10.27.英雄として
意識を取り戻したトリックによって、最悪の事態は真逃れた。
もう彼に戦う意志はなさそうだし、戦える状況でもなさそうだ。
テールはすぐにメルに突き刺さっているロングソードを丁寧に手に取り、静かに、だが素早くその刃を抜く。
「ぐうっ!」
「レミさん!」
「分かってるわ! 治れ!」
駆けつけてきたレミが、魔法を使って治療してくれる。
傷はすぐに塞がり、再び動かせるようになった。
もう痛みはないので戦うこともできるだろう。
スゥは一応警戒する意味も込めて、獣ノ尾太刀をトリックに向けている。
これ以上動くことはできなさそうだが念のためにだ。
その判断を誰も咎めることはしない。
傷があった場所をさすりながら、メルは上体を起こしてトリックを見る。
あの攻撃は予想外だった。
ずいぶんと器用な攻撃をする物だと感心せざるを得ない。
もう少しでも両刃剣・ナテイラを振る力が弱ければ、確実に喉元を貫かれていたはずだ。
自分もまだまだだな、と嘆息する。
周りに味方が居なければ助からなかったかもしれないし、トリックが意識を取り戻さなければ、あの短剣は自分の胸に突き刺さっていたのだ。
その事を思うと、少しぞっとする。
この失敗はメルの中で忘れられないものになった。
自分が思っている以上に、自分には課題があったようだ。
「メル、大丈夫?」
「うん、ありがとう。助かりました、レミさん、トリックさん」
「ご無事で、なに、より」
トリックはこちらを向いて微笑んだ。
無理をしているというのがありありと伝わってくるが、彼らしい良い顔のように思える。
呪いの力が完全に消え初め、次第に体が足先から薄くなっていく。
どうやら、もう時間がないようだ。
とはいえ、トリックはこれ以上彼らに何か言い残すことはない。
こうして戦うのは望んだことではなかったが、最後に彼らの顔を見ることができたので満足であった。
「おや」
雨が次第に弱まっていく。
久しく見ていなかった日の光が雲の間から差し込んでいる。
この大雨の原因となる紅蓮焔が居なくなったため雨雲は今のところ、もう発生しない。
強い風が雲を散らし、温かい日差しが顔を出す。
「死ぬには、いい日ですね」
トリックの体が消えていく。
その速度は意外と早く、既に胸辺りまでが霞んでいた。
ああ、そういえばこれだけは伝えておかなければ。
「テール君」
「えっ? あ、はい!」
「木幕さんたちを、頼んだよ」
「……もちろんです!」
その言葉を聞いて満足したかのように、彼は風と共に消え去った。
呆気ない別れとは言うまい。
彼なりに意味のあるものだったのには間違いないし、彼は信念を貫いた。
英雄としての信念を。
誰もが黙って空を見上げる中、空気を読まない存在がずかずかと歩いてくる。
そこでズバンッとテールとメルの背中が叩かれた。
「「いった!!」」
「ぬははははぁ……! 感傷にぃ、浸ってる暇はねぇぞぉ……? 次だぁ……。あの蜚も気になるぅ……」
槙田はそういいながら、本物の紅蓮焔を腰に携えている。
紅蓮焔は少し野太い声で、槙田の言葉に頷いた。
『その通りだ。死人は帰らず故人は嘆くに非ず。俺たちが前を向けば奴らも笑うのは必然』
「さぁさぁ……。参るぞぉ……? 次の目的地はぁ……お前の、師のいる処」
「!」
槙田がテールの肩を力強く掴む。
ここからキュリアル王国に向かうのには、相当な時間がかかる。
その道中にはもう彼らが把握している日本刀はないようなので、すぐさま二人が育った国へと向かうことが決定していた。
ようやく、カルロを救うことができる。
テールは目を輝かせ、メルも力強く頷いた。
「ですが……馬車が壊れてしまいましたよ、槙田さん。ここからしばらくは徒歩です」
「っー……」
「旅の基本はぁ、徒歩だぁ……。あのような荷車ぁ……贅沢に過ぎぬぅ……」
「「えっ」」
確かに、アベンの攻撃で馬車は完全なまでに破壊されてしまった。
雨に濡れていたはずなのに、それすらも燃やせるだけの火力を彼は放ってきたのだ。
この付近に幌馬車を保有している村はないし、何なら道中にもしばらく村はない。
数週間は完全に徒歩の旅を強要されそうだ。
だが幸いにも一匹馬が生き残っている。
西形に先行してもらい、何処かの村か町で馬車を調達してきてもらうのが今のところ最善策だろう。
「では、参るとするか」
いつの間にか近くに来ていた木幕が、一声だけかけて歩いてく。
西形を出現させ、指示を出して先行させる。
不気味に笑いながら槙田は魂に戻って消えていき、レミとスゥはげんなりしながら歩いていった。
残された二人も一度だけ顔を見合わせて、本当に歩く気なのかと焦りながら、彼らの後を追いかけたのだった。




