15.8.錆のついた小刀
まだ錆びの進行は完全に進んではいないが、放置していれば必ず刀身を全て錆が覆ってしまうだろう。
見たところ刀身についているのは赤錆で、すぐにでも取った方がよい物だった。
しかしずいぶん放置してしまっているようだ。
ところどころ浸食している部分も見受けられる。
これを直すのは一苦労するな、と思いながら眉を顰めた。
刀身がこうなっているのであれば、鞘も錆が回っている可能性が高いので交換した方がいいだろう。
今手に持っている柄もそれに合わせて作り直した方がいいはずだ。
「錆が少し回ってますね……」
「儂の懐刀よ。使う機会はないと思うておったのだが、以前忍びが屋敷に現れおってな。咄嗟にそれを使って始末したは良かったが……。歳は取りとうないものだ。儂としたことが手入れを忘れていてな」
「叔父上めずらしい」
「言うてくれるな。血を拭えば変わっていたのやもしれぬが、寝ぼけておってそれも失念していたようだ。研ぎ師、それを頼めるか」
「任されました」
仕事を任されたのであれば、次にやることは決まっていた。
用意されていた道具を外に引っ張り出し、盥に水を入れ、砥石を浸けて準備を完了させる。
あとは砥石が水を吸うのを待つだけだ。
その間は少し待ち時間となるので、小刀をまじまじと見てどう研ぐかを考える。
(……って待って? そういえばこの砥石の数……)
持ち出した砥石の数は、計八個。
これが準備されていたというのは、恐らくここに本来来るはずだった研ぎ師が持ってきた物だろう。
ということは、その研ぎ師と自分が今入れ替わっている?
となるとまた入れ替わった時、その人には迷惑をかけるだろうなと申し訳なく思いつつも、今は頼まれたことをこの道具を使ってやるしかない。
用意してある砥石はすべてで八個。
まずどれがあら砥石で、どれが仕上げ砥石なのかもわかっていない。
なので一つずつ手に取って、感触を確かめてみることにした。
そして盥の中で砥石が荒い順に並べてみる。
「……ほぼ荒い……?」
一つは確実に荒砥石だと分かるほどに、目が粗かった。
ざらざらとしているのでよく分かる。
だが他の物は中砥石止まりであり、全体的に粗目の砥石を使っているということが分かった。
仕上げ砥石らしきものはなく、代わりに青い石が一つ残っている。
これは他の物に比べて青みがかっており、少し柔らかい。
これが仕上げの代わりになるのだろうか、と思って水には付けていないのだが……。
「分かんない」
なんとなくだが、砥石で鏡面にする作業をするつもりがないように感じられた。
テールと変わった研ぎ師が持ってきた道具に、他に磨くようなアイテムがないかを探そうと思ったのだが、どうやらこれしか持って来ていないようだ。
ここは記憶の中なのでテールの荷物がある訳もなく、ここにある道具だけで何とかするしかない。
となると、重要になるのはこの一番柔らかい砥石ではないだろうか。
「ずいぶんと悩んでいるな。難しいのか?」
「あ、えーっとそうではなくてですね……」
「見事な青砥石だな。どこで手に入れた」
「青砥石……。師匠から」
「ほう」
これは青砥石という物らしい。
恐らく仕上げに使われるものだと思うので、水には付けずそっと近くに置いておく。
そろそろ砥石が水を吸いきることだな、と思ったので幸道に小刀の柄を外してもらうように頼んだ。
さすがにこれは主である彼にやってもらった方がいいだろう。
幸道はすぐに了承し、すぐに取り外して再び刃をテールに手渡した。
それと同時に先ほど頼んでいた綺麗な布が届けられたので、それもついでに渡してもらった。
「叔父上は見てるの?」
「儂の懐刀ゆえな。少しだけ」
「では」
コトッと刃を荒砥石に置き、まずは赤錆をすべて取る工程に入る。
ぐっと押して一度研いでみて分かったのだが……この小刀を作った刀鍛冶は相当な腕前であることが分かった。
刃に狂いがなく、錆に阻まれていたとしてもスッと真っすぐに研げる。
いい小刀だ。
赤錆が取れたところで次の砥石を入れ替え、研ぐ。
粗い砥石から目の細かい砥石に階段を下りるように研いでいく。
いつもの調子で研いでいると、ようやく青砥石を使う時がやってきた。
「早いな」
「──」
「ほぉ……」
幸道は、テールが周りの音が聞こえていないことに気付いて感嘆の息を漏らした。
これ程に若く、これ程に集中できるような人間はそうそう居ない。
いい人材を見つけてしまった様だ。
満足げに笑みをこぼし、その様子をしばらく見続けた。
テールは青砥石を実際に使ってみて、その性質をすぐに理解する。
これが磨くために必要な砥石だ。
他にも種類はあるかもしれないが、今日はやけによく“乗る”。
調子が良いままささっと研ぎ上げ、綺麗な布で水気を取って太陽の光に当ててみると……見事に反射した。
峰、腹、刃、刃先全てを鏡面に仕上げたテールは、満足そうに頷く。
すると次第に大きくなっていく拍手の音が聞こえてきた。
なんだ、と思ってそちらを見てみると、正和が不器用ながらにも拍手をしている。
集中が一度途切れ、現実世界に精神がゆっくりと戻ってきたかのようだった。
「すごい! 綺麗!」
「これ程にまで早く研ぐ職人がいるとはな。お見事。恐れ入ったぞ」
「あはは、どうも」
「やはり面白い。今日は泊っていくがいい。お主の話を聞きたい」
「え」
それはマズい、とは分かっていても、さすがに断れるような状況ではなかった。
なによりこの仕事が終わって外に放り出されるよりは、ここでしばらくこの世界のことを理解した方が無難だと思ったのだ。
そうしてテールは、西形家に招待されてしまったのだった。




