エピソード4:sudden turn①
翌日木曜日、時刻は間もなく14時になろうかという頃。
統治は実家の駐車場に車を停めると、エンジンを切って息を吐いた。そして、助手席に置いていたトートバックを手に取ると、車から降りて背筋を伸ばす。
事前に父親へはアポイントメントを取っているため、実家の書斎にいるはずだ。明日から数日、北海道へ行くと聞いているので、直接渡すチャンスは今日しかない。今までは毎日歩いていた砂利道を久しぶりに踏みしめながら……統治は一人、目的の場所を目指す。
施錠されている玄関を開けて、靴を脱いでいると……廊下の奥から、母親の名杙愛美が顔を出した。
「あら統治、おかえりなさい。忘れ物?」
当たり前に『おかえりなさい』と言ってくれる母親は、彼が家を出ると告げた時も深く聞かず、「統治なら大丈夫だと思うけど、気をつけてね」と送り出してくれた。
きっと、思うことは色々あるだろうけれど……こうして変わらず見守ってくれる、その姿勢が、今はとてもありがたい。
だからこそ……これから自分が行おうとしていることに、少しだけ、罪悪感を抱く。
統治は心の中に生まれた葛藤を打ち消すように、バッグを持つ手を握りしめた。そして、母親の問いかけに頭を振る。
「いや、親父に渡すものがあるんだ。話はしてある」
「そうだったの。お父さんなら書斎にいるわよ。あと、統治が取り寄せていた福岡の麦味噌が届いていたから、冷蔵庫に入れてあるの。持っていってね」
「分かった」
母親の言葉に頷いた統治は、靴を揃えて廊下を進み、書斎の前に立った。
軽くノックを2回。中から入室を許可する声が響く。ドアノブを回して扉を開くと、部屋の奥にある自席で書類を見ていた領司が、老眼鏡越しに統治を見つめた。彼の斜め上に見知った気配を感じるので、おそらく分町ママもいるのだろう。
「統治、渡したいものとは何だ?」
その問いかけに答えるように、統治は領司の前へ進み出た。そして、カバンから取り出した封筒を、静かに差し出す。
「櫻子さんが自主的に検査をしてくれたものだ。中を確認して欲しい」
統治から封筒を受け取った領司は、表面に記載された病院の名前や裏面を見て……書類の大まかな種類と、まだ誰も中身を見ていないことを確認する。
「統治は見ていないのか?」
「俺は彼女から結果を聞いている」
「そうか。分かった」
領司は頷くと、引き出しからペーパーナイフを取り出した。そして、静かに刃を入れて封を開き、中の書類を取り出して、目を通す。
そして。
「……」
内容を目で追いながら……眉間のシワが深くなっていった。
封筒の中に入っていたのは、櫻子が実家の病院で、とある検査を受けた結果を記載したものだった。
一般的に『ブライダルチェック』と言われており、妊娠や出産に影響がある病気がないかを検査するものである。
櫻子自身も一般的な健康診断は定期的に受診しているが、今回はそれらで検査しないものも多く含まれていた。
名杙家に嫁ぐということは、次の世代へ命をつなげる役割も担うということだ。無自覚の病気を放置すれば、最悪、不妊に繋がってしまう可能性もある。責任感の強い彼女が自主的に検査を受けることは、不自然ではない。領司もまた、いずれ機会が来れば統治を含めて検査をするよう要請しようと考えていたのだから。
その検査結果の中で……1つ、芳しくない結果が見受けられたのだ。
この因子があるということは、ひょっとして……そう、最悪の未来を思ってしまうような。
予想外の事実に、領司は何も言えなくなってしまう。
統治はそんな父親の様子を見下ろしつつ、淡々と言葉を紡ぐ。
「その件で、週末に櫻子さんが話をしたいと言っているんだ。プライベートな話なので、外で話すこともはばかられる。ここへ連れてきても?」
領司は一度書類を脇に置くと、近くにある革ケースのスケジュール帳を手に取った。それをパラパラとめくりつつ、利き手にボールペンを握る。このことから、早急に櫻子本人から話を聞きたい様子が伺えた。
「日曜日の午前中……10時半頃ならば、私も落ち着いて話が出来るだろう」
領司の言葉に、統治は「分かった」と頷いて。
「その書類は、当日まで預かっておいてくれ。勿論、このことは他言しないで欲しい。母さんにも……まだ、言わないでくれ」
「……ああ。分かっている」
統治の言葉に領司は深く頷くと、書類を丁寧に折りたたんで……一番上の引き出しへ片付けた。
書斎を出た統治は、冷蔵庫から麦味噌を回収すると……実家を出て、空を見上げる。
すっかり高くなった秋の空には、薄い雲がゆっくりと流れていた。敷地内の木々も鮮やかに色づき、時折吹き抜ける乾いた空気が、冬の訪れが近いことを実感させる。
「今夜は冷えそうだな……」
呟いた統治が、今日の夕食を思案していると……砂利道の向かい側、門をくぐり抜けて本家の敷地内に入ってくる人影を見つけた。
パリッとしたスーツに身を包んだ、妙齢の男性。その眼差しは鋭く、統治も時に萎縮してしまうことがある。
その人――名杙慶次が歩いてきたことに気付いた統治は、立ち止まって軽く会釈をした。
慶次もまた、統治の存在に気付くと……口元に笑みを浮かべて、軽妙に手を挙げる。
「おぉ、統治。なんだ、家出ごっこはもう終わりか?」
「いえ、親父に用事があっただけです」
手短に告げた統治は、「失礼します」と再度頭を下げた後、足早に駐車場へと足を進める。
そんな彼の背中を数秒間見つめた慶次は……ズボンのポケットに手を入れると、本家の方へと歩みを再開した。
時計は進み、時刻は17時を過ぎた頃。
心愛と共に今日も非常階段に座っているユカは、空を待っていた。今日はまだ、彼女はここへ顔を出しておらず、特に気配も感じない。
確約をしているわけでもないし、そもそも、相手は生きている人間ですらない。だから、気まぐれで来ないことがあっても不思議ではないし……もしかしたら、もう、消えてしまったのかもしれない。そして、それを確認する術もない。
制服姿で階段に腰を下ろしている心愛は、腕時計で時間を確認した。そして、隣に座ってスマートフォンを操作しているユカを横目で見る。
「……今日は、来ないのかな。空さん」
「どげんやろうね。今日は気まぐれで鹿児島にでも行っとるのかもしれんし……残っとった『関係縁』が切れたのかもしれん」
メールの返信を終えたユカは、スマートフォンをパーカーのポケットへ片付けた。そして、改めて周囲をぐるりと見渡して……特に何の気配もないことを確認する。
「とりあえず、あと10分待ってみて来なかったら……戻って作戦会議やね」
心愛に方針を伝えると、彼女は普段よりも神妙な面持ちで「分かった」と頷いて。
「ねぇ、ケッカ。1つ聞いてもいい?」
珍しいな、というのが、ユカの率直な感想だった。ただ、それだけに……はぐらかしたり茶化したりすることはしたくない。
「どうぞ?」
「ケッカは……どうして、『縁故』をやっていられるの?」
心愛からの意外な問いかけに、ユカは思わず目を丸くして彼女を見返した。
質問をした彼女は、ツインテールを揺らしながら……視線をそらして遠くを見つめ、問いかけの理由を口にした。
「だって……怖いじゃない。ケッカだって『遺痕』に襲われて、死にかけたのに。なんでだろう、って……」
ボソリと呟いた本音と共に、膝の上で両手を握りしめる。
心愛は幼少期、自宅から離れた場所で『遺痕』に襲われたことがある。
その時の体験から、霊的なものに対する恐怖心を拭い去ることができずにいた。
けれど……この『縁故』という能力を仕事にして生きていくのであれば、その恐怖心を克服しなければならない。現に、今年の4月以降……『縁故』として歩み始めてから、心愛なりに頑張ってると思う。
けれど……今のままで、恐怖心と折り合いをつけながら奮い立たせる、こんな状態のままでいいのだろうか。
焦ったところで意味がないことも分かっている。しかし、里穂や仁義といった少し上の世代が、大人に混ざって最前線で活躍する姿を見ていると……どうしても、情けなくなってしまう瞬間があって。
そして、同時期に研修を受け始めた同級生・森環が、全ての行程をしれっと、涼しい顔でこなしているものだから……余計に、焦ってしまう。
心愛の言葉にユカは少し思案した後……自分のことを振り返ってみた。
ユカ自身、この能力は偶発的に手に入れたものだった。そして、10年前のあの夏の日――自身の油断から『遺痕』に襲われる隙を作ることになり、このような結果になってしまって。
それから……全てが順調に進んだわけではない。現に先月は実の母親に取り憑かれて殺されそうにもなった。文字通り命綱の『生命縁』の色は相変わらず薄汚れたまま。今後も間違いなく、『死』と隣合わせの仕事だ。
怖くないわけじゃない。怖いものは怖い。ただ……。
「勿論、怖くないわけじゃなかよ。あと、こげな状態でまともに就職とか出来るわけない、っていう理由も、少しはあるけど……」
ユカはそう言って、自分の両手に視線を落とした。
今は、何も視えないけれど……集中して、視え方を切り替えれば、この指先には無数の『縁』が繋がっている。
最初は怖かった。意味が分からなかった。気持ち悪かった。
自分ばかりどうして、と、全てが嫌になろうとした瞬間もあるけれど。
――あとは結唯香がどげんするか、それだけやんか。自分のことも決めきらん奴が、己の価値を決めようとするんじゃなか。
あの時、貸し切りの福岡タワーで麻里子から言われた言葉が、山本結果の始まり。
同じ時間を使うのであれば、後ろを見て嘆くのではなく、前を見て……振り向かずに進むことを決めた。
それに……。
忘れられないのは、10年前の夏、彼らと過ごした日々。
年上の2人の背中を追いかけるだけでなく、並び立ちたいと思った。
置いていかれたくない。追い越したい。
2人から守られるのではなく、背中を預けてもらえる存在になると決めたから。
自分の中にある結論を見つけると、無意識のうちに口元を緩めていた。
「……負けず嫌いなんやろうね、あたし」
「そうなの?」
「そう。要するに……あたしが『遺痕』を怖がらずに『縁故』をやっていられるのは、麻里子様とか、政宗と統治に負けたくないから、かな」
ユカの答えに、心愛は思わず口をつぐんだ。
羨ましい。その言葉を口に出したら……自分が少しだけ、惨めになる気がしたから。
心愛のそんな複雑な感情を知ってか知らずか、ユカは己を振り返りつつ、心愛のために言葉を紡ぐ。
「多分、自分のためとか、そういう理由だけやったら続けられんかったと思う。心愛ちゃんだってほら、5月は阿部さんのために怖くても頑張っとったやろ?」
「それは……」
「やけんが、今はあんまり考えすぎんでもいいと思うよ。こればっかりはもう……トライアンドエラーで、やり方も、心の持ち方も、自分で見つけていくしかないけんね」
思い当たる節があった心愛は、無言で一度頷いて……そのまましばらく、虚空を見つめていた。
その後、待ち続けても空が非常階段にやってくることはなかった。
時間を区切ったユカと共に『仙台支局』へ戻った心愛は、特にこれ以上の用事もなかったため、カバンを持って家路につく。
仙台駅は学校を終えた学生や仕事を終えた社会人など、多くの人が行き交っていた。心愛はカバンからパスケースを取り出すと、改札をくぐってホームを目指す。今日は久しぶりに仙石線を使って帰ろうと決めて、移動を続けながら……ふと、先程のユカの言葉を思い出していた。
「負けたくないから、か……」
ユカに対してあんな質問をしたのは、今後、自分が『縁故』として独り立ちをする際、どんな心持ちでいればいいのか、全く自信がなかったからだ。
月末にある『中級縁故』の試験に合格すれば、晴れて、仕事を一人で任せられる。勿論、単独行動ではないにせよ……これまで以上に自分で決断することが増えるだろう。例えば、『遺痕』に残る『関係縁』を切るタイミングや、アプローチの仕方などなど。場合によっては、誰かの後方支援として突発的な事案に対応しなければならないかもしれない。
出来るだろうか。
『もしも』を想定するだけで、心がギュッと締め付けられるような緊張感に襲われる。
かといって……怖いからといって、わざと不合格になるようなことをすると、名杙本家の長女として実力不足だと揶揄されてしまうし、『仙台支局』の評価も落としてしまうのだ。
次に進みたい気持ちと、足を踏み出しきれない気持ち。
その両方がせめぎ合ってしまって……今は特に、臆病になっている気がする。
ホームに滑り込んだ電車に乗った心愛は、窓にうっすら映った自分の顔を見つめながら……このままではいけない、と、決意を新たにしようとした。
次の瞬間――背筋に、悪寒が走る。
ゾクリと身震いをしたのは自分だけ。寒さのせいではない。
ハッとして目を見開くと、ガラスに映った自分と盛大に目が合った。
周囲に知り合いはおらず、席に座って音楽を聞いたり、扉のところで雑談をしていたり……と、車内でそれぞれが時間を過ごしている。
ただ……高速で移動している電車を追いかけるように、1つ、気配が貼り付いている感覚が確かにあった。
この感覚、間違いない。間違えるはずがない。
ただ……よりによって、一人になったところで出会いたくなどなかった。
心愛はしばし考えた後、意を決して瞬きをして、視える世界を切り替える。
次の瞬間――
「――心愛ちゃん!! 心愛ちゃんってば!! やっと見つけたー!! あぁぁ待って電車速いんですけどーっ!?」
「……」
電車の外で並走する空の声が、心愛の耳に届いた瞬間……彼女は生まれて初めて、霊体に対してため息を付いた。
シリアスになんか、させない!!
……という私の強い意思を感じてください。頑張れ心愛たん。
ちなみに、ブライダルチェックとは→https://www.healthcare.omron.co.jp/bijin/qa/premama_Q06.html
要するに健康診断です。病気の早期発見にも繋がります。でも、良い結果じゃないと結婚は許しません、という圧を感じる家に嫁ぐのは……櫻子、よーく考えたほうが、いいよ。
そして、物語を積み重ねると、こんな風にイラストを積み重ねる(?)ことも、出来る!!
これまでの小説で挿絵として使わせていただいたものを再掲です。奇しくも全ておが茶さんが描いてくれたものです。心愛さんの鋭い表情は何度見ても良い。3人が並んでいるところを見ると何も言えねぇ。ありがとうございます!!




