1.6.職場見学②
小綺麗な店が前に鎮座しており、中はその外見に相応しい内装となっていた。
研ぎ師の職場といえばもう少し汚い感じをイメージしていたのだが、そんなことはないようだ。
だがここは刃物を研ぐだけではなく、剣もいくつか売っているらしい。
壁には無数の武器が立て掛けられていたり、ケースの中に入っていたりと様々だ。
どれのこれも鏡のように輝いており、自分の姿が曇りなく見える。
自分もこんな物を作れるようになれるのだろうかと少し不安になったが、できないことはないはずである。
そう考えてここでの仕事を何となく想像してみた。
お客さんから武器を預かり、それを研いでいく。
やることは非常に簡単だ。
「やっぱ誰もいないのねー……店番くらい置いときなさいよ……。カルロー! いるー!?」
ナルファムが大きな声で人を呼ぶと、奥からドダドダという音を鳴らして誰かがこちらに向かってきているようだ。
向かってきていた人物は、扉をバンと乱暴に開け放ち、すぐにナルファムに深く礼をした。
「お待たせして申し訳ありませんナルファム様!」
「それはいいわ。でもカルロ。店番くらいは置いておきなさい」
「はいすいません!」
奥から出て来たのは若い金髪の男性だった。
黒いエプロンには茶色の湿っぽい粉が付着しているのか少し汚く見え、先ほどまで水を扱っていたのか、両手は濡れていて水滴が滴り落ちている。
この仕事は力仕事をしないのでカルロは体つきが細く、弱そうに見えた。
だが姿勢は良い。
清潔感は体が汚れている為今のところないが、職人らしい立ち姿であると直感した。
この人がテールの上司になる人物であるのだが……貫禄はなく、その辺にいる若いお兄ちゃんという印象が強い。
「カルロ、新人を連れてきたわよ。この子、テール君ね」
「しん……じん?」
「テール・テコルテッドです。これからよろしくお願いします」
テールが一礼をして頭を上げたとき、カルロはなぜか大粒の涙を流していた。
頭を下げてから上げるまでの一瞬で一体何があったのか分からないが、その涙は感動によるものだということは理解できる。
なにせ、笑いながら泣いているのだから。
「本当ですか……!? 本当に新人なんですか!?」
「ええ、そうよ。貴方の弟子になるわ」
「やった……やったーー!」
カルロは両腕を大きく振り上げて感情を体で体現する。
弟子ができることがそんなに嬉しいのだろうかと思っていたテールに、ナルファムが説明を入れてくれた。
「テール君。実はここの店の研ぎ師はカルロしかいないのよ」
「ええ!?」
数年前にカルロがここに弟子入りをし、師匠であった店主は最近他界したらしい。
だが前の店長がこの店の委託権をすべてカルロ名義に変更していた様で、今も尚この店を経営できているようなのだ。
カルロはそれを全て請け負い、この店を経営しているらしい。
だが好んで研ぎ師になりたいと言う人物などいるはずもなく、こうして一人で店を経営していたようだ。
つまり、テールはカルロにとって初めての弟子で有り、本当に久しぶりの従業員という立場にあった。
「あ、ああ……神様は俺たちを見捨てなかったのですね……!」
「えっとぉ……」
「は! ごめん! まず自己紹介だよね! 俺はこの店のオーナー、カルロ・オーテマー。テール君、これからよろしくね!」
「はい、よろしくお願いします」
カルロは手を差し伸べて握手を求めたため、テールはそれに応える。
カルロの手はとても白く、柔らかかった。
とても職人気質な手ではないのだがテールがそれに気が付くことはなく、そのまま挨拶は終わった。
「明日から頼むけどいいかしら?」
「もちろんです! ってことは今日は職場見学ですか?」
「ええ。見せて貰っても良いかしら? 実は私もどんな場所なのか気になるのよね」
「是非是非! 見られて困るような物はありませんので!」
「……それは職人としてどうなの?」
「何を言いますか! 職人というのは悪い物でも良い物でも同じように仕上げられなければなりません! と、先代は言っていました!」
「その辺は私たちには分からないわ」
これにはテールもメルも首を横に傾げるしかなかった。
言っている意味がよく分からなかったのだ。
そんな二人を無視して、カルロは部屋の奥へと案内してくれた。
恐らくこの場所は仕事場になるのだろうが、とても綺麗な場所だった。
まるで新築の台所、というのが一番良い表現かもしれないのだが、どうにもこの場所が仕事場であるとは思えなかった。
全面にタイルの様な物が貼られ水捌けが良い作りになっており、水を溜められる桶があり、大きな棚には大小様々な砥ぎ石が入っていた。
長方形の砥石だ。
今まで見てきたものとまったく違うなと思いながら、再び周囲を見渡す。
実際に研ぎをする場所らしき所も数箇所見て取れた。
しかし作業場の一つには剣と砥ぎ石が立てかけられており、先ほどまで使っていたと言うことが分かる。
恐らく作業中にテールたちがこの店に入ってきてしまったというところだろう。
「ここが作業場だよ」
「わー……僕の家より綺麗!」
「はっはっは! いいかいテール君。綺麗な物を作るには、綺麗な場所でなければ作れない。これは憶えておいてね」
これも先代の教えらしいが、カルロはその言葉をしっかりと守り続けているらしい。
そのため、綺麗な部屋で作業を続けるように心がけているのだとか。
「へー、いいわね。他の研ぎ師の工房はここまで綺麗じゃないわ。土間とかに座ってやったりしてるもの」
「しゃがまないと力が入りませんからね。うちの店にはどっちもありますけど、やっぱりまずはしゃがんでやるのがいいですね」
確かに立って研ぐことができる作業台と、しゃがんだり座ったりして研ぐことができるスペースがある。
立ってやる方が楽そうではあるが、テールの身長ではまだ十分に届かない。
とはいってもイタール村でも座って研いでいたため、そこまで苦にはならないだろう。
あとは住み込みになるので、部屋を案内して貰った。
テールも家事全般は料理以外ほとんど完璧にできるようにリバスに叩き込まれたので、生活で困ることはほとんどないだろう。
困ると言えば狩りに行けないというくらいだ。
部屋にはあとでリバスと一緒に荷物を運びに行くと説明しておく。
本当であれば既に来て荷物を入れてくれている筈だったのだが……どうやらまだ来ていないらしい。
「……ナルファム様。テール君には研ぎ師について教えておいてあげたいんですが……」
「いつか嫌でも知ることになるから、後でも今でもそれは変わらないわ。好きにしなさい」
「はい」
カルロは神妙な面持ちでテールに目線を合わせるためにしゃがんだ。
その様子からとても大切な事を話してくれるのだと理解したテールは、口を閉じてカルロが口を開くのを待った。
「テール君、研ぎ師っていうのは冒険者から軽蔑されているんだ」
軽蔑という言葉に少し驚いた。
詳しい意味はまだ分からなかったが、カルロの深刻そうな表情を見て良い目で見られていないのだということは理解できた。
「昔はそうではなかったんだけどね、冒険者が大きく活躍し始めてからこの世界は冒険者を中心に動くようになったんだ。言ってしまえば冒険者という職業は花の職業だね。そのため、冒険者は常に人を守る立場にいる。だから驕っている奴がどうしても出てきてしまったんだ」
「そうね、恥ずかしいことだけど。ほとんど役に立たない職業ってのは大体冒険者から蔑まれているわ」
「だからテール君。君はここで働くに当たって冒険者から風当たりの強いことを多く言われるかもしれない。俺もあったけど、仕事をしてもお金を貰えないこともある。それでもこの仕事ができるかい?」
何がどういう理由で蔑まれているかはまだ分からない。
それが少し怖くはあったが、テールの中で答えはすでに決まっていた。
「大丈夫です。僕にはこれしかないし、神様との約束ですから!」
「そうか……! じゃ、改めてよろしくねテール君」
「はい!」
カルロはまた泣きそうになっていたが何とか堪えて言葉を言い切った。
感情の起伏が激しい師匠だなと少し面白く感じながらも、ここでの生活を思い浮かべていた。
「しかし……一つ気になるのだけど……」
「?」
「神様との約束って……どういうことだい?」
「あっ」
ちらとナルファムを見ると、手に頭を当てて困ったような表情をしていた。
テールはすっかり言ってはならないと言うことを忘れてしまっていたのだ。
だが時既に遅し。
仕方がないので、カルロにだけこの事を説明していくことになったのだった。