1.8.砥石
四つの研ぎ石の形は長方形だ。
テールからすれば少し大きすぎる研ぎ石を、カルロは丁寧に作業台に置いた。
「……え? 大きいですね……」
「ん? ああ、それもそうかもしれないね。これは砥石って名前で、研ぎ石とは少し違うんだ」
「何が違うんですか?」
「一番大きな違いは、研ぎ方。研ぎ石は刃に石を当てるけど、砥石は石に刃を当てて研ぐんだよ」
「……?」
カルロの言っている説明は理解できる。
しかしそれでどんな変化が起こるのかよく分からなかった。
大きな違いとカルロは言ったが、テールからしてみれば至極単純な違いだ。
研ぎの工程は何も変わらない。
そもそも砥石というものに関してまったく知識がなかった。
「えっと……他に違いは……? なんで四つもあるんです? 昔から僕が使っていたのは小さな研ぎ石で、それ一個で全部の刃物を研いでいましたけど……」
「おお、神託を授かる前から研ぎをしていたのか。んー、そうだね。じゃあ研ぎに入る前にまずは勉強からしようか」
カルロは四つの砥石を順番に並べた。
そして一番大きな砥石の上に、持って来たナイフをコトリと置く。
「まずは触ってみよう」
「?」
そう言って、ナイフを置いた砥石を指さす。
言われるがままに触ってみると、とてもざらざらとしていた。
いつも使っていた研ぎ石の感触に一番近い。
だがそれよりも少し目が細かいような気がする。
そして触ってみて分かったのだが、面が真っすぐだ。
どうやってこんなに綺麗な面を出しているのだろうと不思議に思っていたところで、カルロが次の砥石を指さした。
すぐにその砥石を触ってみると、とても肌触りがいい事に気付く。
「わ、つるつる」
「じゃあこっち」
もう一個隣りの砥石を指さす。
触ってみれば、今まで触っていたどの砥石よりもつるつるとしていた。
最後の砥石も同じ手触りだ。
「砥石の違いは分かったかな?」
「ざらざらしてて、ちょっとつるつるしてて、こっちの二つはすごくつるつるしてました」
「正解。君が一番最初に触ったのは荒砥石っていう一番目が粗い砥石。刃こぼれや刃を直すのに使う。次に触ったのが中砥石。ざらざらになった刃を直すのに使用されて、更には刃もこれで大体つけてしまう。次に触ったのが仕上げ砥石二つ。こっちは少し柔らかい方で、こっちが少し硬い方。光沢をだしたり、鏡面仕上げをしたり、刃先を鋭くさせることができる」
一つ一つの名前と、使い方を説明してくれた。
見た目は色が若干違う程度でほとんど同じだが、そのすべてに役割がある。
こんな研ぎ石は見たことも聞いたこともない。
スキルの影響か分からないが、今すぐにでもこの砥石で何かを研いでみたいという感情が襲ってきた。
既に体がうずいている。
「こんなの初めて知りました」
「そりゃそうさ。これはルーエン王国っていうところから由来した新しい砥ぎ石なんだ。……といっても、ずいぶん昔からあるんだよね。誰も使えなかっただけで……」
「そうなんですか?」
「ああ。どうやらこの砥石っていうのは研ぎ師スキルがないとまともに使えないみたいなんだよね。不遇職だから持っていてもやりたがらない人がほとんどだし……常に後継者不足だよ」
カルロもそうだったが、彼の師匠も同じように後継者に恵まれなかった。
その先代も、そのまた先代も同じようなことが続いていたらしい。
面白い話ではあるが、これは数百年以上続いているのだ。
しかし後継者は必ずといっていいほど現れる。
もう諦めていた時にふらりとやってくるのだ。
今回のテールの様に。
「だから今僕は本当に嬉しいし、幸せ者だよ。神様がくれたプレゼントだからね!」
「カルロさん、説明の続きを……」
「あ、ごめんごめん。話が逸れたね」
コホンと咳ばらいをして、カルロはナイフを手に取った。
「ルーエン王国は初めて砥石が作られた国として、研ぎ師の仲間では有名な所。あっちにはもっといい質の砥石があるらしい。レッセント家っていう昔から代々続く公爵家が、この砥石を世間に広めるのに携わったって言われてるね」
「へぇ……!」
「ま、行くかどうか怪しい国の話はこれくらいにしておこう。さて、ここにぼろっぼろになったナイフがあります」
「……ぼろぼろ……?」
彼の手に収まっているそれは、どこからどう見ても美しい湾曲をしたナイフだった。
傷どころか刃こぼれ一つない。
これをぼろぼろと表現するのにはちょっと無理があるのではないだろうかと、さすがのテールも心の中で呟いた。
しかしカルロの表情は至って真面目だ。
このナイフが本当に鈍らだと言っている。
「えと……綺麗なナイフに見えるんですけど……」
「見た目はね。でもほら」
そう言って、懐から取り出した布をナイフで切って見せた。
布はバサリと切れて、半分になった一枚が地面にひらりと落ちる。
「切れてますけど」
「これは斬れてるとは言わないよ」
「え?」
「斬れるナイフってのは、こういうのをいう」
ナイフを置き、腰に携えていたもう一本のナイフを取り出した。
見た目はシンプルで凝った装飾などない至って普通のナイフだ。
しかし刃はとても綺麗で、鏡になっている。
光がきらりと反射したと同時に、カロルが未だに手に持っていた布へ切り付けた。
ファッ。
何の抵抗もなく、ナイフの軌道が布の切断面に現れる。
それに驚いてひらりと落ちた二つの布を手に取ってまじまじと見た。
切れないナイフは布の繊維が所々から飛び出しており、綺麗な切れ方ではない。
しかし斬れるナイフはそこが布の縫い終わりの様な切れ方をしており、教えてもらわなければこれが切断面だと気づくことはできないだろう。
テールはこの違いに素直に感動した。
同じナイフでもこれだけの違いが生まれる。
研ぎの可能性は戦闘面にも大きくかかわることができる武器になるかもしれない。
自分より先に前へと進んでいるメルに協力することができる。
そして研ぎ師を極めていけば、自ずとメルの隣りに立って一緒に戦えることができると確信した。
バッとカルロの顔を見る。
彼は自慢げにニコニコと笑っており、テールの反応を楽しんでいる様だった。
顔を見れば、研ぎ師の可能性に気付いたということはすぐに分かる。
少しだけそれに安堵し、布をナイフで指した。
ここは仕事場。
仕事ができる様にならなければ、これからの成長は見込めない。
「まずはこのレベルになってもらうよ!」
「はい!」
大きな返事をしたテール。
ここが、研ぎ師職人になる第一歩だった。