9.10.山のような資料
客間に次々と入れ替わりで入ってくる兵士たちが、机の上に大量の資料を置いて仕事に戻っていく。
積み重ねられた資料は一つが五十センチほどあり、それが十三も並んでいるのだ。
さすがに顔をひきつらせたテールとメルは、これを調べるのかとすでに憂鬱になり始めていた。
しかしここにあるのは貴重な物の筈。
こんな簡単においそれと出していいのだろうか。
「ああ、お構いなく。そちらは原本の写本ですので、汚れても一切問題ありません。さすがの私も、原本を触るのは緊張しますからね」
「なるほど。で、でもこの量……」
「区画整備にはいくつもの契約が絡んでいるのです。その中で最も多いのは低級冒険者。それと幾つかの土木業者と石像を作る職人。約六百年前の話ですのですが、勇者トリック・アベラス様の石像を作った歴史を、先人たちも残そうと尽力したみたいでしてね。その作業に関わった人々の名前も、全て残っているんですよ」
自慢するように語るトライは、久しぶりに本格的な調査を行うということも相まってなんだか楽しそうだ。
単に土地の区画整備された土地を調べたいだけだったのだが、なんだか余計な資料も運び込まれているような気がする。
恐る恐る一枚の資料を手に取って見てみると、それは区画整備のために調査された家屋一つ分の詳細な記録であり、いつ建てられ誰が住んでおり、いつ使われなくなっていつ取り壊されたのかが記されてあった。
それを見てテールはなんだか嫌な予感がした。
トライの方を向いてみると、彼は客間にあった棚をごそごそと漁っており、二枚の大きな紙を取り出して机の余っているスペースにそれを広げる。
一枚は写本のようで、トリックの石像が建てられた時より少し前のミルセル王国の地図だ。
そしてもう一枚は、今のミルセル王国の地図。
さすがのメルも事態を把握したらしく、驚いた表情を隠せていなかった。
これから行われることは……大体予想がつく。
「ではまず、過去の地図と区画整備のために取り壊された家屋の位置を明白にして、それを今の地図と照らし合わせましょう」
「「ええ……」」
「……」
「その次は土木業者が整備した範囲の調査です。それも同じ段取りでやりますか。それが終わってようやく実地調査です」
それを聞いて気の遠くなるような作業が待っている、と全員が察した。
一体どれくらいかかるのだろうか。
すると木幕がおもむろに立ち上がり、今の地図を指でなぞりながら何かを確認する。
しばらくの間真剣に見つめていると、とんとん、と指で地図を叩く。
「ここが、トリックの石像がある場所だな」
テールとメルも立ち上がって指が指された場所を見てみる。
そこは小さな小島のような土地があり、そこに“トリック・アベラスの石像”と書かれていた。
しかし面白いことにその周辺は湖のようになっており、規模はとても広大だ。
湖の名前は“アベラス湖”とされており、名前の由来はなんとなく推測できた。
もしや区画整備とは、この湖を作る為にされたものなのだろうか?
トライにそれを聞いてみると、小さく首を横に振った。
「このアベラス湖は少し歴史がありましてね。トリック・アベラス様の石像が建てられた後、すぐに地盤沈下が起きて周囲一帯が湖になってしまったんです。大きな区画整備のせいで地下にあった空間が押しつぶされ、そこにあった地下水が湧き出たのでは……とされているのです。ですが奇跡的に石像は無事でして、彼の名前からとってアベラス湖と呼称されるようになりました」
湖ができてから、もう一度区画整備が行われて今では安全が保たれている。
植林や花壇などで装飾され、国民、旅人共に人気のスポットだ。
恐らくこの書類の山には、計二回分の区画整備が行われた資料があるのだろう。
それだったらここまで数が多くなるのも納得できると思いながら、それから目を背けるようにして地図を睨み続ける。
あの書類の山を少しでも減らせる方法はないだろうか?
「……水……か」
「?」
独り言のように呟いた木幕の言葉は、一つの確証を得たという風に聞こえた。
そのまま湖の周りを丁寧に指でなぞり、再び指の先で叩く。
「トライよ。水源は」
「水源ですか? えーっと……。どこだったかな……あったような、なかったような……」
「なかった?」
水源がなければ、ここまで大きな湖は残されていないだろう。
それに地図を見たところ、水路が多く伸びておりそれは国の外にまで続いている。
湧き続ける水源がないのであれば湖は残っていないはずだ。
なのでトライの口から“なかったような”という言葉が出る事自体変な話なのだ。
そのことについて聞こうとしたメルだったが、それよりも先に彼は水源の話を思い出したようで、手を打った。
「ああ、思い出しました。“ないです”」
「な、ない!? いやでも……地図を見るに水路とか結構伸びてますけど……」
「気泡が常に出ている場所はあるのですが、水魔法で探ってみても水源は見つかっていないんですよ。広大過ぎる湖だからかは分かりませんが──」
「分かった」
トライの言葉を遮り、木幕が積まれた書類の上に手を置く。
三人の目線が一つに集まる。
「えと、分かったってどういうことですか?」
「もうこの書類は必要ない」
「「え!?」」
ゆっくりとこちらを向いた木幕は、珍しく小さく笑った。
「水面鏡は、水の中だ」




