8.29.冥途の土産
死んだから、帰ってこれなかった。
これが……里長でも分からなかった真実だった。
乾芭は里長とも対等にやり合えるほどの実力を有していたと聞いている。
そんな彼と辻間がなぜ対等にやり合えているかについては、恐らく乾芭が死んでもいい体を手にしてしまったことで“危機感”というものを失ってしまったことが原因だろう。
それか辻間がただ単に強くなっただけなのだが、魂となって技術の成長が止まってしまっているのでそれだけは絶対にない。
閑話休題。
彼が帰ってこなかった真実は理解できた。
だが、どうして乾芭を暗殺しに向かった忍びたちが帰ってこなかったのかが気になる。
誰もが里屈指の選りすぐりの忍びだったはずだ。
それらが一人も帰ってこなかった理由は……?
そう言葉にしようとした辻間だったが、乾芭は抜け忍と思われているということを知り、辻間の表情から刺客が放たれたということをなんとなく理解した。
脈打つ音を聞くに……彼らは帰ってこなかったらしい。
だが、それには一つだけ心当たりがあった。
「藤雪だ」
「……なに?」
「刺客はすべて、藤雪に殺されたのだ。俺を追えば、必ず奴に辿り着く」
睨みつけるようにして、辻間の後ろにいるテールへと目線を向ける。
彼の中に藤雪の気配が居座っていた。
それを見るだけでも腸が煮えくり返る思いだ。
あの男に、どれだけの仲間が殺されたと思っているのか!
最初の内は優位に立っていたぶることができたので満足だった。
厄介な魔法に苦戦してしまったが、規則性さえ掴めば短刀を突き立てるくらいわけなかった。
だがしかし、今もこうして生きている。
あの魂が今目の前にあることに、ただ苛立ちを覚えていた。
そこにある魂を殺せば、仲間の敵を討てるのだ!
この世界に来て、今一度対峙した時に話をしたことがある。
その時彼が何と言ったか分かるだろうか。
忍びである乾芭ですらも怒りを露にしなければならない程の言葉を投げつけられた。
それは……『お主以外は、脆かった』。
「仲間たちは、あの男と戦ったはずだ。そうしなければならない理由があった。俺の任務を引き継ぐ者がいたからこそ、仲間たちは……戻らなかったのだ」
「……まじかよ」
真相を知ってしまった辻間は、静かに脱力した。
これを聞いたから何かしよう、とは思わなかったが、乾芭が口にした真実は予想外にも程があったのだ。
乾芭は……どの様な任務を請け負っていたのか。
彼の刺客として放たれた忍びの仲間が、一人も帰ってこなかった理由は乾芭に殺されたからではなく、藤雪に殺されたから。
引き継がなければならないその任務とは……一体、どれ程重要なものだったのだろう。
どうして死んでも諦めないのか。
どうして今も尚忍びを貫くのか。
どうしてこれ程に執着するのか。
ようやく、理解できたような気がした。
しかしそれに流されることだけは絶対にしない。
彼がどのような覚悟でここに立っていようと、辻間にもそれと同等の覚悟がある。
仲間の仇がそこにいたとしても、テールは守らなければならない存在なのだ。
再び鎖を握る手に力を入れ、鎌を持ち上げる。
魂の痛みにも慣れてきた乾芭は、それを見て目を細めた。
その目は、まるで「それでいい」と言っているかのようだった。
「俺は死んでも死にきらんぞ」
「……もうねぇんだろ。分身」
「……ああ。今し方、全て殺された」
スゥの方から聞こえていた音が消えた。
最後に小さな揺れを感じたが、それを機にスゥがこちらへと走ってくる気配を感じ取ったのだ。
恐らくあの場にいた分身は、全て倒されてしまったのだろう。
これが本当の最後の勝負。
乾芭は静かに構えを取り、ようやく……忍び刀の名を呼んだ。
「不撓」
『はい、はい! なんでしょう主様! なんでしょうか主様!』
「冥途の土産話は、これでいいだろう……」
『そうでございますね! よろしいかと存じます!』
忍び刀、不撓。
直刃の刃は普通の日本刀より少し短く、刀身は軽く、柄が重くなっており素早く振り回せるようになっていた。
刀身にまっすぐ伸びる波紋は無駄を一切感じさせない。
真っ黒な柄、真っ黒な正方形の鍔は闇夜に紛れるために拵えられているものだ。
柄頭には麻ひもを結び付けられるように小さな輪っかが付いており、鍔には穴があるのでそこに結び付けることも可能だった。
声に似合わない幾人もを殺してきた血を吸った刀身は、何故だか希望に満ち溢れた声をしている。
先ほどの感情が込められていない声とは違い、今は言葉一つ一つに魂が宿っているようだった。
ズンッ……と押し潰すような殺気が彼から漏れ出す。
恐ろし気な空気が襲い掛かると同時に、乾芭の瞳の奥で燃え滾る炎が揺らめていている気がした。
今の今まで虚無だった彼の気配はここまで強いものだったのかと、テールは一歩だけ下がる。
だが辻間は一切ひるまない。
眉一つ動かさない表情は、忍びの尊厳を保ったままだった。
両者……構えたまま動かない。
次第に近づいてくるスゥの足音だけが鮮明に聞こえ始める。
何かきっかけがあればすぐにでも動きそうな一触即発の状況で、森の中が少し静かになる。
風が止み、さやさやと揺れていた草木が沈黙した。
「ピュイッ」
鳥の鳴く声が、合図だった。




