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返せない恩。友達。行き場のない視線。

「ああ、腹立つわ。なんなのよ、アイツ。アンタが真剣に相談しようとしてんのに、話を聞きもしないなんて」


 と、竹は路地の石ころを蹴飛ばし、行き場のない怒りをぶつけてくるようにキッとこちらを睨んでくる。


「中学の頃からず~っと思ってたけどさ、どうしてアンタはいつまでもあんなヤツを気に懸けるわけ? アレにいくら構ったって無意味よ。一円どころか、今みたいに恩の一つだって返ってきやしないわ」

「べ、別に見返りとか、わたしはそんなのを期待してるわけじゃないよ。今回は、たまたまそういう状況になっただけで……」

「じゃあ、どうしてまるでお母さんみたいにアイツの面倒見てるのよ。ひょっとして、アレに何か弱みでも握られてるの?」

「よ、弱みなんて……コウくんはそんなことしないもん。ただ、わたしには……コウくんに、一生返せない恩があるの」

 

 恩? 竹は軽く首を傾げ、それから何か察したような表情をする。やや声を低めて尋ねてくる。


「アンタと折炭って、小学校に入る前からの幼なじみだったわよね。もしかして、アンタが小さい頃に色々あったっていう……あのことと関係してるの?」

「……うん」

 

 竹は中学二年生になった頃からの親しい友人である。そのため、桃華の身にあった過去の出来事を漠然とながらも既に知っていた。その上で、ずっと仲のよい友達でいてくれている竹を、桃華はもちろん信頼している。信頼しているが、それでも話が『この話題』に及ぶと、思わずギクリとしてしまう。


「わたしは昔、コウくんに命を助けてもらった……。だからね、わたしは決めたの。コウくんに助けてもらったこの命は、コウくんのために使おうって……」

「命を使うって……アンタ、小学生みたいな身長のクセに、武士みたいなこと考えてるヤツね」

「も、もう~、竹ちゃんまで小学生って……」

「ねえねえ、アイツのためならなんでもするってんなら、アンタ、もしアイツに『死ね』って言われたら、その場で死ぬわけ? ここで素っ裸になれって言われたら、ホントに素っ裸になるわけ?」

「え? うん、もちろん」

「あはは。やっぱり流石にそこまで――って、も、『もちろん』?」

「うん。それに意味があるなら、だけどね」

「い、意味……?」

「だって、死んじゃったらコウくんのために何もできなくなるし、そんな言葉にわたしが従ってたら、コウくんが立派な大人になれないもん。だから、言うべきことはちゃんと言わなくちゃ。それに、わたしがいくら道具みたいなものだって、心はちゃんとあるんだし」

「……折炭もおかしいけど、あんな奴を好きになるだけあって、アンタもやっぱり大概よね。……うん? ってことは、アンタと友達のアタシもなんかおかしいってこと?」

 

 そんなことないわよね? と、玄関で靴を履き替えながら訊いてくる竹になんと返すべきか戸惑っていると、教室棟と文化棟とを繋ぐ玄関ホールを一人の女教師――桃華の姉であるかがりが通りかかった。


「あ、お姉ちゃん」

 

 桃華がその横顔に声をかけると、かがりは数瞬の間を置いてからこちらを振り向いた。瞬間、強張ったようにも見えるその無表情に戸惑いながらも、桃華は姉に微笑みかける。


「え、えと……きょ、今日のお弁当、美味しかった?」

「え、ええ、もちろん……。でも、申し訳ないわね。本当なら、保護者である私がそういうものを作ってあげなければいけないのに」

「ううん、気にしないで。だって、それがうちの役割分担だし、それにお姉ちゃんは先生の仕事で忙しいんだから」

「ええ、まあ……」

 

 言ったきり、かがりはこちらの視線から逃げるように目を逸らす。それを見ているとこちらまで何を言っていいか解らなくなり、桃華は行き場のない視線を足元へ向ける。


「じゃあ」

 

 そう小さく言って、かがりはサンダルの音を鳴らしながら教室棟のほうへと歩いて行った。その背中を見送りつつ、竹が尋ねてくる。


「ねえ、アンタと江里原先生は同じマンションで、二人だけで暮らしてるのよね」

「うん、そうだよ?」

「それにしては――いや……まあ、アタシがどうこう言うことじゃないか」


『同居する姉妹にしては、妙に距離があるわね』

 

 そう言いたいのだろうと解ったが、桃華はなんの言葉も返すことができなかった。それは、桃華がなるべく見ないようにしよう、気づかないようにしようとしていたことだっただけに、咄嗟の言葉が何も出て来なかったのだった。

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