10.26.手にかけるわけにはいかず
両手でロングソードを握ったトリックの構えは、先ほどと大きく変わった。
乱れていた構えは正され、メルもよく見たことのある構えが取られる。
手元を腰だめに置き、切っ先は天を向いている。
背中は少し曲がって前傾姿勢を常に維持しており、足は大きく開かれて腰の位置は低くなっていた。
トリドイ流剣術。
これはトリックが勇者となったときに、『指揮統率能力は一人前だが、個の力が貧弱では勇者は務まらん』と騎士団の一派から教えてもらった流派だった。
魔王軍との戦争では、まだこれを実践レベルで使用できるほどものにしていなかったので使えなかったようだが、今は違う。
この流派を完全にものにしており、そして人間相手であれば初手で勝負が決まる程の鋭い攻撃を繰り出せる技が幾つもある。
中でも最も危険なのが……カウンターによる突き技だった。
トリックは今まさにその攻撃を繰り出さんとメルからの攻撃を待っている状態だ。
青い煙を口から吐き出し、集中するために口を横に結ぶ。
メルはこの流派の事を知っていた。
長い間受け継がれて継承されているものではあるが、今はこれを完璧に……というより、この流派を編み出した開祖以上に扱える人物は存在しないだろう。
今では突き技を重視する構えとして広まっており、切っ先は相手へと向けるのが一般的になっている。
だがトリックは切っ先を上に向けていた。
これは、トリドイ流剣術開祖、トリドイが最初に設定していた構えである。
突き技が主体と言われているこの流派。
垂直にロングソードを構えている以上、振り下ろすのに時間を要してしまうことは明白だ。
それによって突きを繰り出す時間が遅くなるのではないだろうか……?
そんなことを考えていると、急にトリックが動き出した。
待ちの流派ではなかったのか、と一瞬驚きを露にしたメルだったがすぐに顔を引き締める。
攻撃させるのはいい選択ではない。
だが彼の構えはカウンターを得意とし、突き技を主体とする。
一瞬の迷いが敗北に繋がる戦いでは無駄な思考は捨てた方がいいのだが、この時ばかりは考えすぎくらいがちょうどよかった。
トリックが大きく踏み込む。
上段から振り下ろされる攻撃はやはり速く、強力だ。
それを弾こうとして、下段からの振り上げでロングソードを弾く。
が、弾けなかった。
ギャヂッと打ち合ったが、その瞬間、トリックは押さえ込みながら手元を一気に持ち上げて切っ先をメルへと向けた。
「ぐっ!!?」
一歩下がって両刃剣・ナテイラを振り上げたメルだったが、踏み込みが想像以上に大きかった。
切っ先を押し込まれる形で、メルの右肩を貫かれる。
本当は首を狙ったつもりだったようだが、彼女の攻撃の勢いがロングソードの軌道を微妙にずらしたらしい。
急所を捉えられなかったのは不幸中の幸いだったが、これで形勢は一気にトリックへと傾いた。
「──」
「ああっ!!」
ぐんっと押し込み、ロングソードでメルを地面に縫い付ける。
痛みと急な体重移動で体勢を崩してしまい、メルは簡単に転倒してしまった。
起き上がろうにも肩に食い込んでいる鉄の塊が地面にまで刺さっており、動くことができそうにない。
利き手である右腕が一切使えなくなり、何とか動かそうとして見るが力が入らなかった。
左手では精々トリックの脚を掴むことくらいしかできないこの状況は……非常にマズい。
「隼丸!!」
『『合点!!』』
ガンッ!!
テールが隼丸の魔法を使って飛び込んできて、トリックを蹴飛ばした。
だが大してダメージはなかったようで、微動だにしていない。
トリックはテールを一瞥することはなく、メルから目を離さなかった。
「灼さん!!」
『応!』
ぼろぼろの刀身がトリックに向けて振り下ろされる。
テールも少なからず稽古を受けており、ある程度は戦える技量を持っていた。
灼灼岩金の連携は目を瞠るものがあり、今回も彼の指示通りに動いて鋭い一撃を繰り出そうとする。
さすがに危険だと察知したのか、トリックは鱗の手甲でその攻撃を防ぐ。
既におんぼろの刃では傷をつける事すら叶わず、ただ少し強めの衝撃を与えただけだった。
「ぼぼっ」
青煙が素早く二回吐き出された。
テールを脅威と捉えたかどうかは分からないが、視線はこちらをずっと向いている。
レミとスゥもこちらに走ってきているので、あと五秒でもあればなんとかなるだろう。
だが……それに気付いていないはずがない。
トリックはギッとメルを睨んだ。
テールを仕留めるのはこの状況では困難だ。
隼丸の魔法で逃げられてしまえば、レミとスゥが合流してトリックはすぐに倒されてしまう。
であれば一人でもテールを守る存在を消したい。
そう考えた瞬間、腰にぶら下がっていた短剣を即座に抜き放つ。
「!! 隼丸! メルを!」
『『三秒過ぎたから無理だし縫い付けられてる!!』』
「トリックさんは!?」
『『移動する気配ないから無理だよ!!』』
この隼丸の魔法は特殊で強い半面、発動条件が厳しい。
術者を移動させるのは非常に容易いが、他者を移動させるのは“同意”が必要となる。
以前乾芭の分身は移動させることができたが、それは同意が必要ない対象だったからだ。
今回の場合、トリックは移動する気配を見せていないので、隼丸の魔法は使っても意味がない。
メルを動かそうにも、ロングソードで地面に縫い付けられているので動かせない。
三秒前に戻せればよかったが、もう三秒過ぎてしまったので戻せなかった。
要するに──隼丸では、メルを助けられない。
戦士が短剣を振り下ろすのに要する時間は一秒も必要ない。
既に力強く握られ、あとは振り下ろすだけとなったトリックはその刃先をメルの喉元に狙いを定めている。
テールはすぐに灼灼岩金を引いて突きを繰り出したが、それはまたしても腕の防具によって阻まれた。
間に合わない。
テールの攻撃も、レミも、スゥもこの状況では助ける間合いに入ることができなかった。
短剣が、振り下ろされる。
その速度はやはり速く、見ていた誰もが雨によって濡れて冷えるのとは全く別の寒さを感じ取った。
ザグッ。
突き立てられたナイフから、血液が滴り落ちる。
「ぼぼっ……げっほ……ゲホ。危ない……あぶ、ない……」
青煙がまた吐き出されたのを最後に、表情が蘇ったトリックが申し訳なさそうに笑った。
自身の胸に突き立てた短剣に、手を添えながら。
「勇者たるもの、一般……人に、手をかけたくは、ないです、から……ねぇ……」
メルを踏み潰さないように、横にごろりと転がったトリックは、仰向けになりながらそう言った。




