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悪夢の余韻。晩秋の空。潔癖症。part2

 それに気づかないフリをしつつ白米を食べ終え、ミートボールを次々口へ運んでいると、やはりその少女たちはこちらへとやって来て、高矢の目の前で足を止めた。


「コウくん、なんだか今日は顔色がよくないね。大丈夫? 具合、悪くない?」

「別に、なんともない」

 

 顔を上げずにそう返すと、桃華が隣にちょこんと腰かけながら、高矢の横に四冊のノートを置く。


「午前中の分のノート、ここに置いておくね」

「ん? ああ」

「あ、口にケチャップついてる。もう、子供じゃないんだから」

 

 と、桃華がぐいぐいと白いハンカチを口元に押しつけてくる。やめろ、と高矢がそれを奪って口を拭いていると、


「そうだ、これ買ってきたよ。はい、温かい紅茶」


 と、手に持っていた小さな巾着袋から小さめのペットボトルを取り出し、高矢へ差し出してくる。


「……なんだよ? そんなもの頼んだ憶えはないぞ」

「紅茶は身体を温めてくれるから風邪の予防になるんだよ。あ、あと、カイロもあげるね。カーディガンも羽織ったほうがいいよ」

 

 高矢の手に無理矢理紅茶を持たせ、胸ポケットにカイロを突っ込み、さらには着ていたカーディガンを脱いで高矢の肩にかけてくる。有無を言わさぬその押しつけに高矢は顔をしかめ、


「やめろ、鬱陶しい。こんな物は全部いらん。俺は寒いのが好きなんだ。今くらいの気温がむしろちょうどいいんだよ」

「でも、もし風邪引いちゃったら……」

「俺の身体を心配をしてる暇があったら、背がいっこうに伸びない自分の身体を心配したらどうだ、小学生」

「あっ、また小学生って言った! わたしは小学生じゃないもん!」

「アンタねぇ」

 

 と、表情に露骨に嫌悪感を表したのは、桃華と共にやってきていた山吹である。木の枝を寒々しく揺らす風にセミロングの髪を押さえながら、


「人からノート借りといて、それはないんじゃないの? ありがとうの一言くらい言うのが常識ってもんでしょ」


 と、やや切れ長の目でキツくこちらを睨み下ろす。睨み下ろしながら、カーディガンの左ポケットから出した小さな黒い何かを慣れた手つきで弄り出す。

 

 何をしているんだ? 山吹の言葉や眼差しよりもそれが気になってしまいつつ、高矢は卵焼きを飲み下し、


「うるさいハエだ。さっさとどこかに消えてくれ」

「はぁ!? 誰がハエよ! 誰が!」

「頼むからそのやかましい口を閉じてくれ。見て解るだろ? 俺は今食事中だ。少しはマナーを考えたらどうだ」

「はぁ? マナー? 何よそれ? 要するにアンタ、アタシの唾が汚いって言ってんの? 言っとくけどね、売る所に売れば、女子高生の唾は国産ハチミツ並みに高級品なのよ」

「こ、高級品って……。竹ちゃん、その考え方はどうかと思うけど……」

 

 桃華が苦笑しながら宥めるように言うが、山吹は手に持っていた何かを右ポケットへ入れ、左ポケットからまた同じ物を取り出して弄り出しながら、


「ともかく、アタシが言いたいのは、女の子はちょっとした心ない言葉でも簡単に傷ついてしまうってことよ。『ハエ』なんて言語道断だし、感謝の気持ちをちゃんと伝えないのも絶対ダメ。それくらい言われなくても解っておきなさいよ、デリカシーのない男ね」

「おい、桃華。また今度買ってきてくれるなら、ミルクティーじゃなくてレモンティーにしてくれ」

「え? あ、う、うん……」

「無視すんじゃないわよ! アンタはいつもいつも人のことバカにしてっ……!」

 

 と、山吹が叩くマネをするように唐突に拳を振り上げる。それで思わず高矢が顔を腕で覆うと、


「プッ、何よアンタ。口は偉そうなクセに、どんだけビビりなのよ」


 元から垂れ気味であるその目尻をニタッといっそう垂らして口元を押さえる。高矢はホッと息をつきながら、


「俺は潔癖症なんだ。例え『フリ』でも、俺に触ろうとなんてしないでくれ。これは真面目な話だ。それだけは絶対に頼む」

「は、はぁ……? アンタが潔癖症ってのは中学時代から知ってるけど……どういう意味よ、それ? まさか、美少女女子高生であるアタシの手が汚いって――」

「ま、まあまあ、二人とも、落ち着いて……!」


 桃華は高矢の肩を軽く叩き、場の空気を変えようとするように明るい口調で言う。その手の巾着袋から銀紙に包まれたおにぎりを取り出し、


「そうそう、コウくん。これ、今日のおにぎり。今日はコウくんの好きな梅だよ」

「お前も山吹と同じで、俺が今弁当を食ってるのが見えないのか? そんな物はいらん。というか、頼んだわけでもないのに毎日作ってくるな」

「え~? でも、コウくん、わたしに『お弁当だけじゃ足りない』って言ったでしょ。そんなこと言われたら、作ってこないわけにはいかないよ」

「確かに言ったかもしれない。でも、小学三年生のヤツが作ったおにぎりなんて土とか砂が入ってそうで食えたもんじゃない。それに、俺は具は何も入ってないほうが――んぐっ」


 はいはい、と適当に頷きながら、桃華はアルミホイルを開いたおにぎりを高矢の口へ無理矢理突っ込んでくる。ご機嫌そうに目を細めながら、


「どう? 美味しくできてるかな?」

「べ……別に、おにぎりに美味いも不味いもない。誰が作っても同じだ」

「っていうか、あんた、潔癖症とか言っておきながら、人の作ったおにぎりなんて食べるんだ。それってインチキじゃない」

「い、インチキなんかじゃないよ、わたしのは特別なんだから。ね、コウくん?」

「別に何も特別じゃない。捨てるのがもったいないから食ってやってるだけだ」

 

 言いつつ、桃華の手からおにぎりを受け取り、それをとりあえず膝の上に置いておく。そして、尋ねる。


「で? なんの用だ? 教室で渡せばいいノートとおにぎりをわざわざここまで持って来たのには何かワケがあるんだろ? 無駄話はいい加減にして、さっさと話したらどうだ」

「え? ああ……う、うん、そうだよね」

 

 ギクリとしたような顔で桃華は頷き、山吹と何か示し合わすように目を見交わしてから、少し躊躇った様子で口を開く。


「ね、ねえ、コウくん、ちょっとお願いがあるんだけど……」

「お願い……? ん?」

「あ、ネコ」


 高矢が桃華に向けて顔をしかめた直後、山吹の言う通り、一匹の猫が、ぬるりとブラウンの毛を光らせてベンチの下から高矢の股の間に顔を出した。

 

 腹が空いているのだろうか。飼い猫らしく赤い首輪をつけられているが、やや痩せ気味なその猫は、高矢の右膝に両足をついて立ち上がり、おにぎりへと顔を近づける。


 高矢は思わずその頭を撫でながら、


「お前、ハバナブラウンか。やめておけ、これはお前みたいな頭のいいヤツが食うべきものじゃない。お前にとってこれは毒物だ」

「ど、毒!? 毒なんか入ってないもん!」

「高い塩分は、猫には充分毒なんだ」

 

 無知な桃華に冷たく言って、高矢は弁当に入っていたブロッコリーを摘んでその口元に差し出してやる。と、猫はツンツンと鼻を当てて匂いを嗅いでから、それを咥えて駐輪場のほうへと走り去っていった。


「へぇ……知らなかった。アンタ、猫好きなんだ」

「ああ、猫はお前みたいな連中と違って汚くないからな」

「アンタ、普通に返事するってことができないの?」

「そ、それで、コウくん、お願いのことだけど……」

「断る」

 

 と、高矢は再び弁当を食べつつ言う。


「なんで俺がお前の願いを聞いてやらなくちゃいけないんだ。そういうことは、そこにいるトモダチに頼めばいいだろ」

「そ、そうだけど……違うの、コウくん。竹ちゃんにはもう色々助けてもらって……」

「なら、俺の出る幕はないだろ? そいつに全部やってもらえばいい」

「アンタね、ちゃんと話聞いてあげなさいよ。桃華は今ホントに困ってるのよ」

「知ったことじゃないな」

 

 手に持っていた小さな何かをカーディガンの右ポケットへしまいながら睨んでくる山吹を一瞥しつつ、最後の卵焼きを口へ運ぶ。と、


「……はぁ。アンタねぇ」

 

 山吹は深く嘆息して、呆れ果てたような色を顔に広げ、


「いつまでそんな反抗期のガキみたいな態度続けるつもりよ。もう高校生でしょ? いい加減変わらないと、ホントにこれから生きていけないわよ、冗談じゃなく」

「だからなんだ? 一分一秒でも早く死ねるのはいいことだ」

「バカ……! そんなこと言って、桃華に愛想尽かされてから後悔しても遅いんだからね。――もうやめましょう、桃華。こんなヤツをアテにしたって、やっぱり無駄だったみたい」

 

 言いながら、山吹はベンチに腰かけている桃華の腕を掴んで無理に立ち上がらせ、玄関のほうへと早歩きに戻っていく。

 

 ようやく去ってくれたか。そう安堵しつつも、ふと気になって、「おい」と山吹を呼び止める。


「お前、さっきからずっと手をモゾモゾ動かしてるけど、何してるんだ、それ?」

「は? ああ、これのこと?」


 と、山吹は突然の問いにどこか面喰らったような顔をしながら立ち止まり、手に持っていた小さなクリップをこちらへ見せ、


「内職よ、内職。これで、アンタと会話をするという吐き気がするほど無駄な時間も着実にお金に代えているのよ。凄いでしょ」

 

 なぜか勝ち誇ったように微笑み、秋風にスカートをひらめかせながら再び歩き出す。その山吹に手を引かれながら、桃華はまるで買われていく子犬のような目でこちらを何度も振り返って歩いて行った。

 

 『お願い』とは、一体なんだったのだろう。そう少し気になりはしたものの、風の冷たさのせいで、その疑問は枯れ葉のようにどこかへと飛んでいってしまった。

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