第Ⅰ章 2話 【憧れ】①
ノアの日課は沢山ある。
朝起きたらエレナの部屋に行き、鼻提灯を垂らして寝ているナナにイタズラすること。
ノアが朝食を食べ終えたタイミングで、ちょうど目が覚めていたずらに気付き怒っているであろうナナから逃げること。
おやつを食べること。
そのあとはナナと遊ぶこと。 楽しいことだらけだ。
中でもノアが一番楽しみにしているのが雨の日の屋敷内の探索だ。ノアは自分の足で歩けるようになってからというもの、雨が降っていて庭で遊べない日は広い屋敷を探索することに意義を見出していた。最初はひとりで探索を始めたが、子供部屋で遊んでいたはずのノアが忽然と姿を消していることに気付いたメイド達が大騒ぎし屋敷内にいる者総出で捜索をする大惨事になった為、ノアの屋敷探索には必ず1人はメイドが一緒に付いていく決まりができた。ちなみに今日は雨なので探索日だ。一緒に付いていくメイドは、ノアが産まれた時からノアの身の回りの世話をしているアリシア。ノアが産まれた当時はまだ新人だった彼女だが今ではエレナが信頼してノアを任せられるメイドになっていた。
「さぁ坊ちゃま!今日の探索もしっかりお供しますからね!」
アリシアは美人で仕事ができる優秀なメイドだ。
「うん!アリシア、きょうはまいごにならないでね」
「うぐっ…坊ちゃまを見失わないようしっかり付いていきます…」
欠点を挙げるとすれば、極度の方向音痴であり少々ネガティブだということ。昨日も少しノアと離れてしまっただけで迷子になり、結局ノアが迎えに来るというどちらが子供なのかわからない状態になっていた。アリシアはノアが周囲の想像以上の速さで成長しどんどんしっかりしていくにつれ、果たして自分はノアの役に立てているのだろうかと悩むことが多くなっているようだった。
「ところで坊ちゃま、今日はどのあたりを探索するのですか?」
「うーん、このへんはもうたくさんみたからなぁ」
「他に探索できそうな場所は西の別館か東の別館かその隣の温室か…多すぎて挙げきれませんが、ここからですと西の別館が一番近いはずです」
そういって南を指さす。
「…そっちににしのおやしきはないはずだけどなぁ。ねぇ、にしのおやしきにはなにがあるの?」
ノアは笑いながらアリシアに聞いてみる。
「あっ、すいません!西の別館はこっちでしたね!西の別館には図書館がありますよ」
指している方向はもはや東だが、それよりもノアは違うものに意識が向いていた。
「としょかん!?ほんがいっぱいあるところだよね?かあさまにきいたことがあるよ。うちのとしょかんにはすっごくたくさんのほんがあるんだって」
「えぇもちろん!フロスティ公爵家の図書館は王立図書館に匹敵する本の所有量なんですよ!」
「おうりつとしょかん?」
「この国で一番大きくて歴史ある図書館です」
王立図書館は王国内の様々な本を揃えている建国当時からある巨大な図書館である。対するフロスティ公爵家の図書館は、2代前のフロスティ公爵つまりノアの曾御祖父さんが無類の本好きであり国内では飽き足らず国外からも本を集める本マニアだった為に本が増え続けた。さらに本好きが遺伝して前当主であるノアの御祖父さんも現当主であるノアの父親も本好きである為、気付けば膨大な量になっていた。しかも一般的な推理小説や冒険譚だけでなく魔法書・絵画・政治・絵本などジャンルの数も豊富であり、保有ジャンル数では王立図書館を凌ぐ可能性もあった。
「すごいすごい!!よーし、きょうはにしのおやしきのとしょかんまでたんさくするぞー!」
「はい!では私が頑張って道案内を」
「ねぇにしのおやしきのとしょかんにはどうやっていくの?」
「えっ坊ちゃま!?他のメイドに道を尋ねるのですか!?ぐすっ…坊ちゃま…私は坊ちゃまから必要とされるメイドになれているのでしょうか…」
アリシアは通りかかった他のメイドに道を聞くノアの小さな背中を見つめながらしょんぼりとして呟く。背後の大きな窓では、まるでアリシアの心を映しているかのように雨が当たっては雫が零れ落ちていっていた。
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「……!!!」
何度か道に迷いながらも(主にアリシアが)なんとか西の別館にたどり着いた2人。ノアは図書館の想像以上の大きさに驚きで絶句していた。7階建ての図書館は中央が吹き抜けになっており、バルコニーには数え切れないほどの本棚が並んでいる。天井はガラス張りになっていて晴れていれば自然の光が図書館内を温かく照らしているはずだが、今日はあいにくの雨で曇っている。しかしその代わりに光魔法のライトが明るく照らしていて、本を読むには最適の明るさを保っていた。
内装はフロスティ家を象徴する白を基調としており、壁やバルコニーの手すりには細かい装飾が施されている。壁には主張しすぎない程度に現フロスティ公爵の自画像が飾られ、豪華すぎない洗練されたデザインで、品格と知性が漂う図書館だった。地球の図書館で例えるならば「ジョージピーボディ図書館」あたりだろうか。
「すごい…すっごくひろい!ほんがたぁっくさん!こんなのいっしょうかかったってよみきれないよ!」
目を見開いて唖然としていたノアは、プルプルと首を振って我に返ると見渡す限りの本棚に目を輝かせた。どうやらノアにもしっかりと本好きの血が流れているようだ。
「なにか読みたい本があれば一緒にお探ししましょうか?」
本棚に向かって駆け出したい衝動を抑えているのか服の裾をぎゅっと握りしめてこちらを見ているノアを見て、アリシアは笑いながら尋ねる。
「うんっっ!!」
ノアはパァァッと顔を輝かせて本棚のほうに駆けていく。
「血は争えないようですね。坊ちゃま待ってくださーい!」
そう言ってアリシアはクスクスと笑いながらノアの後を追う。
「一番上の7階は絵画やデザイン、彫刻などの芸術関係の本が置いてあります。6階には国の政治に関する本がありますが、まだ坊ちゃまには難しいですね」
まずアリシアはエリアごとにジャンル分けされている本棚をノアに案内して回っていた。7階分の本棚など2歳児には到底覚えられないが、ノアの反応を見てどのジャンルに興味があるのかを把握しておこうと思ったのだ。
「―そして2階すべてと1階の半分のエリアは推理小説の本棚ですね。旦那様がよく読まれるので取りやすい1階に置いているんです。そして1階のもう半分のエリアは子供向けの絵本や小説などが置かれていますね。坊ちゃまの年齢で読まれる本はこのエリアにありますよ。なにか読んで欲しいものや気になるものがあれば仰ってくださいね!私が読んで差し上げます!」
アリシアは役に立てる事を見つけたと言わんばかりに張り切ってノアを見つめる。しかしノアの成長はアリシアの想像していた以上だった。
「ぼくもうもじがよめるよ!かあさまがいつもねるまえにほんをよんでくれるから、そのときおぼえたんだ!」
「えぇっ!?そうなんですか!?素晴らしいです!坊ちゃまはとても聡明でいらっしゃるのですね!」
アリシアに褒められノアは照れたように笑う。2歳という幼さでここまでできる方とは…と、アリシアはノアの成長をみて嬉しいような寂しいような表情でポツリと呟いた。
「これでは私のお仕事がどんどん無くなっていってしまいますね…」
そんなアリシアに気付いたのかノアはアリシアの顔を覗き込んでにこっと笑うと、本棚の高いところにある絵本を指さしアリシアにお願いする。
「アリシア、あのほんとってくれないかな?ぼくとどかなくって」
「は、はい!これですか?どうぞ」
アリシアは背伸びをすることもなく本を手に取りノアに渡した。
「ありがとう!アリシアはせがたかくていいなぁ~。ぼくはまだおおきくないから、まだまだこれからもアリシアにたすけてもらわないとだね!」
そう言ってへらっと笑うノア。その瞬間厚い雲に覆われていたはずの太陽がわずかに顔を出し、天井から太陽の光が差し込みノアを明るく照らした。その光はまるでノアに後光がさしているかのように見え、アリシアはその神々しさと美しさにハッと息をのむ。
「坊ちゃま…私は…私は坊ちゃまのお役に立てているのかいつも不安でした。しかしそれは私の悪い癖が出ていただけだったのですね…ありがとうございます!これからもこのアリシアに何でもお申し付けください!」
いくらノアがほかの子供よりしっかりしているとはいえまだ2歳だ。まだまだ大人の助けが必要な年齢。幼いながらも優しく聡明なこの方のために今後も頑張っていこうと気合を入れなおしたアリシア。その心は晴天のように晴れ渡っていた。
次話の更新は5月4日(金)20時予定です!お楽しみに!