11.40.霞舞
柳が一つ、そう唱えるとやはり体に冷たい感触が突き抜けた。
どんな魔法を使ったのか聞こうとしたメルだったが、既に柳はそこにいない。
驚いて周囲を確認してみると、一匹の鬼を切り伏せていた。
目を離した一瞬の隙に移動し、間合いに入って日本刀を振るった様だ。
「メル君、君は雑魚を頼む」
「えっ!? あ、はい了解です! でもどうやって……」
「今の君には拙者の奇術が付与されている。移動したい場所へ、移動できるはずだ」
軽い説明を終えると、すぐに消え去ってしまった。
次はどこに出現するのだろうかと思っていると、甲高い金属音が鳴り響く。
みやれば、柳と鎮身が鍔迫り合いをしているではないか。
この魔法で移動できる距離は、相当広範囲に及んでいる様だ。
鎮身は彼に任せておけばいいだろう。
メルは自分に任された仕事をまっとうするため、一歩踏み出した。
行きたい場所へ移動できるというのだから、頭の中で座標を指定しながら足を動かしたのだが、その瞬間には既に鬼の真隣にいた。
「わっ!!」
「!?」
反射で金砕棒を振るった鬼だったが、危険を察知したメルは再び移動した。
跳躍をイメージしてしまったが為に、鬼の頭上を取ったようだ。
本当に行きたい場所に向かうことができるらしい。
一度移動してみてなんとなく感覚を掴むことができたので、自由落下してそのまま鬼の頭をかち割る。
訳が分からないまま、鬼は沈黙して灰となって消えていく。
足を地面に着けた瞬間、周囲の敵の数を再確認した。
鬼が三対に加え、餓鬼が二十四。
まず仕留めなければならないのは鬼だと考え、瞬く間に三度移動して鬼を討つ。
首を切られて転がり落ちた頭が、目をかっぴらいて状況の理解をしようとしていたが、結局そのまま視界は暗転する。
主力である鬼を倒された餓鬼たちは、酷く狼狽した。
大地の割れ目からはまだまだ餓鬼が出現してきており、鬼を始末する間には五十八ほどの数にまで増している。
出てくる速度は遅いが、日光で死滅しないのは厄介だ。
ここで何としてでも食い止める必要がある。
両刃剣・ナテイラを一度振るい、構え直す。
そして柳に付与された魔法を使用し、瞬時に二十回移動して移動した分だけ餓鬼を葬り去った。
凄まじい速度……というより、これは瞬間移動に近い。
これが柳の所持している魔法か、とメルは純粋に驚いた。
「すっご……!」
「我が主の御業である。下らぬわけがなかろう」
目を瞠る程の活躍ぶりに、テールは感嘆の声を漏らした。
木幕もこうは言っているが、一度使っただけで柳の魔法を自分の魔法の様に扱うメルに感心していた。
日本刀たちも、驚きの声を上げている。
何よりも驚いていたのが、隼丸だ。
自分と似たような魔法だったので、その本質をすぐに理解したらしい。
『『あ、あれ霞か!!』』
「かすみ?」
『『あいつの奇術……自分が霞みになってる。移動時体が霧散し、再構築されてるよ。攻撃時は肉体に戻るけど、それ以外は霞だ』』
「……要するに?」
『『攻撃しないときは無敵って事!』』
「つっよ!?」
これは本当の事なのか、とテールは木幕に問うた。
すると小さく頷く。
「柳様の奇術は己を霞とし、自由に移動でき、攻撃も喰らわず、己のみが自由に技を繰り出すことができる。されど攻撃時は肉体へ戻る故、そこを狙えば勝てぬことはない」
「めっちゃ難しそうですけど……」
「簡易な奇術であるが故、柳様は二つの技しか持ち合わせておらぬ。霞の人、霞舞。これだけだ」
霞の人は自分が攻撃するまでの間無敵状態になるという魔法で、霞舞はそれに加えて瞬間移動の能力が追加されるというもの。
聞いただけでもその強さが良く分かる。
なので柳は木幕たち侍の中では、魔法を使った場合は二番目に強い人物らしい。
攻撃が当たらないのだから、そうなるのも当然と言えば当然だ。
魔法を使わない場合でも、三番目の実力があるのだから攻撃ではなく回避に特化している魔法だったとしても、彼の実力は非常に高い。
木幕の元主とは聞いていたので、やはりすごい人物なのだろうなとは思っていたが、まさかこんな魔法を持っているとは思わなかった。
敵対した人物は圧倒的不利な状況で戦わなければならなくなる。
自分だったら戦闘を放棄したくなるかもしれないな、と思いながら再びメルの方へと視線を戻した。
ようやく外に湧き出した餓鬼をすべて始末したらしく、あとは割れ目から出てくる餓鬼を丁寧に処理していくだけだ。
息は切らしておらず、まだまだ余裕がある。
これであればしばらくは任せておいてもよさそうだ、と思ったその時、ズン、という振動が足に伝わってきた。
嫌な予感がして後ろを振り向く。
明らかに巨大な生物の足音だった。
それは目視で確認できるほど近づいており、どうして気付かなかったのかと目を瞠る。
巨大な蜘蛛の体に、鬼の顔が付いている。
産毛に覆われた体は黒く、六本の足の先端は角と同じような骨でできているようで、歩くたびに大地を揺らし、少し抉った。
頭から生えている二本の角は大きく曲がっているが、時にその角を振り回して瓦礫を放り投げる。
真っ赤に染まっている口からは大量の唾液が漏れ出しており、その状態から極度の空腹状態だと見て取れた。
「牛鬼か」
西日本に伝わっている妖怪であり、主に海岸に現れて浜辺を歩く人間を襲うとされている人食い妖怪だ。
牛の体を持ち、鬼の胴体を持っていたり、その逆の場合もあるらしい。
そのほかにも昆虫の羽を持っていたり、今目の前にいるような蜘蛛の胴体を持ち、鬼の頭を有している場合もあり、牛鬼は様々な姿で語られている。
名とは少しばかり違う姿をしているが、これは恐らく、鎮身が知っている牛鬼なのだろう。
彼の知識の中にある存在しか出現しないと、木幕は見ていた。
どうやら鎮身も槙田の様に、妖怪については少しばかり詳しいのかもしれない。
牛鬼はこちらに狙いを定めているようで、今はいつ飛び出そうかと思案しているようだ。
飛び掛かってくる前に木幕はもう一人の魂を呼び出す。
ゴンッと灰色の魂が地面に落ちた。
この出現の仕方は初めて見るものであり、恐らくテールが出会ったことのない人物だ。
灰色の魂はすぐに形を変えて人の姿を取る。
大きな体躯は見上げてしまう程で、非常に肩幅が大きい。
顔立ちもそれに合わせるようにして角ばっており、葛篭のような職人気質の人物であることが伺えた。
白く薄手の和装は清潔感がある。
だがそれに似合わない程大きな金砕棒が、彼の手に握られていた。
「木幕殿ぉ!! なんっでおいだべ!? 他にもおったらだらぁ!?」
「槙田では被害が大きくなる故な」
「戦闘経験あんましないって、昔から言ってただよ!? 人選間違えてるだ!」
開口一番、悲痛な面持ちでそう叫ぶ彼は、一度だけ地面を蹴ったのだった。




