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古代日本史の謎を筆者は解いた!  作者: ニャンコ教三毛猫派信者
3/20

【神話を揺るがす恐るべき渡来人1】

とりあえず最低限の知識


1.アマテラスは天皇家の祖神であり日本神話では最高神クラスの女神であり、鏡をモチーフにすることから、大陸から鏡が渡来した弥生時代後期以降新しく作られた神であると思われる。


2.ニギハヤヒは神武天皇が日向から大和へやって来た際、大和を支配していた神の子孫である。

古代史上最大級の要注意人物。記紀(日本書紀と古事記のこと)によるとニギハヤヒは神武の親戚だが本当はどうかわからない。

神武は大阪側から大和へ入ってきたがナガスネヒコに撃退され、リベンジする前に兄弟全員を亡くしてしまう。

ナガスネヒコはニギハヤヒに仕えていたが、ニギハヤヒが大和へ舞い戻ってきた神武に降参する意向を示した。

ナガスネヒコは一度撃退した神武天皇などに何故降参するのかと怒る。

ニギハヤヒは言っても聞いてくれないナガスネヒコを裏切って殺すと降参した。

何か非常に裏がありそうな神話が残されている。


【日本における渡来人と、神武東征神話の虚実】


まずは神武東征。これを語らずは始まらないだろう。

古代史研究も結局は、神武が東征したのは事実か否か、に焦点が絞られていると言っていい。


神武が東征したかとはすなわち、邪馬台国は九州か奈良かといったことにも結び付く。


神武が渡来人か九州人か、それは不明だ。存在したかどうかさえ。

渡来人が日本を大幅に変えて弥生時代が始まった事は常識だ。

しかし渡来人の個人名となると誰も言えない。

著名な渡来人はほとんどいないのだ。

しかし神話をひもとくと、渡来人の姿が見えてくる。


ここではその渡来人に関しての恐るべき情報を話そう。


初めに断っておく。筆者は、自分の推理を述べる事はあるが、提示する情報は全て古代の資料にあるもの。

もしくは神社の伝承に残っている情報である。

妄想はするし、自説に都合のよい資料引用はするが、嘘はつかない。そこは留意しておいてほしい。


さて、古代日本の中心は当然天皇家だが、妙な点がある。


九州からやってきた神武天皇は奈良を征服して天皇に即位したのだそうだ。

知らない人のためにかいつまんで説明しよう。


《九州の神「フキアエズ」はタマヨリヒメとの間の息子を授かる。

これがヒコホホデミであり、後の神武天皇。

彼は祖父の山幸彦(ヒコホホデミ)と同じ名前である。なお、神武天皇は本名がよくわからない。

カムヤマトイワレヒコなどという名前がつくが、イワレやヤマトは奈良の地名だから九州の親がつけた名前ではない。

だから、名前がよくわからない。祖父と同じ名前で本当によかったのだろうか。

彼のほかに、近しい親類縁者と全く同じ名前の神が見当たらないが。

資料や伝説が錯綜している可能性はあるが、ともあれ神武は奈良を目指す。

神武は大阪湾から奈良に入る。だがそこにはナガスネヒコという奈良の武将がいた。

神武は大敗を喫するが、タカミムスヒ神から与えられたヤタガラスに従い、紀伊(和歌山県)に入る。

そして南から大和へ入り、ナガスネヒコにリベンジ!

かと思いきや、ここでニギハヤヒという神がしゃしゃり出てくる。

系譜によるとニギハヤヒは、神武の曾祖父であるニニギノミコトの兄であるヒコホアカリの系譜だという。

神武などよりもニニギの「ニギ」を受け継いでいるではないか。

ニギハヤヒは神武に対し、「私もまた天孫である」と数々の神懸かり的な小道具を出して証明した。

一方、神武の方も同じように道具を出し、ナガスネヒコは二人の天神の子孫に驚く。

だが、それでも結局は戦う姿勢を崩さないナガスネヒコを裏切ってニギハヤヒは彼を殺し、神武を迎え入れるとナガスネヒコの持っていた兵を吸収して神武の下に仕えるようになった。

これが古代史の超有力豪族物部氏の始まりであり、天皇家の始まりともされている》


実際弥生時代では鉄器が九州に圧倒的に多く出土する。

つまりは武力が、九州の方が畿内より強かった。

出土する鉄器が多いため、そのような結論が自動的に出てくる。

しかし、では、何故、九州が奈良より強かったなら、神武が初代天皇なのだろうか?

天孫降臨の名の通り、高天原からやってきたニニギノミコトが初代天皇ではダメなのか?

ニニギが降臨して、九州に王朝を開いたのが、奈良にやってきましたではダメか?


神武天皇はヒコホホデミという名前で、彼の直系の祖父に山幸彦、またの名をヒコホホデミという人がいる。

二人は同じ名前。そして神武が立てた王朝はヤマト。

ヒコホホデミが山幸彦なら、神武天皇=ヒコホホデミ=山幸彦=山の人=山人=ヤマトという図式が成り立たないだろうか?


もちろん語呂合わせの妄想だ。忘れてくれてよい。

だが、ヤマトがどういう意味なのであれ、九州が畿内より優位な地域ならば何故九州にいた神武の祖先が大王であってはならなかったのかは不明だ。

そして、九州から来た神武は奈良生まれ奈良育ちのイスズヒメをめとった。


イスズヒメの子供のヌナカワミミが二代目天皇である。

もちろんヌナカワミミは、奈良生まれ奈良育ち、母親もそうだ。


彼は九州出身の母親を持つ九州出身の兄、タギシミミと戦って殺し、二代目になっている。

これはどういうことか。何故、九州出身のタギシミミが二代目になれなかった?


わかったかな。

記紀は「現天皇家はほぼ完全に奈良土着の血筋である」と言っている。

イスズヒメは事代主(コトシロヌシ)の娘で二代目天皇の妻もイスズヒメの妹つまり事代主の子。

事代主は出雲系の神様。

出雲とは、神武天皇の祖先である天照大御神らの「高天原」に国を譲らされた。

そんな神話を持ち、神武の時代にまた高天原系の神によって国を譲らされた。

要するに敗者であるはずなのだ。

それにしては、神武の九州の息子が天皇になれなかったのは妙な話である。


徳川幕府でたとえると「家康が秀吉の妹を妻にし、彼女との間に出来た子供が二代目となり、その後の首都が大坂でありつづけ、将軍はみんな関西弁」みたいなものだ。

ありえない。勝った側は勝った側の論理で動くはずだ。

何故、九州が勝ったのに景行天皇以降は九州は畿内政権に負けっぱなしになるのか?

何故、天皇家は古墳時代以前は、九州出身の妻をとらなかったのだろう。

神武東征神話が史実かどうか非常に怪しい事はこれでわかったと思う。


かといって全否定はしない。天皇家が九州に敬意を払っているっぽいフシもあるし、何か関わりはあるのだろう。

極論、この神武東征神話を深堀りし、万が一秘密を説き明かせれば古代史の謎をほとんど全部説明できるといっても過言ではない。

だから今回は深堀りする。正直書いていて、調べていて、古代の渡来人の足跡にぞっとした。


皆さんも読めば背筋が寒くなる記述があるかもしれない。

では、語り始めるとしよう。



【フェイズ1.鴨一族とアジスキタカヒコネ】



古代天皇家の中で10代天皇・崇神以前は、磯城(シキ)氏とやたら婚姻を重ねるなど関わりが深い。

磯城氏は謎である。奈良の信貴山(シギサン)や、アジ「シキ」タカヒコネという謎多き神との関連性や初期天皇家との数多くの婚姻の事実。

これら要素があるものの、文献以外では何もわからない。


ところがそれ以外に、初期天皇家に繋がりのある古代奈良の豪族がいる。


カモ一族。鴨や賀茂などと書く。怪しい連中だ。

どうやら三輪氏と同祖で近い間柄のようだが、よくわかっていない。

彼ら鴨一族の神社が奇妙な事になっている。


葛木御歳神社は、中鴨神社と呼ばれている。

鴨一族の神社だ。ここではオオクニヌシの娘タカテルヒメを奉っているが、この女神がよくわからないそうだ。


で、同じ奈良の高鴨神社では、アジスキタカヒコネ、アメノワカヒコ、シタテルヒメなど奉っている。

この三者、神話をよく知らない人のために説明しておこう。


《古事記によるとシタテルヒメはアメノワカヒコの妻だった。

高天原の実質的最高指導者であるタカミムスヒは、国譲りの際にアメノワカヒコを遣わす。

出雲を譲れと迫られるオオクニヌシ。

彼は、高天原から送られてきたアメノワカヒコを籠絡した。

タカミムスヒは静かにキレたので、ワカヒコに天罰を与えてブッ殺した。

ワカヒコの死を家族が悼んでいるとワカヒコそっくりなアジスキタカヒコネが現れたのだ。

これに、タカヒコネの妹であるシタテルヒメですらビックリ仰天、ワカヒコが生き返ったと勘違いする。

シタテルヒメはワカヒコの妻という記述もあればタカヒコネの妹という話もある。

死人と間違えられたことで激怒したアジスキタカヒコネは、ワカヒコを弔う喪屋という建物などを蹂躙して去ってしまう。

この時破壊された喪屋が美濃国の喪山であるという。》


これでシタテルヒメ、ワカヒコ、タカヒコネらの出番は終わりである。

何もかもが突飛でわけのわからない神話である。


「この話、舞台は美濃だったの?」という疑問がまず出てくる。

有り得ない話ではない。出雲というのが西は山陰、東は中部にまで跨がっていたとするなら。

この疑問は置いといて、アジスキタカヒコネとアカルヒメについてだ。


日本書紀によるとアカルヒメにはこんな話が伝わっている。


都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。

足跡を追って村の中に入ると、その村の役人が、「この荷の内容からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしているのだろう」と言って食べてしまったという。

都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった。

都怒我阿羅斯等が喜んで娘とまぐわおうとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。

都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。

日本人の血を引くらしいアカルヒメは、日本へ逃げて大阪の比売語曾(ヒメコソ)神社に奉られた》


やっぱり唐突で意味不明な話である。


(ところで、この神話は垂仁時代のようである。この時代は4世紀の前半で、この時代に朝鮮から大阪湾へ来るのが半ば当たり前だとするなら、邪馬台国近畿説が若干信憑性を強める)


古事記ではアカルヒメは白い石ではなく赤い玉だというが大筋では同じ話を伝えている。


ところが、大阪に現在も存在する比売許曾神社ではシタテルヒメを奉っている。

意味不明である。名前が多少似通っているとはいえ、さすがに間違えようはないはずだ。

だって古事記にも日本書紀にも記載されているのだ、絶対間違えるはずがない。

これはもう、シタテルヒメはアカルヒメの別名と考えるしかない。

名前が似ているから間違えたんではなく、名前は似ていて当然だったのだ。


それで、高句麗の神話ではこういうのがある。


《高句麗王朝の始祖・チュモンは太陽神の力を受けて妊娠した女が産んだ卵から生まれた》


どうだろうか。アカルヒメとそっくりではないだろうか。

これで生まれるのが女であるのが日本らしいところかもしれない。

しかも舞台は同じ朝鮮半島だし、やはりアカルヒメは相当特別な存在だ。



シタテルヒメがでてくる国譲り神話に戻ろう。

アジスキタカヒコネとアメノワカヒコは容姿がそっくりだという意味不明な逸話が残っている。

タカヒコネ=アメノワカヒコで、アメノワカヒコと結婚し、タカヒコネの妹だったという話もあるシタテルヒメがアカルヒメと同一ならば、アジスキタカヒコネ=ツヌガアラシトと見ることができる。


タカヒコネがツヌガアラシトでシタテルヒメがアカルヒメなら、自分から逃げたアカルヒメを脅かし、彼女の夫を蹂躙するというのはまことにすんなりと理解できる話だ。


そしてそんな怪しさ満点のアジスキタカヒコネ。

物部氏の祖先でなおかつニギハヤヒの息子だというウマシマジと何か関係がありそう感じはする。


タカヒコネの別名はカモノオオミカミ。

物部氏は鴨一族の流れではないが、物部氏もタカヒコネ=カモノオオミカミを信仰していただろう。

ご存知の通り、他にオオミカミというような名のつく神は日本神話に一柱しかいない。アマテラスオオミカミだ。

そしてタカヒコネはシタテルヒメと関わりが深い。


さらにさらに、タカヒコネは鴨一族と重要な繋がりがまだある。

タカヒコネというのは、カモワケイカヅチと異名同一神のようだ。

カモワケイカヅチの祖父は神武天皇を導いたヤタガラスと同一視される「カモタケツヌミ」。

神話ではカモタケツヌミ以前にカモの名がつく神はいない。


もう一回言おう。神武を導いたヤタガラスは「カモ」タケ「ツヌ」ミなのだ。

ツヌの文字が入るのはカモタケツヌミ関連とツヌガアラシトくらいのものだ。


しかもさっき話したように、カモタケツヌミの孫であるカモワケイカヅチとアジスキタカヒコネは同一だという。

そしてタカヒコネと新羅の王子ツヌガアラシトも同じような存在である可能性が極めて高いことも話した。


つまりだ。神武と手を組んで奈良橿原の地を頂いたのは新羅からきたツヌガアラシトに関連するものだということが、記紀から推察出来てしまうということだ。


しかもだ。神武はナガスネヒコに負けたあと、紀伊へと迂回する。

紀伊だ。紀伊というキーワード(駄洒落ではない)を覚えておいてもらいたい。

そこで、紀伊にとんでもない神社がある事は知ってもらいたい。



日前神宮


祭神は日前大神(ひのくまのおおかみ)

日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とする。ニギハヤヒではないか、とも。

アマテラスであるというのが一般的な解釈。


相殿神

思兼命(おもいかねのみこと)


高天原の最高神タカミムスヒの息子。神話屈指の頭脳派。

天岩戸神話においてスマートな作戦を取り仕切った事で有名。

彼の妹がアマテラスの息子の嫁である。

従ってアマテラスにとってもオモヒカネは親戚。



石凝姥命(いしこりどめのみこと)


ヤタノカガミを作ったとされる。

アマテラスに仕える神または、技能集団?

怪し過ぎる。何故、アマテラスにとって大切なシンボルであるヤタノカガミはヤタがつくのだ?

鴨一族や紀伊とアマテラスに関係がないわけがない気がする。


(奈良県の鏡作坐天照御魂神社では天照国照彦火明命・イシコリドメ、それに天糠戸という謎の神が奉られている。

イシコリドメを祖先とする鏡作という人たちが建てた神社らしい。

だとしても何故、イシコリドメが鏡と関係する逸話を持たないホアカリと一緒に奉られている?

ぶっちゃけ、古代において天照大御神とはニギハヤヒ・ホアカリの事であり、女神のアマテラスは鏡のイメージをプラスされて後世に作られたとしか思えない!)




國懸神宮主祭神


國懸大神

日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とする。


國懸大神は、アマテラスのことか、もしくはニギハヤヒ?


どっちにしろ、渡来人である天日矛はツヌガアラシトと同一視されている。

渡来人の名前をもつ鏡を神体にしている時点で、クロ確定である。

何がどうなって、そうなった?

筆者はこの神社の事を知り、ちゃんと記紀にも由緒が書かれている事を知って背筋が寒くなった。

何故、アマテラスのご神体とされる鏡が日矛なのだろうか。神話には他に日矛なんて名詞でてこないが……。



相殿神

玉祖命(たまのやのみこと)


この人は別名、天明玉命(アメノアカルタマノミコト)だそうだ。

三種の神器、ヤサカニノマガタマを作ったのはこの天明玉命らしい。

タマとアカル。アカルヒメと奇妙なほど一致しているではないか?


絶対に半島やツヌガアラシトとも関係ある!


ところで、垂仁天皇の時代に丹波で「ミカソ」という人物がヤサカニノマガタマを天皇家へ献上した、ともある。


これは、三種の神器のひとつであるとも、別に関係ないのではないかとも言われる。

ミカソは玉祖命と関係があるのだろうか。ミカソって何だろう。


そもそもミカソは、「ミカド」と似てはいないだろうか?

何か関係ありそうでいて、全く解明の糸口がない。



明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)


古代の製鉄神である。ところで、ヤタガラスというのは大陸の方では製鉄関係の壁画とともに描かれている。

そういう古墳があるのだ。この神は製鉄に関係する神のようだ。

イシコリドメにしても、古代の鏡を作っていたのだから金属加工に関係があるのは絶対間違いないだろう。

そのイシコリドメが「ヤタ」ノカガミを作った。本当に偶然だろうか?

紀伊に深い繋がりのある鴨一族はヤタガラスそのものとして描かれている。

鴨氏は渡来人?



鈿女命(うづめのみこと)


神話のお色気担当。

天照大御神を天岩戸から引きずり出すために踊ったストリッパー。

実はそれ以外にも、それなりに実績は記録されているが、ストリッパーのイメージが強すぎる女神。

太陽神に仕える、いわゆる日巫女(ひみこ)ではないか、とも言われる。

夫のサルタヒコはニニギが降臨する際に道案内をしたといわれる。


のだが、サルタヒコは三重県の方でのみ伝説が残っており、それ以外とは全然関係がない。

アマテラスと深い繋がりのあるウズメ=日巫女(ひみこ)

その夫がサルタヒコである。

アマテラスといえば三重県伊勢。伊勢といえばニギハヤヒと同一視される伊勢津彦の伊勢。

その神がニニギの道案内とは一体?

ニニギが降臨したのは、伊勢ではないのか?

そこから西へ向かったのでは?

普通に資料を読むとそうなってしまうのだが。

うん。謎過ぎる。


そして次はご神体について。

さっきからずっと鼻息荒くして言ってる日矛鏡の由緒をウィキから引用しよう。



天道根命のwikiより。


《『先代旧事本紀』天神本紀によれば高天原から葦原中国へ降臨する事となった饒速日尊の護衛として付き従った32神の1柱。

同書国造本紀や紀伊国造家が伝える『国造次第』によれば神武天皇によって初代の紀伊国造に任じられた。

異伝として『紀伊続風土記』所載の「国造家譜」は、日前大神と国懸大神(紀伊国造が奉斎する和歌山県和歌山市秋月鎮座の日前宮の祭神)の降臨に随従して以後両大神に仕え、

後に神武天皇の東征に際して両大神の神体である日像鏡と日矛の2種の神宝を奉戴して紀伊国名草郡に到来し、

毛見郷(現和歌山市毛見)の琴ノ浦にそれを鎮座させて天皇の東征の成功を祈念したために、

即位後の天皇によって論功行賞として紀伊国を授かるとともに国造に任じられ、

以来その子孫が国造職を襲うとともに日前宮を奉斎し続けることとなったとの由来を記す》


わかったかな。ニギハヤヒに近しい存在が、クッッッソ怪しい紀伊の神社に日矛の鏡を奉納したことが。

だが、紀国造が、神武の時代にできたというのは誤りである。


本当は武内宿禰の子供、紀角宿禰(きのつののすくね)が始祖である。

そして武内宿禰の母親は紀伊出身の影媛。つまり武内宿禰は紀伊出身。紀伊育ちでもあるだろう。

母親の兄であるウズヒコの娘ウズヒメ、つまり従姉妹の女性をめとった武内宿禰。

その間に生まれたのが紀角宿禰というわけである。


紀角は百済に行って外交したという記録が残されている。

紀伊出身で名前にツノが入っているだけでもツヌガアラシトを意識してしまう。

これだけで死ぬほど怪しいのに、古代史上の超要注意人物・武内宿禰の子供である紀角宿禰が朝鮮半島との外交を任されるとは、怪しいを通り越して恐ろしい。

何をどう頑張って解釈しようとしても、古代史の要注意人物ほど、渡来人臭がすることがわかった。


紀伊のもろもろ怪しい事実は覚えてもらったところで、神武天皇というのは奇妙な出自だということから、神武東征神話を掘り下げよう。

父のウガヤフキアエズは、トヨタマヒメから生まれ、彼女の妹であるタマヨリヒメと結婚して神武が生まれる。

いくら古代とはいえ、母親の近親であるタマヨリヒメをめとるとはフキアエズもなかなかアブノーマルな性癖の持ち主である。


それで、神武が大和にはいるとイスズヒメをめとる。

イスズヒメは、神武の母とはまた別の「イク」タマヨリヒメの娘である。


つまり神武は二人のタマヨリヒメを母とする縁があるというわけだ。

一説によればタマヨリヒメとは「(タマしい)依代(ヨリしろ)」になるからタマヨリヒメであり、個人名ではないという。

もっともな説だ。古代にはそういう巫女をめとることが重要だったのだろう。


ところで、ホノイカヅチの妻は「タケタマヨリヒメ」だ。

そしてこのタケタマヨリヒメは、ヤタガラス=カモタケツヌミの娘だという。

彼女はカモノオオミカミ=カモワケイカヅチ=アジスキタカヒコネ(?)を産んでいる。

この人はタケタマヨリヒメとされるが、イクタマヨリヒメとは、同じ「玉櫛媛」としてまとめられている。


つまり玉櫛媛は複数の男神と交わって複数の子供を産んでいる。


タケタマヨリとイクタマヨリが実際に別々の女神なのかは不明だ。

しかし、普通に考えて女性が複数の男性と交わって子供を生むのは、これはよろしくないだろう。

古代の価値観で考えてもらいたい。普通はありえないだろう。


アメノウズメのようなストリッパーならいざ知らず、鴨一族の信仰するカモノオオミカミの母、そして神武の義母であるタマヨリヒメがそんな股のゆるい女だとは、書かないはずだ。

だからやはり、神話には3名のタマヨリヒメがいると考えるべきだろう。


そして、神武の産みの母親がタマヨリヒメで、その妻のイスズヒメもタマヨリヒメの子供。

イスズヒメの兄でタマヨリヒメの息子には鴨王、オオタタネコ、天八現津彦という謎の三人の人物もいる。

三人ともめちゃくちゃ特別な人物である。このことはあとで説明しよう。


このことから見て、タマヨリヒメから生まれる事はこの上ない大王の証だったはずだ。

記紀に出てくる他のタマヨリヒメの子供の例を見ても彼らは全て相当に特別な存在だとわかる。


ここに例をだそう。


九州のタマヨリヒメ:海の神ワタツミの娘。フキアエズと婚姻し、神武天皇を生む。


タケタマヨリヒメ:鴨氏の祖・カモワケイカヅチ(鴨氏の信仰する神。カモノオオミカミ)を生む。玉櫛媛。


イクタマヨリヒメ:大物主の子供を生む。オオタタネコ(古代の有力豪族の三輪氏、鴨氏祖とされ、相当に怪しい)や、神武の妃イスズヒメを生む。天八現津彦を(ナガスネヒコと同一視?)生む。玉櫛媛。


(ちなみに大阪の赤留比賣命(アカルヒメ)神社では名前の通りアカルヒメを奉っているのだが、江戸時代の『摂津名所図会』では当時「三十歩社」と呼ばれ「玉依姫」を祀っており雨乞いに霊験があったことが記されている)


わかったかな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



見ての通りタマヨリヒメというのは大王に、というか神武及び天皇家に関連する超絶重要な巫女である事がわかるだろう。

ここで例外となるのはカモ系統および、神武がくるまで大和でかなりの力を持っていた描写のあるナガスネヒコだけである。妙ではないか。妙ではないか?


これを見ればタマヨリヒメの息子=大王、娘なら将来は大王の妃も同然である事がわかる。

それが神武以外に彼の同世代にもう一人、カモワケイカヅチが居るのは一体全体どういうことだ?


察しのいい読者なら気づいただろう。そう。カモワケイカヅチ=鴨王=ニギハヤヒの息子である。



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