第30話 弟に頼られたい
そんな担任教師との、不安になるようなやり取りをした後、ステラは学校の屋上へ向かう。そこには一足早く着いていたヨシュアが待っていた。今日は、食堂ではなく珍しく学校の屋上で食べる事にしたのだ。
屋上にあるベンチに腰かけぼんやりと景色を眺めていたヨシュアに声をかける。
「ごめんなさいヨシュア。待たせてしまったかしら?」
「全然大丈夫です、僕もさっき来たところですから」
「そう、ヨシュアはいい子ね」
さっきまでツヴァンと話し込んでいたステラだ、ヨシュアの嘘はたやすく見破ることができた。
弟の気遣いに、直前にやりとりしたあれこれの感情が洗い流されていくようだ。
癒しよね。ヨシュアって。
そこにいるだけで雰囲気がほわっとしてやわらかくなっていくみたい。
ステラはヨシュアの隣に座り、お弁当を広げる。
「ヨシュア、学校生活で何か困ってることは無い?」
「それ、もう五回目ですよ。大丈夫だって言ってるじゃないですか。僕だってもう十五歳です。姉様は何も心配する必要はありません」
きっぱりと告げる頼もしい弟の姿。
本来なら喜ぶところだけど、何故か胸の内がもやもやしてくる。
期待してたわけじゃないし、困ってて欲しいわけでもないけど。
入学してから未だにヨシュアに頼られる気配がないのだ。
寂しい。
一人っ子じゃないのに寂しい。
むしろだからこそ余計に寂しさを感じる。
なぜこんな気持ちになるのだろう。
何故?
そんなの分かってる。
認めよう。
それは私がヨシュアのお姉さんだからだ。
姉とは年下の兄弟を助けるもの。ステラはそう思っている。
それに、弟がいるのにお姉さんができないなんて、お姉さんになった意味がないじゃないか。
お姉さんしたい。
今ステラはとてもお姉さんがしたくてたまらないのだ。無性にヨシュアにかまいたくて仕方がない。
今まで剣に勉強にと忙しくして、あまりベタベタした事がなかったからなのか、別の理由があるのか、ステラは何故か妙な物足りなさを感じていた。
疑問に思うが、答えはさっぱり分からない。
それはステラを構成する歯車が一つ欠け落ちてしまった事に起因するのがもしれないが、それが本当なのか違うのか、確かめる術は今のステラにはなかった。
「ねぇヨシュア、本当に困ってる事、ない?」
「ないですよ」
にっこり即答。
こっちを気づかってくれてるのは分かるけど、今のはダメージが大きすぎた。
可愛い笑顔も使い方を間違えれば凶器になる。ステラは今日学んだ。
「そ、そう。でも今更だけど、本当に王都の方じゃなくてこっちで良かったの?」
ステラは色々事情があったからこうして近くの学校に通っているが、設備も整って敷地も広い向こうの学校をヨシュアが選ばなかったのを少し残念に思う。
仮に向こうに行くのだとしたら寮住まいになり寂しくなるのは分かってるけど、ヨシュアが強くなりたいというのなら精一杯応援したいし、気兼ねなく頑張ってほしいのに。
「何度も言っているじゃないですか、姉様や……ツェルト兄様、お母様やお父様達、僕は皆を守りたいんです。僕一人にできる事なんてたかが知れてるかもしれない。ですけど、できるだけ傍にいたいんです」
「そう、それなら私はヨシュアの考えを尊重するわ」
自分一人を守るために強くなろうとしたのに、その自分自身すらも守り切れなかったステラ。
ステラがあれこれ言ったところでヨシュアがそんな自分みたいになるとは思えないが、大切な弟には後悔はしてほしくはない。
だからステラはこれ以上何かをいう事はないだろうし、自分の考えを押し付けることもしない。困ったとき以外に、道を示すことはないだろう。
たとえ危険の伴う道だとしても、ヨシュア自身が大事にしてる思いを蔑ろにはしたくなかった。
もうそろそろ姉離れの時期かもしれない、と胸の内で寂しくはなるが。
「ヨシュア、それでも私はいつまでもあなたのお姉さんだから、私の存在を忘れないでね」
「……えっと僕、姉様に何かひどい事を言ってしまいましたか?」
訓練室
そんなこんなで身近な人間の成長を確認する事になったのだが、やはりもやもやは残る。
だがいつまでもそのままでは困るだろう。
新たな道を歩き出したヨシュアにそんな思いが過剰に向けられないようにしなければ、と思ったステラは、その日放課後に学校に居残って剣の修練をする事にした。
うざったい姉。
……なんてヨシュアに思われたらステラはきっとへこんで立ち直れない。
雑念を振り払うように一心不乱に木剣を振っていると、見覚えのある姿が目に入った。
やって来たのは、黒紫の髪の人物……あのレイダスだった。
「はっ、こんなとこで誰が剣振ってるかと思ったら女かよ」
「っ!」
ステラは当然彼の姿が視界に入った瞬間から身構え、警戒心を露わにした。
「あ? てめぇはあの時の小娘じゃねーか」
「小娘って言われるほど、貴方と年齢が離れているわけじゃないと思うのだけれど」
「二年下なら小娘で十分だろが」
こちらを馬鹿にするように答える彼。
以前会った時と態度はまったく変わらない様だった。
これで実力があれば言い返すことができるのだが、そうでないからステラは悔しい。
迂闊に切りかかるわけにもいかず、ステラは相手の様子を窺い続ける。
……そこで、あることに気が付いた。
「って、っちょっと待って。貴方って、先輩よね。もう卒業してるんじゃないの?」
彼の言葉を信じるならば、ステラよりも確実に二つは上だろう人物だ。この学校にいるはずはないのだが、と気になったのでそう尋ねる。
「俺様が律儀にルールを守るような人間に見えんのかよ」
見えない。なるほど。
なんか他の人間ならともかくレイダスならそれで納得できそうだった。
「学校なんて、二年前にとっくに出てらぁ。こんな低レベルな場所にいつまでも拘束させられてたまるかよ」
「なら、何でここにいるの? あなた一応犯罪者の仲間でしょ」
「はっ、仲間なんかじゃねぇよ。俺は誰かとつるむ事はしねぇ。知り合いに顔を出しに来ただけだ」
「知り合い?」
ひょっとしてフェイスに協力していた人間がまだ他にいたのかと思うが。
「くそが、今日こそあいつを蹴倒してやるつもりだったのにとんずらしやがって」
苛ついた様子に少なくとも、フェイスの仲間ではないだろうと推測する。
良かった。あんな悪事に加担する人間がそうそういてはたまらない。
レイダスは誰だか分からないが別の人物を狙ってこの訓練室に顔を出したようだった。
災難な事だ。
「念の為聞くけど、あの人じゃ……、ツェルトじゃないわよね、それって」
「はっ、偶然出会ったんならともかく、あの青いガキにわざわざ会いに来るかよ」
評価はしているが、まだ積極的に打倒したいほどではないらしい。
となるとこの学校には、レイダスより強い人間がまだいるということになるのだが一体誰なのだろう。
「それ、誰なの。名前教えてくれる?」
稽古申し込みに行くから。
と、頼み込みが成功した場合のスケジュールを速攻で組みなおし始めるステラ。
「誰が女なんかに教えるか。小娘なんざ物陰で震えてびびってりゃいいんだよ」
だが、応対するレイダスの物言いは、そんなものだった。
あんまりな言葉にステラは自然と体に力が入ってしまう。
それが嫌だから自分は剣を握っているのではないか。
「はっ、せいぜい無駄な努力積むんだな」
そう言って小馬鹿にしたようにステラの努力をせせら笑った後、レイダスはその場を去っていってしまう。
追いかけようか迷ったが、止めた。自分一人で行ったところで返り討ちにあうだけだし、きっと無駄足になってしまうだろう。
「はぁ、やっと行ったようだな」
入れ替わりに、やってきたのはツヴァンだった。
「先生いつからいたんですか? あの人、前にフェイスの協力者だったんですけど」
言外に教師の役目を果たさなくてもいいのかと聞くのだが
「馬鹿、返り討ちにあうだろうが」
「先生は私やツェルトよりも強いですよね?」
「だが、あいつより下だ」
弱いからって、そんな理由でいいのだろうか。
まあ、余計な犠牲者は出さないに越した事はないのだろうけれど。
「それよりこれだ。受け取れ、ほれ」
唐突にツヴァンから投げ渡されるそれは、服に縫い付けるワッペンだった。
「これは?」
それは、三年生の実力のある生徒だけが身につけられる準騎士の証明だった。
「まあ、あれだ。勝手に申請しといた。そんで今日許可が下りたんだよ」
人の意向も聞かずにこんな事やっていたのかこの人は。
「お前の事だからどうせ、最後の一年も災難に巻き込まれるんだろ。なら何かあった時に俺が呼び出されるのは面倒だからな、それで何とかしとけ」
確かに準騎士の証明があれば何か事件が起きた時の証言や、その犯人の証明をする時も一人前の騎士と同じくらいの権限が効くと言われているが。
自分が巻き込まれたくないからって、すごく自分本位な理由だ。
呆れながらも、ステラは渡されたそれをまじまじと眺める。
剣と涙滴の意匠が刺繍されている。
剣は退魔騎士学校、涙滴は湖水の町の近くであることを示しているのだろう。
自分などが付けていいのだろうか。
本気で騎士を目指しているわけでもないのに。
もっとふさわしい人が他にいるはずではないのか。
「偽物でもいいからか皮かぶっとけって言っただろ」
そんなステラを見て、ツヴァンは言う。
「本気かどうかが大切なら、本気になりさえすれば誰でも夢が叶っちまう。でも現実はそうじゃない。いつも状況は不安定だ。不幸も幸運も災難も僥倖も予想もせずに襲ってくるから、通常の状態からそう区別されるんだろ。だから人間は余計な事とか余分な事をするし予防線を張っとくんだ、こんな風にな」
いつもの投げやりではない態度で言われてステラは面食らってしまう。
「大切なのは力を振るいたいと思った時に、その力が手元にあるかどうかだろ。ま、んな事だから外で何かあっても対処が面倒だ。俺を呼ぶなよ」
そんな風に最後はいつもの調子で締めくくって、ステラを置いてさっさと部屋を出ていってしまう。
彼なりに、生徒である自分のことを心配しているんだろうか。
「……ありがとうございます」
思う所がないわけではないが、ステラはそうお礼を言っておく。
ちなみに、そんなこんなで手に入れてしまった準騎士の証明は、ツェルトも同じような成り行きで手にしたようだと後でニオ経由で聞く事になった。