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朝食。白い便せん。囁く声。

 目を覚ますと、桃華は身体よりも心のほうに重さを感じながら部屋着に着替え、朝食の準備を始めた。

 

 ほどなく姉のかがりが起きてきて、桃華と朝の挨拶を交わすと、日課として一杯の牛乳を飲み干してから洗濯と風呂掃除に取りかかり始めた。桃華は料理、かがりは洗濯と掃除。これがいつの頃からか決められた、江里原家の分業体制となっているのだった。


 午前六時四十五分。平日はほぼ決まってこの時刻に、二人リビングのテーブルで朝食を食べ始める。互いに言葉もなく、機械的に箸を動かす。笑顔があるのは、朝のニュースが流れるテレビの中だけである。

 

 ――いつから……なのかな。

 

 そう桃華は思う。いつからだろう、自分たち姉妹が上手く話せなくなったのは。

 

 自分が小学生だった時はそうでもなかったような気がするが、果たして本当にそうだろうか。あの頃の自分はよく喋っていたが、姉はただ静かに笑っていただけのような気がする。中学生になってからか、もしくはその少し前あたりからだったろうか、姉があまり喋りたがっていないことに気がついて、それ以来、自分もこうして黙っていることが多くなった。


 姉は、どこか常にこちらを避けている。避けながら、じっとこちらを見つめている。その暗い眼差しには気づいていたが、その目にあるものが嫌悪ではなく恐怖であるということにようやく気がついたのは、高校生になってからのことだった。


 自分が昔、火事の家に取り残された時、姉は家にいた。しかし、火事に気がついてすぐに外へと逃げた。幼かった自分を家の中に残して……。


 姉は今でも、その罪の重さに苦しんでいるのだ。姉にとって自分は、過去の彼女を責める罪の象徴なのだ。そう気がついて、自分はただ驚くばかりだった。なぜなら、自分は全く姉を責めるつもりなどなかったからだ。

 

 自分がこう思えるのは、当時の記憶がほぼ全くないためかもしれない。しかし、だとしても、どう考えても姉を責めようとは思えない。姉が取ったのは誰も責めることのできない当然の行動だし、それに何より、今自分がこうして楽しく生活をしていられるのは、全て姉のおかげなのである。尊敬と感謝、それ以外の感情など持ちようもない。


「桃華」

「……え?」

 

 不意にかがりに声をかけられ、桃華は聞き間違いかと思いながら顔を上げた。すると、確かにかがりは静かな目でこちらを見つめながら、


「なんとなく顔色が悪いような気がするけど……大丈夫?」

「う、うん、別になんともないよ。えへへ……。心配してくれてありがとう、お姉ちゃん」

「いや……」

 

 頬を引きつらせたような硬い微笑を浮かべつつ、かがりはこちらから目を逸らして味噌汁の椀を口元へ運ぶ。


 しかし、テレビから夜中にあった火事のニュースが流れると、慌てたようにリモコンを掴み、テレビの電源を消した。そして、残っていた朝食を掻き込むように平らげ、ごちそうさまと小さく言って食卓を離れていった……。


「…………」

 

 リビングの扉を後ろ手に閉めて、かがりはホッと息をつく。息苦しかった胸に深く息を吸い込みながら、自室へと向かう。すると、玄関の郵便受けに、一通の白い便せんが挟まっているのが見えた。

 

 なんだろう。昨日、取り忘れたのだろうか。そう思いながらそれを手に取ると、それには差出人の名前どころか、こちらの名前も住所も書いていない。しかし、それを見た瞬間、かがりはこの手紙がなんなのかを即座に理解した。桃華に見られてしまわないよう、急いで自室へと入る。

 

 開けずに破り捨ててしまおうか。かがりは怒りに駆られてそうしたい衝動に駆られたが、やはりそれはできなかった。どのような人間であろうと母は母であり、その手紙を読まずに破り捨てることなどできないのだった。

 

 ひょっとしたら、謝罪の言葉があるのかもしれない。机の前に座って便せんを開く時、かがりの胸にはそんな期待があったが、それは予想通り呆気なく裏切られた。

 

 ただの金の無心である。手紙はこちらの健康を気遣うオマケ程度の言葉から始まり、それ以降は服役を終えたばかりの人間にとって普通に生きていくことがどれだけ大変かということばかりが切々と書き連ねられてあるのだった。

 

 桃華の名前が一度として出ることもないまま終わった手紙を読み終えてすぐ、かがりはそれを可能な限り小さくまで破り捨てた。青い炎のように静かな怒りが胸に満ち、身体が震えた。

 

 ――私が……私が桃華を守る。あの悪魔共から……!


 そう誓いを固めるが、背中に水滴を垂らされたように、燃え上がったその義憤は急激に凍りつく。

 

 ――何が『悪魔』だ。お前だって同類だろう。

 

 耳元で誰かが囁く。

 

 ――お前は桃華を見捨てた人間なんだ。同類だよ、お前も。

 

 耳を強く塞ぐが、その声は頭の中へまで執拗に入り込んできて嘲笑を響かせる。


 ふと顔を上げて時計を見ると、いつの間にか出勤時刻が迫っていた。慌てて身支度をして部屋を出ると、洗面所からちょうど出て来たところだった桃華と目が合う。桃華はギョッとしたような顔をして、


「お姉ちゃん……お姉ちゃんのほうこそ、なんだか顔色がよくないよ。大丈夫?」

「え、ええ、大丈夫よ」

 

 ――どうしてお前が桃華に心配されているんだ? お前に、そんなことをしてもらう資格なんてないだろう。お前は桃華の命を見捨てた人間なんだから。

 

 桃華に笑みを返した瞬間、再び耳元で誰かが囁いた。その声に胸を突き飛ばされたように、かがりは軽くよろめきながら家を出た。

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