すべきこと、できること。part1
今朝見た夢は、単なる夢だったのか。それとも、桃華に呼ばれ、『目を覚ます』ことができた夢だったのか。解らない。解らないが、桃華は今この時もまだ無事でいて、自分に助けを求め続けているのかもしれない。
その可能性に、高矢は打ち震えるような悦びを感じると同時、恐怖に近いような不安と重圧を感じた。
――俺に何ができる?
『いなくなってようやく、桃華の大切さに気づいたってわけ? だから、アタシがせっかく忠告しておいてあげたのに……ホント、アンタは馬鹿な男だわ』
昨日の山吹の言葉が胸に重く響く。
全くその通りだ。返す言葉もない。俺は笑えないくらいに馬鹿な男で、おまけに無能な男だ。桃華を助ける力もなければ、力がないなりに知恵を巡らせることもできない。
だが、そんな俺に、桃華は必死に助けを求めているのかもしれない。Xにいたぶられ、肉体的にも精神的にも激しい責め苦に遭いながら、自分を待ち続けているのかもしれない。ひたすら俺の名前を叫び続けているのかもしれない……。
――俺のすべきことはなんだ? 俺にできることはなんだ?
『いつまでそんな反抗期のガキみたいな態度続けるつもりよ。もう高校生でしょ? いい加減変わらないと、ホントにこれから生きていけないわよ、冗談じゃなく』
『だからなんだ? 一分一秒でも早く死ねるのはいいことだ』
『バカ……! そんなこと言って、桃華に愛想尽かされてから後悔しても遅いんだからね。――もうやめましょう、桃華。コイツなんかに頼ったって、やっぱり無駄だったみたい』
山吹の言葉ばかりが妙に胸に刺さって思い出されるのは癪だったが、やはり何も言い返すことはできない。
俺が早く死ぬのは構わない。その思いにはなんの変わりもないが、今になってようやく気づいたことがある。それは、桃華が自分よりも早く死ぬのは絶対にイヤだということだ。
病院で見た、眠りから目を覚まさなくなった少女の姿。あの枯れ木のように痩せ細った姿が鮮明に頭に浮かんでは、吐き気が込み上げる。桃華もやがてああなってしまうのかという驚きと絶望は、まるで世界が歪むような衝撃に等しかった。
――全部、手遅れになる前に俺がするべきことは……俺が変わることなのか?
冗談でも、ましてや単なる想像でもない。このまま何もしなければ確実にやってくるその現実――桃華の早すぎる死を見据えて、高矢は自分自身に問いかけた。
俺が変われば、それだけで何か光が見えてくるのか? 本当に、ただそれだけのことで? いや、そんな馬鹿な。どう考えても、そうは思えない。
しかし、後悔はしたくない。このまま自分が何もしなければ、ただ絶望の中で頭を抱え続けていれば、桃華は間違いなく自分を置き去りにして、一人で先に死へ旅立っていく。ほんのわずかな時間で、二度と手の届かない存在になってしまう。
俺が早く死ぬのは構わない。だが、桃華が自分より早く死ぬことだけは絶対にイヤだ。自分よりも早く老人のように衰え、死んでいく桃華だけは、何があっても見たくない。
「おい、山吹、ちょっといいか」
朝、教室へ着くとすぐ、高矢は鞄を机へ置きもせずに山吹を教室から連れ出した。ひと気のない場所を求めて非常口の外までやって来て、しかしいざその時となると、
「山吹……その、なんというか……」
どうにも決意が固まらず、しどろもどろになってしまう。
「な、何よ……アンタ、まさか変なこと言うんじゃないでしょうね」
変なことを考えているのはどっちだ。妙な勘違いをさせないためにも高矢は意を決して、
「頼む、山吹。俺に力を貸してくれ」
と、山吹に頭を下げた。
「……は?」
数秒の間を置いて、山吹は間の抜けた声を出す。高矢は頭を上げ、瞬きを忘れたように目を丸くする山吹を正面から見つめる。
「お前、桃華と一緒に何度か夢の中を歩いたことがあるんだろ? なら、俺よりも少しはあっちの世界に詳しいはずだ。だから、頼む。俺と一緒に、桃華を捜しに行くのを手伝ってくれ」
「さ、捜しに……って、ちょっと待って、ど、どういうことよ。アタシたちだけじゃ夢の中を自由に動けないって、アンタも昨日言ってたじゃない」
「あ、ああ、悪い」
気が急いて、話の順序がおかしくなってしまった。高矢は一つ深呼吸して、朝の冴えた空気を胸に吸い込んでから、
「実は今日、夢の中で桃華の声を聞いた」
「桃華の声を……?」
「ああ、ほんの少しだけ……だけどな、確かに俺は夢の中で意識を持つことができた。でも、すぐに目が覚めてしまった」
「ほ、ホントなの!? もしホントなら、アタシたちにできることがまだ……!」
「全て俺の勘違いという可能性もある。でも、これは俺たちに与えられた、桃華を救うための唯一の道だ。見過ごすわけにはいかない」
「え、ええ、そうね。声が聞こえたんなら、桃華がまだ声の届く場所にいるっていうことなんだろうし……。で、でも、あっちの世界なんて、いつどうなるか解らないわ。もし声も聞こえなくなったら……」
「ああ、それまでに絶対に桃華を助け出す」
断言すると、山吹はそのどこかふわふわとさせていた瞳に、山吹らしい、図々しいほど力強い輝きを取り戻す。しかし、
「でも、力を貸してくれって言われても、アタシにできることなんてたかが知れてるっていうか……」
「……? お前、何かできるのか?」
山吹が何か言外に滲ませたような気がしてそう訊くと、なぜか山吹は妙にオドオドしながら、
「え? いや、そんな大したことじゃないんだけど……『餌を撒く』ことと、『早寝早起き』ができるというか……」
「餌……? 早寝早起き?」
「餌は、なんていうか……ホント、どうでもいいことよ。それに、早寝早起きも、単なるアタシの体質みたいなものよ。昔から、寝ようと思ったらパッと寝られて、起きようと思ったらパッと起きられるっていう、それだけのこと」
「パッと起きられる……?」
「ええ。アタシ、小学生の時から暇があれば内職やってたせいか、充分に寝れたら、夢の中でも『あ、もう大丈夫。起きて働こう』って思って起きられるの。だからある意味じゃ、アタシも桃華と同じで夢の中で意識を持てるんだけど、アタシはただそれだけ。桃華みたいに自由に歩けたりなんて――」
「本当か、お前!? 冗談じゃないだろうな!?」
思わず、高矢はその目と鼻の先にまで山吹へ詰め寄る。怯えたようにコクコクと頷く山吹を見て、高矢は背筋に震えが走るのを感じながら、
「それが本当なら……お前は俺と桃華の救世主だ。というか、桃華がお前を頼りにした理由が解ったかもしれない。お前が憶えてなくても、これまでにもお前は桃華を助けたことがあるんじゃないのか」
「アタシが桃華を? どういうことよ?」
「桃華が俺に言ってたんだ。夢の中で手を繋いでいれば、そのどちらかが目覚めた時に一緒に現実へ戻れる、ってな。だから、目覚めようと思えば自由に目覚められるお前のその体質は、いわゆる緊急脱出装置みたいなものだ。これほど頼りになるものはない。お前、そう桃華に言われたことはなかったのか?」
「い、いや……アタシが桃華と夢の中を歩いたのなんて、たった二回だけだし……それに、あんまり桃華とは一緒にいられなかったというか……」
「そうか。でも、お前のその力が役に立つことは間違いない。ただ……一つ問題がある」
「問題?」
「ああ。もし俺が桃華に呼ばれて目を覚ますことができたとして、お前をどうやって目覚めさせるかという問題だ」
「そ、そういえば、そうね。でもまあこれっばかりは、桃華がアタシのことも呼んでくれますようにって祈るしかないような気がするけど……」
「ああ……でも、本当にそうなのか?」
言うと、山吹はキョトンとしたように目を丸くする。