中編
絶対に、失敗した。
どう考えても失敗した。
誰か経験豊富な神官に相談して、指示を仰がなくてはいけない。
そう思う一方で、たとえ若くても一人前の聴罪師として任にあたっている以上、秘密をもらすべきではないという葛藤はある。
あるのだが……。
(あの人……、何のお店のひとだろ。誰だかわからないけれど、放っておいたら死んでしまうのかな……!? 本当に、これはわたしの胸に留めておいていいこと!?)
晩課の鐘が鳴り響き、勤めの時間が終わりを告げても、ファナは暗い聴罪室から出られなかった。
未熟者ゆえに抱えた動揺のせいもあり、もはや冷え切った身体が氷のように固まってしまっていたせいもある。
そのとき、部屋の外から足音が近づいてきた。
(だめ……)
神殿関係者であっても、聴罪室に出入りしている姿は見られないようにするのが暗黙の了解。
しかし、ドアを開けられてしまえば身を隠すところもない。そもそも、姿が見えないことを不審に思った誰かが見回りに来てしまったのかもしれない。
どうしよう、と思う間もなくドアを開かれて、その人物が手にしてきた燭台の灯りにより姿を照らされてしまう。
「凍死しますよ」
聞こえたのは、耳に馴染みのある声。呆然と見上げたところで、ドア枠に頭をぶつけないように身をかがめて入って来たその人は、入口近くの杭に燭台をひっかけて、後ろ手でドアを閉めた。
「アルベルト様……」
張りつめていたものが緩んで、目に涙が滲んでしまう。
気づかれたくなくて瞬きを繰り返してから、この狭い空間ではいかにも大きく見える、背の高いその人を見上げた。
光り輝く銀髪は背で束ねており、冬の空のように澄んだアイスブルーの瞳をしている。
彫刻や絵画に描かれた天使のような高潔さを漂わせた、美貌の神官。
いずれ神官長になるとも、中央の神殿に招聘されるともいわれるファナより十歳上の先輩だ。
「お勤めはもう終わりでしょう。何かありました?」
言いながら、身をかがめてファナの手を取る。感覚のない指をなぞってから、両手で両手を包み込んできた。
冷えすぎて温もりもわからないけれど、満たされるような心地があった。
「何か……。あったと思うんですけど。この部屋でのことですから」
(いくらあなたでも、言えないんです)
「ファナ、目を閉じて。君はいまこの部屋の向こう側にいる。こちら側には誰かがいる。誰かといえば私だけど、それは重要なことじゃない。そのつもりで、話してごらん」
「できません。わたしが受け取った聴罪を、あなたにそのまま横流しなんて」
抵抗しても、大きな掌を顔の上にのせられて、目を閉ざされてしまった。
「聞き分けなさい。じゃないと、この場であなたを」
「わたしを?」
目をふさがれたまま、何気なく聞き返してしまうと、少しだけ間があった。
ややして、アルベルトがひどくやわらかな声で答えた。
「てこでも動きそうにないあなたを、凍死させるわけにはいきませんので。あなたがこの場から動く気になるまで、私があなたを温めて差し上げますよ。全身くまなく、奥深いところまで」
その言葉はどこまでも優し気で、裏があるとはとても感じさせない慈愛に満ち溢れていたが。
ことアルベルトに限って言えば、その手のことで冗談は言わないとよくわかっているファナは、身体をわななかせ、コクリと唾を飲み込んでしまった。
「そ、そういうのは……」
「では、言いなさい。目を瞑ってしまえばここにいるのは誰かなんてどうでもよくなる」
(どうでもよくはならないですね)
思ったが、これ以上抵抗すると本当に暴走しかねない先輩の気質を承知しているファナは、深く呼吸をしてアルベルトの掌に身を委ねるイメージで目を閉ざした。
「利用者の方がきました。犯罪の告白でした。……そして自死の予告でした。止めないでほしいと」
「なるほど」
「これはよくあることですか? わたしはこのまま黙っていて良いのですか……!? どなたかに報告して、神殿として動く必要はありますか?」
目元を覆っていたアルベルトの手が唇の上に下りてきて、塞がれてしまった。
目を開いて見上げると、表情らしい表情を消し去ったアルベルトが、自分の唇の前に指を一本立てていた。
しずかに、という合図と理解してファナは口をつぐむ。
アルベルトは、祈りを捧げるときのような敬虔な横顔をさらして考え込んでいたが、やがて低い声で言った。
「わかりました。その件、私が預かります」
「でも……」
「でも、は言わないように。今のあなたには少々荷が重い件だと判断しました。今の、ですよ。三年後、五年後のあなたはこの程度のことで動揺したり迷ったりしないように。私をよく見ていてくださいね」
そう言うなり、ファナの身体に手を差し伸べて、両手で軽く抱え上げる。
「アルベルト様……ッ」
「こんなに冷え切った状態では、満足に歩けもしないでしょう。私の両手はふさがってしまいますので、灯りはあなたが持てますか?」
包み込まれるように抱きしめられながら、慌てて戸口の燭台に手を伸ばす。しかし、触れる前に手をひっこめた。あまりにも指がガクガクしていて、取り落としてしまいそうだと思ったせいだ。
アルベルトも気付いたのだろう。片手でファナを支えて、もう一方の手でガラスのカバーのかかった真鍮の燭台を取り上げ、「開けて」と言った。ファナが震える手で小さな留め具をなんとか外して開けると、ふっと息を吹きかけて中の蝋燭の火を消してしまう。
辺りが暗闇となった。
「これで落としても火事にはなりませんよ」
アルベルトの落ち着き払った声が身体に直に伝わる。
「見えませんけど」
「大丈夫。私は、目を瞑っても神殿内なら歩ける」
微かに笑いを含んだ声。きっと嘘ではないのだろう。
手探りで燭台を抱え込んだファナを抱いて、アルベルトがドアに手をかける。
そのまま出るのだろうと思ったが、動きを止めた。
何かあったのかな、と思ったときに、額に柔らかなものが触れた。唇だ。
「今度聴罪のお勤めに入るときは、もっと暖かい恰好をしてきなさい。身体を悪くしますよ」
忠告は、先輩からというよりも、もう少し親密さを感じさせるもの。
ファナの身体の秘密を知る、ただ一人からの滲むような優しさに、ファナは素直に「はい」と返事をしようとした。
声は、重ねられた唇にかきけされた。
* * *
「本来、聴罪室で得られた情報は、たとえそれが犯罪に関わる内容であっても、市に通報したり、神殿内で協議することなどあってはならないのですが」
翌日。
午前の食事の後に、「二人で所用で市内に出る」という外出許可をもぎとってきたアルベルトに連れ出され、その道すがらこれはイレギュラーである、との意味合いで説明を受けた。
「色々な偶然が重なりに重なって、たまたま利用者の身元が割れて、そうとは知らずにどこかで出会い、次なる事件を止める。そういうことも、世の中にはあってしかるべし、です」
そこはさすがに強引では。
そうは思いつつも、ファナとしては強く言い返せない。
(聴罪師としては、あれはあれとして胸の内に秘めて、おくびにも出さず、淡々と生きるのが正しいんだよね……)
アルベルトが特に上に報告している気配がないところを見ても、その読みは外れていないはず。
だというのに、この先輩は、わざわざ面倒事に乗り出す気が満々らしい。
それが、ファナが関わっているせいなのか、彼自身の気質なのかというと……。
間違いなく、後者だ。
(たぶん、これが初めてじゃないな)
雪白のコートを羽織って、銀の髪をなびかせて歩くアルベルトを、通り過ぎる人々が見ている。
隣を歩くのが気後れしてしまうほどに、彼は清廉でいて圧倒的な美貌の持ち主であり、人目をひくのだ。
ざわめきが耳に届く。わかる、とファナは一歩遅れてアルベルトの白銀の髪を見つめた。
陽射しがあっても寒さは厳しかったが、積もった雪に光が反射し、視界はキラキラとまばゆいほどだった。
その中を行くアルベルトの後ろ姿は、見惚れずにはいられない光輝を放っている。おいそれとは言えない「神々しい」という言葉が、彼には似合ってしまうのだ。
(……欲目もあるとは思いますが。やっぱり綺麗)
見ていると動悸がおかしくなりそうで、俯いてアルベルトの足跡を追う。
「ファナ……?」
遅れているのに気づいたアルベルトが振り返る。
小走りに駆け寄ってから、横に並んで小声で聞いた。
「昨日の今日で、よくあたりをつけられますね。行先は決まってるんですよね?」
迷いのない足取り。
「そうですね。昨日の利用者には心当たりがあるので」
さらりと返されて、さすが……と思ってから、不意に疑問が生じた。
「どうすればそんな離れ業が? 後学の為に教えて頂けると嬉しいのですが?」
ふいっと顔を逸らしてアルベルトは斜め上を見た。晴れ渡った青空が視界一杯に広がっているだろう、光がきつかったのか手で目元をかばいながらぼそりと言った。
「神殿の前で雪かきをしていたので、出入りした人に心当たりがあるだけです」
「アルベルト様が? もっと若手で手空きの者がいたのでは?」
「いたとは思いますけど。誰かに声をかけようとしたら、あなたがいなかったので。聴罪の勤めに入っているのかなと……」
「それで……? まさか、聴罪室に出入りするひとをいちいちご自身で確認する為に……?」
アルベルトには若干、多少、気のせいではない程度に、過保護なところがあるのは承知している。
特に、ファナの秘密を知っているせいもあってか、常に身の回りに注意を払われているのは感じる。
なのだが。
「結果的にそうなっただけであって、些細なことですよ」
なかなか強情で、認めようとしない。
(些細かなぁ)
こうなると、雪かきという言い分も怪しく思えてくる。もっと近くにいたのではないかと。
さすがにそこまで重症ではないと思いたい。彼は勤勉で優秀とされる神官なのである。
「行先はどちらです」
様々な思いをねじこんで尋ねると、アルベルトはちらりと見下ろしてきて、目を細めて微笑んだ。
「すぐそこのガレリアです。最近評判のカフェがありまして……、お茶でもいかがですか?」
* * *
この街には、かつての賢王の名を冠したガレリアがある。
鉄骨とガラス張りで天井は高く、壁面から天井まで見事な装飾が施されており、うつくしく敷き詰められたモザイク床には十二星座が描かれている。
規模はさほどではないが、服飾関係の高級店や老舗のパン屋や小さな菓子店、或いは最先端を取り入れたカフェやレストランがずらりと軒を連ねていた。
百年前の重厚な建築様式で細部まで彫り込まれた石造りの門から一歩足を踏み入れると、ガラス屋根を透過してきた陽射しにより、寒気も和らぐ。
人通りも多く、華やいだ雰囲気にファナは気後れするものもあるが、アルベルトは何も気にした様子がない。
(むしろ周りに気にされていますね……)
一緒に歩くと、それだけで注目されているようで落ち着かないのだが。
アルベルトはという、にこにこと微笑みながら「はぐれないように手を繋ごうか」なんて言ってくる。
「は・ぐ・れ・ま・せ・ん!」
言うほど自信があるわけではなかったが、この上子ども扱いを受けるわけにはいかないという一心から、ファナは明確に拒絶を示した。
「そう……」
寂しそうに手をわきわきと動かしていたが、見なかったことにした。
「それにしても行先がカフェって、時間は大丈夫なんですか」
「問題ないよ。お茶を一杯飲んでいる間に悩みは解決できる」
気負った様子もなく言って、通りにテーブルと椅子を並べた店へと近づいていく。
真冬だというのに、ガレリア内は天候の影響も少ないせいか、店外でお茶を飲む人も少なくないようだった。
「ファナは痩せているからホットショコラにしておきなさい。甘いの。好きでしょう」
「好きですけど……?」
なんだろう。含むところがあるような気がする、と少しばかり納得いかない顔をしたらおっとりと微笑まれた。
「座ってて。私が行くから」
いかにも楽し気に言い置いてカウンターへと向かっていく。
ファナは後ろ姿を見送ってから、コートを身に着けたまま手近な椅子をひいて腰かけた。背もたれは瀟洒なアイアン製だったが、座面にキルトクッションが置いてあって、そこまで冷たくはなかった。
(さて。ここに事件のヒントが? 次なる事件を防ぐ手立てが?)
通りに目を向けるも、平和そのもの。
買い物や散歩を楽しむ市民が行きかう中、台車で荷を押して歩く者あり、どこかの店の使いなのか、厨房から飛び出してきたような仕事着にコートをひっかけて小走りで行く者あり。いずれにせよ、ガレリアの日常が過ぎているように見える。
一応、怪しい人がいないか慎重に見ていたつもりであるが、やがて諦めた。一般人のファナが怪しいと思うような人物など、そうそういてたまるか、と。
(探偵でも警吏でもないし。あ~……どうしたものかな)
「どうしたの。難しい顔して」
湯気の立つマグカップとデミタスカップをテーブルに置き、アルベルトが隣の椅子をひいて座った。
「難しくも……なりますよね。これで何が解決できるんだって」
「ファナ、あそこを見て」
アルベルトが示したのは、カウンターの奥で立ち回っている青年だ。その横には、まめまめしく注文を聞いては会計をし、青年にオーダーを告げる女性がいる。
「……ええと?」
あの二人が何か、と聞くほどにファナは鈍いつもりはない。昨日の今日でアルベルトがまったく無関係な店に足を運ぶとも思えない。
(あの男の人、声を聞けば昨日の人と同一人物かどうかわかるんだけど……! 店の従業員に手を出したということは、隣にいる女の人に、ということ?)
「女の人の方。左手に指輪があるでしょ」
「ありますね……」
目を凝らして確認する。装飾性のなさそうな銀の指輪が薬指にはまっている。
(ということは既婚者? に、手を出してしまったってこと? それで? でも……? それでなんであの女の人は普通に働いているの? ……それってつまり……心情的にはそれほど揉めているわけでは、ない?)
両想い、不倫、そういう類の、道ならぬ恋?
思いを巡らせていたファナの視線の先で、不意に青年が足をふらつかせ、カウンターの向こう側に消えてしまった。
女性がすぐに気付き、悲鳴を上げる。
ファナも勢いあまってその場で立ちあがった。
「倒れた!?」
死のうと考えている、という声が頭の中で響く。
店が騒然とする中、ファナは思わず店内に踏み込むと、カウンターへと駆け寄った。デミタスカップに唇を寄せてあっさりと飲み干してから、アルベルトもまた立ち上がってスタスタと歩き出す。
「大丈夫ですか!」
人を押しのける勢いでカウンターに身を乗り出したファナの背後から、ちらりと視線を滑らせ、すぐに店内を見渡し、カウンター奥の女性に向かって言った。
「一度お店を切り上げた方が良さそうですね。私が皆さんに声をかけます。表に出す休止の看板はあります?」
「あ、はい、あの……っ!?」
倒れた青年は意識はあるようで、なんとか立ち上がろうとしているが、足元が覚束ないらしい。寄り添っていた女性はアルベルトの声掛けに、動転した様子ながら頷いてみせた。
栗色の髪に、同色の瞳。まだ少女のような瑞々しさを残した顔立ち。
(このひと……)
見覚えがある、と記憶が告げていた。