エピソード5:approach operation④
建物からゾロゾロと出てくる親子と入れ替わるようにして院内へと入った統治は、スリッパに履き替えると、受付カウンターの前で立ち話をしている櫻子と翼を見つけて、二人の方へ近づいた。足音で統治の接近に気付いた2人が視線を向けるので、とりあえず会釈する。
「透名さん、お疲れ様です。すいません、こちらの方が……瀬川翼さん、ですか?」
統治の言葉に、櫻子が「はい」と頷いた。一方、初対面の人間から名前を言い当てられた翼は、困惑した様子で統治を見つめた後……少しだけ、顔をしかめる。
「あの、すいません……どこかで、お会いしたこと、ありませんか?」
まるでナンパの常套句のような言葉だが、彼の表情から、必死に何かと思い出そうとしている様子が伝わってきた。統治は軽く頭を下げると、自分の名を名乗る。
「不躾に失礼しました。名杙統治といいます。佐藤政宗の友人で……」
政宗の名前を出した瞬間、翼が大きく目を開いた。
「……あぁそうだ!! 佐藤と一緒にいるところを大学で何度もお見かけしたことが……でも、こうしてきちんとお話するのは初めてですよね。瀬川翼です。こちらこそ失礼しました……!!」
記憶がつながった翼が、統治に対して再度頭を下げた。そして、顔を上げたところで改めて櫻子を見やり、「もしかして……」と問いかける。
「透名さんと佐藤も、知り合いなんですか?」
まだ信じられないと、表情で語る彼へ、櫻子はしっかりと首肯した。
「はい。とてもお世話になっています」
「本当ですか……!! 人との縁はどこで繋がっているのか分からないですね……!!」
どこか嬉しそうに語る彼に、統治が「そうですね」と相槌をうつ。すると、翼は「名杙……」と、統治の名字を繰り返しながら、こわごわとした様子で統治の方を見た。
恐らく……今、彼に交渉を持ちかけている人物と同じ名字だということに気付いたのだろう。政宗の知り合いとはいえ、統治がどちら側の人間なのか分からない状態なので、警戒心が強くなることは頷ける。
統治から先に立場を明らかにしておこうと思った次の瞬間、翼が意を決して問いかけた。
「あ、あの、名杙さん、失礼かもしれませんが、その……」
「俺と佐藤は同じ組織に属しています。そして俺は、佐藤と同じ考え方の人間です」
「そうですか……!!」
統治が自分の味方であることを確認した翼は、安堵した表情で息を吐いた。統治はあえて、身内が迷惑をかけている、など、慶次の評判を落とすようなことは言わなかった。翼にしてみれば、慶次はまだ敵ではないのだ。変に印象を操作して、それが後々、不利なことにつながってしまったら……そう思うと、迂闊に主観的なことは言わないほうがいい。
すると櫻子が、カウンターに飾られている写真立てを手にとった。その中には、翼が描いた絵手紙が収められている。
「名杙さん、これ見てください。瀬川さんが描いたものなんですよ」
飾られていたのは、秋の紅葉と柿をモチーフにした、ポストカードサイズの絵手紙だった。統治は芸術方面に詳しいわけではないが、素人目に見ても完成度が高いことが分かる。色の選び方、濃淡の付け方、筆の置き方など、一つ一つから書き手の暖かい思いが伝わってくるような気がして、思わず見入ってしまった。
「すごい……とてもお上手ですね」
正直な感想を告げると、翼が気恥ずかしそうに頷いた。
「恐縮です」
「どこかで習っていたんですか?」
統治の言葉に、翼は「そうですね……」と、自分の中で言葉を選び。
「大切な人のために頑張っていた頃、身についたものです」
「そうだったんですか」
その言葉である程度のことを察した統治は、それ以上深く追求することもなく、視線を絵手紙へ戻す。すると、荷物を整理した翼がカバンを持ち直し、統治へ向けてオズオズと声をかけた。
「あ、あの、名杙さん……もしも今日、佐藤に会うことがあれば、近いうちに連絡をするとお伝え下さい」
「分かりました。佐藤には飲みすぎないように注意しておきます。もしいつか、機会があれば……俺も参加させてください」
「はい、是非。これもなにかのご縁ですから」
そう言って嬉しそうに笑う彼に同意しつつ、統治は自分の斜め後ろですすり泣きをしている空のことが……段々と気になり始めていた。
その後、翼を見送った統治は、櫻子や彩衣らと共に、講座で使った長机や楽器などを所定の位置へ片付けて。
一段落したところで、櫻子の雑務が終わるのを待つために、誰もいない待合室のソファーに座っていた。誰もいない空間にたった一人、瞬きをして……ジト目で隣を見やる。
「……いつまで泣いているんだ」
念のために周囲を確認して話しかけると、空は涙をワンピースの袖で拭いつつ――統治はこれを見て、『痕』も泣くんだなと思った――両肩で呼吸を整える。
「だ、だっでぇ……翼君、元気そうだったじぃ……やっばりざやわがなイケメンだったしー!!」
「そうだな。特に健康状態に問題はなさそうだ」
慶次への返事を引き伸ばしていることで彼に何か悪影響があるのではないか、と、統治は翼の『縁』を念入りに見ていたが、特にこれといった不具合はなかった。
そして、右手から伸びている一本が、空とつながっていることも確認出来た。彼側の色が空に残るものよりも濃かったことに、翼の諦められない思いを感じてしまったことは、統治の中だけに留めておく。
空は『縁』のことなど見ていないし、そもそも翼と統治の会話などそっちのけで彼を目の前にして感極まっていたので、特に気付かなかったと思うけれど。彼女は濁音の混ざる声で、受付カウンターの写真立てを指差す。
「ぞれに……絵手紙、見れだがらぁ……」
「あれは、彼がずっと続けていることなのか?」
統治の質問に、空は口元を緩ませて「うん」と頷いた。
「アタシ、漢字とか全然読めないし、そもそも字が書けないから……翼君が、絵と一緒に教えてくてたんだ。水、とか、木、とか、雲、とか……空、とか」
「そうか。だからあんなに……」
合点がいった、と、1人で頷く統治に、空が訝しげな視線を向ける。
「あんなに、って? どういうことぉ……?」
「誰かに伝えたくて、一生懸命習得した技術なのだということが分かった。だから……強く、見る人を惹きつける、そう思ったんだ」
統治が素直な感想を告げると、空が、つけまつ毛の残る目を大きくして彼を見た。そして……何かを納得させるように呼吸を整えると、目を細め、小さな声で呟く。
「そう。翼君、マジでいい人だから……アタシなんか忘れて欲しい。お金も、時間も、全部……自分のために、使えばいいんだよ。翼君は、ムノーじゃないんだから」
「川瀬さん……」
「ってことは、ここに来れば翼君が描いたものが見放題じゃん。ラッキー」
そう言って瞬時に受付まで移動した空は、フレームの中に収められたそれを、愛おしそうに見つめた。そして、くるりと統治を見やり、人差し指を立てる。
「トージさんは、サクラコさんと会話出来るんだから。ビシッと頑張らないとダメだよ」
「何のことだ」
「だってトージさん、サクラコさんのこと好きすぎるっしょ。だったら、ちゃんとラブラブになんなきゃじゃん」
「……」
こうもはっきりと言われると、盛大に気恥ずかしい。言葉を見失った統治へ、空は視線をカウンターへも向けつつ、自身の体験を紡ぐ。
「バレバレだろうからぶっちゃけるけど、アタシ、翼君には告れなかった。自信ないし、釣り合わないって。思ってるだけで幸せだった。それは本当だよ。でも、もしも……」
空は一度言葉を切ると、苦笑いで肩をすくめる。
もしもの続きがやってこない空にしてみれば、続きをいくらでも現実に手繰り寄せることが出来る、そんな統治が、やっぱり、羨ましい。
「もしも……言ってたら、告ってフラレてたら、翼君と繋がってる糸も消えて、翼君もアタシのこと忘れて……あんなおじさんと関わろうなんて思わなかったかもしんない、って」
「川瀬さん、それは……」
統治は気付いていた。翼もまた、生前の空に好意を抱いていたことも。
ただ、互いに伝えることがないまますれ違ってしまい……互いの気持ちを確認できないまま、離れ離れになってしまった。
ここで統治が、翼の気持ちを代弁するのは簡単だ。けれど、それは絶対に違うし……伝えたところで、彼女の後悔を増やすだけになる。それが今、最善だとはどうしても思えない。
統治が言葉を探していると、空は努めて明るく話を続ける。
自分自身が成し遂げられなかったことを、忘れまいとするかのように。
「いいじゃん。トージさんもイケメンだから大丈夫。ラブラブになると、人生ハッピーになれるってテレビで言ってたよ。トージさんは怖いけど優しいから、優しいまんまだったら大丈夫だと思うよ」
「……そうか」
空なりに励ましてくれたことは分かるが、けれど……その先に続く感情には気付かないふりをして息を吐いた瞬間、櫻子と彩衣が戻ってきた。
すると空は彩衣の方へ近づき、統治に「味方ってこの人?」と指差す。統治が「そうだ」と頷いた瞬間……彩衣が怪訝そうな顔で周囲を見渡した。
「……すいません、私の周りで……何か、変化が起こっていませんか?」
そんな彼女の反応に、空が「うわ、すっご!! ここだよ、ここにいるよー!!」と、更にジタバタし始めて。
「……すいません名杙さん、どなたがいらっしゃるのか……差し支えない、範囲で、教えていただけませんか……?」
気分が悪いのか、青白い顔を歪める彩衣に慌てて謝罪した統治は、すかさず空を引き剥がし、彩衣に事情を説明にするのだった。
その後、櫻子は病院を施錠すると、荷物を持って自身の軽自動車へ移動しようとして……足元に置いていた段ボール箱がないことに気付き、周囲を見渡した。
「探しているのはこれでいいか?」
「名杙さん!? すいません、重たいのに……」
隣に立っていた統治が、ダンボールを両手で抱え、右肩に櫻子のカバンを抱えていた。箱の中には今日のアンケートや残った資料などの紙が多く入っており、それなりの重さになっている。今日はこれから、『仙台支局』の一角を借りて、アンケート集計や雑紙の整理などを実施することになっていた。だから、どうしても持ち歩かなければならないのだ。
萎縮している櫻子へ、統治は「いや」と頭を振って。
「車のドアを開けてほしいから、さ……透名さんが両手を使えたほうがいいと思ったんだ」
「そ、そうですね。すぐに開けますねっ!!」
統治の意図を察した櫻子が、我に返ってカバンからリモコン型のガキを取り出し、ボタンを押してロックを解除する。遠くから電子音が聞こえたことで鍵が開いたことを察した統治は、一足先に車へ向けて歩き出した。
櫻子はもう一度、正面出入口の施錠を確認した後、その鍵を片付けて統治の背中を追いかける。
統治が優しいことも、親身になってくれることも、漠然とだが覚えていたつもりだった。だから、自分がもっと上手く立ち回らなければ……彼の負担になってしまうのに。
「……気をつけないと……」
人知れず呟いた言葉は、統治へ届く前に風がかき消した。
その後、櫻子の運転する車は、順調に仙台の中心部へと向かっていた。
途中のコンビニで飲み物を調達した2人は、各々の前にあるドリンクホルダーにそれを入れている。ストローの刺さったアイスコーヒーをすすった統治は、信号でブレーキを掛けた彼女の横顔に話しかけた。
「……その、透名さん、今のうちに、今の透名さんがどこまで覚えているのかを確認をしても構わないだろうか」
「あ、はい。えぇっと……」
どこからどう話せばいいのか、と、言外に迷いを滲ませる櫻子を見て、統治は話を主導することにした。
「思い出そうとして違和感があることは、無理をしないで欲しい。まずは今年の5月、俺と初めて会ったり、仙台市の喫茶店で俺を送り出してくれたことは?」
「それは大丈夫です。その後、改めてお時間を作っていただいて、スマートフォンの使い方を教えていだくことになったことも覚えています」
彼女の口調には迷いがない。そのことから、彼女が何も無理をしていないことが分かる。
「そうか。ではその後……8月、七夕まつりの時のことは?」
「そう、ですね……伊達先生から6月のユカちゃんが大変だったこと、佐藤さんとユカちゃんの間には色々と乗り越えなければならないことがある、というようなお話を伺ったことは覚えています。その後、私も、仙台でお手伝いをすることになって……そこから、すいません、それ以降がどうしても……」
櫻子がそう答えた瞬間、信号が変わって車列が動き出す。彼女の答えに「分かった」と返答した統治は、運転している彼女へ向けて、忘れてしまった理由の1つ……として考えられる事柄を告げる。
「実はその時、透名さんの体に対して、霊的に大きな異変が生じていたんだ。今回、その影響が些細にまだ残る中で更に異変が生じてしまい、思い出せない可能性がある。おそらくは時間が解決してくれるはずだから……無理に思い出そうとしないでくれ」
統治の言葉に、櫻子は「はい」と素直に首肯した。
彼女に対して告げた可能性、これは決して、嘘ではないけれど。
統治はあえて、もう1つの……大きな理由を、彼女に告げる気はなかった。
8月に統治が告白をして、櫻子がそれに応じることで……『関係縁』の色が変わり、紫になった。
変わった後のことは、隣にいる櫻子も当然、体験しているけれど、今とは『関係縁』の色が違う。
そのズレが記憶障害となり、彼女の中にあるはずの思い出を引き出すことが出来ない可能性が高い。
ただ、そんな話をしてしまうと……聡明な櫻子は、すぐに気付いてしまうだろう。
そして、無理やりにでも統治を好きになろうと、真っ直ぐに頑張ってしまうことは想像に難くない。
そうすると、また――何も悪くないのに、標的になるかもしれない。
そう思ったら、記憶について深く問いかけることは避けたほうが良いと思えた。
そもそも、櫻子は『縁故』ではないので、襲ってきた相手との『関係縁』を自ら切ることは出来ないのだ。
「相手との、『関係縁』……そういえば……!?」
刹那、とある可能性に思い至った統治は、運転をする彼女の横顔を見つめた。
そして、それを確信へ変えるべく、まばたきをして、視える世界を切り替える。
すると――
「――っ!!」
それが、視えた。
もしも、自分の認識が正しければ、彼女に本来あるはずがないものが。
裏取りが必要だが、これが、もしかしたら――
「……あの、名杙さん、名杙さん?」
「え、あ……」
気付くと、櫻子を凝視して固まっていた統治を、櫻子自身が信号待ちを利用してチラチラと気にしていた。
「あ、あの……私、何か変なことを言ってしまいましたか……?」
「いや、そうではないんだ。その……」
ここで彼女に余計な情報を渡して、現状が変わってしまうことは避けたい。統治は若干目を泳がせつつ……フロントガラスを見つめ、苦しまぐれに口を開いた。
「その……好きな食べ物を、教えてくれないか?」
「え……?」
それは、予想の斜め上を遥かに飛び越える質問だった。思わずブレーキから足を離しそうになり、慌てて我に返るほど。
「わ、私の好きな食べ物、ですか? そ、そうですね……最近は寒くなってきたので、グラタンやシチューが好き、です……た、食べたいだけかもしれませんがっ……!!」
「そうか……」
その先に何も続かなかったので、櫻子は果たしてこんな答えで良かったのかと不安と混乱で押しつぶされそうになりながら、とりあえず車を発車させる。
彼女の困った横顔が視界に入ったのだろう。統治は再度コーヒーを啜った後、「いや、その……」と、口ごもりながら、質問の理由を白状する。
「俺は……君のことを、詳しく知らないと思ったんだ」
「名杙さん……」
「身上書を見れば書いてあるのかもしれない。けれど、それは過去の情報で……今の透名さんについて知らないことが多いと思った。ただ……とても不躾な質問に思えてしまって……聞く機会を伺っていたんだ」
「そ、そうだったんですね」
櫻子もまた、統治に関する情報は、身上書に記載されていることが主となっている。ましてや今は、色々あって失われている記憶もある。統治と情報交換が出来るならば、積極的に実施しておきたい。
今の彼のことをちゃんと知って、これ以上、迷惑をかけることがないように。
「余談だが、シチューはホワイトとビーフ、どちらがより好きなんだ?」
純粋に気になった統治の質問に、櫻子はハンドルを握ったまま眉間にシワを寄せる、
「それは、迷いますね……とても迷います」
「そうか。なら……今度作ってみるから、それで判断してくれ」
「名杙さんが作って!? あ……そうですよね、料理、お得意ですよね」
櫻子が情報を自身へ言い聞かせるように反すうしていると、統治は何か思い出したのか、横顔で一度頷いた。
「今の家の設備だと、どこまで出来るか分からないが……煮込むものなら及第点のものが作れそうな気がするんだ」
「今の家、ですか? すいません、今、ご実家にお住まいなのでは……?」
「あ、その……今は家を出て、一人暮らしをしている。年末年始は繁忙期と重なるから、それで……」
咄嗟に理由を伝えると、櫻子は特に疑う様子もなく「そうだったんですね」と納得して。
「じゃあ……私にも、名杙さんが好きな食べ物を教えてくれませんか?」
「俺が、好きな食べ物……」
櫻子から尋ねられ、統治はしばし考えた後……1つの結論に達する。
「……今は味噌汁、だな」
あの時に、櫻子が作ってくれたもの。自分の経験だけでは思い当たらない『隠し味』。
それを知る前にこんなことになってしまったので、またいつか口にしたい、そんな思いを込める。
統治の言葉に櫻子は「美味しいですよね」と返答した後……彼とそれを、どこかで食べたような気がして、フロントガラスに映った統治を見る。
そして、何かを思い出した統治の横顔が、とても優しい表情をしていたから。
きっと、彼にとって大切な人との思い出の味なのだろうと思って……それ以上、話を広げることが出来なかった。
■approach operation:接近大作戦!!
このサブタイトルはスパイファミリーを見ていた影響だろうか……空が戦力になったり、翼と統治が邂逅したり、事態収束に向けて色々な策を講じ始めました、というエピソードでした。
まぁ、統治と櫻子は接近しているのかどうなのか絶妙な感じではありますが……櫻子、早く味噌汁作ってあげて。
空と統治、彼女が存命だったら接点がないであろう2人が、恋愛を共通項として話が出来る、というのも、なかなかに面白い絵面だなぁと思います。




