エピソード6:hearts leaving①
統治と櫻子の『関係縁』が一度切られてから、初めての週末。土曜日の12時50分。
今日は『仙台支局』も休みのため、統治は朝から富谷の病院にいた。櫻子は本日、受付補助と案内のため、朝9時から12時半までの勤務である。
とはいえ、土曜日は病院も混み合うため、時間通りには終わらないだろう、とは思っている。そして、ただ待っているのも手持ち無沙汰なので、櫻子や聖人等にも相談して、表計算の調整や、室内のパソコンに必要なソフトの更新及び周辺機器の設定等、パソコン周りの雑務を請け負うことにして、午前中は一人、受付の後ろにある事務室で作業を粛々とこなしていた。
室内にある5台分の設定を終え、最後、部屋の奥にあるこのデスクトップパソコンも、まもなくインストールが完了する。終われば再起動の後、バックアップしておいたこれまでのデータを読み込んで、挙動を確認すれば一段落だ。
勿論、警戒を怠っているわけではない。屋外は空に見張りを頼んでいるし、別の場所では政宗とユカ、そして、事情を知った里穂の母親・理英子も、犯人を絞るために協力して欲しいと頼んである。
統治の両親が大っぴらに動くことが出来ない今、既に名杙の籍を抜けているとはいえ、本家筋の人が味方になってくれたのはありがたい。理英子自身も名杙本家のやり方には懐疑的であり、かつて、一人娘の里穂の縁談を勝手に進められそうになった過去もあるので、可能な限り協力してくれるとのことだ。
そこで理英子に統治は自分の仮説を説明し「慶次と近い、東北ブロックの親族の中で、結婚適齢期の娘がいて、5月に統治や櫻子と同じ場所にいた人物のリスト」を取り寄せて欲しいと依頼をした。ここで統治が動いてしまうと、相手に気付かれる可能性が高い。理英子自身も石巻という、言ってしまえば『東北ブロック』に属する立場だ。名杙内のシステムにアクセスしたことが判明しても、「仕事で必要だった」と釈明をすることができる。甥の頼みを二つ返事で引き受けてくれた叔母に感謝しつつ、今はその連絡待ちだ。だからこそ、目の前の作業に集中しなければ。
「これで……問題ない、な」
無線プリンターの設定を終えたところで、事務室の扉がノックされる。統治が顔を上げて「はい」と声を返すと、扉が開いて櫻子が顔を出した。
「お疲れ様です、名杙さん。入っても……だ、大丈夫ですか?」
「透名さん、お疲れ様です。どうぞ」
「……」
統治が頷いても、櫻子は視線を盛大に泳がせつつ……扉の近くから動こうとしない。
膠着状態が続くこと十数秒。しびれを切らした統治が訝しげな表情を向けた。
「透名さん?」
「あ、あの……爆発したり、しませんか?」
言うに事欠いて何を、と、呆れそうになったが……彼女は大マジなのだ。ここで馬鹿にするような態度をとるのは得策ではない。統治は必死に気を遣って言葉を選ぶ。
「時限爆弾を仕掛けた覚えはないんだが……どうしてそう思うんだ?」
「えぇっと……わ、私がパソコンに近づいたら、ビビビって音が鳴って、バーンってなるんじゃ、ないかって……」
「万が一そうなったらメーカーを訴えてくれ。とりあえず、俺が知る限りそんな事例はない」
「わ、分かりました。お邪魔しますっ……!!」
相当の決意を相棒に入室した櫻子は、部屋の奥にいる統治の方へソロリソロリと近づいた。そして、彼の隣から恐る恐る画面を覗き込んで……オズオズと声をかける。
「終わりそう、ですか?」
「あと10分程度で終わると思う。俺のほうが時間がかかってしまって申し訳ない」
「そんなことありません!! 兄さんも泣いて喜ぶくらい助かっていますのでっ……!!」
「泣いて……?」
櫻子の呼ぶ『兄さん』とは、内科医で、この病院の院長も務めている透名健のことだ。ここ数日は主に健の多忙に起因するすれ違いが続いており、今日も診察前ということもあって、簡単な挨拶程度しか出来なかった。
実妹である櫻子の身に、名杙のせいで大変なことが起こっていることはある程度察していると思うが、健が統治に対して嫌味を言ったりするようなことはない。今朝も穏やかに「お手数をおかけします」と会釈をしてくれたので……あの微笑の裏でそんなに喜んでいたのか、と、思わず目を丸くしてしまう。
そうやって呆けていると、画面に表示されていた進捗を示すバーが、一番左へ到達した。統治は選択肢から迷いなく『再起動』をクリックして、一度息を吐く。
パソコンは基本的に、こちらの命令どおりに動くけれど……たまに予期せぬエラーが発生する。特に今回は、病院のシステムを担うマシンだ。今回はメーカー担当者の出張費を削減したいという病院側の思惑もあって、引き受けることが出来た。だからこそ、何かあった時に矢面に立たされるのは、それこそ健や櫻子、聖人になる。
少しでも力になりたいけれど、迷惑をかけないように、そんな気持ちで受けた案件に終わりが見えたことで、強張っていた体の力が抜けたような気がした。
「名杙さん、お昼はどうしますか?」
「そう、だな……特に考えていなかった。透名さん、これからの予定は何か?」
「いえ、特には」
首を横に振る彼女へ、統治はとある提案をする。
「佐藤と山本が、俺たちと夕食を一緒に食べたいと言っていたんだ。どうだろうか?」
2人の名前を出すと、櫻子の表情が明るくなった。
「本当ですか? 是非、ご一緒したいです」
「良かった。じゃあ、それまでは俺と行動を。昼は……そう、だな、えぇっと……」
「そうですね……」
会話がどこかぎこちなく、案の定、すぐに途切れてしまう。これではいけないと思っていても……自分の感情をどこまで言葉にのせていいのか迷ってしまうと、心にブレーキがかかってしまう。
互いが互いを探り合って、遠慮して、上辺だけで取り繕っているような気がしている。
この前までは――自然体で接することが出来ていたのに。
心の中に残る違和感。それを探ってしまうと、決定的にダメになってしまう気がしたから。
再起動とファイルの読み込みが正常に終了したことを確認した統治は、静かに、本体の電源を落とした。
その後、仙台へ戻る前に、2人は富谷市内にあるショッピングモール内のフードコートで、各々が好きなものを食べることにした。
これまでは、2人で相談して店を探してきたが……あの雰囲気のままでは、いつまでたっても決まらないような気がしたのだ。
時刻は間もなく13時45分。一番のピークは過ぎたとはいえ、土曜日の午後はそれなりに人が多い。スペースの端に2人がけのテーブルを何とか確保した統治は、着ていた上着を脱いてそこに置き、場所取りをしているという意思表示をする。
「透名さん、何を食べるんだ?」
「えっ!? そ、そうですね……あ、自分で買ってきますのでっ……!!」
統治がカバンから財布を取り出したことに気付いた櫻子が、慌てて自分のバックを握りしめる。そんな彼女に、統治は「すまないが」と前置きをして。
「2人分の食事のレシートを持って帰らないと、俺が親に怒られるんだ。この歳になってまで説教をされたくはないから……協力してもらえないだろうか」
「わ、分かりました!! じゃあ……い、いただきますっ……!!」
思わずカバンを持つ手に力を込めて頭を下げると、向かい側にいる統治が、軽く息を吐いたような音がして。
呆れられてしまっただろうか……そう思った櫻子が恐る恐る顔をあげると、目の前にいた彼は、優しさが滲む苦笑いを浮かべて、肩をすくめる。
「それは、実際に食べるときに言ってくれ」
「あ……」
思わず見惚れてしまった。
そして……向けられた眼差しを、この表情を、自分は確かに知っている。
思い出したいのに。確かめたいのに。
「透名さん?」
「あ、はい、すいません。えぇっとですね……!!」
とりあえず今は昼食だ。櫻子は必死に思考を切り替えると、フードコート内にある店舗を見渡して……。
「あそこで、いいですか?」
そう言って彼女が指差したのは、世界的に有名なファストフードチェーン店だった。
10分後。
ベーコンレタスバーガーセットとえびフィレオセットが、2人それぞれの前に並んでいた。
実は、これまでのデートでも、ファーストフードは積極的に食べてこなかった。それは単純に、2人が生きたい店のリストの中に入っていなかったし……統治は統治で、櫻子の実家が病院であり、彼女を含めた家族が全員、医療やそれに準ずることに携わっていることから、遠慮していたことは否めない。
要するに、一般的に体に悪いと言われることが多かったファーストフードは苦手――嫌いなのではないかと思って、提案することはなかったのだ。
しかし、目の前の彼女を見ていると、慣れた手付きでハンバーガーの包み紙を開き、その半分ほどを持ち手にして食べようとしている。その様子をしげしげと見ている統治へ、櫻子がどこか気恥ずかしそうに問いかけた。
「あ、あの……名杙さん、何か変でしょうか……?」
「あ、いや、その……透名さんも、ファーストフードを食べるんだな、と……」
統治のぎこちない言葉で、彼が言わんとしていることを何となく察した櫻子は、「食べますよ」と口元に笑みを浮かべて、それにかぶりつく。そして、口の中のバンズとレタス、ハンバーグを咀嚼、嚥下した後、スプライトで口の中を整えた。
「実家が病院なので、意外に思われることもあるんですけれど……実は子どもの頃から、親が仕事で忙しい時は、兄とよく食べていたんです。普段とは違う味付けと外食が、少し特別でした」
「そうだったのか」
「高校生の時も、佐沼のフードコートで友達とよく食べました。高校生のお小遣いに優しかったですから。それに、私も名杙さんがファーストフードを食べるところを……多分、お見かけしたことがないと思うので、少し意外です」
そう言って笑う櫻子へ、今度は統治が思い出を語る。
「俺は……大学生の頃に、佐藤に連れて行かれたんだ。それまでは……その、申し訳ないが偏見もあって、あまり自分からは食べようとしていなかったんだが……」
統治はそう言いながら、ポテトを1本つまみ上げた。
そして……。
「……佐藤からよく、ポテトを取られていたような気がする……」
大学生の頃、食べるペース配分が分からずにポテトを後回しにしていた統治のトレイへ、いたずらっぽい顔をした政宗の手が伸びてきたのは、両手で数え切れないほどだ。
ヒドいときは、我が物顔で半分くらい取られたような気さえする。
途端に渋い顔をする統治へ、櫻子が慌てつつフォローを試みる。
「そ、そうだったんですね。佐藤さんは……そうですね、人懐っこい方といいますか……」
「意地汚いと言ってくれて構わないぞ。概ね同意だ」
「そ、そんなこと言いませんよ!!」
櫻子は慌てて頭を振った後、視線を自分の手元に向ける。
今まで知らなかった彼のことを、一つ、知ることが出来た。それだけで……とても、嬉しくて。
思わずニヤけそうになった口元を悟られたくなくて、櫻子は少しだけ大きく口を開くと、ベーコンへ向けてかぶりついた。
統治がそんな彼女を、どこか安心した表情で見ていると……自身の右側に、何となく、見知った気配を感じて。
「……」
嫌な予感と共にまばたきをして視界を切り替えると、いつの間にか統治の隣にいた空が、腕を組んでドヤ顔で2人を見守っていた。
「……いたのか」
統治がボソリと呟くと、空が「えぇっ!?」と非難じみた声をあげる。
「なにそれひっどっ!! サクラコさんに張り付いてろって言ったのそっちじゃーん!!」
「それは申し訳ない。後は俺が引き受ける」
「ハイハイ、邪魔しませんよー」
空はそう言って、ニヤニヤしながら統治の周囲を旋回した。
「……目障りなんだが」
刹那、それが自分に向けられたのだと思った櫻子が、思いっきり萎縮して頭を下げる。
「す、すいません……!!」
「あ、いや、櫻子さんじゃなくて、今ここに、先日紹介した川瀬さんがいて……その……誤解を招くようなことして申し訳ない」
「え……? あ、そ、そうだったんですね。失礼しましたっ……!!」
珍しく、少し狼狽えながら虚空を指差す統治を、櫻子はポカンとした表情で見つめた後……我に返ってとりあえず頭を下げておく。誰もいないけれど。
そんな様子を見ていた空が、統治を見て首を傾げた。
「ねーねートージさん、サクラコさんにはアタシのこと、スマホ使って見せないの? トージさんは出来ないの?」
「それは……」
先日の『仙台支局』では、ユカと政宗が自身のスマートフォン越しに、空と瑞希・華蓮を対面させてくれた。こんなことが出来るのか、と、素直に驚いたことを覚えている。
だからこそ、櫻子も空の姿くらい認識していいのでは、と、思って問いかけると、統治は視線を泳がせつつ、当惑している櫻子を見やる。
彼女は以前、聖人と同じように『縁』が視認出来る眼鏡をかけて、意識を失ったことがある。
そして、8月には行きずりの『遺痕』に目をつけられて、『重縁』状態になった。
要するに櫻子は、『縁』や『痕』に対する耐性が非常に低い可能性がある。この2件は知られると攻撃材料にされてしまうので、領司とも交渉して一切外には出していない事実だ。
もしもここで、空を認識してしまい……そのことが、彼女にとってマイナスになってしまうとすれば。
そう思うと、いくらデバイス越しとはいえ、どうしても慎重になってしまう。
それに……櫻子を今後、名杙とどこまで関わらせていいのか、統治が及び腰になっていることも事実だ。だからこそ、余計な情報は入れたくない。
知らないことで守れることも、きっとあると思うから。
統治はえびフィレオを咀嚼して飲み込むと、櫻子へ改めて頭を下げる。
「透名さんに分かりやすく説明出来ず、本当に申し訳ない。ただ……社外秘が含まれるので、多少の分かりづらさは勘弁してほしい。あと、何か変な気配を感じたら、すぐに教えてくれ」
「わ、分かりました。とりあえず、川瀬さんに宜しくお伝えください。ありがとうございます……!!」
「伝わってるよー!!」
……という声は残念ながら届かないのだが、空は思いっきり両手を上げてアピールする。そして、真顔で統治を見下ろした。
「それでトージさん、スマホを使わないのは、なんで?」
「社外秘だからだ」
「へ? 社会科? アタシ、勉強無理だよ?」
「……」
空の言葉遣いに閉口した統治は……とりあえず、誰にも取られないので減りが少ないポテトをつまんだのだった。
一方その頃。
統治から、櫻子が夕食会への参加を了承したという連絡を受けた政宗は、手早く返信をした後、ダイニングテーブルに頬杖をついた。
流石に、今回は2人に調理をしてもらうのは気が引ける。とはいえ、政宗とユカの手作りではおもてなしなど夢のまた夢なので、デリバリーを頼むか、買い物に行くか……頭の中で色々な選択肢が浮かび始めていた。
「ケッカ、晩飯何がいい?」
少し離れたリビングでテレビを見ていたユカが、彼の声に反応して顔を向ける。
そして、「うーん」と顔をしかめつつ……。
「何やろうね……ピザとか?」
「それも考えたんだが、統治達の昼食がハンバーガーなんだとさ」
「そうなんやね。なんか、あの2人にしては珍しいっていうか……」
テレビを消したユカが、ひょいひょいとこちらへ近づいてくる。そして、彼の隣の椅子を引いて腰を下ろすと、再び唸った。
「出前とか、デリバリーとか……なんかなかと?」
「調べればあるぞ。とりあえず、来れるようなら少し早めに来てもらって相談するか……」
2人だけで考えることを放棄した政宗が、統治へ向けて再びメッセージを送信する。
その様子を見ていたユカは……ふと、先日、この家で4人集まって食事をしたときのことを思い出した。
あの時は、統治と櫻子がユカ達のために食事を作ってくれると申し出てくれて。その話を聞いて、少し急いでキッチンを片付けたのだ。わずか2週間ほど前の出来事だが、随分と遠くに感じてしまう。
そういえばその時、確か――
――なんそれ……あの2人、さっさと結婚すればいいとにね。
結婚すればいい。
そう思った。
それは単純に、あの2人が仲睦まじくて……並び方がとても理想的で、これならさっさと籍を入れてもいいのではないか、と、単純に思っただけだ。
ただ……。
「結婚……」
ユカはここで、あることを思い出す。
『縁故』的な理屈で言えば、結婚は、『因縁』が増える儀式だ。
今までは自分の両親から受け付いた2本だけだったものが、相手方との縁が強固になったことで、3本に増える、らしい。
厳密に増える瞬間を見たことはない。どのタイミングで増えるのかは分からない。
ただ……増えるもんは増えるのだ。これは間違いない。
そして、仮に、櫻子が統治と結婚をすれば、彼女に増える『因縁』は……。
「あ……!!」
思い至った、1つの可能性。
今まで、見たくない現実を突きつけてきたこの能力と『縁』に関する知識が、久しぶりに誇らしくなった。
もしも、もしもこの話がうまく進めば――!!
「ねぇ、政宗」
「どうした? さっきから一人で……」
訝しげに自分を見つめる政宗を、顔を上げたユカが真っ直ぐに見据えた。
そして。
「あのさ……結婚って、どげん思う?」
「はぁっ!? けっ、結婚!?」
次の瞬間、主語を完全に勘違いした、可哀想な若輩者の悲鳴が……昼下がりのリビングに響き渡った。




