夢。死の世界。不気味な噂。part2
「なんでも、噂に出てくる幽霊はね、自分のお気に入りだった人形を探してるんだって。その人形が女の子だったから、だからソレは女の子の夢に入り込んで、その子を自分のいる場所に連れて行こうとするのよ」
山吹の言うところによると、その『噂』とはこのようなものだった。
「気づくとね、その人は公園の中に立っていたんだって。
それでね、すぐ傍に喪服みたいに真っ黒な服を着た、背の高い女の人が立ってるの。太陽の陰になってて顔はよく見えないんだけど、凄く長くて綺麗な髪をした女の人が、すぐ隣に立って自分を見下ろしてるの。
この女の人は誰だろう? というか、自分はどうしてこんな所にいるんだろう? その人には何も解らなかったんだけど、いつの間にか自分が着てたお姫様みたいなドレスが綺麗で、それがとても嬉しかった。
それにね、気づくと公園には子供が何人かいて、楽しそうに笑いながら遊んでいたの。だからその人は安心して、みんなに混じって遊び始めた。
ブランコとか、シーソーとか、ジャングルジム。自分の身体が子供みたいに小さくなってることも気づかないで、その人は夢中になってみんなと遊んだ。
そして、そんな自分たちを、背の高い女の人はじっと傍で見つめてた。でも、別に怖いとかそういうことは全然思わなくて、むしろ自分を見ていてくれてるって、安心して遊んでいられたそうよ。
だけどね、そんな時、ふと何かが焦げるみたいな臭いがしたんだって。
なんだろう? って、その人は不思議に思って、その瞬間、なぜか解らないけど気がついたの。『あ、これは夢だ』って。
そうしたらね、別のことにも気がついた。
自分の身体がまるで子供みたいに縮んること、傍に不気味な女の人が立ってるっていうこと、それから……自分が今まで一緒に遊んでいた子供たちは、実は人間じゃなかった、黒い霧が固まった『子供のような形をした何か』だったってことに。
これは夢なんだって、そう解っていても怖くなって、その人はその場から逃げ出した。そうしたらね、女の人が悲鳴みたいな声で何かを叫びながら自分を追ってきた。
身体が子供になっていたせいもあって、その人は公園を出ることもできないうちに女の人に掴まってしまった。その人はどうにか逃げようとしたけど、大きな手で腕を掴まれて、逃げることなんてできなかった。
女の人はその人を引きずるようにしながら、公園の隅のほうにゆっくり歩き始めた。気づくと、さっきまで一緒に遊んでた子供たち……子供みたいな形をした黒い霧の塊が、自分を取り囲むみたいにしてついてきてる。
それで、連れて行かれる公園の隅のほうにはね、まるでそこに洞窟の入り口があるみたいに、何もない空間にぽっかりと大きな穴が空いてるの。
その穴の向こうに行ってしまったら、帰ってくることはできない。どういうわけかそう解って、その人は必死に逃げようとしたらしいわ。でも、いくらもがいても女の人の手を振り解くことはできないし、周りにいる黒い何かが全員でその人を押さえるの。
もうダメだ。殺される。
その人はそう確信した。だけどね、その時、公園の木の上に見えていた空に、太い煙が物凄い勢いで立ち上ってることに気がついたの。
『火事』
思わず、ほとんど反射的に、その人はそう呟いたんだって。
そうしたら、女の人はビクッと急に立ち止まってその煙を見上げた。そして、なぜか頭を抱えて叫び出したと思ったら、その長い髪の毛がボッと赤く燃え上がったの。
まるで火の中にいるみたいに髪も服も燃え出して、白い手足が見る見るうちに赤く焼けただれていって……女の人はもがき苦しむみたいに顔を押さえながら、その人をそこに置いて黒い穴の中に逃げていった……。
何が起きたのか解らなかったけど、その人はその隙に公園の外へ向かって逃げた。子供みたいな形をした何かはその人を追いかけてきたけど、どうにか公園の外まで逃げることができて……その瞬間、目が覚めたんだって。
どうにか無事に目を覚ますことができたその人はね、それから気になって色々と調べてみた。そうしたらね、気になる新聞記事を見つけたの。
今から十年くらい前に、この近所で一件の火事があった。そして、その火事で二十代の若い女の人が一人、焼死した……っていう記事。
その記事によると、彼女は幼い頃から病弱で、学校へもまともに通えないまま大人になった人だった。
もちろん友達なんて一人もいなくて、だから彼女は人形を自分で手作りして、それを自分の友達にして何体も部屋に飾っていたんだって。中でもお気に入りだったのはね、『花ちゃん』っていう五歳の女の子の人形だった。
けど、ある日、彼女の家で不幸にも火事が起きてしまった。彼女はその時、ちょうど人形作りの材料を買うために外出中だったんだけど、自宅のほうから出てる煙を見て慌てて帰ってきた。そして、
『中に私の子供が取り残されている』
って、周りの消防士に訴えたらしいわ。
でも、彼女の家族がそれを否定して、しかも、もう家の中に入ることができる状況なんかじゃなかった。だから、みんなは彼女をどうにか宥めようとしたんだけど、彼女は周囲の隙を衝いて、燃えさかる家の中に一人飛び込んでいった。そして、それきり二度と帰っては来なかった……。
でも、彼女はいまだに自分が死んだっていう自覚はなくて、花ちゃんを捜し続けているの。花ちゃんは生きていれば今は十五歳くらいでしょ?
だから、そのくらいの年齢の少女を見つけたら花ちゃんかもしれないと思って、花ちゃんが昔着ていたドレスを着させて、自分のいる場所に連れて行こうとする……らしいわ」
図書室の窓から見下ろせるグラウンドで、一枚のビニール袋が風に弄ばれながら転がっている。高矢は何気なくそれを目で追いながら、
「その幽霊が、夢の中で桃華を追いかけているロウ……Xってことか? でも、お前、言ってなかったか?
アレにはずっと前から追われてるって」
「うん。だから、この噂とは関係がないとは思うけど、でも……」
桃華は、白手袋を嵌めた高矢の手へちらちらと不安げに目をやる。それから、思い出したように、
「あ、そうだ、コウくん。これ、今日のぶんのおにぎり。今日は何が入ってると思う?」
と、手首にぶら下げ続けていた巾着を高矢に差し出す。
「知るか。というか、いらん。今日は食欲がない」
「でも、そうよ。桃華の言う通り、万が一、あのロウの仕業だったらどうするの?」
と、山吹が話を戻す。
「噂は確かに噂でしかないかもしれないわ。でも、アンタだって実際に……と言っても夢の中でなんだけど……まあ、実際にXを見たんでしょ? あの、桃華につきまとう妙なヤツを」
「ああ、確かに見た。確かに見たが、でもアレは桃華じゃなくて俺を襲ってきたぞ。その『花ちゃん』とやらにはなれそうもない、男の俺を」
「アンタを? なんでアンタなんかを襲うのよ」
「ううん、嘘じゃないよ。わたしもビックリしたもん。どうしてかは解らないけど、いつもよりなんだか興奮していて……しかも、なんていうか……あれはコウくんをどこかへ連れて行こうとしていたっていうより……」
「その場で食い殺そうとしていた、な」
桃華が言い淀んだ言葉を高矢が継ぐと、山吹は絶句したように黙り込んだ。それから何か考えるように顎に手を当て、本棚に並ぶ本の背表紙を凝視しながら言う。
「もしかしたらXにとっては、男はまず初めに排除するべき敵みたいなもの……なんじゃないかしら」
なるほど、それは一理ある。そう高矢が唸ると、桃華が尋ねてくる。
「そういえば、コウくん、さっきちょっと怖そうな本を読んでたけど、何か気になるようなことは載ってた?」
「いや、何も。くだらない怪談が載ってただけだ」
「うーん……それじゃあ、やっぱり先生に訊きに行ってみるしかなさそうね」
と、山吹。
「訊きに行くって、何をだ」
尋ねると、その問いには桃華が答えた。初めからその予定だったように山吹と目を合わせつつ、
「お姉ちゃんね、夢とか、そういうことにちょっと詳しいみたいなの。それに、いわゆるオカルトって呼ばれるような話にも」
「あのカタブツが? それは意外だな。でも、そういう類の話に詳しいってことを知ってるなら、これまでにも少しくらい相談したことはあるんだろ?」
「ううん、ないよ。お姉ちゃんは心配性だから、迷惑はかけられないし……。でも、これ以上、みんなを振り回すのもよくないし……ちゃんと向き合って調べないとダメだよね?」
「それは、まあそうだが……」
また桃華に連れられてあの奇怪空間へ行くハメにならないためにも、この問題を曖昧にして先延ばしにされるのは確かに困る。しかし、
「どうしたの、コウくん? 早くしないと、お昼休み終わっちゃうよ?」
どうしても足が動かず、腕を組んでその場に留まり続ける。こちらを見上げる桃華の怪訝そうな目を横目に見て、
「俺は……別に行かなくてもいいだろう、アイツの所へは二人で行ってくれ」
「どうして? コウくんも一緒に行こうよ」
「行きたくない」
「なんでよ。ゴチャゴチャ言ってないで早く来なさいよ、時間ないって言ってんでしょ」
「アイツは俺を露骨に嫌ってるだろ。だから、俺もアイツが嫌いだ。可能な限り近寄りたくない」
「何をガキみたいなこと……いや、でも、それはちょっと解るわね。アタシもなるべくアンタに近寄りたくないし」
「そ、そんなこと言わないで、みんなで行こうよ。お願い、コウくん。コウくんがいてくれないと、わたし、しっかりできないし……!」
「それはどういう意味だ。介護しなきゃいけないヤツがいないと張り合いがないとでも言いたいのか」
「そ、そういうわけじゃないけど……!」
と口では言うものの、どうやら図星らしい。妙な汗を額に浮かべながら否定する桃華を高矢は睨み下ろし、やがてチッと舌打ちする。
「まあ、いい。俺にも訊きたいことがないわけじゃない。噂は本当なのか、本当に眠ったまま意識を失い続けている女子生徒がいるのか……それを確かめておいて、損はない」