【新シリーズ 古代史上最大の豪族・中臣氏の謎を筆者は解いた! その1】
まずはじめに。筆者は絶対に日本は渡来人が作ったのだと証明したくて躍起になっていた。
いざ謎が解けるとやっぱりショッキングで、何なら後悔してるくらいだ。
だいたい3から5回ぐらいの長いシリーズになるが、最後まで読んでほしい。
きちんと、何故中臣氏が渡来人と関係があるのか説明をつける。
今はテンションが下がっているが、書き始めの時はかなりハシャいでる様子が文体から伝わって来る。なにをそんなに喜んでいたのだろうか
真実を見つけてしまったら、こんな風に疲れるだけだが。
【ヤタガラス。そしてナカトミ】
どうも。新ネタが出来たのでちょっと披露しようかなと思う。
筆者は関西出身なので、何故難波は丹波と名前が似ているのか頭を悩ませていた。
答えが出たとは言わないが、ナカトミと絡めて話して行こうと思う。
【フェイズ1.言霊は嘘をつかない(ハズ)】
ナカトミといえばもちろん藤原氏であり、古代から中世にかけて非常に有力であった氏族だ。
そんな氏族だ。祖先神も他では名前を拝見しないような特別な神が結構多い。
ところが、日本神話でも結構有名で、なおかつ記紀ではマイナスイメージで語られがちな人と全く同じ言霊を持つではないか?
その人誰だか知りたい? 時間をあげますので考えて!
答えは出たかな?
正解はトミのナガスネヒコである。
一体全体、他の誰もこのことを言わないのはなぜだ?
筆者はよくネットで古代史の妄想をしているスキモノな人のサイトやブログなどを覗くが、「ナカトミとトミのナガスネヒコが似ている」と指摘してる人を見たことがない。
何故、大化の改新で勝利し、その後数百年にわたって日本の頂点でいつづけた「中」大兄皇子や「中臣」や「息長」と響きが似るトミのナガスネヒコが注目されないのだろうか。
ということで、丹波と難波の話をする前にナカトミに、無理やりにでもトミのナガスネヒコをくっつけてみようか?
えー。まず筆者が注目したのは中臣氏の祭神のなかにタケミカヅチが存在するということだ。
タケミカヅチさえいれば筆者理論では強引に大物主あたりと結び付けて語れる。
そう意気込んで系譜を探っていると、恐ろしい事実を発見した。
なんと中臣氏と同じアメノコヤネを、「大鳥氏」が祭っているではないかっ!
「……………だれ?」
となっただろう。はい。おっしゃる通り。
大阪の旧和泉国の大鳥郡に大鳥大社なるものがあり、和泉国一宮つまり一国を司る大きな神社だったようだ。
大鳥氏はその宮司職だった模様。
こんなマイナー氏族ごときが天下の藤原氏とおなじアメノコヤネを祭ってよいものだろうか。
アメノコヤネはタケミカヅチの娘をめとったという異説があるが、記紀ではそうはなっていない。
タケミカヅチとの関係を是非とも捩じ込みたい筆者はこのまま強引に話を押し進める。
タケミカヅチを絡めていく上で、なぜ筆者が大鳥にそんな注目したのか話さねばなるまい。
大鳥氏は歴史上そんな目だって活躍はしていないマイナー極まりない人だ。
筆者だってつい最近までは全く知らなかった。
ところが。この和泉国大鳥郡に、あの非常に怪しい伝説の発祥地疑惑がある。
オホタタネコである。オホタタネコはここらへんに住んでいたが、後に大和へ移り住んで三輪山の祭祀を司るようになったという。
そう。あの古代史上最重要人物かもしれないと筆者が散々語ってきたあのオホタタネコだ。
もしかしたら邪馬台国の卑弥呼である可能性もある、あのオホタタネコである。
ちなみに有名なロマン溢れる偽書「ホツマツタエ」はオホタタネコが編纂に関わっているという。
まあ実際はオホタタネコに仮託しただけの後世の創作であろうが。
筆者はいくらなんでもホツマツタエなどの偽書とされる伝説から引用して自説を補強したり、嘘をついたりはなるべくしたくない。
ここではホツマツタエの話題はもうしない。
そのオホタタネコの故地が大鳥郡である点は見逃せない。
なにしろ彼の祖先である「カモタケツヌミ」とは、大阪の三嶋に住んでいた「三嶋溝杭」であり、なおかつ「ヤタガラス」だからである。
更にオホタタネコの祖先である大物主は大年神と完全に同一な伝説が残っているのである。
大年神と大物主はともに「大国主がスクナヒコナが常世国に行ってしまったあとの相棒を探していると、海の彼方から光りながら来訪し、大和の御諸山に奉られるようになった」とのこと。
明らかに渡来人である。
《大年神は他に多くの神の父とされる[1]。
伊怒比売 (いのひめ、神活須毘神の娘)との間の子
大国御魂神 - 国土の神霊の意。国魂、大国主を参照。
韓神 - 百済からの渡来氏族が信仰した神[2]。園韓神社も参照。
曾富理神 - 西田長男は、曽富理神が祀られたのは、平安京に遷都の行われた延暦13年10月20日以後のこととして、古事記の成立は平安遷都以後とした[3]。また、新羅からの渡来神ともされる[4]。
白日神 - 明るい太陽の神。
聖神 - 日を知る農耕神。》
などなど。
ということで大年神は明らかに朝鮮系である。隠す事さえしていない。
これが、大神神社の神様の正体である。疑うなら適当にwikiか、いくらでもネットで読める記紀の原文でも読んでみなさい。
そして、葛木御歳神社は別名中鴨神社という。
筆者が重要視している「ナカ」の言霊が出てきたね! (テンションが上がっている)
ここは歳神を祭る神社の総本社。
ここにはタカテルヒメが奉られている。
タカテルヒメは下照姫と同一視されるのだが、この下照姫は朝鮮から来たアカルヒメと同一視され、それは真実だと筆者も確信している。
葛木御歳神社では、実際に古来から奉られていたのはこのタカテルヒメだったという説もある。
ていうか朝鮮から来たとしか考えられないこの大年神と朝鮮から来たアカルヒメ=タカテルヒメが一緒に奉られているのは非常に納得がいく話だ。
そして、筆者は大年神と大物主は同一であり、大物主はニギハヤヒだと確信する。
そして、筆者はアカルヒメとセットにされている(と筆者が考えている)大年神とは、朝鮮から日本へ逃げてきたアカルヒメを追って日本まで来たツヌガアラシトであると確信する!
また、シタテルヒメはアジスキタカヒコネの妹で、なおかつシタテルヒメの夫のアメノワカヒコはタカヒコネと同一人物である。
タカヒコネは蛇神で雷神で、「スキ」の名前が入ってる通り農業神で、「ヒコネ」が入ってるので太陽に関連する神様である。
これらは大物主、大年神、ニギハヤヒ、ツヌガアラシトなどと共通する。
つまり、ツヌガアラシト=アジスキタカヒコネ=大年神=大物主=ニギハヤヒで、全員朝鮮からの渡来系。
そしてこれらの神様を繋げる存在がアカルヒメ=タカテルヒメ=シタテルヒメ=タマヨリヒメなのである。
何故タマヨリヒメがここに絡んで来るかというと、アカルヒメが赤い玉であったとの伝承が残る。
タマヨリヒメと関係がないわけがない。大物主とニギハヤヒの妻はタマヨリヒメである。
古代における太陽の神と、それに妻として仕える日巫女という信仰が明確に見えてきたではないか?
筆者は、絶対に、これは真実であると確信している。
歴史とか政治的な話がどうとかいう話はおいといて、神話や古代信仰の本当の姿はこれだと確信する。
そして大物主に娘のタマヨリヒメを与える神こそ、ヤタガラス=賀茂建角身であり、ヤタガラスは朝鮮系の壁画に描かれ、大陸由来の信仰である。
アジスキタカヒコネはカモノオオミカミであり、ヤタガラスも賀茂・鴨氏の祖先である。
はい。というわけで中臣の話をしながら、スムーズにヤタガラスの話にたどり着きました。
まだまだ山は二合目くらいにしか来ていない。
筆者は単なる思いつきで「言霊が似ているのだから中臣とナガスネヒコは関係あるはずなので、関係性を明らかにしてみよう」と考えた次第だ。
難事業になること必至である。だって土台無理な話だもん。
出発点が思いつきなのだから、強引にこじつけたり巧みに都合のよい事実だけを抜き出すなどの腕の見せ所だ。
【フェイズ2:難波と丹波】
ところで、記紀では特にカモタケツヌミの妻などについて書かれていない。
考えてみなさい。初代神武天皇の生母はタマヨリヒメであり、父は海神ワタツミ。
まあ割と由緒の正しいお姫様だ。これは覚えたかな?
何度も説明してあるが知らないかもしれないので一応。
タケツヌミはタマヨリヒメという娘がいる。
タマヨリヒメは事代主なる神との間にイスズヒメとイスズヒメヨリヒメなどを産んだと記紀に伝わる。
タケツヌミの二人の孫娘は神武天皇とその息子の二代目天皇に嫁ぐ。
要するに二代目天皇は母のイスズヒメの実の妹であり、彼にとっては実の叔母にあたる女性を妻にしたわけだ。
ところが神武天皇らの正妻の母親のタマヨリヒメは、その母親が不明なのだ。
その母親の名前が「山城国風土記逸文」によると「丹波のイカコヤ姫」なる人物であったとのこと。
難波の「三嶋溝杭」という人と丹波のイカコヤ姫が結婚したこと、何か示唆的である。
そして二人の間の娘であるタマヨリヒメが大和の事代主へ嫁ぎ、タマヨリヒメと事代主の間の娘が神武に嫁ぐ。
丹波というのはこの時代、丹後と区別がついていないのだが、丹後は四隅突出型古墳が全くないようだ
正式名称・四隅突出型墳丘墓は島根県や広島県、瀬戸内海沿岸、それから石川や福井、富山など北陸に出現する特徴的な古墳である。
つまり日本海側の広範囲にある時期、ほぼ同一の文化が存在したことは確かである。
丹後に特徴的な古墳がないという事は、恐らく丹波と丹後はほぼ同じような文化で、出雲や北陸とは違う国であったのではないか、と考えられている。
怪しいのが丹波というわけだ。それと大阪勢力が婚姻しているというのは興味深い。
しかもこの時代ではニギハヤヒ、神武天皇に次ぐ最大級の要注意人物であるヤタガラス=三嶋溝杭耳に丹波の姫が嫁いでいるのだ。
丹波と難波は、ともに「たにわ」「なにわ」と呼ぶ。
99%ほぼ確実にこの二者はかなり強い繋がりがあったと考えられる。
(波速や難波など、大阪は波が激しい海を持つみたいな漢字だが、この地域の海が荒れていたり速かったりする事実はないと思われる。
だから、「たんば」から影響を受けた「なんば」の名前が先にあり、難波などは後世の当て字であると筆者は考えている。)
また、大阪には全国でも断トツで渡来人系の氏族が多く、三嶋溝杭も筆者の理論ではほぼ確実に渡来系である。
もしかすると大阪勢力と丹波勢力は神武やヤタガラスよりさらにもっと超古代から元々繋がりが深かったのかもしれない。
古事記によると神武がやってきた時、大阪側から生駒山系を抜ける道をとろうとするとナガスネヒコに阻まれ、やむなく撤退したと記紀に記されている。
そんな神武にヤタガラスは「紀伊から大和の東側である宇陀に入り、奇襲しましょう」という風な進言をしたわけではないが、ともかく神武はヤタガラスと一緒に紀伊をめざす。
神武は紀伊に来るが「大熊」に襲われ気を失う。
だが辛うじて生きており、これは紀伊の高倉下という神がタケミカヅチとヤタガラスにもたらされた神剣・フツノミタマで助けてくれたとのこと。
明らかに、紀伊での軍事的な衝突にタカクラジなる人物の勢力が助太刀してくれたことを意味する神話である。
外部勢力である神武にタカクラジが何故、助太刀をするのか?
言うまでもなくタカクラジは天皇家が来る以前の大和王権では、出世を望めない立場であったから、外部の神武にこれを征服してもらってその手伝いで功績を挙げ、新しい支配者に取り立ててもらいたいという目的があった。
そう考えるしかないのだが、それは妄想がすぎるか?
でも、夢に神様が現れたから外部勢力に味方する、よりはよほど納得の行く現実的な説明ではないだろうか。
続きを話そう。
タカクラジというのは、実は何を隠そうニギハヤヒの子供または孫世代であるとされている。
もう一回言いますよ。タカクラジはニギハヤヒの子なのである。
その証拠とは言わないが、タカクラジが献上されたフツノミタマなる大剣は時代が下って物部氏の祖である「伊賀色男」なる人物によって石上神宮に治められたとのこと。
ちなみにこれが中臣氏の祖先という話もある。
ニギハヤヒを祖先とする物部氏が剣を急に管理することになった。
天皇や周りの人間もこんな宝具を伊賀色男に渡すことに反対はなかった。
タカクラジはニギハヤヒの子である。物部氏もニギハヤヒの子孫。
他にニギハヤヒの子孫を自称するのは尾張くらいのものだが、尾張は尾張で、熱田神宮に同じく宝剣を納めていたのが興味深い。
ニギハヤヒこそがタカクラジの先祖。故に近い氏族の物部に渡った。それは100%間違いない。
そもそもこの伊賀色男なる人物と中臣氏も深いつながりがあると思われる。
中臣氏に繋がる臣知人は近江の伊香郡なるところで伊香氏となる模様。
ここは近江の米原市のすぐ近く。米原氏は息長氏の本拠地である。
また、オオタタネコのいた陶荒田のすぐ近く、同じ八尾市には天児屋根命の後裔の神を祭る中臣系の恩智神社、他に枚岡神社などがある。
八尾市高安にはどうやら春日戸社坐御子神社なるものがあり、春日部というところがあったようだ。
言うまでもなく中臣氏の影響が強い土地であったと思われる。
そして、明らかに中臣氏はタケミカヅチを自分たちの祖神の中でも筆頭としているのに、タケミカヅチの子供の記述がないという事実。
古事記にはオオタタネコの父が武甕槌だと記載されており、専門家は建御名方と戦った建御雷男とは違うとしているようだが、筆者は信じない。
中臣とオオタタネコが武甕槌で結ばれているということがこれでわかる。
それに多氏、または太氏、または意富氏は古事記編纂の責任者の一人であった。
稗田阿礼という謎過ぎる人物とともに太安麻呂が古事記を編纂したのは、小学校か中学ぐらいの時に学校で習ったよね?
一般に知られていない事実である。太安麻呂はオオ氏の出身であることは、見ればすぐわかるのだが、実は稗田阿礼が中臣氏であるとされていることは、あまり知られていない。
こんなところで、中臣とオオ氏が繋がっているのである。
オオ氏は建借馬なる人物を祖先とする。
建借馬は常陸の鹿島の語源になった、または鹿島の地名が先にあってそこから名付けられたと一説にある。
この人は那河国造祖である。
中臣とも繋がりそう。
おおっ。思いつきで始めた事なのに、やろうと思えば結構繋がってくるな!
言っておくが筆者は嘘はついてないし、恐らく全部wikipediaに載っているので、その気になれば読者のみんなも今からでも確かめられるだろう。
最後まで読んでほしい。いやほんとに、驚愕の真実をおみせしよう。
具体的に言うと、中臣氏は渡来人の子孫であることを証明する。