こじらせ師弟(前編)
鍵のかかっていないドア。
軋む開閉音に、ドアベルの涼やかな音が重なっていくのをもどかしく聞きながら、ジュリアは暗い店内に足を踏み入れた。
輪郭のぼやけた棚や椅子を器用に避けて走り抜ける。
足が、落ちていた花束を踏みしめた。
「お師匠様!!」
魔石灯に照らされた明るいリビングに着く前から、気が急くままに声を上げ、飛び込んだ。
二人分の視線がさっとジュリアに向けられる。
向かい合うように立つ、ラナンとリーダス。
体格の良い男と並ぶと、いかにもラナンは華奢だな、という感想が心の表面を滑り落ちて行った。
「お師匠様に何かあったかと」
ジュリアはなんとか、声を絞り出した。
見てはいけないものを見た気分は遅れて襲ってきて、視線が定まらない。
ヴァレリーとラナンが一緒にいるのを見るのとはまた違う。いや、その組み合わせには慣れただけだ。慣らされただけだ。
だが、今また違う男とラナンの組み合わせを見たら、(しんどい)という心情に襲われてしまった。
(ヴァレリーでも嫌だけど、ヴァレリー以外でもダメだな)
ことラナンに関しての心の狭さでは誰にも負けない自信がある。
「ジュリア、仕事は?」
ラナンが落ち着き払った声で聞いて来る。
「近くまで来たので……。ドアが開いていて、何かあったかと」
「ああ。いけない。店舗に商品もあるのにね。怪しい人影はなかった?」
「目の前に」
気が付いたら本音が口をついて出てしまい、後ろについてきたスヴェンが「ふっ」とふきだした気配があった。
「おいおい、こっちは上司だぞ。仕事さぼって何やってんだお前ら」
「施錠されていないお店があったら不用心なので店主に注意するのは、警備の仕事の一環です。隊長こそ何してるんですか。お帰りはあちらですよ」
流れるように言ってから、ジュリアはさらに進み出た。強引に、ラナンとリーダスの間に身体をぐいっと挟み込む。
「ジュリア、あのね」
背にしたラナンから声をかけられた。ジュリアは振り返らないまま、恐ろしく低い声で言った。
「なんで泣いているんですか? 泣いたでしょう、目が腫れていますよ」
「ああ~……これはね……。ジャックがね~……」
ラナンの返答はいまいち要領を得ない。
「ジャック? 隊長の名前って愛称で呼ぶとジャックですか?」
ジュリアは硬質な笑みを浮かべてリーダスにさらに詰め寄った。
「落ち着け。ジャックは海の藻屑になった」
「何言ってるのか全然わからないんですけど?」
豪華客船の話かな……とスヴェンが小さな声で呟いた。
完全に背を向けられていたラナンは、背後からそーっとジュリアの腰に両腕をまわした。
「!?」
息を飲んだジュリアを、逃げられまいとするかのように軽く引き寄せる。
「ジュリアさ。少し僕と話をしない?」
身じろぎすればラナンのどこかしらに触れてしまう、何より体勢的にはラナンに抱きしめられているという状態で、ジュリアは息すら止めてすべての動作を停止した。
「はなしですか」
(どうしよう。この体勢どうしよう。後ろからって何も見えないのがやばい)
凍り付いているジュリアを見て、スヴェンがくくく、と笑みをもらした。
「隊長。行きましょうか。ジュリアは早番だったから休憩ってことで。朝までに詰所に戻ってくればいいから」
片目を瞑ってにこりと笑ってから、リーダスを連れて出て行く。
その様子をぼんやりと見送って、姿が見えなくなり、遠くでドアが閉まる音が聞こえてから、ジュリアはようやく硬直から抜け出した。
「えっと……?」
問いかけると、ラナンが腕をといて離れていく気配があったので、ようやく振り返る。
目をほんのりと腫らしたラナンが、ゆっくりと言った。
「ジュリア、僕聞いちゃったんだよね。ジュリアの事情」