2.13.誘拐?
ふと目が覚めた。
だが不思議なことにテールは既にその場に立っており、寝間着ではなく作業着を着ていた。
それに加えて周囲は薄暗く、何が近くにあるのかは分からない。
だがここが何処かの工房……というより作業場だということ分かった。
急にこんな所に作業着で立ち尽くしている理由が分からず、いつの間にか誘拐されてしまったのだろうかという不安が押し寄せる。
さすがに洒落にならないと慌てると、近くにあった何かを蹴り飛ばしてしまった。
それは木製の桶だったようで、いい勢いをつけて転がっていったが音は一切鳴らなかった。
大きな音がしてしまうと身構えていたテールはそれに気付き、訝しみながら桶を見る。
ツンツンと指でつついてみると、少しだけ転がった。
こんこんと叩いてみるが、やはり音は鳴らない。
この空間は何なのだろうか。
自分は一体どこに閉じ込められてしまったのだ。
不安がより一層高まる中、テールは一つの音を聞いた。
カンカンカンカン、ジィジィジィジィジィジッ。
鉄を何かで叩く音、それに加えて鑢か何かで鉄を削る音。
この二つが聞こえてしまった。
何も音が鳴らないこの空間で、それだけはしっかりと聞き取ることができた。
それはどうやら隣りの部屋で聞こえてくるらしく、扉は空いており中を伺うことはできそうだ。
少し怖かったが、テールはその扉にそーっと近づいた。
小さく空いた隙間から中を覗き込み、その音の正体を探る。
すると、大きな背中が見えた。
黒い服を身に纏い、近くに散らばっている工具を使って何かに細工をしているらしい。
背中を向けているので何に細工をしているのかは分からなかった。
彼はこちらに気付いた様子は一切見せず、作業に集中している。
とても繊細な作業をしているということは分かるのだが……。
(なんで僕はここに……?)
誘拐されたにしては縛られてもいないし、牢屋にも入れられていない。
音が鳴らない妙な空間。
しかし隣りの部屋にいる男が立てる音はしっかりと聞き取ることができる。
一体ここは何処なのだろうか。
(出口を探そう)
覗いていた扉をそっと閉める。
薄暗いが周囲は見えるので出口くらいなら探すことができるだろう。
周囲の様子を再確認した。
後ろには扉があり、近くには窓がある。
ここはどうやら部屋の最奥のようで倉庫になっているようだ。
様々なものが鎮座しており、樽や木箱、大量の武器や黒い粉が入った袋、縄や鉄鉱石などがこの一室に押し込まれていた。
探してみる限り、出口はこの窓くらいしかないと思っていいだろう。
位置は少し高いが、その辺に鎮座している木箱を足場にすればそこから出ることは容易い。
すぐに木箱に登り、窓に手をかけて外を見た。
「……え?」
テールが見た光景は、想像していた者とはまったく違うものあった。
予想していた光景はどこかの庭、もしくは迫りくるようにある隣りの家の壁。
少し細い裏路地や大きな通りが見える場所だと思っていたのだが……。
見えたのは、何もない暗い空間だった。
真っ黒に塗りたくられたような壁。
漆黒と表現するにふさわしいどんな光をも飲み込んでしまいそうな闇がそこにあった。
その光景を見て驚き、一歩引いた瞬間足を踏み外して落ちてしまう。
やはり音はならなかったが、痛みは感じた。
「いたた……」
「ん?」
「!?」
その時、隣の部屋で作業していた男が扉を開けて中に入ってきた。
倒れてしまった瞬間に入ってきたので隠れることはできず、完全に相手の視界に入ってしまった。
ヤバい、と思ったのだが……男はテールに一切目を合わせずにただ周囲を確認する。
蹴り飛ばされた木の桶を元の位置に戻し、何故か空いている窓を閉める。
鍵とカーテンを閉めたあと、また隣りの部屋に戻っていった。
「……え?」
まるで、テールが見えていないようだった。
状況の理解に苦しむがとりあえず立ち上がり、先ほどの男を追いかける。
隣の部屋に侵入して男の顔を覗き込んだ。
それでも彼は作業をしていて、何もしてくる様子はない。
「あ、あのー……」
「……」
「あのー!」
「……」
声をかけても無反応。
姿も見えていなければ、声も聞こえない。
だが触れたらどうなるのか。
ちょっとした好奇心を抱きながら男の肩に手を置くと……手が体の中に沈んだ。
「ぎょ!?」
すぐに手を引っ込めて自分の手が無事かどうか確認する。
じっくりと観察してみるが傷は一切ついておらず、痛みも何も感じなかった。
男も何も反応していない。
テールが体を触れたことにすら気付いていないようだ。
「え? 僕、死んだ?」
見えない体、聞こえない声、そして貫通する手。
これは完全に自分が死んでしまって幽霊になってしまっているから起こっている現象ではないのだろうか。
しかし死んだ記憶が一切ない。
寝込みを襲われたのだろうか?
いやしかし、一体誰が。
思いつく節は何個かあるが……今は現状を理解するだけで精一杯だ。
わたわたと焦っていると、視界に綺麗な剣がようやく映り込んだ。
男の反応に気を取られ、今の状況を理解しようとしていたので気付かなかった。
どうやら男は剣に何かしらの細工をしているようで、小さな工具を使って調整を繰り返している。
その剣は……テールが王族のために研いだあの剣だった。




