10.15.操られない理由
槙田の戦いを安全圏から見守っていたテール一行は、ようやく熱波がこちらに来なくなったことに安堵して岩陰から顔を出す。
馬車が襲撃された瞬間、木幕が魔法を使って助けてくれたので大事には至らなかったが、馬の一頭だけはやられてしまった。
生き残っているもう一頭の手綱をレミがしっかりと握っており、大きな音に怖がっているのをスゥと共に必死になだめている。
途中から戻ってきた木幕は、同じタイミングでこちらにやってきたもう一人の男性を見て難しい顔をした。
それはテールやメルも同じであり、同時にとても驚いた。
今目の前にいる男は、ミルセル王国で見た石像とまったく同じ姿をしていたのだから。
「信じてくれると、非常にありがたいのですがぁ……」
「呪われてバネップさんみたいに蘇った感じじゃ……ないですね……」
「本当に敵対の意志はないんですか?」
「はい。誓ってありません」
黒に近い灰色の髪の毛を有している彼は、ロングソードを地面に突き刺した。
抵抗の意思なし、と両手を広げておどけてみるが、疑心はなかなか晴れるものではない。
木幕とレミは難しい顔をして、ミルセル王国勇者、トリック・アベラスの顔を凝視していた。
だが、本当に彼からは敵意を感じ取れない。
その瞳は優しく、罪のない者を手にかけるような存在ではないように思えた。
少し困ったような笑みを浮かべて、とりあえず愛想笑いを作る。
油断したところで後ろから攻撃される、という可能性がぬぐえない以上、彼に背を向けるのは危険だった。
確かに今は無害かもしれないが、いつ呪いが発動して襲ってくるか分からない。
本来であれば即刻斬り捨てるのが良いのだろうが、こうして会話を試みてきた以上、呪いについてもう少し理解する必要があった。
木幕も槙田と同様、今この状況に疑問を抱き続けているのだ。
見たところ、青い煙は出ていない。
そもそも侍以外に青い煙が出ているのを見ていなかった。
なぜ、この世界の人間にはそれがないのか。
新しい疑問が頭をよぎり、再び思案しなければならなくなる。
もう少し証拠となるものを示さなければ信じてくれそうにないと感じたトリックは、頬を掻きながらその場に座った。
しっかりと地面に尻を付け、すぐさま攻撃に動けないように地面に刺した剣から距離を取る。
「木幕さんなら、私が動き出す前に仕留められますよね」
「……いいだろう」
木幕がとんとん、と日本刀の鍔を軽く叩くと、無数の葉が周囲を待って葉っぱの屋根を作った。
それは宙に浮いており、雨を凌いでくれる。
これに喜んだのは灼灼岩金と隼丸だった。
『気が利くじゃないか!』
『『おおー、すごいねぇ』』
相変わらず不撓はあまり喋らないが……。
彼女からしてみれば、水に濡れようが炙られようがどうでもいい事なのかもしれない。
何はともあれ、安心して会話ができるようになったようだ。
それに安心したトリックは、胸をなでおろす。
いつ殺されるのかひやひやしていた様だったが、説得に成功したことで気が緩んだらしい。
雨に濡れて紛れた脂汗を、一緒に手で拭う。
「いやぁ、よかった……。改めまして、私は元ミルセル王国勇者、トリック・アベラス。邪神の呪いにより蘇り、そこの君を始末するように指示を受けたのだけど……。なぜか無視できてる」
「何故だ」
「なぜと言われましても、本当に分からないんですよね。というか、勇者たるもの神の天啓であったとしても、罪なき一般人を手にかけることはできません。」
真っすぐな瞳を向けて、トリックはそう言い切った。
この世界で神とは凄まじい力を持っており、彼らの言う言葉は絶対に信じなければならない。
そもそも声をかけてくること自体ないのだが、信仰深い者たちは皆、神を信じてやまないのだ。
なので神の天啓を無視することができるトリックに、テールとメルは少なからず驚いた。
普通の人がこれを聞けば、勇者だろうが何だろうが悪者に仕立て上げられるのがオチだろう。
だがトリックは、善と悪をはっきりと区別しており、たとえどれだけ偉い立場の人間から指示を受けたとしても、悪と思えばそれに否を唱える勇気を携えているようだ。
沖田川から話を聞いていたテールは、これが誰でも勇者になりえる資格がある素質なのだと理解できた。
「それよりも、なさなければならないこともありますし」
「なんですか?」
「この雨です」
レミの疑問の言葉に、間髪入れずに言葉を発して空を指さす。
先ほどよりも強くなりつつある雨は、やはり止む気配を一切見せない。
するとトリックは、より一層深刻な表情をして頭を下げる。
懇願するように、今いる全員に事態の深刻さを説明した。
「この雨は……すでに十一の村や町に大きな被害を出しております。作物は枯れ、大地は緩み、いつ土砂災害が起きてもおかしくはない。川の水は増すばかりか、生態系にも影響が出始めております」
もう一週間近く、この調子の雨が降り続いている。
トリックがどこでそんな情報を手に入れたのかはさておいて、それだけの被害が出ている可能性は十分にあった。
あながち間違いではないし、これは嘘ではないだろう。
それは彼の口調がそう教えてくれていた。
説明をし終え、更に深く頭を下げたトリック。
この場にいる全員が、次に出てくる言葉を予測していた。
「お願いします皆さん。この雨を止める手伝いをしてくださいませんでしょうか」
「……で、ですがトリックさん……。この雨の原因を、僕たちは知りません……」
「私が知っています」
「えっ!?」
がばっと顔を上げて、ある一点の方向を指さした。
風上。
その先に一体何があるのだろうか、と誰もがトリックの次の言葉に耳を傾ける。
「槙田さんの、紅蓮焔が……そこにいます」
予想外の言葉に、木幕は目を瞠った。
他四人も少し困惑した様子で、言葉の意味を探っている。
だがそれと同時に、探し物が見つかったという安心感があった。
槙田が聞けば喜ぶだろうと思うが……。
なぜ、この雨の原因を知っているトリックが、紅蓮焔の事を口にしたのか。
話の流れからして……大体の予想は、いや……確信は得られた。
「ま、まさか……」
メルの呟きに反応し、ゆっくりと頷く。
「この大雨の原因は……紅蓮焔です」




