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遠い夜明け  作者: じーな
9/22

黒神


 明日の昼には東京に帰るのだ。次はいつ村に戻って来るかわからない。行くなら今しかない。


 考えていても仕方がない。そもそも今回村に戻って来たのは、私が佳奈子に助けを求めていたからだ。だからこそ佳奈子の最期の望みに応えてやらなければならないと思った。山の神社に何があるのかは分からないけど、佳奈子が私に助けを求めているのだから行くのだ。事情は分からないが、佳奈子にとって私だけが頼りなのだ。最後の友人を失った今の私にはこれ以上失うものなんてない。


 佳奈子の家を抜け出し、通夜を行っている公民館を避け、鳥居の山に向かう。静まり返った村役場の駐車場にある時計は午後十一時二十三分を指していた。午前零時に行かなければならない理由もよくわからない。子供向けの怪談話では午前零時に鏡を見るといけないだとか、午前二時に学校の理科室にいると人体模型が動くとかそのような儀式じみた類なのか。

 村役場の裏の道を進み、田んぼの真ん中の道を月夜の影と共に独り歩く。


 田んぼが途切れ、村の墓地へ続く道の途中に山への入り口がある。道と並行して流れる沢に架かる、短いコンクリート製の橋が、孤立した電灯に照らされ闇に浮かんでいた。橋の上は湿った落ち葉が積もり、欄干のガードレールは錆びつき、久しく手入れがされていないのが分かる。その手前には橋を渡ることを拒むように鎖が架かっている。


 鎖の手前。ここで佳奈子の遺体が見つかったのか。さすがに血溜はなかったがコンクリートの路面は血で滲んだままであった。


 橋の向こうを見上げる。弱い電灯の光はかろうじて橋の向こう側に届いているだけで、その先は完全なる闇だ。山の稜線の上には満天の星空、さらに上には完全な皓月が煌めいていた。

 幼いときから絶対に入るなと言われていた鳥居の山。言いつけ通り一度も入ったことはない。生唾をごくりと飲み込む。たかが鎖を乗り越えることに、まるで重大な罪を犯すような、今までの価値観を崩さなければならないような大きな抵抗を感じる。

 上着のポケットからLEDライトを取り出す。はじめから山に入るつもりだ。未だ躊躇いはあるが覚悟を決め、鎖をまたいだ。


 指向性の高いLEDの光はまさしく闇を切り裂く。橋を渡ったすぐの場所に石造りの鳥居があり、そこから石段の参道が上へと続いていた。

 山に入った時から何かよくわからない違和感を覚えていたが、しばらく進んだあたりでその正体に気付いた。不自然なほど静かすぎるのだ。社殿へ続く石段を踏みしめる音と、段々と荒くなる自分の息遣いの他に音が聞こえない。山が息を潜めているかのように木々のざわめきも、風が通り過ぎる音も、虫の鳴き声も聞こえない。


 LEDの眩しすぎる白い光で足元を照らす。しばらく登ったところで参道には似つかわしくない異様なものを目の当たりにした。錆びついた鉄製の扉が参道を遮っていたのだ。参道の両脇にも、山の斜面に沿って金網が闇に沈む先まで途切れず張られている。高さは三メートルを越えるだろう。さらにその上には有刺鉄線が張られている。今度は明確に侵入を拒絶する意思が伝わってくる。鉄製の扉の閂にはいかにも頑強そうな大きな南京錠が取り付けられていた。


「鍵はここで使うのか」


 上着のポケットから鍵束を取り出し解錠する。閂を引き、重い扉を押すと、獣の鳴き声のような甲高い音が静寂の山に響く。神域への侵入を咎められているようで体が強張る。通り抜けられる最小限の隙間だけ開き、扉を抜けた。

 このような厳重な扉があるということは、もう間もなく山の神社に着くのだろうか。ふと木々の間から空を見上げると、里から見える大鳥居が黒く夜空に架かっていた。鳥居は通常神域を示す象徴である。ここの鳥居もその役割は変わらないが、それ以上にこの山が禁足地であることを村人に知らしめる意味があるのだろう。


 大鳥居の手前で生い茂っていた木々が急に晴れた。天へと誘う石段は平坦な石畳に変わり、視界も開けた。


「ここが、山の神社?」


 雑草が伸び放題の境内には石灯籠が二つと社殿があるだけで、手水舎も狛犬も社務所もない簡素なものであった。

 大鳥居をくぐってからずっと、誰かに見られているような気配を感じる。当然深夜の鳥居の山にいる人間など他にいるはずはない。入ってはいけないと言われた場所に居ることに無意識のうちに罪悪感を覚えているのであろうか。

 石畳を進み本殿の前に立つ。本殿の扉にも古めかしい南京錠が据えてある。鍵束の先ほど使わなかった一番古そうな鍵を差し込む。重く固い手応えに違う鍵かと一瞬思ったが、手応えとともにごとりと錠が外れた。

 ごくりと生唾を飲み込む。これ以上本当に進んでいいのか。神域を犯しておきながら今になって躊躇いが出る。腕時計に目を落とす。時刻は午後十一時五十六分。もう間もなく今日が終わり、明日が始まる。



 ――もしかしたらあの子、自殺でも事故でもなく祟りに遭ってしまったのかもね。



 今更になって紗也香の言葉を思い出す。だが、もうこんなところまで入り込んでいるのだ。祟られるのなら進もうが引返そうが変わらない。それなら佳奈子の最期の思いに応えるべきだ。

 外した南京錠を戸のそばの床板に置き、そっと扉を開けた。


 壁の隙間から幾筋かの光が、墨塗りのように暗い屋内に漏れ込んできている。錠を外す時ポケットに入れていたLEDの光を中に向ける。板張りの床、奥の方は畳が置かれているようで一段高くなっており、正面には祭壇があった。特別な何かがあるのかと待ち構えていたが、白銀神社の拝殿を小さくしたようなだけで、基本的な造りは変わらなかった。ただ電気が通っていないためか、いくつかの燭台が無造作に置いてあった。

 夜より暗い室内に自分の影が伸びる。その影を踏むように闇に抱かれた。


 その瞬間背後の扉が音を立て閉まり、LEDの灯が消えた。

 振り返ろうにも、LEDを確かめようにも体が動かない。常世を思わせる闇の中、目を開けているのか閉じているのかさえの区別もつかない。先ほどから感じていた気配が一層強くなる。この社殿に何かいる。


「夜半にここを訪ねる人間とは珍しい」


 何が起きているのか理解できなかった。これは金縛り? そしてこの声は? 自分の身に起きていることに脳が追い付かない。

 ぼうと燭台に火が燈る。社殿の奥の一段高い床に、先ほどまではいなかった声の主がいた。


「わしに何の用じゃ?」


 声の主は胡坐をかき、黒い髪に黒い古風な着物を身にまとった少年とも少女とも取れない姿であった。未だに目の前の光景が信じられない。夢でも見ているのか。そもそも村に来てから意味が分からないことだらけだった。


「あの……あなたは山の神様なのですか?」


 声を出した瞬間体の自由がふと戻った。しかし体は金縛り以上に強張っている。着物の人物は全てを見透かすような目で私の顔をのぞき込む。


「わきまえよ。名を申せ」


 体躯は私よりずっと小さいが、発する強烈な威圧感に思わず体が硬直する。


「……本町の、田中希美と言います」


 情けないくらいのか細い声を震える喉から絞り出す。


「田中のところの娘子か」


 目の前の人物は一人で納得した様子である。まだ体の震えが取れない。


「わしはこの黒鉄神社の祭神。みなからは黒神と呼ばれておる」


 やはり山の、そしてこの神社の神様だ。ようやく思考が眼前の現象に適応し始めた。


「して、わしに何の用じゃ」

「あの、佳奈子に言われてここに来ました。どうか佳奈子を助けてください」

「佳奈子……? ああ、秡川の巫女か。あやつなら昨日死んだであろう」


 そうだ佳奈子は昨日亡くなったのだ。しかもこの鳥居の山で。


「もしかして佳奈子は、黒神様の祟りに遭ってしまったのですか?」

「巫女に祟りじゃと? わしは秡川の巫女は殺そうと思うても殺すことはできんよ」


 そう言ってふんと笑う。目の前の神の言うことを信じてもいいのだろうか。しかし疑ったところでどうしようもない。


「それに死者を黄泉より戻すことはできんぞ」


 だめなのか。その言葉に肩を落とす。


「ところでそなたの夢を申してみよ」


 はっと顔を上げる。もしかして何か別の手段があるのか。


「夢……ですか? 佳奈子を生き返らせることです」

「つまらん」

「え……?」

「浅い人間じゃ。つまらん。興醒めじゃ」


 なんと返してよいのかわからず黙ってうつむく。


「欲深な人間らしく富や地位を望み、愛する者を独占し、老いや病から逃れる。そなたにはないのか」

「…………」


 しばらく考え込む。神の列挙した願望をぼんやり考えるが、どれもピンとこない。


「真の望みが分からぬか。まあよい」


 神がにやりと笑い立ち上がる。


「ここまで願望が出ないのも珍しい。そなたの代わりに、そなたの本当の望みを教えてくれよう」


 本当の望み? そう思った瞬間頭にない言葉が勝手に口をついて出てきた。


「ヤリナオシタイ」

「そうであろう?」


 勝手に口が動き言葉を紡いだ気持ち悪さが残る。黒神はすべてを見透かすような嫌な視線でまっすぐ見つめる。そして満足したような表情でこう言う。


「その願い、確かに聞き受けた。ここにそなたをわが神託の巫女と認める」


 威圧感で動けなかった体から急に力が抜け、床に崩れ落ちる。受け身を取ることさえできなかったが、痛みは感じない。意識も遠のいていく。山の神が近付き、見下しながら何か言う声が聞こえる。


「昼の夢は虚ろなれど夜の夢は現なり。人の夢は夢なれど神の夢は現なり。」


 大きな袖の袂から黒い小さな鏡を取り出し、動かない手に握らせた


「昼にみる夢など川の流れの泡沫のごとく儚きもの。夢を現に変えたくれば夜の夢に託すのじゃ」


 突如として強烈で抗いがたい睡魔が襲う。


「幾多の夜を越え、そなたの望む世界を夢に見よ」


 そして私は夢を見る。



――――




希美は黒神と出会ったのであった

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