第Ⅰ章 3話 【憧れ】②
外は雨は止んだものの相変わらず灰色一色の曇り空だった。さっきのは偶然雲に隙間があったのだろうか。そんなことを考えていたアリシアは、本棚から取り出した絵本をノアが抱えているのに気付き絵本を覗き込む。
「坊ちゃま、その本を読まれるのですか?」
「うん、なんだかすごくきになっちゃって。アリシアよんでくれる?」
「お安い御用です!」
アリシアは嬉しそうに絵本を受け取って机に広げた。
表紙には七色に輝く光を背に堂々と立っている若い男の絵と「大賢者伝記」という題名が大きく書かれていた。
「これは実際に居た昔の大賢者様の物語ですね」
「だいけんじゃさま?」
「はい。『神の子』や『偉大なる勇者様』、『伝説の魔法師』など王国では色んな呼び名がありますけれど一番有名なものが『大賢者様』ですね。大賢者様の伝説は沢山残っていて、私たちが住んでいるこのジュエリアル王国だけでなく隣国のフォースエリア皇国やケモナルド商業国を作るときに大きな役割を果たしたとも言われているんです。この絵本はそんな大賢者様の伝説のひとつを子供向けに分かりやすくしたものですね」
大賢者は名前の通りに偉業を成し遂げた人物であると語り継がれ、現代では神話の神と同等の扱いを受けているほどのいわば国全体で信仰している神のような存在なのだ。
「ねぇアリシア!はやくよんで!だいけんじゃさまのおはなしきかせて!」
「わかりました!このお話は大賢者様の伝説の中でも特に有名なお話です」
伝説の内容はこうだ。
その昔、まだこの世界に2つの国しか存在していなかった頃、片方の国は魔人族と獣人族がもう片方の国には人間族が住んでいた。魔人族は生まれつき魔力が高く独占欲や支配欲が強い性質で、自分たち魔人族こそがこの世界の全てであり他の種族は世界の“おまけ”でしかないと考えていた。魔人族は皆闇魔法に長けていたため、獣人族を使役魔法で奴隷にし所有物として扱っていた。さらには自分たちより魔法力で劣る人間族までをも奴隷化しようと侵略を企て始めた。そんな魔人族の横暴な行いを問題視した創造神は人間族に神の子ウタ様を落としたのだ。それが後の大賢者様である。
魔人族はウタ様もろとも人間族を葬り去ろうと魔人族の全ての力をかけて侵略し人間族は滅ぼされるかのように思えたが、ウタ様がそれを許さずたった1人で億単位の魔人族の軍を全滅に追い込んだ。
その後ウタ様は魔人族を高い山脈に囲まれた秘境の地に追いやり、大陸に人間族と獣人族の国を建てよとのお言葉を下さった。それを受けたふたつの種族は3つの国を建てた。人間族中心の国「ジュエリアル王国」、獣人族中心の国「ケモナルド商業国」、もしまた魔人族が攻め入ろうとしても対抗できるよう力を合わせて民を守る盾の国「フォースエリア皇国」の3つだ。
正義の心で悪を征したウタ様は当時の魔人族の女王すらも改心させ従者とし、共に世界中を旅して回り数々の伝説を残した。弱きを助け正義を貫くその姿に、いつしか人々は大賢者様と崇め称えるようになった。
「だいけんじゃさまはとってもりっぱなひとだ!ぼく、だいけんじゃさまのこともっとしりたい!」
話を聞き終えたノアは大賢者様に興味津々だった。ノアだけでなくこの国の子供にとって大賢者様はヒーローであり憧れなのだ。
「大賢者様についての神話の本はこの図書館に沢山ありますから、これからいつでも好きな時に読みに来ましょうね。そうだ坊ちゃま、大賢者様がなぜとてもお強かったのかその理由を知りたくはありませんか?」
「しりたい!どんなりゆうなの?」
ノアは一層目を輝かせて身を乗り出す。そしてアリシアは何故か空を見ながらドヤ顔をし声高らかに強さの理由を口にした。
「実は、大賢者様は全系統の魔法が使えたのです!」
どうですか素晴らしいでしょう!とばかりにノアのほうを振り向くと、ノアはアリシアの予想に反して?を頭に浮かべてこちらを見ていた。
「あ、あれ?」
「アリシア、まほうってなぁに?」
「へっ?坊ちゃまもしかして魔法をまだご存じではなかったのですか?てっきり既にご存じなのかと…」
どうやらノアは根本的な『魔法』というものをまだ認識していなかったらしい。
『魔法』それはこの世界において必要不可欠なものであり当たり前に存在するものである。この世界の大気中には無限の魔力が漂っており、体内にある核に魔力を取り込みそれを体外に放出することで魔法が発動する。しかし魔力の媒体となる核は誰しもが必ず持っているわけではなく生まれつき核があれば魔法の適性があり、逆に核がなければ魔法の適性がないので使えないということだ。魔法適正者の割合は種族ごとに異なり、人間族は3割、獣人族は6割、魔人族は8割が魔法適正者である。
「ぼくにはコアがあるの…?」
ノアはアリシアの説明を聞きながら一番気になったことを恐る恐る聞いてみる。
「勿論ですよ!」
アリシアの言葉にノアはホッとして嬉しそうな顔をした。
「じゃあぼくもまほうがつかえるんだね!やったぁ!でもコアってどこにあるの?からだのなか?」
「そうですねぇ…坊ちゃま少し失礼いたしますね」
そういってアリシアはおもむろにノアのブラウスに手を伸ばしボタンを外し始めた。はだけたブラウスの隙間から白い陶磁のような肌が覗いており、その気があるものならば理性が吹き飛んでしまうような姿だ。しかしアリシアには下心があるわけではなく、露わになったノアの胸の中心をトンと指さしてノアの質問の答えを示した。
「これが核です」
アリシアが指さしたノアの胸には、赤ん坊の拳程の大きさのつるんとした透明な石のようなものが埋まっていた。
「これがコアなんだ!かあさまにもあるからほかのみんなにもあるんだとおもってたんだけど…」
「いいえ、核は魔力に選ばれた者にしかない特別なものなのです。その証拠に、ほら」
そう言ってアリシアは自分のメイド服を少しはだけさせ胸元を見せる。そこには見事な双丘はあったもののノアのような核は無かった。
「ほんとだ。てゆーことはアリシアには魔法が使えないってこと…?」
「はい、残念ながら。小さいころは羨ましいと思っていましたが、流石にこの歳ではもう気にしていませんよ」
アリシアはノアと自分の服を整えながら笑ってそう言った。どうやら本当に気にしていないようだ。
「ちなみにこのお屋敷の中で魔法を使える方は坊ちゃまのご家族全員と執事長とメイド長だけです。特にご家族の方々は国中で見ても素晴らしい魔法師なんですよ!」
そう言ってまたドヤ顔をする。どうやらアリシアは自分にとって大切な者や憧れの者を自慢しようすると、まるで自分のことのようにドヤ顔をしてしまうらしい。
「フロスティ公爵家は、なんといってもこの国が誇る七大貴族の『七宝貴』のひとつですからね!」
「ななほうき?」
「七宝貴を説明するにはまず魔法の系統の種類からお教えしなければいけませんね。分かりやすく説明するために簡単な魔法書を見ながらにしましょうか」
そう言ってアリシアは魔法書の棚から子供でも分かるように書かれたものを何冊か選んできた。その中でも一番装飾が細かく背表紙がしっかりしている本を机に置いてノアに見せる。
「坊ちゃまに説明するにはまずこのあたりからですかね。この国で魔法適正がある子供は王立ダイヤモンド魔法学校への入学が義務付けられていて、ほとんどの子供がそこで初めて魔法の使い方や仕組みを勉強するんです。そこの初等部1年生用の教科書がここにもありましたのでこれを使って説明いたしますね。この教材を使用する初等部は6歳からですが、かなり大雑把…いえ簡易的な説明文しか載っていないと旦那様から聞いていますので坊ちゃまに魔法系統の説明をするくらいならこの教材で大丈夫でしょう」
アリシアは魔法系統の説明が載っているページを開いた。最初のページには赤い火のイラストと『火系統魔法…主に火を操る魔法。色は赤!』という本当に簡易的な説明文が載っていた。
「これが火系統です。簡単に言えばここにも書いてある通り火を操ることができる魔法ですね。そして次が…」
アリシアはページをめくりながらひとつずつ説明していく。
系統は全部で7つ
・火系統…主に火・炎を操る【赤】
・水系統…主に水・氷を操る【青】
・雷系統…主に雷を操る【黄】
・風系統…主に風を操る【緑】
・土系統…主に土・植物を操る、精霊魔法も使用可能【橙】
・光系統…主に光を操る、回復魔法も使用可能【白】
・闇系統…主に闇を操る、使役魔法や死霊魔法も使用可能【黒】
「そしてこの7つの系統それぞれを得意とする7つの貴族が、建国当時からこの国を支える大貴族『七宝貴』です。フロスティ公爵家は代々光系統の魔法を得意としていますので「白の貴族」と呼ばれているんです」
「とうさまもかあさまもにいさまたちもすごいまほうしなんだね!でもだいけんじゃさまがぜんぶつかえてすごいってことは、みんながぜんぶつかえるってわけじゃないってこと?」
ノアはアリシアの言葉を思い出して聞いてみる。
「流石坊ちゃま!そうなんです。基本的に使える系統はひとりひとつですが魔法の才能が高ければ高いほど使える系統が増えるんです。4つ以上使えるともなれば世界に数人しかいないと言われていて、国お抱えの魔法師になることができるんですよ。ちなみに旦那様は光・水・雷・風の4系統の持ち主でそれはもう素晴らしい魔法師なんです!」
「とうさまもとってもすごいんだね!」
自分の父親がとても凄い魔法師だということにノアはなんだか誇らしい気持ちになった。
「えぇ、それはもう!ですが全系統を使える魔法師はまだ大賢者様しか居ないんですよ!世界でたった一人の全系統使いの魔法師。きっととても素敵なお方だったのですね!」
アリシアはうっとりとした表情で大賢者様の姿を思い浮かべる。
大賢者様。ノアは自分の父親よりもっと立派で強いというその伝説の魔法師の姿を思い浮かべ、強い憧れを抱いた。
「だいけんじゃさまはほんとうにすごいひとだ!ねぇアリシア!もっとだいけんじゃさまのおはなしきかせて!」
「はい!では今日は特別に夕食の時間までここで大賢者様のお話を読みましょう!」
その後夢中になって大賢者様に関する本を読みふけってしまった2人は、夕食の時間を過ぎても戻らない2人を心配して探しに来たカリサに発見された。そしてアリシアが小一時間ほど怒られたのは言うまでもない。
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それからというものノアは毎日図書館に通い詰め、大賢者様の数々の伝説を読み漁った。大賢者様のことを知れば知るほど憧れは強くなり、ノアが3歳になる頃には自他ともに認める大賢者様のファンになっていた。
次話更新予定は5月11日(金)20時です。