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古代日本史の謎を筆者は解いた!  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
6/20

【神話を揺るがす恐るべき渡来人4】



【時は流れて】



日本史上一番ホットな神武の時代と崇神時代にスポットを当てて今まで書いてきた。


本当に何故、「ツヌ」ガアラシトと関係の深いカモタケ「ツヌ」ミが神武を招いた「紀伊」にある神社の、アマテラスのご神体の鏡が日矛鏡なのか!?

偶然だろうか。偶然であってほしい。


だが、筆者はそれが偶然ではないことに気がついた。神功皇后に関する驚くべき情報をここで話そう。

その前に神功皇后の事をざっくりと。



《仲哀天皇の皇后である。息長帯比売(おきながのたらしひめ)というのが本名のようだ。

皇后は妊娠中、仲哀とともに九州征伐に赴くが、その際神託があって、九州攻めはやめて朝鮮攻めをしなさいということになった。

仲哀はそれを無視しようとしたが、急死してしまう。

なんと皇后は妊娠したまま朝鮮へ赴き、三国を平伏させたという。

実際には軍事衝突ではなく外交をしただけというのを脚色されているよ思われる。

死んだ仲哀天皇には皇子が存在していた。忍熊王と籠坂王というらしい。

二人は当然自分が次の大王になるものと思っていたが、神功皇后と側近の武内宿禰(タケシウチノスクネ)、ほか建振熊、あと書かれてないだけでいくらかの豪族の首領などが反旗を翻したと思われる。

記紀の書かれ方では、逆に仲哀の皇子の方が謀反したような書かれ方だ。

神功皇后のお腹の子こそ後継者に相応しいという理論だが、昔なので別にそんなきっちり決まっていた訳ではない。

要するに実力主義の取ったもの勝ちである。果たして、神功皇后側は後継ぎ争いに勝利した。

そして生まれたのがワケ王朝の子孫・応神天皇というわけである》


ちなみに応神は母方の一族息長氏から妃をもらっており、また前回言った通り河内と息長は関係が深そうだ。

ならば、ワケ王朝が河内に拠を置いたのは全く自然である。

よく継体朝から王朝が変わってるのではと言われるが、仲哀から応神の方が遥かにアヤしい。

しかも応神はツヌガアラシトがその名の由来になった敦賀、気比神宮(けひじんぐう)に立ち寄って名前をもらったと伝わる。

いよいよ怪しい。河内ワケ王朝とスクナヒコナとアマテラスに深い繋がりがある、などと言ったら、びっくりする?




【渡来人スクナヒコナ】


ところで、大神神社の摂社のオオタタネコ神社にスクナヒコナが奉られているが、スクナヒコナは出雲系の神です。

大国主との国作りは長年におよび、その伝説は北関東などにさえ伝わっています。


スクナヒコナは日本海側からアメノ「カガミ」ノフネに乗ってきた神様であり、スクナヒコナは天日槍の子孫の神功皇后が滋賀県米原市という彼女を輩出した息長氏の本拠地で、皇后自ら建立させた日撫神社に奉られている。

スクナヒコナ、応神天皇、そして神功皇后の父である息長宿禰王を奉っているのだそうだ。

そのスクナヒコナを祖先とする三嶋の県主という謎の人物がいる。

そして三嶋には三嶋鴨神社があり、そもそもヤタガラス=カモタケツヌミの別名はミシマミゾクヒミミである。


そんなスクナヒコナがオオタタネコ神社に奉られているということは、オオタタネコは三嶋氏の出身または祖の一人か……?


それに、スクナヒコナを日撫神社で奉ることにした神功皇后は息長氏である。

オホタタネコも息長と深い関係である疑惑が高まっていることは前回説明した。


オホタタネコの名前を分解して見ると、まずオホは尊称。

神武天皇ヒコホホデミの「ホホ」なんかが「オホ」に、これも訛ってオオクニヌシやアマテラスオオミカミなどの「オオ」になった可能性が高い。


ということはホホが一番古いと思われる。だから神武天皇は実際に紀元前7世紀に生まれた日向の神話であった可能性も高いと思っている。


それで「タタネコ」だが、タタは「タタラ」=製鉄を現していないか?

もしくはタタはたんぼの事。その二つ以外に可能性はなさそうだ。

それで、ネコは尊称または役職名であると思われる。


名前を分析し終わったところでオオタタネコは意富多多泥古命と書くという事を言っておこう。


古事記を編纂したのは意富(オホ)氏である。漢字を変え、(おお)氏になったが意富と表記されることもある。

99%、オオタタネコは意富氏の先祖である。


それで、筆者はここに4つの氏族を並べようと思う。

筆者の持論を聞いてもらいたい。



意富(オホ)氏】


オホとは尊称。非常に位の高い血筋。でも本当に尊称だろうか。

オホは神そのものを意味する言葉じゃないかと筆者は推理した。

オホタタネコは三輪山の祭祀を司った。大神神社に奉られている。



三輪(ミワ)氏】


記紀で(ミワ)氏と表記されることもあり、大神神社はオオミワジンジャと読む。

古代奈良ではミワは神そのものを現す言葉だった可能性が高い。

大神神社とは、オホ氏とミワ氏が祭祀を行う神社という意味ではなかったか?

あるいはオホミワという二重の尊称がついた超特別な場所?



海部(アマ)氏】


アマテラス、アメノヒホコなど神様の名前にアメやアマはやたら多い。

個人的にこれらの言葉はアマ=海人の事だと思っている。

海そのものが神、ということでは?

海部氏とは(アマ)(アマ)を信仰する部族?

中華王朝は天皇家の苗字はアマだと思っている節があった。

中華の考え方では皇帝一族の苗字は天によって選ばれた「国姓」であり、貴ばれ、東の蛮族とはいえ一国の王に苗字がないなどというのは到底考えられない事だった。

アマ、アメの言葉は天と繋がりがあり、やはり神の名前?



(カモ)氏】


もうね。いまさら言うまでもなかろう。神とはカモである。

神武天皇=カムヤマトイワレヒコは、古代カモヤマトと呼んでいたのだ!


アメ、オホ、ミワは神だと述べた。その三者それぞれに説得力があったかと思うが、カモ=神以上の説得力はなかろう。

結局この四者で勝ち残ったのは鴨……?


いや。オホもミワもアメも全部生き残ったのだ。

そのオホが古事記を編纂した。オホタタネコのことを何か隠しているにちがいない。

何故隠す必要があったのか。それはオオタタネコが渡来人と繋がりがあったためであろう。

日本人の朝鮮差別はかほどに根深いのである!


近江国鏡村の谷の陶人が天日槍(アメノヒホコ)の従者となったという伝説を思い出してほしい。

天日槍は絶対大坂に来ているはずだ、とも筆者は述べた。

オホタタネコは河内からやってきたが、ここには陶荒田神社なる神社があり、大規模かつ最も初期の陶=焼き物産地であったと、遺跡発掘によって判明している。


河内の焼き物は近江から来たツヌガアラシトによってもたらされたのかっ!?

しかもこの堺市の神社がある場所はかつて和泉国大鳥郡だったそうだがヤタガラスと関係が……?

ヤタガラスは別名 陶津耳(スエツミミ)だそうだが……?

そしてそこからオホタタネコが現れた事はほんとに偶然?

ちなみにツヌガアラシトは「意富伽羅(オホカラ)国」から来たそうだが……?


迂回はしたが、やはりオオタタネコが渡来人と繋がってきた。

もちろんスクナヒコナは渡来人。渡来人と深い関わりがあると前に説明した鴨一族と何か関係ありそうだ。


一番怪しいのが、スクナヒコナは急に常世の国に行ってしまうという点。

まるで、ツヌガアラシトが故国に帰っていく様を現しているかのようではないか。

それに神功皇后は敦賀気比神宮に行って帰ってきた息子のホムタワケに酒を飲ませ歌を唄った。


「このお酒は私だけの神酒ではありません。神酒(クシ)の司である常世の国にいる少名彦が祝いの言葉を述べながら、歌って踊り狂って、(カモ)したお酒です。さぁ、この酒を残さず飲みなさい。さぁさぁ」


という風な歌である。もちろん歌の内容は後世の創作である可能性が高い。

この歌詞の中にクシ(ニギハヤヒ・大物主や玉櫛姫をイメージする単語)や、カモ(言うまでもなく鴨)の単語が入っているのは興味深い。

敦賀といえばツヌガアラシト。歴史書はホムタワケは大和へ帰ってくるとスクナヒコナのつくった酒を飲んでみんなで祝宴を開いたと記している。

気比から帰ってくるとすぐスクナヒコナの酒を飲む?

なんだか突拍子もない。まるで気比大神とスクナヒコナは同一であるのは当然だ、みたいな話の流れではないだろうか?

このあと朝鮮外交の話が始まる。というか、神功皇后は朝鮮関係で何かあるとすぐ敦賀に行きたがる癖がある。

敦賀に行かないときは住吉大社関連の神社で禊ぎをしたりする。

息長と新羅王子は実際に血縁的に繋がっている系譜が存在する。

そしてここまで見てきた通り、息長と新羅とスクナヒコナもそれぞれ係わり合っている。


スクナヒコナは何故か急に常世の国に行く。帰った、という事だろうか。

スクナヒコナという相棒を失ったオオクニヌシに近づくのが奈良の三輪山である、という展開に神話はなっている。

三輪山と言えば、ここに住まう大物主はニギハヤヒであると言った通り。

ぶっちゃけ、ここまで色々出てくるとスクナヒコナは渡来人であるとしか言いようがなく、日本中にあるスクナヒコナを奉る神社全てが怪しい。

ちなみに、大国主の相棒であったスクナヒコナは出雲大社には奉られていない。

奉ってはいけなかったのだろうか……息長以外は。



息長といいスクナヒコナといい怪し過ぎる。



【神功皇后と紀伊】



筆者はスクナヒコナのことを語ってきたがぶっちゃけ情報が少なすぎてこれ以上はつまびらかに出来なかった。

お詫びとして、紀伊の神宮に日矛の鏡が奉られているのは何故か、ここに正解を書こうと思う。



日本書紀より


《山代 (つまり京都)で仲哀の兄弟との決戦を挑む前に神功皇后は紀伊の国に立ち寄っているらしい。

すると、常夜の国のようになって、昼も夜もわからなくなったらしい。

日食である。皇后は紀氏の遠祖、豊耳に聞いてみました。

「この怪異はどうしたのだ?」すると翁は「アズナイの罪でございます」と答えた。

死んだ二人の神官が同じ社の同じところで眠っている事はケガレだから、今すぐこれを何とかすれば怪異は消えるのだそうだ。

すぐ墓を掘り起こさせ、神官の墓を別々にすると、怪異は消えた》



本当にこんなことが書いてあるわけだが、皆さん思わなかった?


「あれ? なぜこの人達、日食なのにアマテラスの話をしない?」


日食とは、太陽神アマテラスがサボってるから。神話ではそういうことになっている。

なぜそれより後の時代の人がアマテラスの話をしない?


もちろん、日本書紀はにわかに信用ならない書物であるのも確かだ。

だが断言しよう。「天岩戸神話は、神功皇后の生きていた4世紀頃には存在しなかった」

これが真実である。それはない、と反論するのであればどのような有効な反論が出来るだろうか。


そして同時にこうも言えないだろうか?


「神功皇后や武内宿禰(タケシウチノスクネ)は、紀伊で日食を初めて体験した。

これに心底ブルッた二人が、この伝承を残した。

天皇家では神功皇后のイメージと日食のお話が受け継がれ、鏡を持った女性というアマテラスのイメージが出来た。

その後、暦が伝来したことによって日食は予測可能な自然現象だとわかり、特別に記録される事もなくなった。

そして神功皇后はこの紀伊に自分の祖先の名前たる日矛の鏡を奉納した」


その方がよほどわかりやすいし、天岩戸の神話に後の有力豪族の祖先が大量に出てきて活躍するのも頷ける。

豪族の祖先を無理矢理登場させる、完全創作神話なのだ。


さらに、神功皇后はビビっている筆者を助けてくれた。

紀伊にあった日矛鏡の存在に気づいてしばらく気分が悪かったが、恐らくこの神社の鏡に名前をつけた、もしくは鏡を作らせたのは紀伊にいた皇后だと気づいた。


彼女の祖先がツヌガアラシト=天日矛なのだ。何の不思議もない。

しかも武内宿禰(タケシウチノスクネ)は紀伊出身で母親も紀伊出身。

しかもこの神社の神職になる家系の女であったことが判明したのである。

古文書ではこんな伝説も。


天道根命は、旧事紀では高皇産霊尊の5世孫で、神武天皇の時「紀伊国造」としたとある。

紀直の祖。天孫降臨の時、日像・日矛両鏡を紀伊の日前国懸神宮に祀った。


紀氏の初期の人物には、もちろん(ツノ)がついている人物も。

武内宿禰の息子、紀角宿禰は応神天皇の時代、百済に派遣された外交官であったという。

武内宿禰は創作らしいので、紀氏がもともと渡来系なのか、角宿禰が渡来系で紀氏に入り込んだか議論されている

筆者は、もともと紀氏は、渡来系だった派である。


ちなみにもう一人だけ気になる人が同時代にいる。


難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)


恐らくオオタタネコと同じ、ネコだと思われるニャン。

ネコは多分役職だニャン。もしかすると当時、大和とは別の制度で大阪は政治をしてたかもしれないニャン。



とふざけたはいいが、この人に関連するある人物の存在を知って筆者は鳥肌すら立った。


難波根子武振熊は、神功皇后、武内宿禰に続き、このクーデターに参加した人物の一人であり、和珥氏(わにし)祖であり、海部氏の系図にも名前がある。

要するに非常に重要な人物であり、何故重要な人物であり得たかといえば、神功皇后の実質上のクーデターに参加し貢献し、褒美をたくさんもらって有力者になったからだろう。

もちろん「ネコ」なので、最初から相当な有力者だったはずだニャン。


さて。難波根子武振熊は凄い人物であったようだが、その息子がものすごい仰々しい名前なのだニャン。

いくぞ。ビビるなよ。そして、存在を疑うなよ。ほんとにいるから!



日蝕使主(ひふれのおみ)


武振熊の息子である。日蝕の娘は応神天皇に嫁ぎ、長男のウジノワキを生んでいる。

ウジノワキは京都の宇治と関係があるそうだが、よくわからない。

あやしい。怪し過ぎる。


ちなみにウジノワキは応神の後継者に指名されるが死後、頑なに兄弟のオオサザキ=後の仁徳天皇に皇位を譲ろうとし、やがて勝手に病死してしまい、仁徳天皇が玉座についたという。


怪しい。怪し過ぎる。


どう見ても仁徳天皇がクーデターを起こしたようにしか見えない。


ちなみに仁徳天皇は応神の娘で日蝕の娘が産んだ八田皇女なる女性を妻にしている。

また、仁徳の妻は葛城系であり、武内宿禰の孫娘で皇族外の身分から皇后となった初例とされる。

また初めて正式に奈良ではない場所で都を構えた天皇であるらしい。


あやしい。怪し過ぎる。


しかも仁徳天皇は史上最大の前方後円墳を作ったとされる古代史上の超大物だ。

この時から、突如として息長などは実権を失っている様子が伺える。

葛城の政治力が高まっている。なぜなら葛城系のイワノヒメが仁徳との間に産んだ履中、反正、允恭が相次いで天皇になっているためだ。

イワノヒメの父の襲津彦は、あのクッソ怪しい紀角の兄弟である。


仁徳天皇は母方の血筋は尾張系のようである。


また、息子の反正天皇は実際にそこに宮を構えたと伝承にある、大阪にある丹比神社で奉られている。

ここでは、なんと反正天皇と一緒に火明命が奉られているではないか?

神社のホームページにアクセスすると、この地に古墳時代からいた古代豪族・丹比は火明命を祖先とするという。

尾張氏か、もしくは海部、あるいは物部と同族……?


ホアカリが出てきたならまず間違いなく尾張系か物部である。

また、源平藤橘と同じように臣籍降下した多治比氏の祖先は宣化天皇。

彼の母親は尾張氏である。南河内地方は昔は丹比と言われていたようだが、ここは尾張の管轄だったのか……?

いや、反正の妃はワニ系のようだから海部系であろう。

それならホアカリと一緒に丹比神社に奉られているのも納得。


大阪はホアカリ=ニギハヤヒ=ツヌガアラシトを奉る渡来人が古墳時代初期から幅をきかせていたとみて間違いない!




【まとめ】




「アマテラスの岩戸隠れ神話は神功皇后時代に始まった非常に新しい神話である」


「大阪には古墳時代初期ぐらいから既にかなり渡来人がいたようだ。

ということは、ぶっちゃけ邪馬台国近畿説も十分信憑性がある。

また、ホアカリやニギハヤヒを奉っているので太陽信仰があり、日巫女(ひみこ)がいたことも間違いない。

これがニギハヤヒに嫁いだとされる櫛玉媛であり、タマヨリヒメ、そしてアカルヒメである!」


「その渡来人の中でも神功皇后時代に有力だったのがワニと海部。

息長も恐らく渡来人と関係はあるが、そんなに新しい渡来人ではなさそう」


「仁徳天皇の時代に世継ぎ争いがあった。

王朝が交替したのだ、とまでは言わないが非常に大きな画期があったのは間違いない。

記紀の記述をそのまま受けとるなら、仁徳天皇は崇神以来の中華的専制君主のようだ。

空前絶後の超巨大古墳を作ったほどの大権力を持ってたらしい。

一説によると超巨大古墳は大阪湾にやってくる渡来人に威容を見せ付ける目的があったとか。

既に日本は外国に対して外交や貿易を考える段階に来ていたようだ」


「その反動で、履中の即位の際に早速世継ぎ争いが起きている。

反正はその際に兄と戦って殺害。履中の皇子を差し置いて自分が皇太子となり、結局履中の子供は天皇になれず。

反正には尾張系もしくは物部系の後押しがあった?

この時代から物部氏の勢力が本格的に大きくなるので、恐らく物部か?

ぶっちゃけ応神、仁徳、履中・反正の時代に3連続で内紛、世継ぎ争いが起きているとしか考えられない。

仁徳の末息子、允恭の息子に雄略という天皇家史上最もヤベー奴が現れる。

ヤマト王権は古墳時代最初期の纏向時代までは平和に祭祀で人々を纏める国家であったというのが基本的な研究者の見解らしい。

しかし、この時代には強大な軍事帝国としての側面と、それに必ず付属する骨肉の争いという負の側面が見えている」


「応神や神功皇后と繋がりの深い息長氏はもう既に政治的権力を失っている模様。

やはり仁徳の即位時にクーデターがあったものと思われる。

だが允恭の時代になると息長系である忍坂大中姫なる女性が皇后に。

これは継体天皇の曾祖父、オオド王の同母妹であるという。

どう見てもこの忍坂大中姫が允恭以上の権力を持っていた描写がある。

このころに葛城と息長が張り合うようになった?」


「その後河内王朝は決して衰退していた訳ではないのだが、相変わらず内紛と粛清の多い時代だったようだ。

雄略と武烈などの粛清で、ついに世継ぎが全然いなくなるという事態になってしまう。

ここに颯爽と現れた男こそ、忘れられかけていていた息長の末裔、オオド=継体天皇。

日本史上最大級の超要注意人物である」



というわけで、次回へ続く。













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