8.23.何故に死なぬのか
気配が変わった。
先ほどまで死の気配に支配されていたはずの少年が、どうしたことかそれを跳ねのけた。
全力でその場から離れていた乾芭は即座に急停止し、滑りながら木の根に足を掛ける。
腰を曲げて下から睨み上げるようにして首をもたげた。
どういうことだ。
何故に死の気配が霧散したのか。
すぐに状況を確認するため、乾芭はスゥに攻撃を仕掛け続けている毒の分身に乗り移った。
分身は本体の依り代。
なので本体が分身になることもあれば、分身が本体になることができるのだ。
目を開けて周囲を確認してみれば、未だにスゥは分身の攻撃に晒され続けていた。
毒煙の中で空中からの攻撃ばかりをしてくるものだから、位置を掴むことができず四苦八苦しているが怪我はしていない。
恐らく獣ノ尾太刀が彼女を手助けしているのだろう。
だが足止めはできている。
分身が本体となった乾芭は体を傾けてテールのいる場所へと急行した。
距離はそう離れていない。
なのですぐに見つけ出すことができた。
「……何故……! 何故に死なぬのか!!」
ケロッとした様子で立っているテールに、乾芭は憤りを覚えた。
今までに一度として仕留めそこなった獲物はいない。
だというのにこの少年は……立っている。
忍びとして築き上げてきた自尊心が、一度の仕留め損ねで瓦解したような気がした。
それはあの時でも、この世に来た時も変わらない。
先ほどよりも濃厚な殺気を纏い、怒気を含ませて忍びらしからぬ叫び声を上げる。
それにテールは気圧されているようだったがすぐに立て直した。
まるで、誰かに何か助言をいただいたかのように。
『小僧……!』
「分かっています! 頼みましたよ灼さん!」
『任せよ。だが二度目はない。次に毒を喰らえば確実に死ぬ。仕留め損ねたことで今度は己の手で始末しに来るだろう。気張れよ小僧。ここが正念場だ』
「……メルが間に合ってくれたらいいんですが……」
『祈れ』
ザッ、と足を滑らせて灼灼岩金を構えた。
教えてもらった構えを忠実に再現し、一切の隙を見せないように心がける。
忍び刀に手を掛けた乾芭は、それを乱暴に引き抜いた。
右腕を真横に伸ばし、そのままの構えで毒を含ませ歩いてくる。
鋭く尖らせた視線を見せられただけで体に針が刺さったような感覚が走った。
一歩進む度にビリビリと肌を刺激してくる。
『主様、主様。奇術をお使いください。奇術をお使いくださいませ』
「……」
『主様? 主様?』
「……」
彼の持つ忍び刀が疑問の言葉を口にする。
灼灼岩金もそれを理解しており、何かの引っ掛かりを覚えた。
『あやつ……。奇術を使わぬつもりか』
「え?」
『我らは主が奇術を使う時、いやでも分かるものだ。だから合わせられる。しかし……あの忍び刀の反応からするに、己の実力のみで始末しようと考えているようだな』
「それは……好都合ですか?」
『不都合だ』
灼灼岩金が一つ舌を打つ。
毒を使ってくれたら彼の持つ魔法で消滅させられるし、更に大きな隙も生まれる。
メルが居なくなってくれたおかげで、多少の無茶ができるようになったのだ。
とはいえ……魔法を使わないとなるとその隙が作れない。
何とかして溶岩で彼の一部を溶かすことができればその限りではないが……。
『細心の注意を払ってくるだろう。難儀な戦いになると思え』
「とりあえず時間稼ぎすればいいんですよね?」
『左様。小娘が間に合えば、何とかなるやもしれぬ。幸い、向こうにも忍びはおるようだからな』
「じゃあ……この場を何とかしましょう」
『足は動くか?』
「軽く応急手当てしたので大丈夫です。踏み込みは……難しいかもですが」
『では大地を殴れ。それで我の奇術は発動できる』
「了解です」
作戦会議が終わったと同時に、乾芭の構えが変わる。
片手で霞の構えを取り、地面を蹴って接近してきた。
その速度は非常に速く、瞬きをした時には既に目の前に迫ってきていた。
「死ねい」
「いやです!!」
鋭い突きは空を裂き音を鳴らす。
それを避けるほど反射能力が高くないテールは、灼灼岩金の長さを利用して後退しながら牽制し続けた。
忍び刀は日本刀より短い。
とはいえ、熟練の忍びはそんなことで怯みはしない。
手の甲でそれを弾き、今一度突きを繰り出してきた。
テールは弾かれた瞬間、伏せて地面を叩く。
「灼さん!」
『任せよ!!』
ドンッという音と共に、大地が揺れて目の前から溶岩が噴き出した。




