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明晰夢。冒険。犬でも何にでも。

「で?」


 ソファに座って早速水を向けると、向かいに山吹と並んで腰を下ろした桃華は「うん」と小さく頷き、


「あのね……夢の中で、わたしと一緒に冒険をしてほしいの」

「夢の中で冒険?」

 

 ――コイツは一体全体、何を言い出しているんだ? 気は確かか?

 

 と、普通であれば誰しもがそう思うだろう。だが、


「お前、まだそんな遊びやってたのか。本当に小学生だな」


 高矢はそうではなかった。なぜなら、桃華が持っている特殊な力とも言うべき、『夢の中で意識を保つことができる』という体質を、かなり以前から知っていたからである。


 なぜ桃華がこのような力を持つに至ったか、それは彼女が九歳だった頃に経験した自宅の火事が大きく関係しているらしい。

 

 その際、恐怖のためか気絶をして床に倒れ続けていた桃華は、それが幸いして煙を吸い込むこともなく、また運よく火傷一つ負うこともなかったのだが、心に刻まれた強烈な恐怖の感情が原因なのか、その日以来、なぜか夢の中でも意識を保ち続けることができるように――いわゆる明晰夢を見ることができるようになったという。


「だから、わたしは小学生じゃないもん。――でも、そう言ったって、夢の中を自由に歩けるなら、コウくんだって冒険をしてみたいでしょ?」

 

 それは……確かに。そう思いつつ、ふと今更ながら気がついて、高矢は桃華に手招きをして顔を寄せさせ、耳打ちをする。


「おい、ところで、山吹の前でこの話をしてもいいのか? いきなりこんな話をしたら、お前、変人だと思われるぞ」

「別に大丈夫よ」

 

 と、山吹はまるでこの家の主人のように悠然と足を組んでソファの背に寄りかかりながら、


「アタシ、桃華に相談されて、もうそのことは知ってるし。っていうか、アタシも一度、この身でそれを体験したしね」

「体験……?」

「ええ。でも残念なことに、アタシは全くの役立たずなのよ」

「そ、そんなふうに言わないで、竹ちゃん。あれは、しょうがないことなんだよ」

「まあ、そうなのかもしれないけどさ……」

 

 一体何を言ってるんだ。やけに深刻な面持ちの二人を見て高矢は眉間に皺を刻み、


「話がよく解らないが……というか前々から思ってたんだが、そういうことはあまりやらないほうがいいんじゃないのか? 夢の中で意識を持って歩き回るなんて、いつか頭がおかしくなるぞ。背が伸びないのも、そのせいじゃないのか」

「ゆ、夢と身長なんて何も関係ない……はず、だけど……そう言われても、わたしも見ようと思って見てるわけじゃないし……」

「でも、別にいいじゃない。桃華と違ってアンタは元から頭おかしいんだから、そんな心配は全くいらないでしょ?」

「なんだと? お前にそんなことは言われたく――」

「ち、違うよ、コウくん。そんなことが理由で、わたしはコウくんに相談してるわけじゃないよ」

「じゃあ、なんでだよ?」

 

 睨むと、桃華はなぜか恥ずかしさで縮こまるように耳を朱くして俯きながら、


「だ、だって、コウくんはいつもわたしを助けてくれるし、あの時だって、手を大火傷してもわたしを助けてくれて……」

「あ、そうだんだ。やっぱり、コイツの火傷って桃華と関係あったのね」

「お前が気にするようなことじゃない」

 

 と、山吹の下世話な好奇心に釘を刺して、


「というか、そもそもこの話は一体なんなんだ? 夢の中で冒険? そんなこと、俺の知ったことじゃないだろ。お前の夢の中にいる俺と、今ここにいる俺は別人だ。そっちの俺と冒険をしようが何をしようが、いちいち俺の許可なんて取らなくていい。勝手にしろよ」

「アンタ、知らないの?」

「何をだ」

 

 驚いたような目でこちらを見る山吹に訊き返すと、どこか気まずそうにしている桃華と目配せをしてから、山吹は再び口を開いた。


「この子、人の夢に入っていって、その人を『夢の中で起こす』ことができるのよ。つまり、まあ、なんていうの? そう、自分と一緒に明晰夢を見させることができるの」

「はぁ? そんなバカな」

「ううん、嘘じゃないよ。昔から、もしかしてできるのかなとは思ってたんだけど、この前、竹ちゃんと試しにやってみたら、本当にできちゃったの。竹ちゃんはその夢の内容をちゃんと憶えてたし……間違いないよね?」

 

 と、申し訳なさそうな顔で桃華に訊かれ、山吹は口元へ運んでいた湯飲みをコトリとテーブルへ置きながら苦笑いする。


「ええ、結構面白かったわよ。まあ……もう、やりたくはないけどね」

「うん、竹ちゃんはもうこれ以上、巻き込めない。だから……ね、お願い、コウくん。コウくんの力を貸してほしいの」

「……どういうことだ?『巻き込めない』とか、『力を貸してほしい』とか……お前、夢の中で何か身の危険でも感じてるのか」

「…………」

 

 どうやら話の核心をついたらしい。桃華が思わずと言った様子で目を逸らし、その口を閉ざす。

 

 なぜここで黙る。危険な場所へ人を招こうとしておきながら、なぜその危険について説明しようとしない。すっかり温くなったお茶を高矢がゴクゴクと飲み干すと、こちらの苛立ちを察したように桃華が慌てて言う。


「ち、違うの! 別に秘密にしようとしているわけじゃなくて……その……わたしにも、よく解らないの」

「解らない? それはこっちのセリフだろ。第一、力を借りるなら、俺なんかよりもお前の姉を頼ったらどうだ。何せ教師なんだから、アレのほうがよっぽど頼りになるだろう」

「お姉ちゃんに迷惑はかけられないもん……。ただでさえ、ずっと迷惑ばっかりかけてるのに……」

 

 しおれたように俯き、桃華は制服のスカートの上で小さな手をぎゅっと握り締める。その様子を見るに、この話が嘘や冗談であるわけではないらしいし、どうやら本気で恐怖めいたものを感じてもいるらしい。

 

 桃華をいたわるようにその肩を撫でながら、山吹が責めるような眼差しでこちらを睨んでくることには腹が立ったが、流石の高矢も、今にも泣きそうな幼なじみを冷たくあしらうことはできなかった。というよりも、


「夢の中で人を起こす……か。まあ、本当にそんなことができるのなら、試しにやってみてもらいたくはあるな。ああ、いいぜ。やれるものならやってみろよ。もし本当に夢の中で俺を『起こせ』たなら、俺は夢の中でお前の犬でも何にでもなってやるさ」

「コウくん……」

「その代わり、もし嘘だったら、明日から俺の中でお前を小学三年生から二年生に格下げしてやるからな。覚悟しておけよ」

「う、うん、ありがとう、コウくん……。って、だからわたしは小学生じゃないもん!」


 そういちいち噛みついてくるところが小学生なんだ。というか、本気で困っていると言う割には元気じゃないか。


 やれやれ。そんな決まり文句が、思わず口を衝いて出そうになった。

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