5.1.ヨーホーホー
深い霧の中を船が海を切って進んで行く音が聞こえている。
その速度は非常にゆっくりではあったが、とんでもなく大きな船体が進む音はよく響く。
ちょっと動いただけでも海には波が立ち、遠くの方にまで流れていく。
とても古い船だ。
船体の色は年季の入った樹木の色に近しい。
所々修理したところも見て取れるが、航行には全く問題はなさそうだ。
しかしその傷の多さから、この船がどれだけの荒波と、どれだけの戦いを生き残ってきたのかが分かった。
マストが四本船には立っており、その一つ一つがこれまた大きい。
大きさゆえに速度は遅いが、四方八方に展開することができる大砲門がある。
甲板の上にも大きな大砲が積まれており、戦いとなれば敵がどの方角から撃ってきたとしても対処できる作りになっていた。
これだけ大きな船を動かすのであれば、それなりの船員が必要だ。
だが甲板の上には足音一つ聞こえることはなく、更には話声すら聞こえない有様だった。
唯一甲板の上から聞こえている音といえば、舵を切るカタカタという音だけだ。
船尾に舵は設置されており、それに手をかけている人物が一人いた。
「ヨー、ホー、ホォー……。ヨー、ホー、ホォー……」
音程もくそもないただ言葉を並べているだけの様な不気味な歌が、彼の口から零れている。
大きな船長帽子を被っている男の姿は、半透明だ。
よく目を凝らしてみれば彼の奥にある海を見ることができた。
顔は青白く、半分は爛れている。
かつては貫禄のある老人だったのだろうが、今となってはただの不気味な亡霊に過ぎない。
立派な分厚い服を身に付けており、腰にはハンティングソードが携えられていた。
体のあちこちに散りばめられた宝石の類が、彼の財を誇示している。
骨と肉がくっついている腕で舵を握り、ぐっと力を入れて回す。
カタカタという音が響きながら、船は航路を変えた。
「海原進めや、ヨー、ホー、ホォー……。見たもの宝だ、ヨー、ホー、ホォー……」
ようやく歌らしくなってきた。
リズムをしっかりとっているようではあるが、彼の声はしゃがれていてとてもではないが美しい歌声であるとは言えなかった。
それでも、男は歌い続ける。
「海原は夢のおおきぃさ~……。航路を取れや太陽にぃ~……死すれば髑髏が覇~……。掟に背くな死を招く~……ヨー、ホー、ホォー……ヨー、ホー、ホォー……」
『ヨー、ホー、ホォー……』
『『ヨー、ホー、ホォー……』』
『『『『ヨー、ホー、ホォー……』』』』
『『『『『『ヨー、ホー、ホォー……』』』』』』
いつの間にか足のない人物や、腕のない人物、更には頭、下半身がない人物なども集まり始めて船の航路を完璧にまで決めていく。
すべての人物が半透明であり、青白い煙が体中から噴き出ていた。
どんどん霧が濃くなっていく。
マストが動き、帆の向きが変わった。
ボァッと膨らんだ帆が風を捕らえたことを教えてくれる。
巻き上げ式の錨も完全に上がり切り、ようやく船本来の速度を出して航路を進んだ。
しばらく海を進んで行くと、霧が晴れていく。
外は曇りで太陽を見ることは叶わなかったが、それよりもいいものが近くを航行していることに気が付いた。
一隻の漁船。
大量の物資を積み入れているところからして、漁船兼輸送船なのだろう。
これは僥倖、と不気味な笑顔を見せた男は、腰に携えていたハンティングソードを抜いてその切っ先で船を指した。
「砲撃準備」
『『砲撃準備』』
ばたばたと動き回る船員たちが、大砲の弾を込めた。
発射準備はすぐに整ったが、どうやら漁船は大きな船を見て驚き、逃走を試みているようだ。
船の上で慌ただしく網を回収している姿が見える。
「早くしろ! おい帆を張れ!!」
「無茶言うなよ! まだ網を回収してないんだ!」
「じゃあ早くしろ!」
「分かってる!」
「いや、切れ! 網を切るんだ!」
このままではマズいと思った船長らしき人物が、船員に指示を飛ばして網を切らせた。
そのおかげですぐに動くことができるようになり、帆が張って船が進み始める。
あまり大きな船ではないので移動速度は断然早い。
離れていく巨大な船を見ながら、彼らはほっと息を吐く。
だが何か妙だ、と航海士が望遠鏡を覗きながらそう口にした。
大きな船だというのに、何の声も聞こえない。
まるで人っ子一人乗っていないような、そんな船であると思えたのだ。
年季の入った船は色が濃くなっている。
なので船の名前を探すのに少しだけ苦労してしまったが、何とか見つけ出すことができた。
だが航海士はその名前を見て戦慄した。
「ギアクローズ号……?」
「……なんだと?」
伝説とされている船の名前を聞いて、船長は思わず聞き返した。
何かの冗談かと思ったが、そんな様子ではない。
だが何百年も前に何処かに沈んでしまったはずの船がどうしてこんな所にいるのか。
偽物ではないだろうかとも思うが、この世界であそこまで大きな船を作っている場所は既に無い。
「本物……?」
そう確信した瞬間、既に大砲の口から火が噴き出していた。
破壊され、沈みゆく船をナルス・アテーギアは満足そうに眺めていた。




