1.11.才覚
研ぎの方法を教えてもらってから一時間。
荒砥石から始まり中砥石、仕上げ砥石に移って研ぎ進め、とりあえず初めての研ぎを完了させた。
砥石の直し方も教えてもらい、そのすべての工程も終わらせたところである。
どうやら砥石というのは常に面をまっすぐにしていなければならないらしい。
なので目の粗い砥石を使って面を直す。
荒砥石を直す時はもっと荒い目の砥石で。
中砥石を直す時は荒砥石で。
仕上げ砥石を直す時は中砥石で直すのが基本だ。
真っすぐになっているかどうかは光に当てて見てみるか、手の平で撫でてみて手に吸い付いてくるような感触を感じることができれば分かる。
他にも真っすぐな板や鉄を砥石に当てて確認する方法もあるが、そんなものは必要ないと先代研ぎ師たちが言うのでこの方法は使わないのだとか。
テールが研いだナイフの刃はまっすぐであり、刃先も美しい曲線を描いている。
これがどれだけ難しい事か数十年この仕事をしているカルロには分かるのだが、初めて研ぎを行ったテールには深く理解できなかった。
しかしカルロから見てもほぼ完璧なまでに研ぎあげられたナイフは、何でも斬ることができそうな鋭さを有している。
これが一つしかスキルを持っていない者の凄さなのかと感心した。
一気に自分に追いつかれたように感じたが、それはそれでいい。
競争心があっていい仕事ではないので、カルロの心は至って平静だった。
「いやぁ……凄いね。もう全部できるようになったじゃないか」
「本当ですか?」
「うんうん。これなら今やってる仕事も手伝ってもらうことができるよ。あとは同じことを繰り返して繰り返して、この作業を極めていくだけだね」
「え!? も、もうお仕事はじめられるんです!?」
「これだけできれば誰も文句は言わな……。いや、文句は言われるかもなぁ……」
「……?」
カルロは難しい顔をして頭を掻いた。
研ぎ師は不遇職と言われている。
しかしテールはこの仕事の何が不遇なのか一切分からなかった。
先日この職業のことについて教えてもらった時はあまり深く考えていなかったのだが、こうして実際にやってみると研ぎ師という職業の凄さが十分に理解できた。
切れ味のいい武器、解体ナイフなどがあれば冒険者の仕事を楽にすることもできる。
刃物の切れ味が良ければ力のあまりない女性でも楽に調理をすることもできるだろうし、ストレスも感じさせないだろう。
だというのに不遇職というのは、やはり分からない。
「あの……」
「よしじゃあ次は仕事について教えよう!」
「あ、はい!」
もう少し詳しく聞こうと思ったが、仕事を覚える方が大切なことだ。
気にはなるがまずはこちらの方を集中することにした。
カルロは棚から大きな両刃剣と大きめの仕上げ砥石を取り出して作業台に置く。
そして仕上げ砥石に水をかけた。
「僕たちの仕事は“研ぎ”ではなく“磨き”なんだ」
「磨き?」
「そっそ。刃を鋭くさせるのは鍛冶師の仕事。僕たちは見てくれを良くするのが、仕事……かな」
何か思うところがあったようで言葉を一瞬だけ詰まらせたが、すぐに砥石に向かう。
大きめの仕上げ砥石に剣を当て、斜めに研いでいく。
何度か仕上げ砥石に当てた後、水気を拭き取って研いだ面をテールに見せてくれた。
そこにはテールの顔が少し映るくらいの鉄が顔を覗かせていた。
研いでいない面はくすんでおり、鏡にはなっていない。
あの一瞬でここまでのことができるのかと驚いていると、満足げにカルロが話はじめる。
「これをどんどん行っていくと“鏡面仕上げ”ができる。この砥石は少し特殊でね、なんとか商売人に交渉してルーエン王国から取り寄せてもらった砥石なんだ。鏡面仕上げにうってつけの砥石だよ」
「これが……僕たちの仕事ですか」
「うん。鍛冶師はここまで綺麗な剣は打てないからね」
そりゃそうだ、とテールは心の中で呟いた。
金槌で叩いて伸ばすだけでここまで綺麗な剣が作れたのであれば、この研ぎ師という職業の価値が一切なくなってしまう。
だが今はそんなことよりも、鏡面仕上げなるものをやってみたくてしょうがなかった。
体がうずうずしている。
そのことに気付いたカルロが、大きな両刃剣を手渡してきた。
「やってみる?」
「! やります!!」
「重いから気をつけてね」
そっと両刃剣を手の上に乗せられる。
ずっしりとした重さが手に伝わってきたが、今まで村で動物や畑仕事などをしてきたテールにとってはこれくらいは持てて当然のものだった。
両親が買ってくれた装備も使いこなせるのだ。
これが持てなければ冒険者など夢のまた夢だろう。
両刃剣を持って仕上げ砥石に向かう。
コトリと音を立てて砥石の上に両刃剣を置き、角度を斜めにしてカルロと同じように研ぎ始める。
一度押してみただけで分かったのだが、この仕上げ砥石はまるで水面を滑らせているかの如く感触が手に伝わらない。
研ぎやすくはあるが、少しでも感覚を間違えてしまえば違う形になってしまう可能性があった。
砥石の性格を理解したテールは一度剣を砥石から離して、もう一度構え直す。
とても繊細でとっつきにくい砥石だ。
優しい姿をしているがまったく優しくない性格。
この子に機嫌よく研がしてもらうのは難儀かもしれないと感じていたが、二度目の押し研ぎで砥石から音が鳴っていることに気付いた。
石に鉄を当ててるのだから音は当然出るのだが、この音は静かすぎる。
しかしテールの耳には聞こえた。
音が今どういう風に刃が当たっているかを教えてくれている。
これが分かった瞬間、手が自然に動いて本格的な鏡面仕上げの研ぎが開始された。
「ほぉー……!」
見事なものだとカルロは感嘆した。
この子の才覚には目を張るばかりである。
これからもっと精進し、研ぎを極めていけばテールが研ぎ師の見られ方を変えてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を、抱かずにはいられなかったのだった。