、彼女が名杙の人間から侮辱されたことを、知った」

「その話していた親族とは、誰だ? また、彼女にそんなことを言ったのは?」

「それは……いや、今はそんなことどうだっていいだろう? こちら側の不手際で、彼女に多大なる迷惑をかけているんだ。だから――」


「――ならば、今は放っておけ」


 刹那、統治は領司の発言に、耳を疑うしかなかった。

 名杙家現当主は……自分の父親は、一体、何を言っている?


「親父……? 自分が、自分が何を言っているのか、分かっているのか……!?」

「当たり前だろう」

 領司は迷いなく首肯する。こうなることを予測していなかったわけではない。親だからと率先して助けてくれると思っていたわけでもない。

 ただ……あまりにも、あまりにもはっきりと突き放されると、思考の全てが停止してしまうことを思い知った。


 喋らなければ。説得しなければ。伝えなければ。

 大切な人が、今まで、どれだけ苦しんで……我慢をしてきたのかを。


「櫻子さん、は……正式な結納を行っていないにも関わらず、名杙側の、彼女が把握していないような親族から、一方的に侮辱され続けているんだ。それを知った上で放っておけ、と……名杙は、親父は他人のことに干渉しない、そういうことなのか?」

「そうではない」

「だったら――!!」


「――冷静を欠いた状態で喚き散らして、どうするつもりだ?」


 核心を突いた領司の言葉に、統治は二の句を継げなくなった。

 領司はどこまでも冷静に統治を見据え、彼の『対抗策』を問いかける。


「誰を責める? 責める相手が正しくても、相手が言い逃れをしたらどうする? こちらが疑っていることを知れば、相手はより陰湿になるだけだろう。そんなことも分からないのか?」

「それ、は……」

「まずは冷静に、真の敵が誰なのかを見極めることだ。それまでは大きく動かない方が得策だろう。統治も分かっているとは思うが……今の名杙は残念ながら、一枚岩ではない。こちらが無策に動き回ると、己の首を絞めるだけになる」

「……」


 分かっている。そんなこと言われなくたって、分かっているけれど。

 ただ……何をどうすればいいのか、分からない。



 進む先が、見えない。



 領司は着物の袖をめくって腕時計を確認すると、統治へ背を向けて引き戸に手をかける。

「すまないが、もう時間だ。統治、少し頭を冷やしなさい」

 彼はこう言って、玄関から外へ出ていった。

 引き戸が閉ざされ、足音が遠ざかっていく。玄関にしばらく立ち尽くした統治は、そこからフラフラと外へ出た。

 その足で裏口へと向かい、自身の車に乗り込む。車の鍵は朝からポケットに入れっぱなしだ。他に持っているのはスマートフォンだけ。財布など、他のものは何もないけれど……今はとにかく、1分1秒でも早く、この場から、この家から、離れたい。


 助けて欲しい。

 進む力が欲しい。

 その願いを叶えてくれるのは……ここじゃない。


 そう思った統治は、静かにアクセルを踏むと……仙台方面へ向けて、車を走らせた。

 お見合いの約束として取り交わす身上書(地域によっては『釣書』ともいいます)は、他人が勝手に見てペラペラと情報を喋っていいわけがありません。

 櫻子、統治はとってもいい人だけど、こんな家に嫁ぐのは……やめたほうが、いいと思う。(台無し)

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