魔王の貌と神の狂気
聖女は元から他人と関わらない。
親しい人が増えるほど、抱える秘密が露見する恐れが増えるからだ。
それに加えて、近年は権力者たちに軟禁されて暮らしていたから、庇護するはずの王族との関係も冷え込み、聖女は聖女同士でしか心を開いて交流して来なかった。
生き残った聖女は、一人残らずこの島に連れて来た。
仲間の聖女がいるなら、それまで暮らした国に未練は無いと、口を揃えて言っていた。
唯一人の聖女からすら未練を感じてもらえなかった人間の国たちは、神の慈悲を失い、この先立ち直っていけるだろうか。
「世界に満ちる悪意が止まらない」
「ハネオたちの報告を待とう」
空を見上げた私に、バードは静かに言う。
その声を聞いていると、不安や焦燥が凪いでいった。
「リュカ。どうも天界はおかしなことになってるぞ」
それぞれ離れて天界の天使たちと交信していたハネオとコイヌが戻って来る。
「今回の人間による聖女殺害で狂っちまった天使が数名、自分の娘が居た国に復讐したんだがな。天界ルールじゃ大罪なのに、捕縛命令も出ねーし神も出て来ねーらしい」
「それに、俺の生命石の波動を辿ってみたんですが、たしかに天界に在るのに誰かに支配される気配が無いんです。真名を移して召喚出来なくなったから捨てたのかと思ったら、他の天使たちも同じらしくて」
しばらく誰も姿を見ていない神。
誰も声も聞いていない。
天界の神殿に引き篭もって職務放棄。
誰もが有り得ないと思っていたけど、これは単なるサボりじゃない。
「神は、天界には、いねーな」
ハネオが憂鬱な顔で告げると、バードが森の遠くへ目を遣った。
「ハネオ。この、天界の保養所には、もしかして神座があるのか?」
バードの視線の先を辿ったハネオが蒼白の顔を引つらせる。
「たしかに、そっちの方に在るけどよ。まさか、だよな?」
「アレの気配を感じる。此処が天界の保養所だからニオイが付いてるだけかと思っていたが、アレが天界には居ないなら、気配の場所に本体が存在する」
「マジかよ! あんたを殺してから一度も地上になんざ降りてねーんだぞ?!」
悲鳴を上げて頭を抱えるハネオ。
コイヌも険しい顔で唇を引き結んでいる。
「神が地上に降りると何が起きるの?」
私が尋ねると、青を深めた瞳を此方に、バードは何故か微笑んだ。
「あの神は、地上のモノを殺す時にしか降りて来ない」
ゾクリと背筋が震える。
この表情は見たことがない。バードは私に見せたことがない。
これが魔王の貌。
こんなに美しいモノを、私は見たことがない。
「アイツがまた魔王を殺すなら、私はあの神を殺す」
深い青に魅入られ、私の唇から言葉が滑り落ちる。
「神が魔王を殺す前に、私が神を殺す」
湧き上がる力が全身に滾る。
よく知る気配が森の奥から匂って来る。
また、神格が上がる。
抑え切れない力の使い方が、目まぐるしく身の内に織り込まれていく。
「行く」
一言。
呟くと私は、真っ黒な水晶の神座の前に居た。
「会いたかったですよ、リュカ。我が愛し子」
虫唾が走るほど私の耳に馴染んだ声を持つ男。
「魔王に魅入られ、父を裏切りますか?」
父と言いながら見た目は私と同じくらいの若い青年。
私とよく似た金色の瞳と、まるで似ていない黄金の髪。
白皙の美貌が造る表情は、笑顔であるのに果てしなく昏い。
「私は、とっくに、バードと生きて行くことを選んでいる」
私が言い放つと男は、それはそれは嬉しそうに狂気の笑みを見せつけた。
「それではリュカ。殺し合いをいたしましょう」