間隙
「うえー」
「なんで、私がこいつを運ばなきゃいけないの」
千鳥足の健太の肩を組んで二階の佳奈子の部屋まで連れていく。肩を組んだだけで服に酒臭さが移りそうでいやになる。
「ありがとう希美ちゃん。助かります」
床に並べられた座布団に健太を寝かせる。
「希美ぃー、佳奈子ちゃーん。飲みすぎたー」
「見ればわかるよ」
ため息をつきながら健太を見る。たらふく酒を飲み、人に運んでもらって、先に眠っているとはいいご身分だと思い、あきれる。
「この様子ではたぶん自力では帰れないですよね」
「あー。佳奈子ちゃん大丈夫。少し眠れば帰れる」
あまり呂律の回らない声で、壁の方に寝返りを打ちながらつぶやいた。そのすぐ後にわざとらしいほどの大きな寝息を立て始めた。
「それにしても勝手な奴」
「希美ちゃんが久しぶりに帰ってきたから、うれしくて飲みすぎちゃったのかもしれないですね」
「どういう意味よ、それ」
「希美ちゃんは知らないかもですけど、健太くんずっと希美ちゃんのこと心配してたんですよ」
黙って佳奈子の話を聞く。ちらっと健太を見た後、再び視線を佳奈子に戻す。
「私と会うたびに希美ちゃんはどうしてるのかなって話になるの。それでこの間会ったとき、久しぶりに希美ちゃんに会いたいなってことになって、お手紙を出したんです」
村を、友人を捨てて東京へ出ていった私のことをそんなに心配してくれていたとは思っていなかった。かつて私は村に戻るつもりはないと思っていたが、それと同時に戻ることも許されないとも思っていた。
「あのさ、希美ちゃん」
佳奈子が真剣な表情で私を見つめる。いつもほんわかしている佳奈子がこのような表情を見せたことはほとんど記憶にない。
「東京での暮らしは楽しいですか? さみしくなったり、私たちのことを思い出したりしますか?」
「それは……」
正直言って、東京での暮らしがうまくいっていないことは誰にも言いたくないし、一番知られたくないことである。だからさきほどの宴会でも、この問いにはっきり答えず、はぐらかしてきた。なんと返してよいかわからず、答えに詰まる。しかしその態度こそ明確な答えとなり佳奈子に伝わる。
「それで……、希美ちゃんさえよければ、大学卒業した後、また村に戻ってきませんか?」
はっとして佳奈子を見る。
「希美ちゃんが帰りづらい事情は分かります。だから私もできる限り協力します。希美ちゃんの両親とか紗也香ちゃんとか、だから……」
佳奈子の悲痛な表情に胸が締まる思いがする。でも――
「ありがとう。佳奈子も……健太も、二人とも私の大事な友達。でも東京でやりたいことはまだやり切れていない。だから……」
「そっか……。ごめんね」
嫌な沈黙が二人を包む。健太の寝息だけが部屋に響く。何を言えばいいかわからない。佳奈子相手にこんなことになるのはほとんどなく、どうすればよいかわからない。
「お母さんの手伝いをしに行くので、希美ちゃんはゆっくりしていてください」
「それなら私も手伝うよ」
「長旅でお疲れじゃないですか? それに健太くん、かなり飲みすぎているみたいですし、様子を見てあげてください。それと今晩は私のベッドを使ってください」
そう言って佳奈子は部屋を出て行ってしまった。言葉こそ普通であるが、まるで私を拒絶するような意図がうかがえた。
「はあー」
緊張がほぐれ、糸の切れた操り人形のようにベッドに倒れ込む。
「夢の中なのに馬鹿みたい」
天井付近に掛かる時計を見る。午後十時十二分。健太の様子からも今晩山に肝試しをしに行くことはないだろう。黒神は下手人を押さえろと言っていたが今晩何か起きるのだろうか。
「巫女よ。聞こえるか」
黒神がまた頭に直接語りかけてきた。上着から神鏡を引き上げる。
「はいはい、聞こえてますよ」
「なぜ秡川の巫女が死ぬことになるか考えたことはあるか?」
「考えたには考えたけど全く見当もつかない。でも自殺ではないんでしょ?」
「殺される理由に見当もつかぬか。ところでそなたは秡川の巫女をどれだけ知っている?」
「大体何でも知ってるつもりだけど。小さい時からずっと一緒だし」
「それにもかかわらず殺される理由に見当がつかぬのか。嗤わせてくれるのお」
「何が言いたいの」
「そなたは秡川の巫女を半分も知らぬ。いや、何も分かっておらぬ」
「じゃああんたは何を知ってるの」
「わしからは言えぬ。しかしひとつ忠告じゃ。慎重に行動せよ」
「はいはい」
嫌味を言いたいだけなのか、黒神が何を言いたいのかわからなかった。
「そうだ、私もあなたに聞きたいことがあるの」
「なんじゃ。申してみよ」
「今晩もう何も起こらないの?」
「何ゆえそう思う」
「だって健太は寝込んでいるし山に肝試しに行くような状況じゃないから」
「何が起こるかは、わしにはわからぬ」
「なんでよ?」
「確かにわしの術じゃが、そもそもここはそなたの夢である。それゆえ何が起こるかはわしにもよくわからぬ。ゆえに用心は怠るな」
「つくづく不便ね」
そう悪態をついて寝ころんだ。何が起こるかはわからないがそれでも佳奈子を助けるんだ。そう自分に言い聞かせた。