謎キスと本音(後編)
一瞬、ヴァレリーは視線を流して、ナイフを軽く胸の前で構えてみせた。
それが合図であったかのように、ジュリアは踏み込んで、剣を打ち込んだ。
ギリリリッと金属のこすれる音が空気を捩るように響く。
身長差はさほどでもないが、女性にも見えてしまうジュリアのこと、恵まれた体躯を持つヴァレリーとは膂力において圧倒的な差があるのが明らかであった。
競り合わずに一端ひく、
と見せかけて速さだけで横から抜きにかかる。
それを見越していたかのように、危なげなく受けるヴァレリー。
ジュリアは勝ち目がないと分かっているだろうに挑み続け、ヴァレリーはといえば正確無比な動作ですべていなしていく。
それを並んで見つめるスヴェンとロザリア。
(思えば)
ジュリアはずっと、ヴァレリーと本気でぶつかりたかったに違いない。
ロザリアはしみじみとした感慨にふけってしまった。
何かにつけて敵わない。
もともと腕には自信があり、逃亡中も鍛錬も怠らず、神殿で培った神聖魔法の使い手でもあって、女装をしても如才なく振舞える程度に目端の利く少年。それがジュリアだったのだが。
ヴァレリーはあらゆる分野でどうしても先を行く存在であり(女装ではジュリアの圧勝だとしても)、よりにもよってラナンとは昔馴染みで仲が良いときた。
ジュリアの心の中は、いいだけささくれ立っていただろう。
もはや発端を忘れたかのように、狭い路地で時に壁を蹴って縦横無尽にやり合う二人を見ていると、お互いの感情的な行き違いが爆発しているように見えてならない。主にジュリアが。
「これはさぁ……、犬も食わないねぇ」
腕を組んで壁に寄りかかり、スヴェンが呟いた。
「夫婦喧嘩みたいな例えはやめてください。こちらに剣先が向かってきますよ」
「お、そりゃ怖いな。ヴァレリーにはさすがに勝てる気がしない」
にやにや笑いながら気安い調子で言ったスヴェンを、ロザリアは胡乱げな目で見る。
「知り合い……?」
「オレとヴァレリー? そうだよー」
あっさり。
認められて、ロザリアはまじまじとその横顔を見つめてしまった。
ロザリアからしてみると、この男は女装時のジュリアにしつこく言い寄っていた相手という認識だ。
そのしつこさが、その実結構わきまえていて、脅威にはならない程度だったせいでずっと見過ごしてきてしまったが。
ここ二年間、気が付いたら近くにいた。
「ヴァレリーと……、連絡を取り合ったりしていたの?」
ヴァレリーの握っている情報を、知っているのかと。
暗に尋ねた内容にはすぐに思い至ったようで、にんまりと笑いながら髪をかきあげていた。
「取り合うというのは違うかなぁ。むしろ、オレの持っている情報を流して呼んだ。あれ以上の人材はいないって上にかけあって、王宮に推薦した。ちょっとジュリアだけじゃ心許無いなって思ったから」
心許無い。
何か、妙なことを言った。
剣戟の響く寒空の下、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んでから、ロザリアはゆっくりと聞いた。
「なんの話?」
「君の話かな」
「私が何?」
「追われてるだろ、神聖教団に。この国は宗教色薄いし影響も少ないけど、あいつら執念深いし。異端には目くじらたてるっていうか」
軽い。
さくさくと言われて、ロザリアは思わず押し黙ってしまった。
しかし、気が遠くなっている場合ではない。
「あなたやヴァレリーは、教団関係者では、ないの?」
「ないね。雇い主はこの国の上の方。ちょっとわけありで……、魔族と人の間に生まれた子どもに興味を持っているんだ。でも、そんなこと言ったら『実験動物扱いするつもり?』って君らが怒るんじゃないかって気にしちゃって。遠くから守るだけにしろってお達しがね」
「さっき、私、ヴァレリーに殺されかけた気がするの」
「気だけだろ? あいつなりに確かめたかったんだろう。教団が追いかけまわす異端児ってのは、どの程度ヤバいのか」
軽い。
ものすごく簡単に話を進められている。
「ヤバい力がもし本当に私にあれば、ここまで苦労しなかったわ」
「そうだよね。ところで腹減ってない?」
非常に変な間を置いて、ロザリアは隣の男を見上げた。
「腹」
「そう」
「今」
すわ打ち明け話か、というタイミングで見事に腰を折られてしまった。あまりの手際の良さに折られた事実に気付かないで話し続けそうになってしまったが。
「なんか食べよ?」
悪びれなく三度言われて、ロザリアは諸々飲み込んだ。
「減りましたね。なんか食べたい……」
「だろ? ジュリアの青春爆発に付き合ってないでなんか食おうぜ。おーい、そこの二人ー!」
ひたすらぶつかりあっている二人組に対し、スヴェンは能天気に声をかける。
犬も食わない喧嘩を続けていた二人であったが、気勢を削がれたように、微妙に動きを鈍らせた。
間もなく戦闘は終了するだろう。どちらかが身を引けば。
それを見届けた上で、ふとロザリアを振り返ったスヴェンが、自分の額に手を置いた。
「ところで、さっきからここ気にしているけど。なんかあったの? 虫にでも刺された?」
言われた瞬間、ロザリアは慌てて自分の額をおさえた。
目に見える痕跡などあろうはずもないのに、湧きあがって来た恥ずかしさのようなものに、頬を真っ赤に染めてしまう。
その反応が答えだったとばかりに、スヴェンは意味深ににやりと口の端釣り上げた。
「冗談だよ。虫なんかいないよね、いま時期」
そして、くすくすと声をたてて笑ったのだった。
 




