気づいてはいけない夢。part2
「複数の女子生徒が入院しているという話は……本当です」
「何人だ」
「……七人」
高矢の問いに、江里原は目を伏せて答える。
「し、七人も?」
山吹は愕然としたように繰り返し、桃華は小さく驚きの声を漏らした。江里原はどこか気遣うような目でそんな桃華を見て、
「一個上の学年にいる中村さん……憶えている? 昔、私たちが住んでいた家の近所にいた、あなたとは小学生の頃から知り合いの……あの子も今、入院をしているわ。あなたたちの言う通り、眠ったまま目を覚まさなくなって……」
「中村さん……由紀寧ちゃんが……?」
中村由紀寧。その名前は高矢も小学生の頃から知っていた。高矢とは特に交友はなかったが、桃華とはたまに一緒に下校をする仲だったようである。おっとりとした喋り方をする、眼鏡をかけた少女だった。
「他の学校でも同じようなことが起きてるのか?」
「解りません。しかし、この近隣の地域ではこの学校だけで起きていることのようです」
江里原はやはり目を上げないまま答え、
「それで実は、先週の数日間、警察が学校を調べに来ました。どこかで毒性のあるガスの発生が起きていないかということや、水道水に問題はないかということなどを……。しかし、結果的にはなんの問題もありませんでした」
「原因不明……それじゃ、やっぱりみんな夢の中で――」
「そんなものはくだらない噂です。間違っても、面白がってそんな不謹慎な話を広めないこと。いいですね?」
江里原は山吹の言葉を遮って釘を刺す。すると、まるでタイミングを計ったように昼休みの終了を告げる予鈴が校舎に鳴り響いた。
「さあ、話は以上です。早く教室へ戻りなさい」
と、相談室から追い出されて教室へと戻りながら、桃華が細い喉をゴクリと鳴らす。
「噂、本当だったね……」
「ええ、もしかしたら、意識を失う女子がこれからもっと増えるかも。いや、間違いなく増えるわ。こうなったら、アタシたち三人がなんとかしないと……!」
「三人……? おい、ちょっと待て。どうして俺もお前たちの仲間に入れられてるんだ」
高矢が足を止めると、山吹はこちらの正気を疑うような顔をしながこちらを見て、
「はぁ? どうしてって、何言ってんのよ。今一番危ないのは桃華だってことくらい解るでしょ? 他人事でいられるわけがないじゃない」
「そんなの知ったことか。俺に対して特別な敵対心を持ってたあのXとやらが、シャレにならない危険なヤツだっていう可能性が高まったんだ。なのこれ以上、クビを突っ込んでなんていられるか。俺は、俺自身のことが一番大事なんだ」
「アンタねぇ……!」
「た、竹ちゃん。それにコウくんも、わたしは――」
と、桃華がわたわたと間に入るが、高矢は山吹だけを睨みながら言う。
「俺が何か間違ったことを言ったか? というか、お前に俺を責める資格なんてあるのか? 元はと言えば、お前が逃げたから俺に妙な役目が回ってきたんじゃないのか」
「そ、それは……」
山吹はしぼむように目を伏せ、しかしその口元にニヤリと笑みを浮かべながら再び高矢を見上げる。
「ふっ、アタシだってね、そろそろアンタがどういうヤツか解ってきてるのよ。そんな憎まれ口を言いつつ、どうせ結局は桃華の力になるんでしょ?
桃華がアンタを頼ってるようで、実はそれ以上にアンタのほうが桃華を頼ってるんだから。桃華にいなくなられたら、アンタは生きていけなくなるほど困るのよ」
「何を言うかと思えば、くだらない。コイツは俺にとって単なる掃除係みたいなもので、そこにいるから使ってるだけだ。掃除係がいなくなれば、自分で掃除をすればいい。別に何も困ることはない」
「アンタねぇ、桃華は――」
「あはは、掃除係……」
と、桃華が不意に乾いた笑いを漏らした。授業前にトイレへ駆け込んでいく生徒や、教室前で立ち話をしている生徒たちでまだ廊下は賑やかだったが、その小さな声はゾクリと高矢の背筋を伝わった。
思わず驚きながら桃華を見ると、桃華はにこりと目を細めながらこちらと山吹を見上げて、
「うん、大丈夫。やっぱり、もう二人に迷惑はかけられないよ。竹ちゃん、心配してくれてありがとう。コウくんも、ごめんね。もうあんな痛い思いはさせないから。でも、コウくん、一つだけいいかな?」
「な、なんだよ……?」
「そういうこと言って、わたしが何も傷つかないと思ってる?」
「は……?」
「わたしになら何を言っても大丈夫って思ってるでしょ。『何を言っても、結局はどうせ俺を頼るんだ』って、そう思ってるでしょ?」
「どうしたんだよ、急に。俺はただ――」
「言っておくけど、わたしは別に『あの時』の恩を返そうとして掃除をしてるわけじゃないし、もちろん掃除が趣味なわけでもないよ。なのにそんなふうに思うなら、わたしはもうコウくんに何もしないよ? 解った?」
「な、なんだよ、落ち着けよ、桃華。俺は別にそういう意味で――」
「解った?」
ぐっと一歩こちらへ踏み出して、桃華は微笑む。にこやかに、しかし氷のように冷たい表情で高矢の目を覗き込んでくる。高矢は思わず後ずさって窓ガラスに背をつけながら、
「あ、ああ……」
掠れたような声でそう答えた。
すると、桃華はその表情をいつものように朗らかにして頷き、教室とは反対側へ歩き出す。唖然としたように立ち尽くしていた山吹がそれを追おうとすると、
「大丈夫だよ。ちょっとトイレに行くだけだから、竹ちゃんは先に教室に戻ってて」
桃華はそれを制して、小走りに女子トイレへ入っていった。
「……あーあ、桃華を怒らせちゃった。いちいち言わなくても解るだろうけど、桃華が怒るなんて相当だからね? さっさと謝っておきなさいよ」
「どうして俺が……。俺は別に、本気でああ言ったわけじゃない。あれは、ただの例えで……」
教室へ向けて歩き出しながら高矢が言うと、隣についてきた山吹がプッと吹き出す。
「なんだよ、何がおかしい」
「アンタでもヘコむことなんてあるのね。くくっ……好きな女の子に叱られてしょんぼりするなんて、アンタも意外に普通なとこがあるじゃない」
「はぁ? 好き? 冗談も大概にしろ。俺は生まれてこの方、アイツをそんな目で見たことはないし、アイツだってそれは同じはずだ」
「はぁ? アンタこそ、流石に冗談よね? アンタみたいなロクデナシでも、桃華がアンタに特別な気持ちを持ってることくらいは解るでしょ? それともまさか、本気で桃華をどうでもいいと思ってるわけじゃないでしょうね」
「別に……どうでもいいとなんて思ってはいない。でも……アイツが俺を、その……そんなふうに考えてるなんて、絶対にあり得ない。それこそくだらない話だ」
「くだらない……? どうしてよ? 何がくだらないの?」
まるで自分自身がくだらないと言われたような表情で、山吹はこちらを睨みつけてくる。いい加減に鬱陶しい。高矢は嘆息しながら、
「それが、絶対にあり得ない話だからだ。こんなクソみたいな性格をした俺を好きになる人間なんて、この世にいるはずがない。それぐらい、お前だって解り切ってるだろ?」
そう言うと、山吹が不意に足を止めた。何かしくじったという様子で眉間を押さえ、
「ごめんなさい。アタシには、その……何を言ったらいいか解らないわ。なんていうか、まあ……アンタも色々大変なのね」
気づいてもらえて何よりだ。高矢は山吹を残し、教室の中へと入って行った。