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Locking on Heaven's Door  作者: 瀬尾 標生
第一章「How I wonder what you are」
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00.

過去は思い出す物。未来とは見据える物。現在とは受け止める物。世界とは、その三つの要素で出来上がっている。一つでも欠ければ崩壊する程、それは脆い。絶妙にバランスの取れた世界で、その均衡を崩さずに生き永らえる。それが生命としての使命。


 歴史に刻まれなければ、今誰かに認識されなければ、将来を見渡す目を持たなければ、その者は存在しないのと同義。世界と謂うシステムの外郭で彷徨うデブリでしかない。確かにそこに存在していようと関係ない。存在証明が出来なければ、それは無と同然。

昔、彼は私にそう言い放った。共感出来ない訳でもないが、どうしてそこまで悲観的なのかと思ってしまうのも事実。多分、昔から彼はそうなのだろう。ならば仕方がない。そういう星の運命の元に生まれたのだから。


 多次元世界の中に三次元として保管され、二次元だけを観測可能領域に指定された私達。とある科学者曰く、時間は私達が四次元、または三+一次元を理解する為に創った概念なのだと。序破急や起承転結も同様、過去も無ければ現在も、ましてや未来もない。あるのはそれら全ての総体。三次元的解釈では到底理解出来ない代物。


 故に過去、現在、もしくは未来がなければ、それはこの多次元世界の法則に違反する事になる。すなわち、存在を否定される。最低限、四次元世界ではそうだ。


 ならば私は、存在していないのだろう。


 現在はある。先に進むべき未来もある。


 だが私に過去はない。


 故に私は生きていない。


 擬似的に生命としての形を取っているだけの、謂わば紛い物。人間ではない、他のなにか。


「と、いった所で私が死ぬわけでも、消えるわけでも無いけどね」


 所詮は哲学的比喩。実物論的には私は確かにここに存在していて、こうして現在を噛み締め、未来へと向かっていっている。実際、数分前に安いワインを飲み干した過去もある。


 結局は難しそうに聞こえるだけで、実際はとても簡単でとてもつまらない。それが人生なのだろう。だけど、それでいい。無駄に難しいより、単純な方が生きやすい。


「今日も一日、平和だな」


 そう言って私は、もう一本のワインボトルを手に取り、コルクをナイフで外した。


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