エピソード3: family register②
「ねぇ政宗、この件なんやけど……瀬川さんのことは頼むとして、それ以外はあたしと心愛ちゃんに任せてみてくれん?」
この言葉を聞いた心愛は、目を大きく見開いて立ち上がった。そして、しれっとしているユカを見つめ……というか睨みつけ、興奮しながら言い返す。
「ちょっ……!? ど、どうして心愛を巻き込むのよ!! 第一、佐藤支局長も分町ママも放っておけばいいって思ってるし、手間がかかってリスクが高いからって話、聞いてなかったの!?」
予測していた範疇の反論、ユカは彼女をチラリと見上げて口を開いた。
「勿論分かっとるよ。やけど、このまま彼女を放置しとったら、『仙台支局』の他の仕事にも影響が出る可能性が高かよ。現に今日、政宗は1時間以上拘束されとる。やったら、専属の担当者を決めて様子を見て、出来ると思ったら、心愛ちゃんが『縁切り』をすれば、大きな実績になると思って」
「えぇっ!? こ、心愛がやるの!? どうしてよ!!」
言外に「どうしてユカがやらないのか」という不満を交えて訴える心愛に、ユカは冷静に反論した。
「面倒な仕事を新入りに押し付けたいわけじゃなかよ。出来ることならあたしがやりたいところやけど……それこそ、リスクが高い。だったら、名杙直系の特性を活かして様子を見たほうがいいと思ったと。ほら、名杙は自分の名前を相手に伝えることで、優位になれるやろ? やけんがまず、川瀬さんに心愛ちゃんを認識させて主導権を取る。そこから様子を見て、最終的にどうするかは決めてもいいんじゃないかと思ったと。川瀬さん明るい性格やし、心愛ちゃんもそこまで怖くないと思う」
ユカの言葉に、心愛が「で、でも……」と、定まらない視線で迷いを伝えた。そんな彼女へ、ユカが決定的な一言を告げる。
「あと、この件に関する書類は……あたしが作る。やけんが、心愛ちゃんは『縁故』としての仕事に集中してよかよ」
次の瞬間、その場にいた全員――政宗以外――が、驚いてユカを見た。心愛もまた、ユカが事務仕事を苦手としていることは何となく気付いているので……オズオズと問いかける。
「ケッカ……そんな安請け合いして、本当に大丈夫なの? た、大変なんでしょう? なのに……」
「大丈夫大丈夫。そこはケッカちゃんにどーんと任せなさいっ。勿論、後学のために心愛ちゃんにも見てもらったりはするけどね」
やけに自信満々のユカに、心愛は「うーん……」とうなりつつ、チラリと統治を見つめた。そして、すぐに視線をそらす。
思わず兄の意見を聞きたくなってしまった。けれど……それは、違う気がする。
自分の実力が足りているのかどうか、仕事を受けるか受けないかは、自分で考えて決めることだと思うから。
心愛は一度、胸の前で両手を握りしめた。そして、ユカを見つめ……自分の考えを口にする。
「と、とりあえず……その、川瀬さんと実際に会ってから決めてもいい? 心愛、今日はちゃんと対応出来なかったから……」
即断は出来ないと、正直に伝えると、ユカは「勿論」と頷いた。
「よかよ。政宗と統治もそれでよか?」
ユカの問いかけに、政宗は「俺はそれでいいよ」と首肯して、統治を見やる。視線を向けられた統治もまた、ユカの視線に一度だけ頷いて。
「分かった。ただ、状況は適宜報告してほしい」
「それは勿論。分町ママ、そういうことなので……次に彼女をみかけたら、あたしに教えてください」
「分かったわ。忘れていたら教えてね」
分町ママはそう言って、どこからともなく取り出したビールジョッキを傾け、中身を煽る。
その様子を見つめながら……ユカは先日受けたテストのことを思い出して、一度、呼吸を整えた。
その後、『仙台支局』を出た4人は、それぞれに家路へつく。
心愛は統治と同じ仙石線ではなく、東北本線を選んでホームへ向かった。同じ駅で降りることができなくなってから、彼女はずっと東北本線を使っている。統治はその事実に一抹の寂しさを抱きつつ……それで彼女が納得できるなら、と、あえて何も言わないでいた。
電車に乗り込むと、中は帰宅する人でそれなりに混雑している。3人一緒に座ることが出来なかったので、とりあえず、扉の近くに立った。動き出す車内で倒れないようにバランスを取るユカへ、統治が「山本」と声をかける。
「今回は……俺たちと心愛のために厄介事を引き受けてくれたんだろう? すまない」
どこか申し訳無さそうな統治の言葉に、ユカは笑顔で首を横に振った。
「よかよか。無戸籍の『痕』や『遺痕』はレアケースやけど、今後絶対に遭遇するやろうけんね。しかも川瀬さんみたいに自分から切ってくれ、なんていう『痕』はレア中のレアやけんが、心愛ちゃんもやりやすいと思う。あんまり情が移らんように気をつけるね。統治と政宗は、通常の仕事とか……櫻子さんのこととか、お願いね」
「ああ。それにしても……書類の作成は山本でも骨が折れるんじゃないのか?」
統治が最も気になっていること、それは、ユカが書類作成の全てをやってのける、と、自分から豪語したことだった。
もしも川瀬空に、本当に戸籍が存在しなかった場合……彼女が生きていたということを示す証拠が見つかりづらい可能性が大いにある。無戸籍の子どもは保険証がないことで病院に行っていなかったり、家庭環境の悪さから学校にまともに通っていないこともあるからだ。
そんな統治の心配をよそに、ユカはスマートフォンの通知を確認した後、それをカーディガンのポケットに片付ける。そして、統治を見上げて。
「統治って、無戸籍の『遺痕』の書類作成、やったことある?」
「ああ。過去に3回ほど対応したことがあるが……作成までに時間がかかったな」
刹那、ユカは口角にニヤリと笑みを浮かべた。気付けば政宗も、同じような笑みを浮かべている。
「そうやね。『東』はまだ、そうなんやろうね」
「どういうことだ?」
「福岡に行った時、事務関係の勉強を政宗に教えてもらいながら頑張ったっちゃけど……西と東だと、事務処理に細かな違いがあることに気付いたと。特に、今回みたいに対象者が『無戸籍』の場合、東は裏取りが大変みたいやし、西も前まではそうやったっちゃけど……今はもう、西は通名と状況証拠とかで『生前調書』を作成してオッケーってことになって、実績もかなり上げとるとよ」
それは先月、福岡で事務に関する総特訓を受けた時のこと。
ユカの模擬試験を採点をしていた政宗が、模範解答と自分の認識に相違があることに気付き……瑠璃子に色々と確認をしていた。
そこで分かったのは、東西における事務作業の軽微な――でも、確かな違いだった。
ユカは政宗が『無戸籍』の空の話をした時に、このことを思い出していた。そして、少しだけ望みを託して彼にカマをかけてみたところ……彼もまた、ユカの意図を組んで賛成してくれたのである。
ユカはトートバックを持ち直し、統治へ向けて言葉を続ける。
「要するに、他の『遺痕』と変わりないってこと。今回は本人が色々覚えとるし、知り合いの名前まで分かっとる。書類作成は普段より楽かもしれんね」
「そうなのか。ただ、それはあくまでも西側の話で……」
そう言いかけた統治は、ここで政宗の考えを察して……肩をすくめた。
政宗は右手でつり革を握ったまま、とても楽しそうに笑う。
「その辺の調整は俺に任せてくれ。こういう根拠のあるゴリ押しは得意だからな」
「そういうこと。こうでもせんと……うちの支局長は自分の仕事を増やすだけ、やけんね」
ユカがこう言って政宗を見ると、彼は急にきまりが悪くなって視線をそらした。
あの場でユカが率先してこの案件を引き受けなければ、政宗が対応を引き受けていただろう。心愛の経験値獲得と、政宗の負担軽減、この2つを両立させるために、自分の立候補が適切だと思ったのだ。
「まさか、あたしが気付いとらんとでも思ったと? 政宗、今の仕事に加えてコレもやるつもりやったやろ? こういう時の役割分担、適材適所やろうもん。西側の効率重視の処理方法、あたしが一夜漬けでどんだけ叩き込まれたと思っとると?」
「それは……」
完全に図星をつかれた彼は、苦笑いで「悪かった」と頭を下げた。そして、ユカと統治を改めて見つめ、今後の方針を告げる。
「川瀬さんの実働と事務処理はケッカに任せる。俺は瀬川への聞き込みと根回し、統治は透名さんと連絡を取りつつ、あの書類と例の件、頼むな」
彼の言葉に、2人はそれぞれ頷いた。
既に政宗の脳内では、各々のゴールまでのシナリオがある程度組み立てられているのだろう。そして、あの瞬間にそこまで相互理解をしていた2人にどこか羨ましさを感じながら……統治は、窓の外を見つめた。仙石線はしばらく地下のトンネルを走るため、彼の視線の先にあるのは、仄暗いコンクリートの壁だけど。
「……俺も、自分に出来ることを、だな」
彼がポツリと呟いた瞬間、車窓にトンネルの明かりが反射して……少しだけ、目がくらんだ。
そして翌日、時刻は間もなく17時。
分町ママに頼んで、空に対して『17時に昨日の非常階段で待っていてほしい』と伝えてもらったため、今日のエレベーターホールは終始平和だった。
パソコンを操作していたユカは、画面右端に表示される時刻を確認すると……文書を保存してスリープモードにした後、椅子から立ち上がる。
「さて、と……」
今日のユカは、ポケットが多くついているロングカーディガンを着用していた。心愛はまだ到着していないが、メールは送っておいた。今日は非常階段に直行してくれるだろう。多分きっと。
ユカは帽子とハサミ、身分証の位置を確認した後、こちらを見ている政宗に軽く手を上げてから部屋を出た。そして、エレベーターホールの脇にある鉄の扉を押し開けながら……瞬きをして、視える世界を切り替える。
次の瞬間――
「……あ、えっと……そう、マサムネさんの妹ちゃんだ!! 今日から妹ちゃんが担当なんだっけ? ヨロシクー」
出入り口の近くに浮いていた空が、ユカの姿を見つけて人懐っこくピースサインを向ける。今日も昨日と同じ髪型で、ニットワンピースに裸足という出で立ちだ。特に目立つ外傷が見当たらないので、死因は溺死か心臓麻痺など、外的なショックではなかったのだろうと予測しておく。
ユカは内心、彼女が自分の『縁切り』を見てくれていて良かった――実力があることを分かった状態で接してくれて良かった――と思いつつ、「こんにちは」と軽く頭を下げて。
「川瀬空さん、で、間違いないですか?」
「そだよ。大正解」
空が名前を認めたことを確認し、ユカは改めて自己紹介をする。
「あたしは山本結果といいます。歳は20歳です。宜しくお願いします」
「へー、ユカちゃんっていうんだ。ヨロシ……え? ハタチ? は?」
ユカが開口一番投げ込んだ爆弾に、空は一瞬たじろいだ後……「またまたー」と言いながら、頬を引きつらせて否定する。
「ユカちゃん、いくらなんでも冗談キツイって。アタシが馬鹿だからってバカにしてんでしょ?」
「バカにしてません。仕事で嘘は付きませんから」
あくまでも事務的に対応するユカに、空は目つきを鋭くして詰め寄った。
「じゃあ、何か証拠を見せてよ。ショーコ。んなものないっしょ?」
「コレでいいですか?」
ユカは臆することなく、ポケットから健康保険証を取り出した。そして、そこに記載されている誕生日を指差して、「どうぞ御覧ください」と確認を促す。
恐る恐るそれを覗き込んだ空は……ユカの生年が思ったよりも過去であることに気付いて……大きな目を見開いた。
「……え? マ?」
本当か、と、確認しているのだろう。事実なので、ユカは一度だけ頷いて。
「はい、マジです。あと、政宗の妹じゃなくて同業者です。そこんとこ間違えないでください。宜しくお願いします」
「えっ!? 妹ちゃんじゃない!?」
仙台に来てから、政宗の妹扱いされるのはこれで2回目。初回の彼――島田勝利は、仕事上の都合も会って適当に誤魔化していたらその認識が地味に長引いてしまったので、今回は早めに完全否定しておこうと誓い、語気を強めて念を押す。
「違います。宜しく、お願い致します」
「はぁ……よ、宜しくお願い、します……」
ペコリと頭を下げるユカに空もつられて同じ動きをしながら……やはり信じがたいと訝しげな表情で、マジマジと彼女を見つめる。
「え? っていうか本当に小学生にしか見えないんだけど……でも、あの時、ヤバい女の人を消してたのはユカちゃんだったからなぁ……うん、とりあえずそういうことでいいや。うん」
空は自分に言い聞かせるように呟いた後、「じゃあ」と改めてユカを指差した。
「じゃあ、ユカちゃんがアタシをスパッと消してくれるってこと?」
「最終的にどうなるか分かりませんが、多分、あたしじゃないと思います」
次の瞬間、空が「えー?」とあからさまな不満を口に出す。
「なにそれ。ひょっとしてアタシ、たらい洗いにされてない?」
「たらい回しのことですかね……とにかく、まずは川瀬さんがどうして消えたいと思っているのか、その辺を詳しく聞き取る必要があるんです。これをしないと先に進めないので、協力していただけると助かります」
ユカの言葉を聞いた空が、頬を膨らませて更に不満をアピールした。
「だからそれ、マサムネさんに昨日話したんだけどー? チンゲンサイが出来てないんですかー?」
「それを言うなら報連相です。とにかく、政宗が聞いたことと、あたしが聞いたことに違いがないのか、それも確認させていただきたいんです。それに――」
ユカの言葉を遮るように、鉄の扉が開く音が、非常階段がある空間に反響して。
「お、お待たせ、しましたっ……!!」
制服姿でツインテールを揺らし、どこか表情がこわばっている心愛が、二人の間に割って入ってきた。
ユカは心愛を指差すと、しれっと言葉を続ける。
「それに、最終的に手を下すとすれば……彼女に任せるつもりですので。宜しくお願いします」
心愛に気付いた空は、そんなユカを指差して苦言を呈した。
「やっぱ皿回しじゃん!!」
「たらい回しです」
政宗の考えることは、まるっとお見通し。
華蓮に書類を差し戻されていたユカを考えるとかなりの進歩です。福岡での一夜漬けが相当大変だったのでしょう。
また、ユカが健康保険証に偽名使っていることに関しては、『東日本良縁協会』単位で社会保険を整えているので、政宗や他の『縁故』も含めて、仕事で使っている名前で保険証を作ってゴリ押し出来ます、という設定です。こうなると、税金とか年金とか雇用保険はどうしてるんだろうと思いましたが、要するにユカの身分証は保険証です。
あれ、じゃあ政宗の免許証って本名が書いてあるのか? 免許の扱いはどうなってる?
……ということを考えるのが楽しい2022年の終盤なのでした。




