8.2.修行開始
次第にぬるくなる風を感じ取りながら、夏の兆しが見え始めたと天を仰ぐ。
今日は快晴で鳥たちが気持ちよさそうに空を自由に飛んでいるが、その場をずっと周回しているところを見るに狩りの最中だろう。
綺麗な円を描き続けられるのは、飛んでいる鳥の長年の経験だともいえる。
空から視線を落とせば、近くには小川があった。
山から流れて来た綺麗な水が、こうして流れているのだ。
こういうところには動物はもちろん、魔物も寄り付きやすいのだが今日は何もいないようで、水の確保を安全にすることができた。
ミルセル王国に移動中のテール一行は、昼食を取った後、小休憩をしているところだ。
ルーエン王国から出て一週間。
もうそろそろミルセル王国が見えてくるであろう場所まで来たのだが、少し進むのが遅いのか、それとも周囲に高い木々があるせいか、未だ姿を拝むことはできていなかった。
街道も整備されて走りやすくなっているのではあるが……。
実は少し問題が発生していた。
「……ふむ」
「フルルル」
馬の脚を診ていた木幕は、立ち上がって首を撫でる。
この馬車は二頭の馬が引いてくれているのだが、その内の一頭の蹄が割れてしまっていたのだ。
今は小さな傷ではあるが、これ以上負荷をかけると大きく割れてしまう可能性がある。
馬の蹄は人間でいうところの爪。
時間が経てば伸びるのだが、この蹄は馬にとって第二の心臓とも言える重要な部位でもある。
一つの欠けが行動に制限をかけてしまうので、しっかりと保護されていなければならないのだが、どうやらこの馬を取り扱っていた店主はそれを疎かにしていたようだ。
「日ノ本の馬とは違うと知っていたが……。ここまで脆いとはな」
日本の馬は蹄が固く、蹄鉄や馬沓がなくても走行にさほど問題がなかった。
なので普及はしなかったのだ。
木幕が馬を撫でている隣りで、立ち上がったレミはご立腹だった。
手を腰に当てて、不機嫌そうに眉を顰めている。
「蹄鉄が道中で取れてますね……。あー、あの店主め……」
「嘆いても仕方あるまい。して、どうにかなるか?」
「回復魔法で何とかなるかもですが、蹄の手入れを結構放置されてるみたいなんでどこまで持つか分からないですね。ていうか負担がかかるので速度も落ちています。すでに痛いのかもしれません」
「……お前は、気付いていたのだな」
怪我をしていない馬に声を掛けながら、木幕はその背を撫でる。
一頭が怪我をしていたことに気付いていたからこそ、その歩調に合わせてくれていたのだろう。
だから気付きにくかった、というのもあるのだが……。
異変には西形が気付いてくれた。
先手大将を多く務めた彼の祖父からの教えで、馬の事をよく知っていたのだ。
だから今までの馬の歩幅と歩く速度が変わっていることに違和感を覚えたらしい。
彼は五百年ほど前からこの世界の馬に興味を持ち、顕現できるようになる三百年前までは木幕に指示を出して調べさせたりもしていた。
いい迷惑ではあったが、この世界の事をより深く知る要因になったことは間違いない。
閑話休題。
何とかならないだろうかと頭を悩ませているが、今のところ妙案は思いつかない。
事の成り行きを見守っていたテールとメルは、修行を終えてぐったりとその場にへたりこんでいた。
食後の運動と称して二人とも柳にしばかれたのだ。
テールは基礎からの素振り千本と足さばき、握りの矯正。
メルは今から基礎を変えることは難しいので、自分の持ち味を生かし続けるため、ひたすらかかり稽古。
内容としてはメルの方が過酷ではあるのだが、スキルを貰ったとはいえ未だに慣れない素振りはテールの体を軋ませていた。
これが一週間。
ひたすら続いているという状況だ。
この柳、優しい顔をして教え方も丁寧だというのに、指示する量と内容がえげつない。
こちらは肩で息をして今にも膝を地面に付きそうだというのに、柳は涼しい顔をして何度も次の稽古内容を指示し、メルには二十秒の休憩の後再びかかり稽古という悪魔のような修行を課し続けていた。
日が増すごとに内容が厳しくなっていく気がする。
これなら研ぎの方がまだましなのではないだろうか。
「立てない……」
「立つ気力が出ないね……」
「えいや」
「いたぁ!! ちょっとメル! やめてそこ筋肉痛! 痛いから!」
転がって距離を取り、痛む筋肉を庇う。
一週間修行をしているというのに、テールの筋肉痛は収まる気配を一切見せなかった。
修行が厳しすぎるのだ。
毎日違う箇所が、悲鳴を上げる。
いたずらをしたメルはくすくすと笑っている。
なんてことをするんだと文句を言いたかったが、それだけの元気がなく再び地面にべちゃりを額を付けた。
そういえば馬はどうなったのだろうか。
頭を上げて目線だけをそちらに向けると、レミが馬の脚を治療していた。
出発にはもう少し時間がかかりそうだ。
『おうい、小僧』
馬車に立て掛けている灼灼岩金が、声をかけて来た。
稽古が見たいので外に連れ出せとせがまれたので、隼丸と一緒にそこに置かせてもらっている。
「え、はい。何ですか灼さん」
『馬の蹄が割れたのだろう? であれば我を使うが好い』
「……いや、灼さん何ができるんですか」
『失敬だな!? 我は鉄をも溶かす溶岩を操る奇術を有しておるのだぞ! 鉄があれば馬の蹄鉄なるものを作れる!!』
「その鉄はどこから……?」
『何とかせよ!』
「んん……」
鉄など持っていないし、そもそも既に馬の蹄が割れてしまっているのだからそれは難しいのではないだろうか。
蹄鉄は馬の蹄に打つものなので、割れている上に打てばまた割れる可能性もある。
あまり良い策とは思えなかった。
『『灼さん、そりゃ無理だよ』』
『若造まで灼と呼ぶか!!』
『『だって長いもん。てか蹄が割れたら馬は休養が必要でしょ。人間だって足の爪が割れたら痛くて歩けないし。その上に草鞋履いても痛いもんは痛いでしょうに』』
『ぐぬ……。むぅ、そうやもしれぬな』
痛覚が存在しないので灼灼岩金は実感が湧かなかったのかもしれないが、隼丸は人目線で物事を考えてくれたようだ。
説得をせずに済んだ、とテールは心の中で感謝する。
しかし、目的地まではそう遠くない。
あと少しだがどうするのだろうかと思っていると、木幕は西形正和を呼び出した。
光の玉が高速で移動した後に、馬の前に出現する。
「はいはい、どうしましょうかね」
「お主は先にミルセル王国へ参り、馬を持ってこい」
「あ、はい……。だから奇術使えるようにしてくれたんですね……」
何故か落胆した様子をしていたが、すぐにその場から消えてしまった。
となると、西形が戻ってくるまではここで待機となりそうだ。
……ということは?
「時間が、できたようだな。のう。テール、メル」
「「げっ」」
優しい笑みで、柳がこちらを振り向いた。




