8.4.策を練る
西形が去ってから数時間が立っていた。
彼は奇術を使って移動すれば数瞬で目的地に到着できるだろうが、馬を持ってくるとなると数日かかるはずだ。
自分が手に持てる物であれば共に移動することができるが、大きいものだと普通に運ばなければならない。
なのでこの場所を移動するのはもうしばらく後になる。
この数時間、テールとメルはしっかり柳に修行を付けられてへとへとだ。
気力でどうにかなるほどの体力は既に無く、指先一つ動かすのも億劫で地面にへたばっていた。
さすがにこれ以上は無理か、と柳も案じてくれたようで『今日はこれにて仕舞い』と一言告げてくつろぎ始めた。
『あの程度で……情けない。小僧! 戦場ですぐに息を切らしてどうするつもりだ! 疲労を感じぬまでにその肉体を鍛え上げろ!』
「む、無茶な……」
「……なんて言ってるの?」
「もっと修行しろって」
「悪魔だ……」
メルの意見には激しく同意する。
言わんとしていることは分かるが、修行を始めてまだ一週間だ。
そんな短い期間の修行で数時間も動き続けるなんて不可能である。
因みにだが、レミの回復魔法は傷を治すだけで疲労までは回復しないらしい。
なので動けるようになるまで自己回復を待つしかない。
地面のひんやりした感触を心地よく思いながら、二人は未だしばらく動けそうにはなかった。
「さてさて。辻間と西行を出せるか、木幕」
「無論に御座います」
柳にそう言われると、木幕は片方の手に風を生み出す魂と、真っ黒な魂を呼び出した。
少し強い風が吹いたかと思うと辻間が胡坐をかいてその場に現れ、黒い塊が地面に吸われると、馬車の陰から西行が現れる。
辻間はいつも通りの服装でいたが、西行は忍び装束ではなく黒と明るい灰色の和服に身を包んでいた。
上と下の服が一体化しているようになっており、これを着流しというらしい。
その上に羽織を腕を通さずに羽織っており、腕を組んでこちらに歩いてきた。
足を出せる感覚が狭いので、歩幅が少し狭い。
テールとメルの隣りまで来た西行は、しゃがみ込んで二人の額を指で弾いた。
意外にも強烈な一撃に、思わず寝たままのけぞってしまう。
「「いった!!」」
「次の相手は抜け忍の乾芭道丹。僕たちの里長と同等の力を持っていたお方だよ。そんなのが今目と鼻の先にいるかもしれない。目を瞑ることだって避けたい相手なのにそんな悠長に体を休めてたら知らない間に死んじゃうよ」
「それは分かってますけど……体が……」
「……まぁ、柳殿の稽古は少し熱が入りすぎているけどね」
少しばかり目つきを鋭くして、西行は溜息を吐いた。
目に力が入っていることに気付いたのか、目頭を押さえて小さく首を振る。
「というか……西行さんがいたっていう暗殺集団の事、あんまりよく分かってないんで……」
「実力もあまり知りませんし、どの程度警戒したらいいのか分からないです」
「僕たちには秘密が多い。戦い方も、生活も。だから教えられない」
この世界で忍びのことを話したとしてもほとんど意味はないかもしれないが、これは彼らが常に教えられてきていたことだ。
身に沁みついてしまった秘密主義の精神は、姿を見られた人をも殺すほどに警戒してしまう。
あの飄々とした辻間でさえも、詳しい事は話さないのだ。
西行は小さく力も弱そうな体からは想像もつかない程の力で二人を持ち上げた。
無理矢理立ち上がらせて、背中を軽く叩く。
「さぁ、君たちも話を聞いてもらうよ。策を練らないと」
「「さ、策?」」
痛む体を庇いながら、何とか歩いて木幕たちの方へと近づいた。
既に輪を作って策を考えているようだったが、辻間だけは面倒くさそうに蝙蝠の様に木にぶら下がっている。
ぼさぼさの髪が重力に従ってぶら下がり、海藻の様にも見えた。
「策ねぇ~。西行はよぉ、源六のジジイと張り合える男と出会ったことあるかぁ? 俺はねぇ」
「荒嵩だったらいい勝負すると思うけどね」
「お前の所の凛は?」
「あれは不器用で火遁の術も碌に使えないから勝負にすらならないよ。見た目で近寄る奴だし」
「それもそうかぁ~。あーあぁ、竜間の兄貴だったら勝てんのかなぁ?」
「可能性はあるね。お前と違って森の中での鎖鎌術が得意だったし」
「俺もある程度はできるけどよぉ。あれだけは真似できねぇわ。死んでから六百年修行はしてるが、追いつけそうにもねぇ。ああ、お前の師の陽落の姉御と陰昇の兄貴は?」
「二人揃えばってところじゃないかな」
「へー」
二人だけにしか分からない会話をしばらくしていたが、最後は難しい顔をして押し黙る。
魂とはいえ数百年生きている彼らの技量は目を瞠るものがあるが、相手が相手であるがゆえに絶対的な自信を欠いていた。
毒を使うという点においては問題はない。
魂だけの存在になった彼らはその魂を傷つけられない限りダメージは負わないので、毒では死なないのだ。
では何故そんなに悩んでいるかというと、乾芭道丹の純粋な実力だ。
彼らの里長であった源六という翁の実力を知っていたからこそ、それと同等の力量を有しているという彼には警戒をせざるを得ない。
その中で最も危惧しているのは、普通の人間であるテールとメルに危害が及ぶことだ。
守るということをあまり行わない忍びにとって、二人の護衛は難しい。
悩まし気な表情を崩さない彼らを見て、レミが声を掛けた。
「そんなに強いんですか? その、源六さんって人は」
「里長は何も感じねぇんだ。だから恐ろしく強かった」
「屍が襲ってくると考えてもいいかもね。だから勝てない。でもそんな人に、乾芭は勝つことができる実力を持っていた……」
「お二人でも厳しそうなんですか?」
辻間と西行がピクリと反応したが、結局何も言うことなく肩を竦めた。
バリバリと首元を掻いた辻間が、気だるげにレミの問いに答える。
「……俺らはよ、存在してるだけなんだ。木幕に殺された時から知識やらなにやらは増えたが、全盛期以上の実力は持ち合わせてねぇ。だから、勝てるかは……分からん」
長い間修行を行ってはいるが、彼らは死んで魂だけの存在になっている。
だから……これ以上成長はしない。
感覚を新しく掴むことはあっても、実力がこれ以上増すということは絶対にないのだ。
修行は、鈍らないようにするだけのためにあるようなものになっている。
それを実感しているからこそ、彼らは乾芭に勝てる自信がなかったのだ。
だからこそ、策を練らなければならない。
「もしかしたら、木幕さんに出てもらうかもね」
「……左様か」
「ま、そうならねぇように策を練るんだがなっと」
しゅたっと降りて着地した辻間は、その辺に落ちている木の枝を拾った。
しゃがみ込み、地面に大きな正方形を書く。
「まずは、相手を見つける事から始めねぇとな」




