11.38.翌朝
怒涛の三日間を過ごしてきたキュリアル王国国民にとって、本当に何もない一夜は格別な物だった。
穴のある方角から轟音は聞こえてきたが、それ以外は特に何もない。
休めていない体ではその音すらも耳に入ることはなかったようで、一日ぐっすりと休むことができたようだ。
とはいえ、仙人の戦いを見てみたいと集まって来ていた者も少なくはない。
とても遠巻きではあったが、数名の冒険者の姿を確認している。
結局深夜一時くらいには限界が来て眠ってしまったようではあるが。
今も尚崩壊しているキュリアル王国で、ナルファムが穴の方へと向かって歩く。
昨日とまったく変わっていない景色。
このことから、ここまであの化け物の魔の手が伸びてこなかったということが分かった。
あの数の化け物を、あの一本角の化け物を穴の場所で阻止した彼らの実力は、本物だったということだ。
さすが世界最強と謂われる人物である。
しばらく歩いていけば、穴のある場所へと辿り着く。
仙人でも穴を塞ぐことはできないらしく、未だに三つぽっかりと黒い空間が広がっていた。
家屋がほとんど倒壊してしまっているから、離れていてもよく分かる。
そこに、木幕が立っていた。
足元には眠ってしまっているテールとメルが背を預け合っている。
前線にいるのに呑気なものだ、と小さく笑ってから、木幕に近づいた。
彼はナルファムが近づいてきたことにずいぶん前から気付いたらしく、こちらをちらりと見やる。
目線があったので、軽く会釈をした。
「キュリアル王国冒険者ギルドマスター、ナルファム・ドレイク。この国を代表して、礼を言います。ありがとうございました、仙人様」
「堅苦しいのは良い。それに礼を言うにはまだ早い」
真剣な表情のまま、木幕は穴へと視線を戻した。
事件はまだ解決していないのだ。
だがナルファムはそれを聞いて、目を見開いた。
「こ、この事件が解決するのを……手伝ってくれるのですか?」
礼を言うのが早い、ということは、まだ礼を貰えるだけの働きをしきっていないということだ。
実際のところ、確かにこの事件は解決しておらず、犯人も未だに見つかっていない。
いや、見つかりはしたが、逃げられてしまった。
「某の連れの一人から、下手人の話を聞いた。どうやら、某が追っている者の一人の様だ」
帰ってきた西行から、カルロ救出の話を事細かく聞いた。
その内容によると、カルロが閉じ込められていた独房の前に、侍がいたという。
一見すればすぐにそうだと分かったようで、別に変装などはしていなかったようだ。
何故彼がこのようなことをしでかしたのかは不明だが、西行は救出時、相手の仕込み傘の鯉口から大量の青煙が発生したと口にしていた。
ということは……彼は既に操られている可能性が高い。
しかしそうなってくると、青煙は見えていなくても何処かに発生源があるということになる。
実際に対峙して見なければ、操られるかどうかは分かりそうにない。
木幕は次から出会う侍にはさらに注意を払わなければならないと思いながら嘆息した。
だが、ナルファムは今回の事件の犯人が彼ら仙人が追っているほどの人物だと知って、驚愕の色を顔に表す。
「そ、そんな人が……」
「案ずるな。何とかしよう」
今回の一件は、テールを狙ってきた侍が起こしたものだ。
無関係ではないため、ここは手を貸すのが道理だった。
手を貸すというより、自分たちが何とかしなければならない問題なので早急に解決策を思案する。
しかし、相手は厄介な魔法を持っているのは確実。
今の状況だけで考えるのであれば、餓鬼の軍団を召喚し続けるというものだろうか。
地獄から呼び出される亡者たちだ。
その数は無限であり、死んでも蘇るとされているので殺してもキリがないだろう。
それに魔法が一つであるとは限らない。
ある程度の可能性を考慮して想像するのであれば、あと一つか二つくらい魔法を所持していそうだ。
餓鬼を呼び出すのだから、妖怪なども使役できるのかもしれない。
やはり、相手は未知数。
今の段階でこの国の者たちをこれ以上危険に晒すわけにはいかない。
木幕はナルファムに向きなおる。
「戦える者は幾ら居る?」
「……まともに戦えるのは、二十人そこらかと。誰しもが疲弊していますので、当てにならない数字ですが……」
「その者たちを借りたい。無論お主もだ。他の者はもう少しこの穴より遠くへ下がらせよ」
「冒険者の抜粋はお任せを。ですが怪我人も多く、動けない者も少なくありません。医療品も不足して満足な治療すらできていない今移動させるのは……」
「それでも構わぬ。一刻も早くこの場から離れさせよ。……嫌な予感がする」
「……分かりました」
予感というものを軽視しないナルファムは、即座に動きだした。
市民と冒険者の避難。
そして戦える者を抜粋して即席のパーティーを作成する。
避難には時間がかかるが、仙人が言うのだから何よりも優先しなければならないものだ。
冒険者ギルドへと向かいながら、やらなければならないことを頭の中で復唱する。
その後ろ姿を見届けた木幕は、ナルファムへの評価を数段階上げた。
自分に向かって、こうして意見してくれたのはいつ以来のことだっただろうか?
さすがギルドをまとめ上げるだけの女子だ、と満足そうに笑う。
「さて、お主ら。起きよ」
「……はっ」
「むむ……」
足元にいたテールとメルの肩を叩く。
瞬時に起きたメルはすぐに立ち上がったが、まだ眠気が残るテールは目をこすりながらゆったりとした動きで立ち上がる。
「テール。藤雪は操らせるなと申しておったな」
「あ、はい……」
「どうやら此度の戦、既に奴の手中の様だ」
「……と、いいますと……?」
「構えろ」
バッと手を広げると、一人の魂を呼び出した。
手には何も出現しなかったが、周囲が少し寒くなったような気がする。
そう感じた時には、もう出現していた。
「フフフフ……。良い人選であるな、木幕や」
「すり抜けるならば、恐るるに足りますまい?」
「然りだ」
木幕と対等に会話をする人物を見て、テールとメルは苦い笑みを浮かべた。
何を隠そう、今の今までの修行でスパルタ修行を続けてきた柳が出てきたからだ。
あの時の記憶が蘇る。
しかし急に木幕が『構えろ』と言ったのには訳があるはずだ。
その言葉を思い出して、二人はすぐに構えを作る。
『お? なんだ?』
「あれ、珍しい。寝てたんですか?」
『暇だったからな……っておい! 正面にいんじゃねぇか!!』
「え?」
テールが顔を上げると、穴の前に誰かが立っていた。
番傘を閉じて手挟んでおり、木箱を背負っている。
カルロを助けに行った時に見た人物だ、と即座に理解したテールはすぐに灼灼岩金の切っ先をそちらへと向けた。
柳、メルもそれに気付き、切っ先を向ける。
あれが鎮身長安であることは間違いないだろう。
しかし……その目を見て、その場にいた全員は難しい顔をした。
真っ白な目は彼の盲目という特徴を表しているのだろうが、あれは“操られている者の目”だ。
黒い穴が開いている時点でなんとなく察しはついていたが……こうして対面してみるともう手遅れだということを思い知らされる。
すると、鎮身が仕込み傘の鯉口を切った。
一気に大量の青煙が噴き出し、その場を覆い尽くさんとする。
『おやめください主様!!』
「えっ」
『あの仕込み傘であるな』
可愛らしい女の子の声が、テールの耳に届いた。




