第28話 失った関係は戻らずに
ウティレシア領 屋敷
ステラは私室のベッドの上で、眠れない夜を過ごしていた。
屋敷に帰って医者を呼んで診てもらったが、これまでにツェルトに関して何かを思いだしたりするような事はなかった。
いずれ王都で、リートから紹介された医療機関に向かいきちんと症状を診てもらう事になってはいる。だが、簡単に行ける距離ではないし日取りもまだ決まっていないので、気休めにしかならなくとも(来てくれた人には悪いが)念の為にという事だ。
医者の男性は難しい顔で色々質問したり、簡単な体調のチェックをした後、力になれない事を詫びて使用人によって客室に案内されていった。
その後は、
鳶色の髪の少年が――
覚えてないって冗談だろ……。
そう呟いて部屋から出ていった。
彼の背中がステラの頭から離れないでいる。
リートという女性はこの場にはいないが、ニオとヨシュア、知らせを受けてわざわざついてきたカルネがいる。
みな心配げな視線をステラへと注いでいた。
「大げさすぎよ。何か大怪我をしたってわけじゃないんだから」
その言葉に対して、最初に口を開いたのはカルネだ。
「ですが……、心配するなという方が無理です。貴方はこれまでに何度も呪術を受けたのですよ」
「何度もって二回だけでしょう? 一度目も二度目も助かっているのだし」
カルネの顔色はステラのよりも悪いように見える。
そんな彼女の負担になりたくなくて、できるだけ前向きに話を進めようとするのだが、ニオからも暗い声が返ってくる。
「ちゃんとニオはあの呪術を解いたよ、そこは絶対保証する。でも、呪術って長いこと公にされずに蓋されてきたものなんだから、どういう作用があるかは専門の人でも分かってないんだ」
彼女はそれきり口を閉じて、俯いてしまう。
せめてもう少し早くステラを助ける事ができていれば、と後悔しているらしい。
代わりに口を開くのはヨシュアだ。
「僕はどうしていつも姉様が大変な時に近くにいられないんでしょう。僕がいれば、なんて言うつもりはありませんけど、でもそれでも……何かが違っていたかもしれないのに」
その口から出るのは、やはり後悔の言葉。
辺りに満ちるのは、葬式の場にでもいるかのような空気だった。
こんな事を言ったら彼……ツェルトに怒られてしまうかもしれないが、ステラとしては、忘れてしまったいるのだから今一つ実感が湧かないというのに。
皆ステラのことを心配してくれてる。その事は分かっていた。
けれど、これ以上そんな雰囲気を作られたら、こちらはたまらないのだ。
「みんな、悪いけど少し一人にしてくれない?」
少しだけ、静かな時間が欲しいと思った。
ひどい事を言っているようで悪いが、ステラはそこにいる者たちにそう言わざるを得なかった。
それぞれが部屋を出ていくのを見送った後、何気なく部屋を見回してみる。
自分の寝ているベッドに、部屋の中央に置かれているテーブル。いつも勉強している机や、隅に寄せて置かれている箪笥など。
そこに彼の痕跡を探したかったからだ。
一つ一つ視線で追っていけば、いくつかステラの記憶にないものが見つかった。
木彫りの人形や、紙を折って作られた人形、変わった形の石ころや、綺麗なガラス玉。
それらはきっと、彼……ツェルトが自分と関わりのあった人物だという証拠だろう。
ステラは眠るのを諦め、箪笥の扉を開けたり、勉強机の引き出しを開けたりして部屋の中を歩く。
裁縫箱の中には知らない布きれがいくつか入ってて、筆箱の中には書いた覚えのない落書きの紙片や古びた筆記具が交ざっていた。
だが、それらを一つ一つ確かめていっても……
「だめ、何も思い出せない」
ステラの脳裏をかすめるような光景はなかった。
いったん中断して、机の上にあった本を数冊めくってみる。
ステラの好きな絵本だ。
勇者の物語。
本のタイトルは「朝の騎士」だ。
ずっと昔、この世界に住む人々が悪い魔女によって苦しめられていた時、正しい心を持った一人の若者が剣を手にして、その悪い魔女をやっつけるという話だ。
他にも勇者を助けて、不思議な力で傷ついた人々を癒した「白き巫女」の物語や、魔物でありながら命を懸けて勇者を助けた「黒き聖獣」の話もある。
「別の世界に住んでるような人だって思ってたのに、本物の勇者に会った時はびっくりしたわね……」
カルル村の住民が原因不明の疫病に苦しむのをなんとかしたくて、薬草を採る為にステラは一人で危険な森へ入り、魔物に襲われていたところを助けられたのだ。
「でも……」
その時自分は、どうやってその薬草の存在を知ったのだろう。
暗い森の中、迷子になってしまった事があったのだが、その時に自分は何のきっかけで再び前に進めるようになったのだったか。
「分からないわ……」
そのままベッドに倒れ込んでも、どうにも眠れる気がしなかったので、部屋から出てある場所へと向かった。
たどり着いたのは屋敷の中庭だった。自然と足が向いていたのだ。
夜の闇に沈んだ庭。
そして、空には輝く星月が見える。
目に見えるのはいつもの光景と、そして天空にはとても綺麗な景色。だけどその二つを見ていると胸が締め付けられるような感じがした。
悲しいという思いはない。
まるで心に蓋でもしてしまったかのようだ。
それなのに……。
「どうして……」
わけもなく、涙が一つ零れていく。
その事実に戸惑った。
ふと、背後に人の気配がして振り返る。
そこにいたのは彼だ。
「ツェルト?」
「あー、眠れなくてな。そっちこそどうしたんだ」
「なぜか足がここに向いて。ここに来ると、胸が苦しくて、変な感じがするわ」
「そうか」
彼は一体私にとってどういう人物だったのだろう。
私の周りにある彼の痕跡。
それらはまるで、そこにあるのが当たり前のように、ステラの場所に交ざっているのだ。
「私が強くなろうとする理由、ツェルトは知ってるの?」
それが知りたくて、私は一つの質問を投げ掛けた。
「それは……、聞いてない」
という事は、ステラが心を許すような、近くにいるような人間ではなかったと言うことだろうか。
落胆したところでステラは気づく。これでは、もっと別の答えが返ってくることを期待していたみたいではないか。
「私と貴方って、どんな関係だったの?」
「どんなって……」
「私とツェルトはその……もしかしたらだけど結構仲が良い間柄で、ひょっとしたら私は今、貴方を傷つけてしまっていたりするの?」
「そんな事は……ない」
嘘だ。なぜなら彼は、さっきからずっと、ステラと目を合わせようとしていないのだから。
そう思ってると、いきなり謝られた。
「……不安がらせて悪かった」
不安……。自分は不安に思っていたのか。
そうだ、確かに不安にはなるだろう。悲しくなくとも、辛くはなくとも、自分が覚えてないことがあって、一方的に自分の事を知っている誰かがいるのだから。
彼はまるで、世間話でもするかのように軽い調子で言葉を紡いでいく。
「急な事でびっくりしてただけだよ。俺とステラはただの友達だ。俺達は、それ以下でも、それ以上でもない。それなりに付き合いがあって信用できる……ただの友達なんだ」
「……そう、友達。私と貴方は友達なのね」
一抹の疑問はあったが、ステラにはその言葉の真偽を確かめる方法はない。受け入れるしかなかった。
「よろしく、ツェルト。これからもずっと友達でいてくれると嬉しいわ」
そうして、ステラはただの友達としてこれから彼に接していくのだろう。
「ああ。俺達はずっと友達だ」
わずかに存在を主張する、胸の軋みを抱えながら。