13.8.刃の尾
情報を収集するために、西行は魔法を使いながら進んでいた。
一瞬で数十キロを移動し、時折顔を出して周囲を確認する。
その時も気配を完全に殺して索敵しているので、誰かにバレることはないだろう。
何度かそれを続けていると、巨大な気配を感じた。
影から飛び出して手ごろな木の上に登る。
見事な登攀術で華麗に枝に飛び移り、目を凝らしてその先を睨みつけた。
「……すごいな」
大量の人間が、移動をしている。
だがその姿は少しばかり異様だった。
先頭に武装をした者たちが並んでいるのだが、その後ろには普通の住民が歩いていた。
装備を身に付けておらず、あるのは手に持っている心もとない農具だけだ。
殺傷能力はあるだろうが、女性の手には小さな鎌しか握られておらず、あれで戦うのには相当な勇気が必要だろう。
その後ろには物資を運ぶ商人、貴族などといった装いをした人物たちが控えている。
明らかに異様な進軍。
普通は兵士だけで攻め込むはずだが、まるで国の中にいた人すべてが駆り出されているという印象を受けた。
これは軍隊ではなく群衆のように見える。
よく見てみれば彼らはただ歩いているだけで、まともな陣形を一つも取っていない。
普通の国民ならまだしも、戦闘に立つ兵士の統率が一切取れていないように思えたのだ。
あれでは普通に攻めたとしても、勝つことはできないだろう。
普通の国に攻めるのであれば、だが。
距離からして、あと一週間と五日は移動に時間がかかるはずだ。
猶予はあるが……さすがにこの数を捌ききるのは難しいだろう。
だが西行はその群衆を見て一つ勝機を見出していた。
(操られている)
目を見れば、彼らが何かに操られているということはすぐに分かった。
誰もが虚ろな目をしており、更に瞳が真っ黒に塗り潰されているのだ。
あの特徴はよく知っている。
里川も、乱馬も、乾芭も鎮身も同じような瞳の色をしていたのだ。
忘れたくても簡単に忘れられるようなものではない。
──幻術系の奇術を持つ侍。
西行は一瞬でこの答えに辿り着いた。
これだけの人数を操れるというのは、相当な技量を持つ人物であるということが分かる。
西行は一気に警戒心を強め、静かに一つ息を吐いてさらに気配を殺す。
どういう手法で幻術を掛けるのか分からない以上、派手な行動はできない。
出会った瞬間操られてしまう可能性があるからだ。
無論忍びとしてそんなに大きな動きをするつもりはないが、相手の技量が分からないので警戒するに越したことはない。
なんにせよ相手を見つけなければ。
そう思って木から飛び降りようとした瞬間、凄まじい殺気が迫ってきた。
「っ!?」
反射的に木を蹴飛ばしてその場から飛びのくと、大木が縦に両断された。
その斬撃の余波は群衆の方にまで届き、数十人を真っ二つにしてしまう。
だが彼らはそれに気付いた様子はなく、そのままのそのそと歩き続けた。
真っ赤に染まった地面に一切気にすることなく、その肉塊を踏みつける。
それだけで異様な光景だが、その前に襲ってきた存在を確認しなければならなかった。
西行は小太刀を二振り抜き放ち、逆手持ちにして気配を探る。
すると、真正面にその存在はいた。
隠れるでもなく、様子を見るでもなく真正面から対峙した存在は、巨大な狼だった。
だが普通ではない。
顔は狼にしては長く、鰐のようだ。
剥き出しにしている牙は鋭く、口角が上がって笑っているように見えた。
頭部には毛がほとんどないが、首から後ろは細長く硬そうな毛に覆われていて、時々逆立てて震えている。
興奮しているということが良く分かるが、それに反して嬉しそうに尻尾を振るっていた。
その尻尾には巨大な刃が付いており、どうやら毛が固まってできたものだということが分かる。
刃先は鋸のようになっていて、地面を掠めると土が捲れた。
「匂いか……」
西行はその存在の特徴を視界に入れながら、どうして場所が見破られたのかを考えていた。
だがそれは一つしかない。
獣は鼻が良く、人間は気付けない物によく気付く。
運悪く風上に陣取ってしまっていた様で、この獣に位置がバレてしまったのだろう。
「ガルルッ、ガルルァッ!」
「……」
黙らせなければ。
そう思い、自分の足元に黒い影を作り出す。
そこへ向かって持っていた刃を突き立てると、地面に沈み、いつの間にか獣の足元に出現していた影から刃が飛び出してきた。
腹部へと刃を突き立てるように振るったそれは、見事に刃先が直撃する。
キンッ。
(!? 硬い!)
「ガガガガガガ」
「!!」
すさまじい勢いで口を連続で開閉しながら走ってくる獣。
空に噛みつく度に走る速度が上がっているようで、瞬きをすれば既に目の前に迫っていた。
「なんだこいつ!?」
西行も負けじと凄まじい連撃で勢いよく飛び掛かってきた獣に向かって小太刀を振るう。
顔付近の毛はほとんどないのでそこを重点的に狙って軌道を逸らしたのだが、小太刀から伝わってきた感触に眉を顰めた。
(柔い……!?)
小太刀は確かに撫でるようにして皮膚を切ったはずだが、そこでぐにゃりとした感触が伝わって来た。
粘液で滑った、というわけではない。
しっかりと骨格を狙ったはずだし、なんなら皮膚を貫こうとした。
だがそれは、不自然なほど柔らかい感触が伝わってきただけでなにも切れていなかった。
まるで、骨すらも柔らかくなっている様だ。
「ぴーーーーひょろろ~~」
「!!!!」
聞き慣れた音が聞こえた。
その瞬間西行は足元に影を作り出して沈み、その場から即座に離れた。
咄嗟のことだったので姿を見ることはできなかったが、あれは篠笛の音だ。
音を使う幻術使いだということが分かっただけで成果だろうということにし、一度この事を報告するために木幕たちのいるキュリアル王国へと戻る。
獣はすんすんと匂いを嗅ぎ、西行が居なくなったことを確認するとしょんぼりして尻尾と耳を下げた。
仕留めきれなかったのが残念だったのだろう。
「……」
「グルゥ……。ガゥ?」
「残念。また今度」
「グルルル」
獣は言葉が分かるようで、大きく頷いた。
東守は周囲を見渡し、ここがどこなのかを確認していた。
なぜこれほどにまでの軍勢が移動しているのか分からず、小首を傾げたところで再び意識を奪われる。
コテッと首を傾げて不気味な気配を纏い、手に持っている篠笛を今一度吹き鳴らす。
それは進軍速度上昇の音色だったらしく、群衆の足音が……早くなった。




