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古代日本史の謎を筆者は解いた!  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
7/20

ニニギは大国主だったという奇妙千万な結論に達してしまった件


えー、筆者は丹比神社の事を調べ、ここではホアカリはニニギの息子であるということを発見した。

それで、どうやら確かに日本書紀でも、ホアカリはニニギの息子と言ったり兄だったりとまちまちである。


とすると、ニニギの息子が奇魂(クシタマ)であり櫛魂であるホアカリ=ニギハヤヒ。

大国主の息子の大物主が奇魂であるという。で、大物主はニギハヤヒ。



ニニギとはオオクニヌシであったとでもいうのかっ!?


もしこれが真実ならとんでもないことになって来そうである。


はい。ぶっちゃけ言うと、筆者は結論にまだ迷っている。

でもうっかり導き出してしまったとんでもない妄想をここに書こう。


「出雲は古代、全国を支配した。大和王権はこれを乗っとった。

記紀の神代の話も所詮は出雲内の争いを描いたものにすぎないっ!」



ちょっと証拠に興味深い伝説を引用したい。


既に紹介したが、崇神天皇60年、出雲の神宝を天皇が見たいと言い出した。

事実上の出雲への侵略行為である、と言ってもよい。

その際出雲の当主であったという出雲振根は筑紫へ行っていた。

彼の弟は、その間に宝を天皇に渡してしまい、怒った兄と、半ば脅されたのだからしょうがないという弟のあいだで兄弟喧嘩が起こったという。




おかしくないか? この時代、邪馬台国は西の筑紫=北九州にあったはずであるとされている。

いや、筆者の意見では間違いない。それに少なくとも大和王権に従わない勢力が北九州にあったことは間違いないと、ちゃんとした学者も考えている。

何を出雲振根は、「ちょっと行ってくる」みたいなノリで筑紫に出かけているのであろうか?

アナタ、一国の王ですよね。フットワーク軽いなおい。

まるで北九州と出雲は友達だと言いたいようだな。と筆者は言いたい。

古代出雲の存在感は非常に大きいが、邪馬台国論争の時になるとすっかりなりをひそめる。

しかし、もしこの話が史実を表していたなら、邪馬台国は出雲と良好な関係にあり、大和とは敵対していたことがハッキリわかる。


どうやら3世紀の中頃、出雲は九州とは同盟またはどちらかがもう一方を傘下にしていたが、奈良の大和王権からの圧が出雲で日に日に強まっていた、ということか?

熊本の阿蘇神社という日本史上最古級の神社があるが、ここでの伝承が興味深い。


阿蘇で奉られている健磐龍命は「九州の長官」だったという[4]。

神武天皇は神武天皇76年2月1日に孫の健磐龍命を阿蘇に封じたという[2]。

健磐龍命は神武天皇76年2月に大和国から阿蘇に下向したという[2]。

のちの阿蘇神社の大宮司家(健磐龍命の子孫)が宇治氏なのは、健磐龍命の出発地が宇治(京都)であることによるという[2]。



いやいやいや。ありえないよ。そんな馬鹿な。

まるで、神武天皇の本拠地は京都だったと言わんばかりではないか。

いや別に、京都の「向日」で神武天皇が生まれたんじゃないかとは全然これっぽちも思ってないけど。

いや、聞かなかった事にして欲しい。

(もしかすると、紀元前7世紀に九州が奈良を占拠したのはあながちデタラメでもない……?)



出雲が全国を支配したとまでは断言しないが、ここではニニギ=オオクニヌシじゃないかという根拠を。



1.鴨王=天日方奇日方命はオオクニヌシの息子とも子孫とも。

神話によっては大国主、大物主、事代主が同一視されたり、別々だったりする。

この人は櫛甕玉(クシミカタマ)との別名あり。大国主と完全に一致。意味不明。

事代主はニギハヤヒであると、筆者は完全に信じきっている。

その子である鴨王。ところで、ニギハヤヒはニニギの息子との伝承あり。

それを論拠にすればニニギ→ニギハヤヒ→鴨王の図式はそのまま大国主→事代主→鴨王として成立する。



2.出雲系の神話はあちこちにあり、スクナヒコナやオオクニヌシがこの地でナニナニをした、という伝説は山とある。

また、記紀の特に神武東征神話もよく読めば「奈良の橿原の小領主に九州の男がなりましたよ。その後、出雲系である事代主の系譜に飲み込まれましたよ」ということを語っているに過ぎない事がわかる。

そもそも神武自体が存在したかも甚だ疑問である。



3.ニギハヤヒは伊勢津彦であり、出雲健子である。



4.神武はオオヒルメムチという謎極まりない神を奉っている。

ムチの名がつくのは大国主=オオアナムチとオオヒルメムチだけ。

神武は出雲と同じ文化圏からきた……?



5.(タケ)がつくのは出雲系または天皇家だけである。「建」内宿禰も鴨建角身命などの系譜にある。

例外が建甕槌である。しかし、彼は古事記のオホタタネコの供述や、大阪の北村家に残されてきた一定の資料価値がありそうだといわれる伝説によれば、出雲系である。

古事記によれば、建甕槌は三輪山の祭祀を司るオホタタネコの父だとタタネコ自身が言っているニャン。

大物主の子孫であると神様本人のご指命であるオホタタネコの父なのニャン。

また、北村家の伝承によると建甕槌は孫の建大々杼命(タケオオドノミコト)に後事を託すと亡くなり、これが息長氏になったという。

父親の名前がどこにもないではないか。

両者の伝承を重ね合わせれば自動的にオホタタネコが建大々杼命(タケオオドノミコト)の父でオオド氏の祖先であり、息長氏の祖先ということになる。


6.もう一人、出雲系以外でタケのつく例外がいる。

ヒコナギサタケウガヤフキアエズ。これも建がつく。

彼も天皇家の一員だからタケがつくものと思われる。

彼の父ヒコホホデミはワタツミに気に入られ、姉のトヨタマヒメをめとり、息子のフキアエズがトヨタマの妹である、叔母のタマヨリヒメをめとる。

そして生まれたのが神武天皇であり、王の器を持つ男だったというストーリーだ。

しかし、残念ながらタマヨリヒメが神との子供を授かる、という生まれ方は完全に鴨王と一致してしまっている。

恐らくタマヨリヒメの父であるカモタケツヌミの妻はトヨタマヒメという名前であった事だろう。


神武天皇の神話は鴨王の逸話をパクった説が筆者の中では非常に強い。


そもそも九州にタマヨリヒメは他に存在しない。それどころか九州には甕依姫(ミカヨリヒメ)なる存在がおり、これが卑弥呼と深い繋がりがあるのではと言われる。

九州で重要視されたのは「タマ」ではなく「ミカ=甕」では?

(みか)の名前がつく神様や人物は結構多い。


大物主は櫛甕魂などという名前がある。

ニギハヤヒは櫛甕魂などと名前がつく。

鴨王も同様の別名を持っている。

建甕槌の父は甕速日(ミカハヤヒ)であるという。

日本神話屈指の悪役・天津甕星(アマツミカボシ)(ミカ)がつく。

ヤサカニノマガタマを垂仁天皇に献上したのは丹波の甕襲(ミカソ)

天皇のまたの名を(ミカド)


九州では甕棺(かめかん)で人を埋葬していたという。


日本古代史を探ると、絶対に甕=ミカとぶつかる?


甕=ミカが瓶=カメと同一なのは本当に偶然?


なんかの間違いで神を表すミカが、カミに擦りかわった?



というわけで、ニニギ=大国主を何とかして立証しようと思ってたら思わぬ壁にぶつかった。

甕=ミカの謎、誰か解いてください!

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