謎キスと本音(前編)
時はすこし遡る。
首をしめて殺される……!!
と、覚悟を決めたロザリアであったが、その時はなかなか訪れなかった。
とはいえ、あまりの恐怖に居ても立っても居られず目をきつく瞑っていた。
しかも、開けた瞬間、まさに自分を殺そうとするヴァレリーを目撃をしてしまったらどうしようと思うあまりに、なかなか目が開けられない。
開けられない。
そろり。
観念して、片目だけ開けてみた。
ヒッと息を飲んでしまう。
ものすごく間近な位置からヴァレリーに見つめられていた。
「何してるのっ?」
「いやあ。こう、本気の殺意でさ。危機感も煽ったつもりなんだけど。竜とか、何かの魔物に変化する様子もないなぁ……と」
目の奥をのぞきこまれるが、あまりにも近すぎて何がなんだか。
「だからって、そんな……。間違えて動いたらキスしそうな距離で見てなくても良くない?」
危うく唇と唇がぶつかるところだった。
いささか呆れてそう言ったものの、ヴァレリーは何を思ったのか「ああ」とくぐもった返事をしながら、ロザリアの額に軽く唇を押し付けた。
「~~~~~~~~!?」
ばっと手を当てて額をおさえる。
(なに!? 今の何!?)
視界の先では、何事も無かったようにヴァレリーが背を伸ばし、考えこむような遠い目をして自分の顎髭を指でしごいていた。
「ロザリアの方だと思っていたんだけどな。ジュリアなのか……?」
「な、なにが?」
「神聖教団が追いかけている『人型の魔物』だ。人と魔族を親に持つ……。教団の禁忌に触れた存在だとか。長く神殿の奥に秘されていたものの、処刑が決まった折に、世話を任されていた神殿の少年兵がさらって逃げたと聞いたんだが」
ちらり、と視線が戻ってくる。
額を両手でおさえたまま、ロザリアはびくりと身体を震わせた。
「事前情報と細かい齟齬があってな……。まず、『人型の魔物』は十代半ばかもう少し上くらいの少女だと聞いていた。なので、最初はジュリアだと思った。だがあれは間違いなく男だし、だとすると『少年兵』の方なんだと思ったんだが……」
視線が、ロザリアの上から下まで往復する。額をおさえている手にも気付いているだろうに、ガン無視された。
「前から気になっていたんだが……。ロザリア、お前、おとこなんじゃ……」
言いかけたそのとき。
「曲者、発見!!」
という威勢の良い叫び声とともに、走りこんだ勢いで斬りつけてくる人物が現れたのであった。
* * *
「言い訳できる状況に見えないんだけど」
ジュリアは、強く厳しく責め抜く口調で、真正面から対峙したヴァレリーに言った。
「そうだな。言い訳はしない。こう、なんだかんだでロザリアと二人きりって状況が今までなくてな。この機会にちょっと親交を深めようかとしていたのは、見ての通りだ」
のらりくらりとした調子で言い出したヴァレリーを、ジュリアは首を振りながら睨みつける。
「おっさんが、なんでこんなガキと親交深めたがるんだよ!? おかしいだろ!!」
「一緒に暮らしているわけだし」
「他人なんだからほどほどで遠慮しておけよ。好きでも嫌いでもなくても一緒に暮らすくらいはできるだろうが」
口うるさい小言のようにがみがみと言い募るジュリアに対し。
神妙な顔で聞いていたヴァレリーは、途切れた隙にぼそりと言った。
「お前はラナンに対して、ほどほどで遠慮するつもりあるのか?」
「ああ?」
完全に、険のある目つきと声で問い返したジュリア。
二人の乱闘を避けるように引っ込んでいたロザリアにとスヴェン。「ジュリア、ガラ悪ぃな」と呟いてスヴェンは噴き出した。
その視線の先で、ヴァレリーは存外に真剣な眼差しをジュリアに向けていた。
「『お師匠様』としてのラナンは、この二年間、なんの縁もゆかりもない他人のお前らを養っていたんだよな? お人好しとしても度が過ぎるわけだけど、つけこんでる自覚くらいはあるだろ? それでこの先、どうするつもりなんだ。お前、あいつに何を返せるんだ?」
うっとひるんだジュリアに反論を許さず、ヴァレリーはさらに続けた。
「見返りを求められていない、なんて言うなよ。他人だからな。た・に・ん。安全な生活、不自由のない衣食住。逃亡犯にしては恵まれ過ぎた環境にあったわけだけど、全部あいつのおかげだよな。日々の世話くらいはしていたみたいだけど、それで返せたつもりになってるのか?」
逃亡犯。
明確な意味を有するであろう単語をつきつけられて、ジュリアのただでさえ固い表情が凍り付いた。
「あんたまさか……」
硬化した態度を探るように見ながら、ヴァレリーは穏やかな声で言った。
「神聖教団が秘してきた異端児が、処刑を前にさらわれたという話は少し前から噂になっていたんだ。さらったのは、教団で剣技の訓練を受け、神聖魔法由来の治癒魔法などをいくつか修めた年若い僧兵……。さて」
「賞金稼ぎの真似事か。教団の依頼を受けて追って来たのか?」
問うジュリアの身体から、ゆらりと細く湯気のようなものがたちのぼる。
「だったらどうする? お前、俺に勝てるのか?」
ヴァレリーが、頬を歪めて笑った。
「それは。やってみなければ」
言いながら剣を構えたジュリアに対し、笑みを浮かべたままヴァレリーは言った。
「仮に勝てたとしてどうする。ラナンには、なんて言うんだ? もしくは、言わないのか? 積み上げてきた関係のすべてを壊すだけ壊して、言い訳すらしないでいなくなる、か。お前にそれができるっていうなら、俺には戦う理由もない。この場で見逃してやるぜ」
剣先が、わずかに揺れる。
動揺を瞳にはしらせたジュリアが、思わずのようにロザリアを見た。
その横顔に、ヴァレリーが厳然たる口調で声をかける。
「ジュリア、決めるんだ。逃げるなら追わない。あくまで戦うというのなら、相手をしてやる。ただし、お前が負ければロザリアは無事では済まない。勝てば、もしかしたらこの街で暮らし続けることはできるかもしれないが……。家族である俺を、お前が殺したと、ラナンに伝えた上で、にはなるだろうな」
「……ヴァレリー……!」
渦巻く思いをのせて、ジュリアが血を吐くように呟く。
一方のヴァレリーは泰然とした様子を崩さず、トドメのように言い切った。
「詰んでるんだよ、お前」




