前編
「えー、先日隣のクラスの霧島くんがトラックに撥ねられて以来、行方不明となっている件ですが、皆さんも何か目撃したり、少しでも関係のありそうな情報を知ったら、すぐに先生達に教えてください。それと、くれぐれも自分の身の安全に気を付けて行動するように」
帰りのホームルーム。はーい、と気だるげな合唱が、梅雨明けの蒸し暑い教室を包んだ。
初老の杉山先生は次いでいくつかの連絡事項を告げると、忙しそうに教室を後にして行った。大方先ほどの失踪事件の事で何かあるのだろう。
1-B組の少し暗めな霧島くんは、一昨日の放課後、交通事故に遭い、敢え無く消えてしまった――比喩ではなくマジである。普通ならトラックに撥ねられようものならば、体が吹っ飛び遺体はグチャグチャご愁傷様南無大師遍照金剛と言ったところだが、文字通りその遺体はおろか、血痕や制服ごときれいさっぱり消えてしまったのだ。不思議なこともあるものである。
身近にそんな事件が起こったとあって、この1-A組の生徒達なんかも、昨日1日は怖いね~大丈夫かな~などと大層な不安に苛まれたりもしたのだが、そこはカジキマグロ並みのスピードで生きる高校生、2日も経てばすっかり元の調子だ。
せめて俺くらいは、同じ陰キャ属として1週間くらいは彼の無事を――願わくば異世界など行って、無双などしちゃっている事を祈っておこう。
そんな金曜日の帰り道、部活動にも入っておらず、特に学校に残ってする事も無い俺――山村ハジメは、自宅の近所にある小学校に足を踏み入れた。いや、何も変態とかロリコンという訳ではない。先日の事件(事故?)を受けて、この市立山田小学校の生徒は、昨日今日と保護者に迎えに来てもらっているのである。
ウチの場合は両親が共に遅いので、この俺が直々に、今年小6になった妹をわざわざ迎えに来てやっているという訳だ。
「おーい、兄ちゃーん」
反抗期を迎えつつある妹だが、こうして俺に向かって健気に手を振る様は実にかわいらしい物である。俺は担任の先生に学生証を見せ、駆け寄って来た妹――つぐみと合流した。
「遅いよ~、体育館暑いんだからなるだけ早く来てねって昨日言ったじゃん」
せっかく迎えに来たのに大層な態度だ。
「仕方ないだろ、俺だって学校なんだから。友達と話してたんだろ?」
「そうだけどさぁ、まーいいや。早く帰ってエアコン点けてアイス食べよっと」
まずいな、つぐみの分のアイスは昨日食っちまったんだった……。どう言い訳しよう……等と考えながら二人で夕暮れの通学路を歩いていたら、事件は発生した。
つぐみが道端で変なものを発見した。
「なにこれ、卵?」
「ん? うわデカッ! なんだこれ……」
それは確かに形こそ卵だったのだが、その大きさが俺の知るそれとはかけ離れていた。目算だが、高さ1mはある。
「ダチョウの卵か? いやでもなんでこんな所に……」
「あ、もう2個ある」
「2個!?」
つぐみは物怖じせずに、電柱に隠れていた2個を真ん中に引っ張って来た。よく見たらちょっと震えているないか?
「お兄ちゃんどうする? 飼う? 食べる?」
食べる、という言葉に、卵が一つ大きく震えた。
「いやいやいやいや、どう考えても危ないだろうホラなんか動いてるし。エイリアンとかだったらどうする、ちょうどあっちにダンボール箱があるから、そこに入れて返してきなさい」
これはもう確実に地球産ではない。卵らしき物の一挙手一投足(手足ないけど)に明確な意思を感じ取れる。そんな物を家に入れようとする妹のデンジャラスさに、臆病者の兄としては戦慄するばかりだ。
「えー可愛いのに。それにほら、カラスがそこらで狙ってるから、置いておくと食べられちゃうよ。可哀そうだよ」
「そうは言ってもだな……。母さんが何と言うか……」
「俺からも頼むぜお兄ちゃ~ん」
「誰がお兄ちゃんだ……ん!?」
突然の何者かの便乗に、ハッと卵を見ると、三つの卵がそれぞれ光を放っていた。
「私達、住む所に困ってるんです」
次いで細く艶めかしい女の声がする。
「ゴロロロロ……」
次いでよくわからない声。
「わぁ! なんか出てくる!!」
興奮気味に腕を引っ張る妹の存在を彼方に感じながら、俺はジッと、ゆっくりと収束するその光から姿を現そうとする、三つの影に注視した。
眩い光は、暫く経って漸く収まった。ドキドキしながら目を凝らすと、果たしてそこにいたのは、魔女みたいなコスプレをした幼女と、よくわからない赤い物体……犬? と、そして何故か足の骨を頭上に持って来ている……骨? だった。
「な、この通り!」
「いやどの通りだよ。なんだよお前ら」
目の前には三匹(?)の得体のしれないモンスター。普通なら真っ先につぐみを抱えて逃げるところであるが、あまりに人知を超えた光景に、我を忘れてつい突っ込んでしまった。
見るとそいつらは、確かに常世の者とは思えない姿かたちをしている。幼女はわからんけど。しかし、エイリアンとか恐ろしいモンスターと言うには、結構かわいらしいサイズだった。せいぜい先ほどの卵より少し小さいくらいだ。
「わぁ~、ちっちゃい! かわいい! ねえお兄ちゃん、やっぱりこの子たち飼おうよ」
「マジで言ってる!? そらちっちゃいけど明らかに地球外生命体だよね!?」
「そいつはちょっと違うぜ兄ちゃん。俺らは異世界から来たんだ」
「異世界も宇宙も同じじゃ同じ!! ん? 異世界?」
足の骨を元の位置に戻しながら、やけにダンディな声で人骨が喋った。
「俺はスケルトン、こっちがダークウィッチ、こいつはラヴァドラゴンだ」
地球外生命体と言うよりは、ゲームの敵モンスターみたいな感じだ。
「異世界って、あの剣とか魔法とかなろうとかの?」
「その異世界です。チー達は、そこからこの地球に転移して来たのです」
「ゴロロ……」
ダークウィッチと呼ばれた、自分の事をチーと呼ぶ魔女っ子幼女が、フォローを入れてくれた。ラヴァドラゴンは相変わらずゴロロとしか言わない。ドラゴンというか、見た目的にはどっちかというと中型犬だ。
「転移って、まさかこの地球を侵略しに……!?」
「まさか。事故だよ事故。あー、とりあえずここじゃ目立つから、アレだ、お前らの家行こう。そしたら説明する」
「何サラッと人の家上がろうとしてんだ! ダメダメ!」
「えー、いいじゃーん」
「いいじゃーん」
「ゴロローン」
極めて常識的な対応をする俺に、つぐみと魔女っ子、そしてラヴァドラゴンが揃って異を唱えて来た。
「何仲良くなってんだお前ら!!」
「大丈夫だってなんもしねぇから。マジで」
「あこら勝手に行くな!! 待てー!!!!」
気が付けば俺の狭い一人部屋は、俺、幼女、そして犬と骨で、かなり賑やかな空間になっていた。
「何でこんな事に……」
「ほお、いい趣味してんじゃねぇか兄ちゃん」
「ラバ、もうちょいそっち詰めてください」
「あ、コラこっち来るな暑いから……ってあ゛っつ゛い゛!!!」
ラバと呼ばれたドラゴン(?)は、胡坐をかく俺の膝の上に座ると、犬のように丸まってしまった。百歩譲ってそれはいいのだが、この犬カイロ並に熱いのだ。この気温、及びこの室内の密度だと相当きつい。
「つぐみ、エアコン!!!!! 早く!!!!! 18度!!!!!! てか仮にもラヴァドラゴンとか言ってるのにカイロ並の温度って……。いや熱いけども……」
人数分の麦茶を持ってきたつぐみにエアコンを点けさせる。
「そりゃまあ俺達弱っちまってるからなぁ」
「弱ってる?」
グダグダしているうちに、いつの間にか俺も妹も話を聞く体制に入ってしまっていた。これぞ読者に嫌われるタイプの主人公にありがちな流され体質。つーか骨、そのスカスカの体でどうやって喋ってるんだ。
「こっちに来ちまった代償って言うか……。ま、逆チートってとこだな」
「なんじゃそりゃ。そもそも、来ちまったって……」
「んっく、そもそもの原因は、この世界から私たちの世界に勇者が転移してきたことなのです。んっく……これおいしい」
幼女が麦茶を飲みながら、口を挟んできた。よく見るとでかい魔女帽子に隠されて長い耳がひょっこりと出ている上、肌は少やや青く透き通っている。彼女もやはり骨や犬と同じくくりということか。
「勇者?」
「はい。我々魔族の天敵であり、人と魔の間で争いが起こると、異世界人の手によりこの世界から召喚されてくる実力者です。大抵なんかすごいチートを持っているので、歴史上我々が人類に勝利したことは一度もないのです」
「な、なるほど……」
まんまよく見る小説やゲームの展開だ。俺はそれを聞き、脳裏に一瞬だけ霧島君のことを思い浮かべた。
「で、それでなんであなた達がこっちの世界に来たの?」
「俺達は生贄だったのさ、嬢ちゃん。異世界から勇者を転移させる際には、その生命力と同等の対価が異世界――この世界だな――にランダムで送られる。世界の強制力ってやつさ」
「へー、なんかかわいそう」
「ゴロロン」
「そうでもないのです。私達三人は、あの永劫の戦いに、嫌気がさしていたのです」
魔女っ子――ダークウィッチが、窓の外に遠い目を向けた。そんな態度を俺は意外に思って、問うてみた。
「意外だな、魔族って、いかにも戦闘民族って響きなのに」
「間違っちゃいねぇよ。まあ、俺たちが異端ってこったな。とにかく、どんな形であれ、ようやく手に入れた平和だ。こっちにいる間はのんびりぐーたら大人しく暮らすよ。転移の時に、元あった力は向こうの世界に取られて、大した事も出来ないしな。」
「逆チート、ね……」
「グァーオ」
俺の膝の上で相槌を打つように、ラヴァドラゴンがあくびをした。厚かましい奴め。
「わぁ~、その子可愛いねぇ。ね、こっちおいでおいで!」
「ふ、そいつは俺らの世界じゃぁ、《高貴なる龍》とも呼ばれる実力者だぜ。お嬢ちゃん如きにゃ御しきれないさ」
そう告げる骨の横で、つぐみが手を叩いてラヴァドラゴンーー高貴なる龍を呼び寄せる。呼ばれた方は満更でもなさそうに、伸びをしてからすり寄って行き、寝っ転がってお腹を見せた。
「グロロロ~~~」
「媚び媚びじゃないか……」
その燃え盛る炎のような体毛さえなければ、どっからどう見ても犬である。見た目ほど熱くは無いが、なんだか商業的なあざとさも感じる。
「……つうわけで、兄ちゃんよ。ちょっとの間でいいんだ。かわいそうな俺達をどうかここに置いちゃくれねぇか」
「ねぇいいでしょお兄ちゃん、かわいそうだよ~! お世話はあたしがするからさぁ〜」
「捨て犬か」
じゃれた声でつぐみがおねだりをしてくる。こういう時だけ自分の武器を最大限に使ってくるあたり、全く賢しい妹だ。
「う~~~~~~ん、ダメだ!! 確かに同情はするけど、メシ代とか散歩だって……。それに結局俺が世話する羽目になるんだから……」
「ママか」
「安心しろ、俺たちはメシも散歩もいらねぇ。寝床だけあればいいんだ。頼むよ」
「……お願いします」
「ゴロ……」
「うぐ……だ、ダメなもんはダメだ! 政府に頼るとか、もうちょい裕福な奴に取り入るかしてくれ!」
俺が良心の呵責を精一杯押さえ込みながらそう告げると、三匹は残念そうに俯き、同時に立ち上がった。
「そっか……。へへ、まあそうだよな……。所詮俺たちは魔の陣営にも人の世にも相容れぬ化け物。どの世界でも厄介者さ。すまなかったな、兄ちゃん、嬢ちゃん」
「仕方ない、今日は裏山で野宿なのです」
「ゴロロロン」
「お兄ちゃんの悪魔! ケチ! 人類の恥! 金本知憲!」
ぎゃーぎゃー言うつぐみを横目に、とぼとぼと歩き出す三匹。だがそんな姿を見ても俺の決意は固い。
下手したら人類の敵になりかねない異生物と仲良くできる程、俺は責任感ある性格でも、お人好しでもないのだ。逆に言えば、俺の近くで無いところでなら、別に何が起きても知ったこっちゃない。
「じゃあな。短い間だが、世話になった」
玄関口で、三匹が揃ってお辞儀をした。
「ああ。二度と会うこともないだろうが、元気でな」
「さよならなのです」
「ああ」
「ゴロロ……」
「しつこい」
それから1ヶ月。夏休み前最後の登校日も無事終わり、未知との遭遇事件は思い出の1ページと化し、俺の生活はすっかりと平穏を取り戻して
「お兄ちゃーーーーーん!! ラバが散歩連れてってだってーーーーー!!!!」
「グォロロロロン!!!」
「ハジメ、見てください。今日は鶴を折りました。鶴なのです」
「おいハジメ〜、この『自称・名野球監督だけど異世界行って采配無双する』の2巻ってまだ出てねーの〜?」
いなかった。結局あの後、情に負けた俺は、両親に内緒で一ヶ月もこの三匹をこの部屋に匿っていたのだ。人類の敗北。正確にはチー――ダークウィッチの愛称だ。チーだけはつぐみの部屋で暮らしているのだが。
「いっぺんに喋るな!!!!!! まずおかえりだろ! つぐみ! 今日はつぐみが散歩係でしょ! 上手に折れてるぞすごいぞチー! スケさん! 『イセカン』二巻は来月だ!」
最初は居候らしく、三者三様に多少はしおらしくしたりもしていたのだが、その図々しさは日ごとに増していき、今では毎日こんな喧騒だ。
「あーそうだった。メンゴメンゴ。いこ、ラバ!」
「ゴロン!」
「えへぇ……」
「来月か〜。本当に続刊出んのかこれ?」
最も本当に食事も取らないし、散歩も当番制で行ってるし、チーが魔法でこの部屋を完全防音にしてくれたり、スケさん(スケルトンだ)は面白い異世界の話をしてくれたり、こっそり家事を手伝ってくれたり、文字通り体(骨だけど)を張ったギャグを披露してくれたりと色々助かってはいるので、Win-Winとまでは行かないが、それなりにいい関係は築けている。ちなみに両親からはぬいぐるみに見えているらしい。魔法ってスゴイ。
しかし、今までは学校に行っており、平日の日中はこいつらの相手をせずに済んでいたので多少なりとも余裕もあったのだが、これからの約一ヶ月、一日中騒がしい生活を考えると頭痛がしてくる。つぐみとラバが散歩に出かけるのを見送って、今日こそは今後についてしっかり話そうと、俺はベッド(無論俺のだ)に座るスケさんとチーに向き合った。
「あのな、俺は今日から夏休みなわけよ」
そう切り出すと、二人とも真剣な眼差しで俺を見つめてきた。スケルトンだから眼窩の奥は真っ暗だけど。
「おう、知ってるぜ。仲間と海行ったり山行ったり、ばーべきゅー? とかいうのをしたり、お祭り行って花火? とかいうのを見たりとにかく遊びまくる期間だろ? 俺たちもどっか連れてってくれよ」
「うみ……! やま……!」
「ぐっ……」
話の前に、重大な誤解を解く必要があるようだ。
「まず一つ、そんな夏休みを送るのは創作物の登場人物か、俺と対極に位置する人類だということ。二つ、よって俺はこれからほとんど外出をせず引きこもる。それから三つ、なので、出来るだけ、静かに過ごすように!!!」
痛む心を抑えながら、なんとか伝達事項を言い切った。ぼっちとは、いつの世もどの世界でも辛いものである。
「えー、折角の長い休みなのにそんな生活送ってたら、干からびて骨になっちまうぜ」
「お前は元々骨だろ」
「海……山……!」
スケさんのしょっぱいジョークにも一応ツッコんでおく。
「クーラーの効いた部屋でダラダラするのもいいもんだよ。それに、チーはともかくスケさんは外に出たらマズイだろ。そのナリで」
肝試しならともかく。
「んにゃ? 最近はたまに散歩したりしてるぜ」
「はぁ!? おま、お前……」
「大丈夫。認識阻害魔法をかけていますので」
「おお、なんて便利な……ってそういう問題じゃないだろ! お前らが鍵開けて家出たら、開けっ放しになるじゃないか……!」
「そういう問題か?」
日に日に行動範囲が広がってく三馬鹿に末恐ろしくなりつつ、取り敢えず話を最初まで戻すことにする。
「とにかく! 夏休みにどっか行くとかはないから!」
「ぶー」
チーが不貞腐れたが、こればかりは譲れない。この夏は新作ゲーム三昧で過ごすのだ。
「それとは別としてよ、今から一緒に出かけねぇか」
話がひと段落ついた所で、スケさんが新たにめんどくさそうな提案をしてきた。
「やだ」
「即答かよ。チーの折り紙が無くなっちまったんだってよ。折角だし一緒に買いに行こうぜ」
「折り紙……?あぁ、もう切らしたのか」
「いっぱい作ったのです」
チーが自慢気に胸を張った。チーはこの頃折り紙にハマっており、つぐみの部屋には既に結構な数の作品が所狭しと置かれている。
「いっぱい作るのはいいけど置き場所がなぁ……」
「?」
チーは首を傾げた。
「あいつは何も言わんが、部屋が折り紙だらけになって、自分のスペースが無くなって、多分困ってると思うぞー」
「なんと……。つぐみ、作ったのを見せるとすごい喜んでくれました。けど、つぐみを困らせるのは、本意ではないのです……」
「嬢ちゃんは優しいからなぁ」
「うーん、そうだ、ちょっと待ってろ」
俺はある物の存在を思い出し、クローゼットを漁りに行った。幸いなことに、目的のブツは案外すぐに見つかった。
「ほら、これ」
「これは……宝箱ですか……!?」
持ってきたのは、俺が小さい時に使っていた、ゲームの宝箱型のおもちゃ箱だ。ご丁寧に鍵までかかる仕様だ。
「ほぉ、中々の代物じゃねぇか」
「おもちゃ箱だけどな……。チー、これに折り紙を全部しまったら、新しい折り紙を買いに行ってもいいぞ」
「やる! 急いで片付けるのです!」
チーは目を輝かせて、宝箱を抱え一目散に隣のつぐみの部屋へと入って行った。
「やれやれ……」
「懐かしいな、アレ。俺らの世界では八割ミミックだったがな」
「それはもう宝箱の方をミミックに寄せて作ったんじゃないか?」
嵐の去った部屋で、男二人雑に会話する。相手が図々しい居候ではあるが、実は俺はこの時間が、そんなに嫌いでも無かった。
「ハジメも嬢ちゃんも、やっぱり優しい奴だよ」
「ふ、知ってるよ」
「ハジメ! 終わったのです! 全部入ったのです!」
そこに、片付けの終わったチーが入ってきた。
「よーし。ならばチーにこの鍵を授けよう」
「ふぉぉ……」
「これをこうして、首にかけて……。よし、これでこの宝箱は、チーにしか開けられなくなったぞ。チーよ、そなたをその宝箱の守り手として任命する」
「チーの宝箱……死守します……!!」
宝箱の鍵に、用意しておいた毛糸の紐を通してペンダントにして、それをチーの首にかける。子供のおもちゃではあるが、これだけ喜んでくれるとこっちまで嬉しくなるな。
「お前らチーには甘いよな」
「可愛いから仕方ない」
「お前らより遥かに年上だけど「あーあー聞こえないー」
可愛いは正義である。実年齢などは大した問題では無いのだ。
「それじゃあ仕方ないな、出かけるか。お前ら、認識阻害とかいうのはしっかりしとけよ」
制服から私服に着替え、財布を手にしながら二人にしっかりと念を押す。
「わかってるよ、頼むぜチー」
「了解なのです」
そう言って、チーは袖口から杖を取り出し、ごにょごにょと何らかの呪文を唱えた。
「おお、スケさんが半透明になった」
なんだかんだ見た目には慣れきってしまったが、こうして見るとやはり二人とも異世界の住人なんだと実感する。
「ハジメ以外の奴には完全に見えないようになってるぜ。認識ごとジャミングするからぶつかっても平気さ」
「さらっと凄い事を……」
「いいから出発するのです」
さっさと行ってしまったチーに急かされ、俺とスケさんは小走りで玄関へと向かった。勿論戸締りはちゃんとしておく。カギっ子の流儀だ。
「はいはいっと……。元気だねぇ」
「ババァなのn「スケうるさい」
余計なことを言った哀れなスケさんは、チーの手で一瞬にして全身の骨を組み換えられ、奇怪なオブジェへと変貌を遂げた。
「歩けないんだけど」
「転がればいいのです」
「えぇ……」
面白い光景なので放っておこう。
「お、意外とらくちんだな、これ」
「えーっと、折り紙だから……文房具屋でいいか」
一駅向こうのデパートと迷ったが、他に買うものも無いし、地域貢献も兼ねて近所の商店街に行く事にした。
「三人だけで出かけたなんて言ったらつぐみの奴が拗ねそうだし、お土産にアイスでも買ってってやるかぁ」
商店街は平日の夕方とあって、近所のおばちゃん方で賑わっていた。透明なチーとスケさんを伴い、ひとまず文房具屋へと向かう。
「お、こいつはまさか、あの魔剣ダーインスレイヴか?」
「この魔導書、欲しい……」
おもちゃ屋や本屋の軒先に並ぶ商品に次々と目を移す二人を見て、なんだか微笑ましい気分になったので、柄にもなく少しノってやる。
「ククク……。流石にお目が高いな、二人とも。如何にもそれは、かつてかの暗黒剣士『ダーインスレイヴ』の愛用せし魔剣で、そっちの本は禁呪の記された魔導書、テレヴィ・クンだ」
「何言ってんだハジメ、ダーインスレイヴは魔界工場製の大量生産品だぜ」
「禁呪はほとんど記憶しちゃったのです……」
折角ノってやっても、モノホンが相手だと大抵こんな感じで空振りに終わる。やりにくいことこの上ない。
そんな事をしてると、丁度文房具屋の前に着いた所で、俺はピタリと硬直してしまった。
「あれ? 山村くんだ」
文房具屋の扉から、よく見知った顔――同じクラスの真尾さんがひょっこり出て来たからだ。
「ま、ままま、真尾さん! ども……」
「山村くんもお買い物? 私は昨日のテストで消しゴム折っちゃってさ~」
コミュ障スマイルで先制挨拶をする。思うように喋れないのは仕様だ。真尾さんは俺の様なやつにも分け隔てなく接してくれる、陽性陽キャ(良き陽キャのこと)の鑑であり、顔も可愛くて、当然のようにクラスの中心人物でもある。
「うん、ちょっと色々買いに……」
「そっかぁ、それじゃ邪魔しちゃ悪いし、またね~!」
そう言うと、真尾さんはとてとてと歩いて行ってしまった。
「コレか?」
邪魔が薬指を立てつつ何か言ってきたが、無視を決める。いやハンドサイン間違ってますがな。
「ほ~ら、着いたぞチー、好きなのを選べ。ただし一つだけだぞ」
「む、むぅ……。キラキラなのもいいけど、こっちの柄付きも捨てがたいです……」
「普通が一番だと思うけどな、俺ァ」
そんなこんなで冷房の効いた店内に無事入ったので、色とりどりの折り紙に目を輝かせるチーを横目に、俺は自分の勉強道具を見ることにする。スケさんは勝手に店内をうろついているようだ。
ふとそのスケさんを見やると、ある一点をじっと見つめ、まるでトランペットを眺める少年のように立ち止まっていた。気になってこっそり後ろから見てみると、スケさんの視線の先の棚には、子供用の、小さなバスケットボールが鎮座していた。
「欲しいのか、それ」
突然話しかけられたスケさんが、やや肩をびくつかせる。
「……いや、いいよ」
「何遠慮してんだよ、ホラ」
有無を言わさず、棚にあった商品を一つ取り、チーの元へと向かう。
「おい、チー、決まったか~」
チーは俺の声に反応して駆け寄って来た。
「苦渋の決断ですが、このピカピカに光ってるやつにするのです」
「おう、いいんじゃないか」
チーから折り紙を受け取り、レジへと向かう。店員に訝し気な眼で見られた気もしたが、コミュ障特有のいつもの被害妄想と決め込んで無視。
店を出ると、空は少し暗くなっていた。
「急がないと、そろそろつぐみが帰ってくるな。三人で買い物なんて言ったら怒るかな……」
ご機嫌取り用に、アイスでも買って行ってやらねばならない。
「ハジメ、ありがとうです」
「……ありがとよ、ハジメ。それと……」
チーが満面の笑みで、スケさんは恥ずかしそうに、俺に感謝を告げてくる。うむ。モンスター相手でも悪い気はしないものだ。
「いいって事よ。それと、なんだ? スケさん」
スケさんは心なしか震えながら、俯き気味にこう告げた。
「いや……プ、クク……認識阻害はあくまで俺達の存在を隠すだけだから、ハジメは傍から見たら……延々と独り言を喋る変な奴になってたぜブハハハハハ!!!!」
その言葉に、咄嗟に辺りを見回す。そういえば周りの眼が、いつもより厳しめな気がする。店の中でも、てっきりあの便利な魔法で何とかなってると思って、めちゃくちゃ大声で喋ってしまっていた。
「さ、ささ……先に言え!!!!!!!!!!!」
俺は顔に熱を感じながら、小声で叫んだ。
「時にハジメよ」
夕飯後。一緒に風呂に入っていたスケさんが、突然切り出した。
ちなみにスケさんは風呂が好きだ。だがホイホイ毎日入られていては、いつ両親に姿を見られてもおかしくないので、今は週四で一緒に入ることにしている。
「なんだスケさん」
「お前は、異世界に行ってみたいとか、思ったことあるか?」
髪も無いのにシャンプーで頭を洗うスケさんの質問に、何の気なしに湯船から答える。
「そりゃああるさ。わかりやすい伏線張りまくりの女神様に会って、描写は近世っぽいのに中世ヨーロッパ風って説明しがちな異世界に行って、主人公に即落ちする程惚れっぽいのに、割りには処〇のヒロイン達に囲まれて――。そんな妄想、男なら誰しも一度はするもんだ」
他意は無い。
「ハハ、まぁ俺たちのいた世界はもっと壮絶だったけどな。争いが永遠に続く、不毛な世界だよ。人間と魔族の戦争だけじゃない。国家、種族、人種、魔族だって魔王の政権、派閥や血族……。諍いの種はそこら中に転がり落ちていた。息を吸うように殺し、息を吐くように殺される。絶望に支配されてるのさ」
「お前は、その世界が嫌いなのか?」
昔語りモードに入ろうとしているスケさんに、こちらから質問する。
「嫌いだね。人間も、魔族も、あの世界も。だから俺は逃げ出したんだ」
「スケさん……」
「ま、いつまでも逃げてる訳にはいかねぇけどな」
シャワーの音に紛れて聞こえた、その小さな声は、酷く切実な思いが込められているように感じた。
「むかーしさ」
「うん?」
「ずっと昔、初代魔王が誕生した頃のおとぎ話でさ。魔王に仕えて人里で好き勝手していた、すっげぇ悪い魔物、三魔将ってのがいたらしいんだわ」
何やら神妙な顔で、スケさんがおとぎ話を始める。
「そいつらは結局全員、魔王と共に人の手で死んだらしいけどさ……。以来魔王軍だと、魔王一代につき最も残虐な魔物三体に、三魔将って称号を付けて可愛がってるらしいぜ」
「そりゃあまあ、なんとも……」
「もしそんなんが本当にいたとしたら、俺はそんな奴、絶対に許せねぇな。この手で殺してやりたいくらいだ」
スケさんが珍しく物騒なことを言う。彼には彼なりの矜持と言うものがあるのだろう。
「まあ、な……。でも、そいつらって、人に殺される瞬間にはどんなことを考えてたんだろうな」
なんとなく、感じた疑問をぶつけてみる。スケさんは一瞬こっちを見て、失笑した。
「どうせしょうもない事だろ」
「そうかぁ? 絶対恨みMAXな気もするけどな」
「俺はさ、偶然だけどこの異世界に来ちまって、よかったと思ってるよ」
突然そう呟くスケさんの全身の骨の隙間から、シャワーの水が滝のように零れ落ちていた。
「そう思うなら、そろそろ金銀財宝とかくれてもいい頃合いだと思うけどな」
なんとなく真面目な雰囲気がむず痒くて、笑って茶化す。
「ハ……無茶言うない。俺が出せるものなんて、精々骨か死体くらいさ」
「怖い事言うなよ……」
「風呂上がりにアイスくれたら、あばらの一本くらいはくれてやるよ」
「いらんわ! 何ちょっとかっこいい風の台詞言ってんだ! つうかアイス食べれないだろ!」
その日は風呂上りに俺の部屋でお風呂上りにアイスを食べながら、みんなで金曜ロードショーを見て、スケさんに骸骨流マッサージをしてもらって、布団に入った。
孤独を愛するインドア硬派の筈だった俺は、いつの間にか、こんな騒がしい毎日も悪くないなんて思うようになっていた。
翌日。夏休み初日ともあって、二度寝最長記録を更新しようと寝ながら張り切っていたのだが、チーとラバのベッドスタンピング攻撃に肝を冷やし、俺は午前中の陽光照り付ける公園に半ば強制的に磔にされていた。三人の処刑人は、子ども用のバスケットボールで仲良くボール回しをしている。
ちなみにラバだけは認識阻害なぞせずとも、近所ではちょっと変わった犬として通っている。ドラゴンだけれども。
「なあ、スケさんもつぐみとテレビ見てないでよかったのか?」
「いや、外出たかったし、俺は暑さなんて感じないしな」
一応つぐみも誘ったのだが、『水風呂のないサウナなんて入りたいと思う?』とだけ言って冷房の効いた部屋に引っ込んでしまった。無理もない。
ボジョレー・ヌーヴォーの如く例年記録を更新し続ける酷暑は、今年も人類の仇敵として、俺達に試練を与えている。呑気に遊ぶ三匹は全然平気そうなのが腹立たしい。
別にしなくてもいい首輪を着け、投げられたボールを嬉しそうにキャッチするラバは寧ろ心地よさそうにしており、俺の頭の上に乗って休憩しているチーは、魔法で自身の体から冷気を発してくれている。多少重いがいい氷枕だ。
「にしても本当に便利だよな、チーの魔法って。弱くなってるとか言ってなかったっけ?」
「本気を出せばこの百倍以上の出力なのです」
「ハハ……」
猜疑半分恐怖半分で愛想笑いを返す。本当に何者なんだろうこいつらは……。
今更ながらそんなことを考えていると、スケさんが何故か顔をしかめた。骨だがなんとなく感情はわかるのだ。
「どうした?」
「……来るぞ」
「え?」
次の瞬間、熱風が俺達を襲う。
「うおおお!?」
尻もちをついた俺に手を差し伸べながらも、スケさんはある一点を見つめている。ラバは俺の前に立つようにして唸り声を上げ、チーは俺が尻もちをついた拍子に、頭上からスケさんの横に降り立った。
「いてて……なんだ……!?」
果たして眼前には、穴があった。内側に、塗りつぶしたような漆黒を内包するそれはまるで俺達をを誘うようであり、また拒絶するかのように静かに宙に浮かんでいる。
瞬間、前方から凄まじい爆音が響き、三人の姿が土煙に消える。
「皆!!!!」
「久しぶりに帰って来れたと思ったら……何故こっちに魔物がいるんだ?」
土煙の中から、声がした。だがスケさんの物ではない。俺の知らない、やや高い男の声だ。
煙が晴れ、視界がだんだんと明瞭になる。眼前には、黒ずくめの装束に身を包み、明らかに法規範をガン無視している細身の長剣を右腕に携えた青年――そして、その剣先が向けられた地面には、スケさん達が、倒れ伏し蹲っていた。
「ハジメ、逃げろ……」
スケさんが振り絞ったような声を漏らす。だが俺は、今繰り広げられている光景に理解が追い付かなかった。
「なんで人間が、魔物と一緒にいるんだ?」
目の前の青年が、静かに、冷酷に、その言葉を発した。
後半へ続く(キートン山田)