第32話 二人の始まり
(※11/4 話タイトル変更しました)
王都 退魔騎士学校 男子寮 『ツェルト』
王都の騎士学校に来たその日の夜、ツェルトはクレウスと話をしていた。
場所は学生寮の一室、クレウスの部屋だ。
部屋の中は至って普通。
物が多すぎることも少なすぎる事もないし、汚すぎる事はないし綺麗すぎて落ち着かないなどという事もない。
ただ部屋の一画には、草の匂いがする緑のマットが敷かれていて、そこで靴を脱いでくつろげるようになっていたのが変わっていた。確かどこか遠くの……東の国に建つ住居の内装だと言っていたが、よく聞いてなかったし、もう覚えてない。
ツェルトはそのマットの上にお邪魔して、テーブルを間に挟んでクレウスと向かい合っている。
「それで、君はステラについて交換学生としてこっちに来たというわけか」
「ああ、病院にも連れてかなきゃならないしな。本当は一人だったんだけど、リート先輩が裏で手を回しくれたおかけげでだ」
テーブルの上には緑色の渋みのあるお茶が陶器の器に入って、二つ並んでいる。
味は、何とも言えない独特の味わいだった。
渋みや苦味はあるが、それは嫌なものではなくむしろお茶の美味しさを引き立てているようだったが。ツェルトの好みではないことは確かだ。お茶と言えば、ステラの家の赤いのがうまい、と思っていたツェルトにはちょっと衝撃的な体験でそれなりに興味は惹かれはしたが。
「しかし、リートとか言ったか、彼女は一体何者なのだろう」
目の前でクレウスが思案気な顔になる。
深く考えない方がいいような気がするけどな、とツェルトはそれに対して思った。
「あの先輩は良く分かんないのが特徴だとでも思っといた方がいいんじゃね? だってありえねえよ、先輩のはずなのに、未だに校内歩いてるの見かけるんだぜ。俺が一年だった頃も何でか、二年のはずなのに一年の行事に紛れ込んでた事もあったしな」
「不思議な女性なのだな」
「不思議すぎておかしい」
「それは君が言えた言葉ではないだろう」
確かに。
「なあ、お前は呪術って聞いた事あるか?」
「それなりにな、これでも勇者の後継者候補として名前が上がっている身だから、そういう裏の事情を教えてくれる人間はいる」
「まじか。すごいな、お前」
何でもできる天才か、お前は。
できる人間的な雰囲気は出ているが、中身までそうなると『天は二物を与えず』という言葉に物申したくなてくる。
「彼女……アリアも少しは知っているが、詳しい事は僕にも分からない。呪術の解き方など、考えた事もなかった。力になれなくてすまないな」
「いや、別にそこまで期待して聞いたわけじゃなかったしな。というか、できたら凄すぎておかしい」
さすがにまだ学生である彼にそこまで求める気はないので、変に気を落とすなと言葉をかけて置く。
「しかし、君たちの関係は何となく察せられるものがあるが。君がそこまで彼女に夢中になる理由はなんだ? 嫌なら答えなくてもいいが」
「お前こそ、ステラに負けずおとらない災難拾いのアリアの面倒をよく見てるよな。まだちょっとしか聞いてないけど学生生活だけでも色々あったみたいじゃんか、占い師に占わせたらたぶんすごい結果出ると思うぜ」
相手の内心に踏み込むような行為に断りを入れられれば、ツェルトは同じような事を聞き返す。
つまり、聞きたかったらお前も話せ、という分かりやすい要求である。
意図に気づいたクレウスは苦笑をこぼす。
「まあ明確なきっかけなんて僕はあまりないな。僕は小さい頃からアリアの傍にいたから、何となく彼女の面倒をみる日常が当たり前のようになってしまっていたからね。だからといって惰性だけで彼女に付き合ってるわけじゃない、思うべきところがあって、そして確たる意思で彼女の傍にあり続けたいと思ったから今この立ち位置にいるんだ」
色々まどろっこしい言い方してるけど、それってようするに惚れてるって事でいいんだよな。
でもたぶん一方通行だ。
アリアの方はなんかステラとよく似て天然そうだし、告白したって素のままで「私も好きですよ、ずっと友達でいましょうね」とか返してきそうだ。あれ、なんか泣けてきた。ていうか、それ俺じゃね? アクリの町でのあれ、結局真剣に聞いてもらえなかったしな。
「どうした? ものすごく複雑そうな顔になったが」
「何でもない、ちょっと格好つけて相手にしてもらえなかったとかいう、すごい格好悪い思い出を蘇らせてただけだから」
だが、まあクレウスの話が先程のあれだとするなら、ツェルトの話のほうが勝ちにはなるだろう。
「そうか、なら俺の方が劇的だな。勝ったぜ」
「何か勝負でもしていたのか? 僕達は」
してないけど、偉ぶりたい時があるんだよ。
「俺とステラの出会いは超凄いぜ」
自慢げに宣言してやれば、クレウスは静かに傾聴する姿勢に入る。真面目だ。
今は遠くにいる軽薄な物言いをする友人が恋しくなりながらも、ツェルトはその時の事を話し始めた。
ウティレシア領 カルル村
それはカルル村でステラが人質にされるより前の話だ。
確かツェルトが五歳ぐらいの頃だったか。
ちょうど騎士に憧れを抱き始めた時ぐらいで、年齢より少しばかり小さい自分の身長が気になり始めた頃ぐらいだろう。
その日、これといってなんの特徴もない小さな村に変化が起きた。
貴族がやってきたのだ。
イースト領の領主である、ラシャガル・イーストとその息子コモン・イーストだ。
彼らは実に偉そうな態度で、護衛をぞろぞろと引き連れて無遠慮に町を眺めながら歩いていく。
その当時のツェルトは、村を見て周るそいつらが何となく面白くなくて、その人物が貴族だと分かると、貴族というものは皆ああいうものなのだと思い敵意を抱いたのを覚えている。
「ふん、粗末な村だな。これといって見栄えするもの何も無い、見るものなどないではないか。王家を支える十士が来たというのに、満足に持て成すこともできないのか」
まあ、眉をしかめて汚い物でも見るような視線を生まれ育った村へと向ける男に、幼い子供が良い感情を抱くわけがないだろう。
「とうさまぁー、ぼく足が疲れちゃったよ」
「おお、そうかコモンよ、すまないな気が付かなくて。おい、そこの。息子が疲れたと言ているんだ気を利かせるのが普通だろ」
足元で歩いていた子供がしゃがみ込んだのを見て、ラシャガルは傍に立つ護衛らしい兵士へ文句を飛ばす。
「いえ、自分は護衛ですので。それではいざというとき……」
「馬鹿者! お前の雇い主は誰だ、この私だろう。私に逆らうのか!!」
「いっ、いえそういうつもりでは……」
ラシャガルは自らの脇に立つ護衛役らしい兵士へと、よくもそう言葉がつきないものだと感心するほど、長々と文句をつけている。
ツェルトはその隙に、彼らの近くへこっそり移動していた。
自分の村を悪くい言った仕返しに、ほんの少しだけこらしめてやろうと思って。
そこ近くに誰か大人がいれば、そんな馬鹿な真似を止めさせる事ができたのだろうが、生憎といないのだから仕方がなかった。
ツェルトは誰にも見つかることも気づかれることもなく移動。
近くの繁みから小石を投げたのだ。
鍛えてもいない子供が投げた石だ。
目標にぶつかる事もなく、途中で力尽きて地面に転がってしまった。
けれど、ラシャガルは目ざとく、その石に気づいてしまった。
石が飛んできた方向にある茂みを睨みつける。
「誰だ、この私に石を投げたのは!! 捕まえろ!!」
ひょっとして、自分はとんでもなくマズイことをしてしまったのでは。
村の端まで響いてそうな怒号が上がった瞬間ツェルトは思った。。
しかし後悔した時には手遅れだった。ツェルトは飛んできた護衛の手によってラシャガルの元に襟首掴まれて連行されてしまう。
「この薄汚い平民のガキが!! 私を誰だと思っているのだ、お前のような卑しい身分の人間が決して逆らうことの許されないっ、高貴な血筋の人間だぞ!!」
「――いってぇっ!」
衝撃があった。
視界が揺らいで遅れて自分が顔を殴られたのだと気が付いた。
護衛にぶら下げられたまま殴られて、ツェルトは呻き声を上げる。
「まだだ、この程度で許されると思うなよ、貴族に石を投げた罪、その身で贖えっ!」
そして、拳を振り上げて再度殴ろうとした時、声がかかった。
「止めなさい! 子供相手に何をやってるの、大人げないわよ」
ラシャガルの背後。
そこには簡素な平民服を着た金髪の少女がいた、帽子をかぶっていてその顔はよく見えない。
「貴族なら、石を投げられたくらいでそんな風に狼狽するものじゃないわ。常に堂々として、本意ではない過ちを犯した領民には寛容な態度を示し、反省を促す。そうするべきでしょ」
ってお父さんが言ってた、と小さく呟く少女。
君、聞こえてちゃってるよ。
「ぐ……この、平民のくせにどいつもこいつも……」
「言っておくけど、私は……」
顔を真っ赤にして怒るラシャガルに少女が何かを言おうとするが、その前に別の声がかかる。
暇そうにしていた彼の息子だ。
「とうさまぁー、こんな所にいても退屈だよ。もっと面白い所がいいよぉー」
「おお、そうだったな、すまないな。目当てのものは見つからなかったし、ウティレシアの愚か者に例の女を引き渡すように要求せねばならんしな、まったくあの嘘つきの占い師め……」
男はそれきりツェルトの事など忘れてしまったかのような様子で、息子と話したり独り言を呟いたりだ。
「調べることはもう調べた。いくぞ。勇者の遺物などなかったではないか、無駄足を踏ませやがって。この落とし前どうつけてくれる」
そして、そんな風に言いながらウティレシア領の領主の屋敷へ向かう為にか、村の外へと歩いてく。
少女は身の危険から解放されたツェルトに声を掛けてきた。
「ねえ、大丈夫。怪我してない? どっか痛いところない?」
さっきの雰囲気はどこへやら、ツェルトにかけられたその言葉は年相応の少女のものだ。
その少女の名前はステラ。
その当時のツェルトが聞けなかった少女の名前だ。
後から聞いた話だが、おそらく屋敷の者達は、自分の娘……ステラをラシャガルに合わせたくないと思ったのだろう。
使用人と護衛を付けてステラを村へと避難させていたらしい。その二人は当時見当たらなかったが。
手当てを受けた後、どこかへ行ってしまった少女の姿を探すと、村の集会場の中にいた。
なんで分かったかというと、部屋の中から大人数の声が聞こえてきたからだ。
「これはこれは、ようこそウティレシア家のお譲様。大した持て成しはできませんが、ゆっくりしていってくださいね」
「お菓子など少しありますけどご馳走になられますかな」
「かまわなくていいわ。あんまり村の人たちの好意を頂いてはダメよって、お母さまに言われたもの。好意を食べちゃったら、夕飯が食べれなくちゃうから」
「あらあら、それじゃあ仕方ないですね」
「おやおや、それはそれは大変」
何やら好意とやらついて勘違いをしている様子の少女に対して、大人達は柔らかい笑い声を上げる。
淡い金髪と、橙色の瞳の少女は、様子からするに少女はどうやら貴族らしい。
ツェルトから見れば、可愛らしい普通の女の子にしか見えないが。たが、彼女もあのラシャガルとかいう偉そうな男と同じ貴族らしい。
同じ貴族なら悪い奴なのか。でもそうには見えない。
どうしてこうも二人は違うのだろう。
疑問に思うが、まだ小さいツェルトには分からない事だった。
その日の夜。
ツェルトは、家を抜け出して村の井戸の近くへと向かった。
その場所は、彼にとっては特別な場所だ。
「やっぱり、今日も聞こえる」
ここに来ると、変な感じがするのだ。
誰かに見られているような感じがして、何かの声が聞こえるような気がするのだ。
そんな変な感じが気になって、ツェルトはついつい足を運んでしまう。
「いったい何なんだ……」
辺りをうろうろして声の主を探そうとするのだが、まったく見つかる気配がしない。
しばらくすると諦めて、木の枝を探したり、その枝を振りまわしたりして騎士になる訓練をするのだが、今日はそこに声がかかった。
「ねぇ、貴方。そこで何をしてるの?」
ついさっき聞いた少女の声だ。
幼い女の子の声。
「あ、貴族」
「そうよ、私は貴族よ」
それがどうかしたの? とばかりに少女は首を傾げる。
「子供が夜中にこんな所にいちゃ駄目じゃない。早く家に帰らなきゃ」
「君だって子供じゃん」
どうしてこんな所にいるのだろう。まさか内緒で抜け出してきたとか。
そういえば昼助けられてた時も一人だったし、見た目と違ってお転婆なのかもしれない。
「そうね子供よ。でも私は貴方よりきっと年上、だからお姉さんなの。お姉さんの言う事を年下の男の子が聞くのは当然の事でしょ。お母さんが言ってたわ」
「そうかなぁ」
自信たっぷりに持論を持ち出す少女に、ツェルトは首を傾げる。
その時は変な事を言うぐらいしか思わなかったが、ヨシュアの面倒を見るステラが姉として頑張り始めた時期だと聞いて後で納得したのだ。
「で、何でこんな所にいるんだよ」
ツェルトは当然の疑問を放つが、少女はそれに答えない。
「ねえ、貴方、昼間に私のこと見てたでしょ? 知ってるんだから。集会所の窓から上に、顔が半分になってたの」
「顔が半分って何げに怖い言葉だな」
ツェルトがこっそり覗いていたのが気付かれていたらしい。
少女は腰に手を当てて、さも私は今怒ってます、みたいに言葉を続ける。
「黙っててあげるから、ちゃんとお姉さんの言うこと聞かなきゃ駄目よ」
「どうしてもお姉さんしたいんだな、変な奴。君、貴族なんだろ? なのに全然嫌な奴って感じしないし」
「私は変じゃないし、嫌な奴でもないわよ。貴方こそ、こんな所で一人になって棒切れ振ってるなんて変じゃない」
確かに。
夜な夜な家を抜け抱いて、井戸の近くで棒切れを振る子供。
うん、変だな。
「なら、おそろいだな」
「そうね、おそろいね」
何がおかしいのか自分でも分からないが、二人して笑ってると何だか、身分の違いとかどうでもよくなってくる。
目の前にいる少女は少女、それでいいのだろう。
そういえば名前聞いてなかったな、と今頃になって気づく。
しかし口を開く前に、ツェルトの耳に笑い声のようなものが届いた。
「あ、また聞こえた」
「えっ?」
「今笑ってるみたいなのが聞こえたんだ」
「私には聞こえなかったけど」
「ほんとなんだって。いつも聞こえるんだ。そこらへんにいるはずなんだよ」
そう言いながらも、信じてくれないんだろうな、とツェルトは思っていた。
村の者達に言っても誰も信じてくれなかったからだ。
「だったら手分けをして探してみましょう。どんな動物なのか見てみたいわ」
けれど、少女だけはそう言ってくれたのだ。
「信じてくれるのか?」
「嘘なの?」
「嘘じゃない、けど……」
「だったらいるんじゃない。二人で探しましょうよ」
誰も信じてくれない事を少女に信じてもらえた。
ツェルトはその事が嬉しかった。
少女はきっとその言葉が少年にとって特別なものになるとは思っても見なかっただろう。
ツェルトの中ではその時に、ステラという少女が他の人間とは違う特別な存在になったのだ。
その後、その少女が戻って熱を出したり、ツェルトが少女を助けるために精霊使いになったりとした挙句、最後にそれぞれが家を抜け出した事で大人達に怒られるのだが、それはまだ二人は知らない事だった。
「ってな感じだ」
話を終わらせると、クレウスが何とも言えない顔をして見せる。
「なんと言うか、開いた口がふさがらないんだが、……君もステラと同じなんじゃないか?」
なんて言いつつも口を開けて間抜け面を晒すような奴ではない。
女子が見惚れるくらいの端正な顔立ちで物憂げな表情を浮かべている。
小さい頃は気づかなかったけど、これアリア大変だろうな。まあでもアリアもそれなりに可愛くはあるからお互い様か、ステラ程じゃないけど。
自分たちの事は棚に上げて同情するツェルト。
「そういや入学式のとき馬車壊れたし、他にも色々あったんだよな。否定できない気がするな。まあ、望む所だけどな。好きな人とお揃いだぜ」
「前向きな君が少し羨ましいな」
そりゃ、俺が気にしてたらステラが気にするからな。
「ともあれ、そういう話なら確かに好意を抱く理由にはなるだろうし、十分だろうな」
「あ、なんか引っかかる言い方だな。お前恋愛を理屈で考える奴なのか。というか何だ? お前ら上手くいってないのか?」
「それは…………、そうかもしれないな」
言いよどむにしては長い空白。
「幼なじみ以上になるのは、骨が折れる」
「ああ、同感」
それに関してはなんだか互いに良き理解者になれそうな気がした。
まあ、ツェルトの方はしばらく進むつもりはないのだが。
一つ、彼女について気がかりな事もあるし。
「星見の時の呪術は結局一体なんだったんだろうな……」
理由の分からないその力の正体を推測するリートの言葉が脳裏によみがえる。
それはあまりにもおぞましい、考えたくない可能性だ。
「あいつから目をはなすな……か」
ツェルトは最後にリートから言われた言葉を、小さく呟いた。