入学準備、家族との不和
2話の投稿時点で、1話を大幅に改編しました。
私の名前は、山吹紅葉。
家族構成は父と母、妹と姉がいて、一軒屋に住んでいる。そこそこ裕福な家庭だと言えた。
「紅葉、大丈夫なの? 教科書とか教材なら、私が買いに行くけど」
私を心配して言葉を掛けてくるのは、血の繋がった母親である。名前は確か、楓だったと思う。
「結構よ。仕事があるんだから、私に構わなくて良い」
最初に見た時、私はこの人が誰だか分からなかった。妹も姉も、父親すらも。
「本当に、どうしたの? いつもの紅葉らしくない」
私らしいとか、らしくないとか。その言葉で狂いそうになった。
「この先は、私にあんまり構わないで」
相手のことが分からなくなるほど、自分の中身は変わってしまったのに。
母の愛情が籠もった視線に対して、刺すような眼差ししか返せない私が、酷く滑稽に思えてしまう。相手を鏡にして、映る自分に自己嫌悪する。
――私は許していない。過度に近づくことも、近づかれることも。
意識して笑みを作ろうとしても、相手を馬鹿にしているような表情になってしまう。それが分かるから、失礼のないように無表情を浮かべる。
私にできる妥協点だった。
(私はもう、いないんだよ。ここに居るのは、ただの他人なんだよ)
言葉にしない叫び、どう説明しても、頭がおかしくなったとしか思えない妄言。
娘の姿をした魔女を、愛し続けるピエロになんてさせたくない。それが私に出来る、せめてもの手向けだった。
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例えば、脳が死滅して、植物状態で生きている人間が居たとする。
医学的に可能かは別にして、脳だけ生きている人間と、体だけ生きている人間。それを合わせて、一人の人間を作ったとする。
記憶だけは、几帳面に書かれた死人の日記を見て、人格をトレースする。
これは、同じ人間だろうか?
誰かを構成する要素は、外見、記憶、人間関係、判断基準や優先順位、喋り方、気の使い方、どれかが欠けても、今までの自分とは相対的に変化する。
だけど、その半分がごっそり、入れ替わったとしたら?
人の細胞は、死滅と再生を緩やかに繰り返すことで、自分の整合性を保っている。周囲も自分も、肉体や精神さえも。
一年後には、別人に見えるような変貌をとげても、毎日を一緒に過ごすなら一日の違いは些細に収まるはずだ。
美容院に行ったって、髪型が変わるだけ。趣味の違う服を買っても、翌日から服の種類が追加されるだけ。全ての趣味が変わるまでには時間が掛かる。
でも私は違う。精神が、魂が、前世という耐えられない記憶を流し込まれ、破綻し、再生する過程で今の私を作り上げた。
高校を受験するまでの私とは違う。かといって、五百年前に過ごしていた前世とも少し違う。
憎悪、痛み、苦しみ、怨嗟、そして絶望。
最期を遂げた自分と、将来に希望と不安を持っていた、最後の自分。
そのどちらの性質も、中途半端に持っている出来損ない。
自分が親だったら、こんな人間を娘とは認めたくない。その葛藤と罪悪感。
「じゃあ、行ってくる」
「待ちなさい!」
もう必要なお金は受け取っている。結果として、学校に通わせてもらえなくなっても、後悔はしない。むしろ、今の時点で家出をすべきか迷っている。
そうは言っても、私はまだ一人で生きる術を持っていない。
日本において未成年が家出なんてすれば、警察に届けられていずれ捕まる。働くために必要な身分証も、親が作ったものでは足が着いてしまう。
そもそも、そんな状態では真っ当な職場など無いに等しい。
携帯電話だって親の名義で契約していて、自分のものではなく、電気が使えなければ充電さえも出来ない。連絡手段も限られてしまう。
この私は、無力な子供である。それが理解できてしまう。
昨日と同じ、学校指定の教科書や道具を扱うお店に足を運ぶ。
幸いなことに、店員さんは昨日と同じではなく、気にされることもなかった。
「ん?」
ポケットに入れた携帯が振動する。画面を見れば、妹の名前が表示されている。柚希と書かれた通話を、取るべきかしばらく悩む。その内に、切れて携帯が静かになってしまった。
なんで私はこんな時代に転生し、前世を思い出したのだろうか。既に死んでいる者の心を、乱すのはやめてほしい。
「そんな事を思っても、意味はないのだけど」
誰にも聞こえないよう呟きつつも、必要な教科書をかごに入れていく。
最後に、昨日の鏡が目に入った。
「お前は、私と一緒だな」
それは手鏡のサイズで、持ち運びが出来るようになっている呪術鏡と呼ばれる商品だった。占いを生業とする者で、水晶が気に入らない一部の者が使うことのある補助道具。
これで、買うものは揃った。
私は店を後にする。
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